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2014年2月11日火曜日

建てられた記念日

敬語には尊敬語と謙譲語と丁寧語があってね、と習ったのはいつのことだっただろう。少なくとも学校ではそれぞれの分類を、そして複数の誰かから、その使い分けを教わってきたと思う。しかし、それらの場面を思い出すこととは性格の異なる話だが、敬語とは何かを人にちゃんと教えるのは簡単ではない。もちろん、「それはおかしい」ことを指摘することは比較的容易なのである、が。

今日は「建国記念の日」である。正確には「建国」を思って定められた休日である。こうした言い回しをすると、根性が曲がっているとお怒りが向けられるかもしれない。また、違う方面からお叱りをいただきそうだが、Wikipediaで「建国記念日」を検索すると、何に焦点を当てることが「建国」を思うことかの違いに触れることができ、なかなか興味深い。目立つのは独立国になったことを記念する日であり、その他、革命や解放や統一の記念の日にちなんで建国記念日とされている国もある。

そこで、日本の「建国記念の日」を「建国された記念日」と表現した場合、これは尊敬か、受身か、どちらの意味で用いられているのか、という問いを立てることができそうだ。というのも、日本の建国記念日は、『古事記』と『日本書紀』(あわせて記紀と呼ばれている)において辛酉年1月1日にちなんでいるためだ。いわゆる「紀元節」であり、新暦が採用されてからは2月11日がその日、とされている。という具合に「された」という表現を織り込むことができるゆえ、上記のような問いが浮んだのだ。

ともあれ、世間では休日の今日も、立て込んだ仕事に向き合う一日となった。朝からは会えば謝罪のことばばかりを重ねている依頼原稿を進め、昼からは参加しているプロジェクトの研究会へ。研究会では関心は同じでも専門外の「経営」と「歴史」の話題提供から学ぶというものだったので興味深かったのだが、ご自身の発表が終わると、あからさまに内職モードに入っているとお見受けする態度で、それを「ロの字」のレイアウトゆえに対面から見続けたことで、ほとほと疲れてしまった。ともあれ、敬うとは何かということを考える一日であった。