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2010年4月29日木曜日

共時性と共空性(京都新聞寄稿)

 京都市景観・まちづくりセンターの「京都まちづくり学生コンペ」などでお世話になっている深田さんから原稿依頼をいただきました。3案書いたのですが、結果として以下のものが掲載されることになりました。また、その他の2案が日の目を浴びる機会もあるかもしれませんが、ともかく、最終的な判断は、「日付」という、言わば消印が押される新聞というメディアに載せるべき内容は何か、ということでした。とはいえ、最後の最後まで悩んで、無理を言ってしまったことを反省しています…。

京都創才 凛談◆未来に架けるメッセージ88
激動の時代。私たちは未来に向かい何を携えて進むのか。日本文化の源流「京都」から発する斬新なメッセージが、京都・滋賀、日本、世界の進むべき指針を問いかけます。

共時性と共空性
山口 洋典
同志社大学准教授

 先般、京都市景観・まちづくりセンターの「京都まちづくり学生コンペ」の審査で「夜街」なる提案を見て、圧倒させられました。ある近隣商店街を対象に「閉店時間を過ぎた後の軒先を第三者に貸し、その店に住まう方も、他の店舗の軒先で新たに展開される内容を楽しむ」というものでした。残念ながら、特に担い手の問題から実現可能性が問われ、最終的な評価は高くはなりませんでした。しかし「同じ時間を共に過ごす」共時性よりも、同じ空間でどこまで多様な経験を出来るかという「共空性」への問いかけだと解釈し、強い印象を抱きました。
 私も利用者ながら、今広がりを見せている「ツイッター」には、過度に共時性が評価されています。これはインターネット上で自らの思いを140字までつぶやくサービスです。利用者があらかじめ関心のある投稿者を登録、あるいは利用者の興味があるキーワードで検索すると、その結果が投稿時間の新しい順で表示されるシステムです。この流れは「タイムライン」と呼ばれ、他者のつぶやきを見ながら、自らがつぶやき、そのつぶやきに反応して誰かのつぶやきが重ねられると、コンピュータの画面に表れる時間軸の中に、私の存在感を見て取ることができます。
 私も含め、このような「言説空間」での存在感を楽しめる人々に触れると、フランスの作家、ギー・ドゥ・ボールが1970年代に指摘した「スペクタクルの社会」という視点を想い起こされます。社会の一員である人々が、目の前に映し出される世界を受け身で楽しむ世界に浸っている状態に気づけていないことが問うた概念です。ここから、携帯電話を通じて、手のひらの上に公共空間を持ち運び、世の中の動きに浸ることができるツイッターは、時代の流れを見つめる観客に留らせてしまわないか、という問いが浮かびます。まちという空間に持ち込まれたプライベートな小宇宙をどう捉えるか、良い・悪い以外の価値観で捉える必要がありそうです。
 そもそも、まちの営みにおいては、そこに「居る」ことが存外重要とされます。住居、居場所、立ち居振る舞いなど、多くの言葉にも埋め込まれています。時間の流れに乗るだけでなく、空間の中に誰かと共に居る、その作法を磨いてくことも大切です。今、自らが疎外されたくないとインターネットにつながりを求める人々に、空間を共にする中で互いに疎外しあわないように関わり合う、こうしたコミュニケーションの原初的なかたちが問われています。

◎やまぐち・ひろのり
1975年静岡県磐田市出身。専門はグループ・ダイナミックス。同志社大学大学院総合政策科学研究科でソーシャル・イノベーション研究と教育に従事。2006年5月に法然院で得度し、 浄土宗宗徒に。同年より大阪・應典院主幹。

紙面はゼロ・コーポレーションのページよりPDFにてダウンロード可能です。http://www.zero-corp.co.jp/company/article/zero/100429kyoto.pdf(ただし、最終紙面とは、若干内容が異なります)

2010年4月1日木曜日

想定の範囲を広げられる人に

 本日から新年度です。同志社大学に着任してはじめて、入学式に登壇させていただきました。しかし、任期付教員だから登壇する必要はないのでは、と感じていました。ところが、式を終えてからは、むしろ任期付だからこそ、同志社大学に勤めさせて頂いたことの実感を持った方がよい、そうした配慮からの推挙されたのではないか、と実感した次第です。
 春は出会いと別れの季節と言われます。その出会いのためのことばを、ということで、コリア国際学園の機関誌「越境人(リンクはzipファイル)」への寄稿を依頼されました。ところが、どうも、うまく書けず、悩んでいます。結果として〆切を延ばして頂きました。
 以下に記しますのは、「ボツ」の原稿です。先般、藤子・F・不二雄さんを取り上げた「こだわり人物伝」でも紹介されたように、手塚治虫先生は、「来るべき世界」という400ページの作品のために、1000ページを書き上げたといいます。もちろん、私はその足下にも及びません。が、ちょっとそんな気分に浸りながら、新たな原稿に臨んでいます。
 Twitterでもつぶやいたとおり、新年度は同志社大学の設立者、新島襄先生の「倜儻不羈(てきとうふき)」などのことばから、自らを律していかねば、という気持ちに駆られました。しかし、実は同志社大学の入学式に参列させていただく前、浄土宗大蓮寺のパドマ幼稚園の就任式に陪席をさせていただいておりました。そこで、秋田光彦住職・園長の講話で出てきた「布施・ 愛語・ 利行(講話では利他)・ 同事」の四摂法こそ、改めて仏道を生きる身として、背筋が伸びました。何かを押しつけず謙虚に(布施)、そして真摯に語りかけ(愛語)、他者をきちんと信じ(利他)、一緒に物事・出来事に共感・共鳴・今日体験を重ねていく(同事)に努めて参ります。

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想定の範囲を広げられる人に

 出端をくじく、ということばがあります。誰かとの関わりによって「さあやるぞ!」と抱いた意気込みが鈍ってしまうことです。実は私は、越境人への出端を何度かくじかれています。今日はそんな私の無様な体験を紹介させていただきます。
 今でこそ大阪に住まう私ですが、静岡県磐田市というまちに生まれ育っています。今でこそ、市町村合併で面積も人口も大きくなりましたが、私が住んでいたころは8万人くらいが暮らす都市でした。幼稚園、小学校、中学校、高校、全てが同じ学区にありました。中でも一番遠いのが幼稚園で、小学校には全力疾走をすれば5分ほどで着く距離に家がありました。通っていた高校のほぼ隣に位置している幼稚園にはバスで通園していましたが、あり余るほどの体力を持っていた当時は、家から教室まで3分あれば着く距離でした。
 18年間、同じまち生活してきた私は、大学進学を機に関西にやってきました。しかし、進学した大学は第一志望の大学ではなかったのです。こうした進学には「不本意入学」という表現が宛てられるようです。浪人生活よりは、という比較の中で、心底望まないものの、慣れない土地で学ぶことにしました。
 不本意で入学したため、最初から期待値が低かったからでしょうか、学び始めた当初は小さな発見が喜びとなりました。もちろん、第一志望ではないとは言いながらも、まずは受験し、しかも合格した後に入学しようという決断をしたからこそ、そこに立っているのです。だからこそ、いつまでも「不本意だ」などという感覚を引きずる方が不誠実です。この先に広がる人生の物語をより豊かにしていこうと、そこで出会った仲間たちと、多くの時間や空間を共有していました。
 ところが、私の人生を大きく揺るがす出来事が起こりました。それが阪神・淡路大震災でした。当時、私は大学1回生でしたが、4月に入学して以降、大学内で数々のイベントや勉強会を共に過ごしてきた友人たちと、いわゆる学生ボランティアとして現地に出かけました。ところが、被災地で順風満帆な大学生活の出端はくじかれることになったのです。
 実は、震災の被災地へと私たちの背中を押したのは「万能観」だったのです。若いから何でも出来る、と言った具合です。これは、若気の至りとでも言いましょうか。だからこそ、多くの人が困っているときに、自分の「想定外」の場面に立ち合うと、自分(たち)の無力さを強く実感することになりました。
 振り返れば、静岡県から関西へと、話す言葉も微妙に異なるまちにある大学にやってきた私は、教室の中で先生から教わる授業よりも、同じ校舎に集う仲間たちとの語り合いの中から、満足度の高い日常を得ていました。しかし、そんな風に思えたのも、特に中学校、高校の頃に、よい仲間たちと出会い、さらにはそんな仲間たちと先生や授業の話を盛んにしていたためだったと思っています。とかく学校というと、生徒と先生とのあいだの関係が取り上げられがちなように感じています。しかしあくまで集団生活の場であって、だからこそ先にも述べたように、かけがえのない仲間と出会う無数の機会が得られるのだ、ということを強く感じています。
 実はコリア国際学園には、設立の前から関わらせて頂いています。そこで触れた越境人ということばの響きが大変新鮮でした。ところが今、私が学んだ大学では、「Creating a Future Beyond Borders 自分を越える、未来をつくる」という学園ビジョンを掲げています。まさに、越境人になろう、という呼び掛けです。ぜひ、自らの想定の範囲を広げ、よりよい未来を信じることができる人になって欲しいと願っています。

山口洋典
1975年生まれ。立命館大学(理工学部環境システム工学科)卒業後、財団法人大学コンソーシアムに在職。2006年に退職し、大阪・天王寺の浄土宗應典院の主幹に着任。同年10月より同志社大学教員(大学院総合政策科学研究科)を兼職。著書に『地域を活かす つながりのデザイン:大阪・上町台地の現場から』(創元社)など。