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2015年4月26日日曜日

選ぶ・選ばれる

問題には「できるか/できないか」と、「するか/しないか」の問題とある。前者は外部の要因による命題であり、後者は自らの意志の如何による。その点で言うと、ひいきのパン屋さんは後者の問題である。が、この間、なかなかひいきにできる店に出会えずにきた。

それでも、ひいきに出来そうなパン屋さんに出会え、ひいきにしようというお店に見つかった。今日もまた、散歩がてらにお邪魔した。どちらかというパン派の私なのだが、大阪に住んでいた頃にひいきにしていた谷町六丁目のgoutの品質と品揃えが素晴らしく、初登場第一位の座を揺るぎないものにしている。そんな素敵なお店も、当然のことながら、歩いて買いにいくことができる状況にはない。そこで、この間、好物の一つであるカレーパンの味に満足したこともあり、徒歩圏内にある平野神社の隣のお店をひいきにすることになろう。

ちなみに今日は統一地方選挙の後半戦である。文字にこだわるなら、選挙は戦いとして位置づけられる。夜には開票速報の番組が放映されていた。過去に1度だけ出口調査の対象となったことがあるが、ああした取材を通じて、開票直後に当選確実と出すことができる情報量と分析の知見に圧倒するところがある。

大学でシチズンシップ教育を担当していることもあって、18歳への選挙権付与の話題が気になっている。これは「できるか/できないか」の問題でもあり、「するか/しないか」の問題である。投票できる年齢については公職選挙法を改正するかどうかにかかっているが、それに伴って「20歳をもって成年にする」とされた民法4条の見直しも必然となろう。ともあれ、そもそもなぜ、選挙権と被選挙権の年齢が揃えられないのか、など、ひいきにするパン屋さんから帰る道すがら歩きながら考えながら歩いていたら、懐かしい民社党のポスター掲示板に目が向いたのであった。


2015年4月25日土曜日

年の区切り

JR福知山線脱線事故から10年が経った。あの日、私は大阪医専で「人間関係論」の非常勤講師として出講していた。パソコンに保存されている当日のレジュメを見てみると、当日のテーマは「人間関係概論:人間関係とは個人の心の問題ではないことを理解する」であった。やがて看護師になっていく学生たちを対象に、医学をはじめとして人間の生理的構造を扱うのは自然科学、集団、組織、社会など集合体の全体的性質を取り扱うのが人間科学、という、かなり観念的なことをひもとく回であったが、講義の最初に事故の話に触れて始めたことをよく覚えている。

自然科学と人間科学の違いは心臓の科学と心の科学、という具合に区別ができる。心臓の科学には正解があるが、心の科学には複数の最適解が存在する。そこで、当日は村田朋泰さんがクレイアニメで仕上げたMr.Children「HERO」のプロモーションビデオを見ることにした。世界に広がる意味は、それぞれの「見え方」と「振る舞い」によって形作られていくことを実感して欲しいとの思いからであった。

あれから10年、今日は大阪の金蘭会高等学校で開催された、High school Play Festivalの参加校顔合わせ会に参列させていただいた。HPFは1990年、梅田にあった「スペースゼロ」主宰者の提案で始まった演劇祭である。スペースゼロの閉鎖に伴い、2001年度には実行委員会形式での開催に移行された。開催会場を探っていると耳にした当時の應典院事務局長により、高校生たちが切磋琢磨する演劇祭の趣旨に賛同し、シアトリカル應典院も開催会場の一つとされた。そして2006年の應典院主幹への着任以来、夏の風物詩とされた高校演劇祭の第1回会議にて、協力劇場の立場からの挨拶を担わせていただいてきた。

今日の挨拶では、やはりJR福知山線脱線事故の話に触れた。まず、10年目の今日だけ、4月25日だけ、あの事故のことを想い起こすのではなく、日々、その悲しみに向き合っている方々がいる、そこに思いを馳せて欲しい、と伝えた。なぜ、そんなことが伝えられるのかと、唐突感を抱いた学生たちもあったかもしれない。しかし、演劇もまた公演当日だけが大事ではないと理解できるであろう生徒の皆さんだからこそ、本堂を劇場として提供している側の代表として伝えたかったのである。


2015年4月21日火曜日

4+1コマ

大学の講義を労働として捉えるかどうかはさておき、集約型の仕事をさせていただいている。もちろん、集約型とは何か、と、定義にこだわる方にとってはそこから説明しないといけない。ただ、一般的な定義はさておき、ここでは曜日によって動き方を定めている、という意味である。ちなみに火曜日は立命館大学の衣笠キャンパスで過ごす日である。

前期の火曜日は午前中に「地域参加学習入門」という大規模講義を担当している。受講登録者は400人だが、単位が楽に得ることができるという噂が伝えられているのか、今期の受講希望者は790人であった。ちなみに楽かどうかは個々の主観なので立ち入らないが、少なくとも楽しんで学ぶ環境づくりに努めているつもりである。今日は地域の自治(ここではガバナンスを指す)の原理が統治型(自治体によるコントロール)から協治型(多様な主体によるコーディネート)へと変わっていることの説明の後、先週の「2人組をつくることができない」という嘆きのことばに応えるべく、「3人組をつくって、今、気になっていることを(ただ)語り合う」というワークを入れた。

私が大学で教える仕事をさせていただいたのは、田村太郎さんからお声掛けをいただき、甲南女子大学文学部の多文化共生学科の学生を対象にした「NGO論」である。2003年、それなりに講演には慣れていた時期であるが、15回の授業を組み立てる経験は始めてであった。不安が先立つのと、知って欲しいことを伝えたいという気持ちが先走り、90分、ひたらすら板書をしながら、言葉を重ねる授業を続けた。結果は大失敗であった。伝えたいという思いが強ければ強くなるほど伝わらず、不安を隠そうとすればするほど相手から重ねられることばや相手が自由に使う時間を抑え、受講生たちの不満が一気に露呈した。

それが今や1日で4コマの講義を担当する日さえある、そんな仕事に就かせていただいている。午前中の講義を終えると、短い時間に昼食をとり、時間割上は授業時間であるがプロジェクト型の科目ゆえに「部室」のような雰囲気の場所へと向かう。今日はその合間に夏期集中の「全学インターンシップ」のサービスラーニングセンター取り扱い分のオリエンテーション、さらに夜学とも言える時間にはチームワークを実践的に学ぶ小集団科目「シチズンシップ・スタディーズII」と続く。気づけばどれも対話の機会を積極的に盛り込んでおり、学ぶ環境づくりへの一定の自信を持ち得てきたのだと、これまで出会ってきた受講生や仲間の教職員の皆さんに謝意を表したい。


2015年4月11日土曜日

小さき声の<観音>たち

文章を書く人だけでなく、映画をつくる人も作家と呼ぶと知ったのはいつの頃だっただろう。そして今、映像作家と呼ばれる人たちが映画を作る時代になっている。もちろん、長らく映画に携わってきた方々の中には、映像作家と呼ばれたくないかたもおられるだろう。ともあれ、いのちを注いで作品をつくっておられる作家の方々に触れる機会をいただいてきたので、出来上がったものをコンテンツと呼ぶことに、ささやかな抵抗を抱いている。

今日は学生時代にご縁をいただいた鎌仲ひとみ監督の最新作『小さき声のカノン:選択する人々』の関西初上映を鑑賞させていただいた。出会いのきっかけは、米国ニューヨーク州のイサカで取り組まれてきた地域通貨「Ithaca Hours」について調べた際、創設者のポール・グローバー(Paul Glover)さんから「NHKの番組制作で日本から来たディレクターが面白い人だった」と紹介を受けたのだ。それが鎌仲さん(監督!)で、早速そのことをご本人にお伝えすると、すぐに1999年5月にBS特集として放送された『エンデの遺言』のVHSテープ(後に放送内容がNHK出版より書籍化)を送っていただいた。さらに、1999年の夏には鈴木みどり先生(当時、産業社会学部教授)に招かれ、立命館大学で非常勤講師を務めるため、そこに来てはどうか、とお誘いをいただいた。

ご縁をいただいてから15年あまり、町家に泊まっていただいたこともあれば、東京出張の折に泊めていただいたこともあれば、年賀状だけのやりとりのみが続いたときもあるが、2006年11月と2014年1月には應典院にお招きし、作品の上映もさせていただいた。しかし、長きにわたり丁寧な取材を重ねてつくられた作品をもっと多くの人に届けねばならないのに、と後悔を重ねる動員に留まっているのが心苦しくて仕方ない。転じて、今日の「とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ」での上映は、私で当日券の販売が終了になり、最後は立ち見の方もおられる程であった。2011年3月の東日本大震災を契機とした東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、二本松とベラルーシへ頻繁に足を運び、3年半のあいだで400時間に及ぶ撮影素材を半年かけて編集して出来上がった本作を、より多くの人に届けたいというスタッフの皆さんの心意気が会場には満ちていた。

映画は後世のための記録の手段でもあり、いまを生きる人々への表現の手段でもある。本作では、保養と呼ばれる方法により「こどもを守る」という、ただ一点で団結した観音さまのような人たちの姿が描き出されている。と同時に、事故から25年経ったチェルノブイリの周辺でも、未だに10万人のこどもたちが保養に向かい、内部被曝による放射線量を下げるための努力が重ねられていることを示し、選択と決断が求められていることを教えてくれている。作品の中では野呂美加さん(NPO法人チェルノブイリへのかけはし)が「病名がつくと保養には出られない」と語り、上映後のトークで監督は「ベラルーシのようにこどもを守る基金を」と呼びかけていたことが印象に残り、早速、会場で購入してサインもいただいたパンフレットを見返し、これからの福島への関わり方を見つめ直している。

2015年4月10日金曜日

<おもてなし>でウラハナシ

新年度もまた、金曜日は立命館の朱雀キャンパスに足を運ぶ日となった。用務は13時開始の災害復興支援室の会議である。多くの方の動きもあって、今年度から副室長が2名体制となり、多くの方の動きもあって、その1席に就かせていただくこととなった。東日本大震災を契機に設置された支援室は、学園における2020年までの長期計画の前半まで、すなわち2015年度までを目途に活動ということとされていたが、計画の後半部分でも課題の一つに据えられ、着実な取り組みが求められている状況にある。

グループ・ダイナミックスを専門としていることもあり、支援者の立場に関心が向き、支援の姿勢にこだわりを抱いてしまう。端的に言えば、何かの活動を構想、設計する際に、ユーリア・エンゲストロームの「活動理論」がちらついてしまうのだ。この理論では、主体と対象をつなぐ立場が明確に位置づけられ、この3者をとりまく関係性を適切に保つこと(主体と対象のあいだは道具、主体とつなぎ手のあいだは規則や規範、つなぎ手と対象のあいだは役割分担)が重要とされる。とかく、何らかの支援活動においては、支援するという主体が主役になってしまうことがあるが、特に復興支援においては、その主役は被災された方々であって欲しいと願ってやまない。

2013年の冬、立命館大学名誉教授の安斎育郎先生と科研費によるプロジェクトの打合せをさせていただいた折、9月の第125次IOC総会での
発言が話題となった。特に東京電力福島第一原子力発電所に対する「The situation is under control」と「O・Mo・Te・Na・Shi」というパフォーマンスについてである。今なお、オモテナシと言った後の合掌に、何とも言えない思いを抱き続けているが、ここでは立ち入らない。ともあれ、安斎先生は「表がないということは、裏ばかりなのだ」と、何とも言えないはにかみを浮かべながら例の口調で仰ったのだ。

2015年度の2週目の金曜日、夜に亀岡市役所の皆さんとご一緒した。大学コンソーシアム京都の在職中、リエゾン・オフィスの業務に就いていたときのご縁である。それから10年あまり、昨年度末に開催された龍谷大学の富野暉一郎先生の退職記念感謝祭で久々の再会となり、変わらずおつきあいをさせていただている(私は後輩ながら親友と呼んでいただいていて恐縮の…)同志と共に、懐かしい話、何気ない会話を楽しんだ。割り勘ゆえに(接待という意味での)おもてなしではないのだが、互いの仕事に払う<おもてなし>の場に浸りつつ、ちょっとしたウラバナシを裏も表もなく交わし合う夜であった。

2015年4月9日木曜日

フローのメディアでストックを

今年度も木曜日は應典院で過ごすパターンとしている。2006年に秋田光彦住職に招いていただいて、今年で10年である。月日の経つのは早いものだ。当初、10の期待を文章で示していただいたが、この1年、それがきちんとなしえたか、自らの言動への省察が求められるだろう。

この10年、應典院を巡る状況は大きく変わった。より正確に言えば、應典院の本寺である大蓮寺を中核としたグループ内の組織に、それぞれ変化がもたらされた。端的に言えば、各々の組織に次代の担い手が明確となりつつある。こうした代替わりは時に世代交代を伴うことが多いが、逆に言えば、世代交代を伴わない代替わりとなる場合、組織文化の継承と発展をどうもたらすかが大きな課題となる。

かつて、チクセントミハイ(Csikszentmihalyi)という心理学者は、何かに没頭しているときの「忘我」の感覚を「フロー体験」(flow experience)と呼んだ。日本語訳は1979年に『楽しみの社会学』(訳:今村浩明・訳/思索社)として出版された。その後、新訳と改題もなされて、今なお援用される理論の一つである。転じて、自分のことに重ねてみると、2006年当時、とりわけ10月に2年ぶりの再開となった應典院のコモンズフェスタの折には、フロー体験の只中にあったように思う。

あれから10年目の春、今日は大蓮寺が設置し、経営してきたパドマ幼稚園のウェブサイトにfacebookをどう組み込むかについて、住職と知恵を絞った。10年前にはなかったサービスであるが、インターネットの特徴である検索性と蓄積性がないプラットフォームをどのように活かしていくか、なかなか簡単なことではない。ふと、帰り際に應典院の事務所から大蓮寺の山門側を見渡してみると、散りゆく桜が風で寄せられ、ガラスブロックでできた軒の端に花びらの山がつくられていた。この1年、こうして何気なく見てきた風景に、いちいち感傷的になるかもしれないと思う春の一日であった。

2015年4月8日水曜日

古くて新しいもの

古いものと新しいもの、どちらかというと古いものを好んでいる。身の周りのもので言えば、今メインで使っているパソコンはMacBook Proの2011年2月のモデル(OSは10.6)だし、iPad miniのOSは未だに6.1、また携帯電話はモトローラのM702isであり、カメラはEPSONのR-D1sやソニーのDSC-R1やニコンのD40F3(レンズも1964年の東京オリンピックの頃に発売されていたオートニッコールのマルチコーティングのものを複数愛用)という具合である。住まわせていただいている京都の家も築90年ほどという2軒長屋の1軒で、自動車も初代カリーナED、オートバイはYAMAHAのZeaLだ。恐らく、どれもアンティークと言うには多少はばかられるもので、むしろ「ニュークラシック」という枠組みに位置づけられうるものを好んでいる気がする。

時代の変化と共に新しい技術が開発され、時間の経過と共に古いものは劣化する。人間の生産活動のためには、新しい何かをつくり続けていかねばならないこともあって、古いものが残されているのは、それだけで貴いと思う。実際、冒頭に挙げたものは、いずれも欲しいと思っても手に入らないものが多い。かといって蒐集家ではないつもりなので、それぞれに道具として使いこなしてこそ、価値があると思っている。「もう少し大切にしたら」という声が聞こえてきそうだが、私なりに大事に使っているつもりだ。

家具のお店が建ち並ぶ京都の夷川通に「井川建具道具店」がある。前の前の家の改修のとき、何度かお世話になったお店である。お店の看板にも、また運搬の車にも「新しいものと古いもの」と書かれているのが印象的だ。扱っているものも確かなのだが、それ以上に、新品と中古という区分けではなく、新しいもの、古いものと称しているところに、お店の姿勢や決意を感じとることができるだろう。

こんなことを想い起こしたのは、2013年の1月から通っている大阪・中之島での英語のクラスに足を運ぶ道すがら、同じ年に解体された大阪朝日ビルの跡地での建設が進んでいる風景を目にしたためである。既に東側にそびえたつ中之島フェスティバルタワーとあわせて、高さ200mのツインタワーが並ぶ光景が、この3年のうちに現れるのだろう。ちなみに今日の英語のセッションでは、3月1日のニューヨークタイムズに掲載されたUCバークレーのDavid L. Kirpによる「Make School a Democracy」が議論の素材となった。米国で生まれたジョン・デューイの方法論がコロンビアで活かされた、という話で、古典の中に根差した知見と、それを現代に活かす知恵が重要となることを再確認する機会となった。


2015年4月7日火曜日

「楽単」と捉えられる「カモ」

前期の講義が始まった。今年も前期は火曜日が立命館大学の衣笠キャンパス、水曜日がびわこ・くさつキャンパスに出講する。後期には月曜日の夕方から同志社大学の今出川校地に出講させていただく。持ちコマ数は若干減ったが、時間割に乗らない部分での動きが増え、講義の一環として地域で過ごす時間がより求められる年になりそうだ。

5月から始まる変則の通年科目を3クラス持つ関係で、年度当初は火曜日の2限の「地域参加学習入門」と、6限の「シチズンシップ・スタディーズII」から始まる。いずれもサービスラーニングセンターによる科目である。ちなみに「地域参加学習入門」は、「地域参加活動入門」と呼ばれた時代から、具体的には同志社が本務校であった2010年度から担当しているため、今年で6年目を迎える。一方で「シチズンシップ・スタディーズII」は、2012年度で終了となった「ボランティアコーディネーター養成プログラム」の科目群を整理し、2013年度から開講されたものであるため、今年で3年目となる。

長きにわたって同じ科目を担当していると、一定の評判が学生たちによって伝えられていく。特に「地域参加学習入門」は、400人の大規模科目なのだが、筆記試験もレポート試験もなく、小レポート4回と最終レポートによる平常点評価ということもあり、楽に単位修得ができる「楽単」とされている。そして、そうした科目の担当である私は「カモ」だという。Twitterで検索キーワードを工夫すると、そうした類のツイートに複数出会うことになる。

いくつかのツイートの中で、どうしても気になることがあって、引用しながら返信をしたものがある。それは単位は教員が「あげる/あげない」ではなく、成績に応じて学生が「得るか/得られないか」の問題と伝えるためだ。R2020とも呼ばれている、2011年度から2020年度までを計画期間とする立命館の10年計画では、学習者中心の教育が柱の一つとされており、それに応えるべく、楽かもしれないけど楽しい学習環境、時に苦しいけど学びの実感がもたらされる講義設計に努めているつもりである。「地域参加学習入門」に対して寄せられた言葉に、何となくモヤモヤを思いながら、講義を終えると、毎回、講義の最後に回収しているコミュニケーションカード(質問やコメントの用紙で、私の場合は毎回設定しているワーク用のメモ欄を追加して都度都度作成しているもの)が乱雑に置かれているものを、誰の指示も受けない中で整理を始めた受講生らがいて、こういうことができる素養を習得して欲しいのだ、と、次回の講義で紹介すべく、急いでレンズを向けた。


2015年4月6日月曜日

学習の歴史を語り継ぐ

いよいよ大学も講義が始まる頃合いとなった。今日までは新入生を中心にガイダンスの期間であった。この間、2回、びわこ・くさつキャンパスと衣笠キャンパスで、立命館大学のサービスラーニングのプログラムの説明をさせていただいた。ガイダンスの参加者も含め、例年よりもプロジェクト科目への登録が伸びないのが気がかりな今日この頃である。

サービスラーニングセンターによる正課科目のガイダンスでは、前年度までの受講生が自らの学びの経験を語る時間を設けている。今日も時代祭応援プロジェクトで学んだ4名の学生が語りを担ってくれた。この3回すべてに、参加可能が学生が当番を決め、あらかじめ共通のスライドを作成して臨んでくれてきた。2回目には受入先である平安講社第八社から、ご担当の方にお越しいただき、現場の側から見た学びの意義を語っていただいた。

歴史を意味するhistoryという言葉が、「his story」という具合に「彼の物語」として語られるようになった状態であることに因んでいるという説を聞いて、なるほどと思ったことがある。実際はギリシャ語historiaに由来しているとのことで、俗説である。実際、語源を辿ると、historyはギリシャ語historiaに由来しており、そのhistoriaは「知る」ことを意味するラテン語のhistorに「ia」という接尾語がついてたものだという。それにより「過去を知ることにより学ぶこと」という語義となったと、New Oxford American Dictionary 2nd editionに示されている。

「あのとき」何が「できた」のか、そして「できなかった」のか、こうして現在から過去に回帰した語りで自らの立ち居振る舞いを語ったとき、それは体験が経験として昇華されたと認められるだろう。重要なことは、できたことだけを武勇伝のように語らないことである。「べてるの家」風に言えば、「弱さの情報公開」ができる、そうした強がらない強さを得たとき、学びと成長を他者が実感できると言えよう。「地域への思いと地元への思い」、「学部と世代を超えた関係づくり」、「裏側に立つことの面白さ」、「行事の背景を説明する責任」、こうした学生たちの語りが重ねられる季節であることを、桜の花が咲き始める頃に思うようにしたい。


2015年4月5日日曜日

徐々になじむ

雨の日曜日である。いよいよ桜は今週で最後のようだ。昨日は車窓から楽しむだけだったことが心残りで、平野神社を訪れることにした。さすがに多くの方々で賑わっていた。

何より、昨日は車窓からの眺めばかりだった。ゆえに歩いて楽しむことにした。徒歩圏内に花を愛でる場所があるのは幸せなことである。ただ、傘が必要な天気なのが残念だった。

例によってレンジファインダーのカメラを持ち歩いたが、ファインダー像のとおりには写らないところが、撮る楽しみをもたらしてくれる。そんな楽しみに浸っていると、他の方々がスマートフォンや一眼レフ、その他ミラーレス一眼などで撮影されている姿が気になって仕方ない。特にレンズにフードを逆側にかぶせたまま使っている方を見ると、「もしかして、箱から出して、そのまま使っておられませんか?」などと訊ねてみたくなる。単に意地悪な問いかけに終わってしまうのだが、取扱説明書を見れば、あるいは他の方の撮影の様子を見れば、何よりそれが何のためにあってどんな機能を担うものなのか考えてみれば、すぐにわかることのはずだ。

平野神社の帰りには隣のパン屋さんに立ち寄った。とはいえ、今日の外出はパンを買うのが当初の目的であった。なじみの店とまではいかないが、この間、何度か足を運んでいる。その一方で、4月から毎日使い続けているカメラとレンズには、徐々になじんできているように思う。

2015年4月4日土曜日

に合うリズム

新年度最初の週末は大きな予定もなく過ごしている。あいにくの天気で桜を楽しむのもこの週末限りとなりそうだ。そこで妻を街中に送るついでに、カメラを片手にまちに出ることにした。しかし、車で移動したのは失敗だった。

この時期に限らず、やはり京都は観光地である。岡崎の疎水沿いの風景が素敵だろうと向かってみると、案の定、大勢のひとだかりができていた。加えて周辺の駐車場も満車、道路も渋滞であった。逆に言えば、色とりどりの木々を車窓から眺めることができた。

既に満開を過ぎた桜ということもあって、時折吹き抜ける風は、その花びらを道路へと舞い散らせていく。木々の下を一定のスピードで駆け抜けることができれば、それは桜のトンネルとなるところである。しかし、動きの止まった路上で迎える花びらは、まるで桜のシャワーのように感じられた。少し情緒的に語ってしまっているが、うららかな春を感じたことには相違ない。

渋滞を抜け、再び信号で止まると、フロントガラスに花びらが一枚だけついていた。途中までは車で来なければよかったと思っていたが、その場面に出会えただけでもよかったことにしよう。その後は喧噪のヨドバシカメラでカメラ用品を買い、馴染みのお店で夕食をいただき、既に祇園祭のお囃子の練習が鳴り響くまちの情緒を感じ、帰宅した。何となく、レンジファインダーのカメラを使うリズムは、京都のまちを歩いて楽しむテンポと合っているのだろうと思い、次のまち歩きの機会に思いを馳せている。


2015年4月3日金曜日

チャージ、その後に。

かつて梅棹忠夫先生は、教育はチャージ(充電)、文化はディスチャージ(放電)と喩えた。このモデルは教育も文化も教育委員会が所管してきた自治体文化政策への問題提起となり、いわゆる「行政の文化化」を後押しした。中川幾郎先生や、小長谷由紀先生らの著作によれば、この言葉が使われ始めたのは1970年代というが、未だ「文教」という言葉が残っているとい現代である。変えたい人たちは変えるし、変えたくない人や変えようと思わない人にはどんな言葉を投げかけても変わらないのだろう。

今日、應典院で「まわしよみイスラーム」と題した会を催した。2012年度の総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の企画委員会において陸奥賢さんが発案した「まわしよみ新聞」の方法を用いて、イスラームについて問いを深めようという場である。まわしよみ新聞については、陸奥さんによるウェブサイトや書籍などにより、その方法が広く公開されていることもあり、今や日々どこかのまちで取り組まれている。通常は特定のテーマを掲げることもなく、ましてや「わかったことをまとめていく」壁新聞の様相を呈するのだが、今回はその反対にイスラームに関連づけて記事を切り抜き、互いの意見交換を通じて「何がわかっていないのかをわかっていく」ための手段として用いることにした。

ちなみに昼には今年度の初回となる立命館災害復興支援室の定例会議がなされた。東日本大震災から4年を経る中、今年度から副室長が1名の増員となり、不肖ながらその立場に就かせていただくことになった。昨年度までのチーフディレクターという役割を引き続き担いながらの役職であると捉え、引き続き「支援者主体」ではない支援、すなわち担い手ではなくつなぎ手となって、共によりよい未来を見据えていくことができるような事業が進むよう努めていきたい。今日の会議では早速5月に、立て続けに気仙沼に行く方針が決まり、これから数々の調整を進めねばならない。

そうした会議を経て向かった初回の「まわしよみイスラーム」では、私ともう一人の進行役を除いて8名、合計10名の参加者を得たが、主催者側のまとめの言葉として「好き嫌いを越えて他者に向き合っていく姿勢」の大切さに触れることにした。教えや行為の意味(価値)ではなく、教えや行為が実行される意思(価値観)が大事にされなければ、一連のIslamic State(IS)による事件を紐解くことが困難であると改めて感じたためである。2015年の1月3日にヨルダンのパイロットが殺害されたことを受け、今年度は偶数月の3日に應典院で「まわしよみイスラーム」、偶数月の3日に阪急曽根駅近くにあるNPOそーねの拠点「練心庵」にて 『イスラーム概説』(訳出:黒田美代子)の読書会がなされていく。この20年にわたり、文化施設としてまちに活かされてきた應典院でイスラームを学ぶとは、何とも玄妙なチャージ・ディスチャージ・チャージと反復がなされてきたことの証左なのではないかと、デジタルカメラながらに手動レバーによりシャッターチャージが必要とされるR-D1sにて夜桜を撮りながら、そんな思いにふけるのであった。


2015年4月2日木曜日

焦点・露出・幕の速度

世界初のレンジファインダーデジタルカメラの改良型、R-D1sを使い初めて2日目である。早速、カバンの中にしたためて家を出ることにした。いつもはギリギリまで何かをすることが多いものの、カメラを取りだし、構え、撮影する余裕が欲しいと、1本早い列車に乗ることができる時間に家を出た。そして、バス停に向かう道すがら、早々にカバンから取りだし、目の前に広がる世界にレンズを向けてみた。

レンジファインダーというのは、文字通り距離(range)を測る(find)機構のことであり、撮影範囲を確認する装置(ビューファインダー)との組み合わせて用いられる。一眼レフカメラあるいはミラーレス一眼カメラなどはビューファインダーもしくは液晶画面に表示されたレンズの実画像をもとに撮影するのだが、レンジファインダーでは異なる作法が求められる。ブライトフレームと呼ばれる撮影範囲を示したファインダー内に表示される枠を、使用するレンズにあわせて切り替えることではじめて、構図を決めることができるのだ。

親が使っていたオリンパスXAをよく借りたこと、大学生になってから日沖宗弘さんの「プロ並みに撮る写真術」を読んで中古のCanon 7を購入したこともあり、それなりにレンジファインダーでの撮影経験を重ねてきた。ちなみにXAはレンズの絞り値を決めるとシャッター幕の速度が自動的に設定される露出優先カメラだったが、Canon 7はセレンという物質が塗られた金属板への受光量から露出を算出する外部電源不要のセレン光電池式露出計が内蔵された機械式カメラであった。それ以前にもオートフォーカスのコンパクト(とは言えないものも含めた)カメラ(ニコンAD3、コニカBiGmini、オリンパスIZM300など)、電子式の一眼レフカメラ(ニコンF3)などを使ってきたこともあり、写真の原理については一定、理解を重ねてきたつもりである。ところが、今ではすっかり携帯電話やタブレット端末での撮影が増え、焦点と露出と幕の速度を合わせて、一枚の写真に仕上げていく感覚からは遠ざかってきていた。

R-D1sも中央部重点平均測光方式による絞り値優先自動露出での撮影が可能なのだが、一眼レフやミラーレスと異なり、どう写るかを確認してシャッターを切ることができない。特にブライトフレームではおおよその撮影範囲しかわかりえないこともあり、どんな絵(あるいは画)として目の前の風景を切り取るのかを考えつつ焦点と露出と幕の速度を合わせ、どんな風に切り取られるかを想像しながらシャッターを切る必要がある。ちなみに今はMマウントレンズについてはフォクトレンダーのノクトン40mmF1.4シングルコートしか持ち合わせていないが、レンズの癖との対話も撮影にあたっては重要な要素である。今日は應典院、京都市の中京区役所のプロジェクト科目の打合せ、立命館の災害復興支援関係の打合せなどと続いたのだが、行く先々というより、その道中で何度かカメラを構えることになり、はてさて、レンズ沼と呼ばれる泥沼の世界にはまらぬように、しかし時にはそんな危険な世界に足をつっこみながら、世界を見ていくことにしよう。


2015年4月1日水曜日

伝統をもとに時代に応え、時代を越えて伝説となる。

新年度は雨の幕開けであった。お気に入りの折りたたみ傘の収納袋をなくしてから、極力、傘を持たずに済ませようと思うようになってしまった。それでも今日は傘を持たないわけにはいかない天気と服装だったので、昨年3月にヘルシンキ市の青少年課でいただいたオレンジの折りたたみ傘をお供にすることにした。薄暗い空の下ではあるが、頭の上に鮮やかなオレンジが広がっていると、何となく明るい気分になり、そうしたことをフィンランドの人たちも狙ったのではないか、などと思いながら目的地へと向かった。

今日は應典院も含めた大阪・浄土宗大蓮寺の関係組織の新年度の総会が行われた。私も一組織を統括する立場として出席し、年度当初にあたって運営方針などについて話をさせていただいた。冒頭の切り出しは、時代に応えて後にも語り継がれるのが伝説、時代を越えた価値を継承できると伝統、という比較であった。もちろん、こんなきれいに分けることはできないが、1997年の再建から10年を迎える直前の2006年、應典院の主幹に就いて10年目を迎えるにあたり、60周年を契機に始めた園舎リニューアル工事が竣工したパドマ幼稚園のスタッフの皆さんに何かを感じて欲しかったのである。短い時間の語りとなったが、締めのことばは、inとbyとthroughの3つの前置詞を紹介し、施設の「中で」なされること、施設の担い手「によって」なされること、そしてそうした施設が拠点として活かされる「ことを通して」世の中にもたらされる意味を大切にして欲しい、とした。

こうして多くの言葉を用いているものの、特に最近は言葉が過剰な気がしている。先般、大阪での打合せの折、ある方が「言葉の力を信じる、なんていう人がいるけど、僕はお金の力を信じているよ」と仰っていると知った。確かに、綺麗な言葉ばかりが並ぶと、まるで光が乱反射するかのように、互いの要素が相殺されると共に、その場での居心地は悪くなっていくだろう。ちなみに先の打合せでは、その言葉が紹介された後、別の方が「コミュニケーションっていうのは、摩擦に耐えるってことだと思う」と述べ、それぞれのメモ帳に書き留め、場を鎮める言葉の力を感じたように思う。

先般、写真家の齋藤陽道さんにより宮沢賢治さんの『春と修羅』が「写訳」されたことを知り、圧倒された。言葉も写真も、世界を表現するためにある。このところ、ノイズキャンセリングヘッドホンをつけて移動することが多いのだが、ノイズを機械的に排除するのではなく、ノイズの中でも澄み渡る(はずの)何かを探る、そんな姿勢が大切なのだろう。言葉にしきれない感情をできるだけ論理的に表現しようと努めてみたが、そうしたことを思う年度末から年度初めに、以前から探し歩いていた「伝統の」Mマウントを付けた「伝説の」レンジファインダーデジタルカメラ「R-D1」の改良版「R-D1s」の中古に巡りあうことができたので、風景を切り取る新しい道具に迎え、世の中を丁寧に見つめていくこととしたい。