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2015年4月6日月曜日

学習の歴史を語り継ぐ

いよいよ大学も講義が始まる頃合いとなった。今日までは新入生を中心にガイダンスの期間であった。この間、2回、びわこ・くさつキャンパスと衣笠キャンパスで、立命館大学のサービスラーニングのプログラムの説明をさせていただいた。ガイダンスの参加者も含め、例年よりもプロジェクト科目への登録が伸びないのが気がかりな今日この頃である。

サービスラーニングセンターによる正課科目のガイダンスでは、前年度までの受講生が自らの学びの経験を語る時間を設けている。今日も時代祭応援プロジェクトで学んだ4名の学生が語りを担ってくれた。この3回すべてに、参加可能が学生が当番を決め、あらかじめ共通のスライドを作成して臨んでくれてきた。2回目には受入先である平安講社第八社から、ご担当の方にお越しいただき、現場の側から見た学びの意義を語っていただいた。

歴史を意味するhistoryという言葉が、「his story」という具合に「彼の物語」として語られるようになった状態であることに因んでいるという説を聞いて、なるほどと思ったことがある。実際はギリシャ語historiaに由来しているとのことで、俗説である。実際、語源を辿ると、historyはギリシャ語historiaに由来しており、そのhistoriaは「知る」ことを意味するラテン語のhistorに「ia」という接尾語がついてたものだという。それにより「過去を知ることにより学ぶこと」という語義となったと、New Oxford American Dictionary 2nd editionに示されている。

「あのとき」何が「できた」のか、そして「できなかった」のか、こうして現在から過去に回帰した語りで自らの立ち居振る舞いを語ったとき、それは体験が経験として昇華されたと認められるだろう。重要なことは、できたことだけを武勇伝のように語らないことである。「べてるの家」風に言えば、「弱さの情報公開」ができる、そうした強がらない強さを得たとき、学びと成長を他者が実感できると言えよう。「地域への思いと地元への思い」、「学部と世代を超えた関係づくり」、「裏側に立つことの面白さ」、「行事の背景を説明する責任」、こうした学生たちの語りが重ねられる季節であることを、桜の花が咲き始める頃に思うようにしたい。


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