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2015年3月25日水曜日

出席者に託すということ

「春はお別れの季節」という文字を、節をつけて口ずさんでしまう(「おニャン子クラブ」の解散コンサートを小学校6年の夏休みに見た)世代である。とかく、大学教員をしていると、facebookのタイムラインには、ゼミの卒業生との集合写真が流れてくる。しかし、私は学部ではない(学部を横断して教養教育を展開する共通教育推進機構)所属のため、そうした場を共にすることがない。少しだけさみしさを抱くこともあるが、逆に言えば、ゼミを持たない教員としてのお役目をいただいている。

昨日から今日にかけては、「出会いと別れを繰り返し」ていく時代の中、立命館大学サービスラーニングセンターの学生スタッフの合宿に参加した。学生スタッフは年に2回募集されており、2004年に衣笠キャンパスで開設されたボランティアセンターを母体として2008年度に設立されたセンターゆえ、大学ボランティアセンターのボランティアコーディネーターという性格を持っている。合宿では、活動を担う上での能力に対する研修を行うと共に、役割に対する一定の理解が促される。そして合宿への参加を通して初めて、センター長から学生コーディネーターとして任命されるのだ。

ところが、今回の合宿には任命予定の36名のうち20名が一部参加もしくは欠席ということになった。また、来年度からは3キャンパス体制になるのだが、1つのキャンパスは個人の「やりたいこと」に焦点を当てた議論に終始しそうな流れになっていた。そこでたまらず、組織の一員としての自覚や責任をどう考えているのか、と問いかけることにした。結果として学生たちは黙ることしかできず、恐らく相当もどかしい思いを抱いたことだろう。

任命証が渡された後、コメントをする機会があったので、2つのことを伝えた。一つは「欠席した人たちから何かを託されたのか」という問いかけをすることで、たとえ出席できなくても参加する方法はあることである。もう一つは「社会と自分を語る言葉を豊かにするために、語彙だけでなく語り口を増やして欲しい」ということで、手始めに読んで欲しい3冊の本(加藤哲夫『市民の日本語』、大平健『やさしさの精神病理』、鷲田清一『「聴く」ことの力』)を紹介した。合宿の後、大学コンソーシアム京都に在職中にお世話になった富野暉一郎先生の退職記念大感謝祭にお邪魔したが、まさにこの場は出席している者によりよい未来を託す場だったように思い、心していかねばと背筋が伸びる思いで会場を後にするのであった。


2015年3月12日木曜日

遺すものをどう残すか

自他共に認めるモノフェチである、と思う。モノフェチの傾向の一つとして、モノをスペックやコードネームで語るという傾向があるのだが、例えば本日、走行10万キロに達した現在の愛車も、4ドアのST162の後期型、エンジンは3S-GEなどと語ることができる。そうした習性に加えて、持ち物も飾り物もお蔵入りの物が多いことからも、れっきとしたモノフェチと言われそうだ。ちなみに人物、ということばにも物という文字が入っているが人物にも高い興味を抱いている自覚がある。

そんなモノフェチな私は、今日、建物の撮影というお仕事を担った。身を置いているお寺、應典院の本寺、大蓮寺が経営してきた「パドマ幼稚園」のリニューアル工事が完了に近づき、程なく開催される竣工式のリーフレットの作成のためである。私が幼稚園の頃に比べると、プライバシーへの厳しい配慮が求められていることもあって、撮影には細心の注意が求められる。今回は撮影だけでなくリーフレットのデザインも依頼されたため、仏教の師、秋田光彦園長による文字表現を手がかりに、仕上がりのイメージを構想しながら現場に立った。

最近は撮影の仕事も減ってきているが、静物の撮影はSONYのDSC-R1に頼ることが多い。恐らく2006年、同志社で働き始めた頃に、在庫僅少状態になったときに新品を底値で買ったものだ。高校時代、水越武さんの写真に魅せられ、ご自身が使っている機材に関心を向け、それがライカとコダクロームで撮影されたものを知った。あいにくライカには手を出すことはできなかったが、写真家になられた当初の槍・穂高での撮影にはニコンも使っておられたといった情報に触れ、真似してニコンとコダクローム、そして昭和の時代の東京オリンピック前後に発売された85mmF1.8などを入手し、多くの場面を切り取らせていただいてきた。

その後、すっかり時代はデジタルが隆盛となり、フィルムでの撮影は趣味の一つになってきた。DSC-R1の「撮って出し」のJPEG画像は、初期のCMOSセンサーだからなのか、あるいはT*コーティングのためか、リバーサルフィルムで撮影したときのような心地の良い色の乗りと抜けがたまらないし、135フォーマットで換算するところの24mmから始まるズームレンズに助けられたことも多い。それでも、撮ってから消していくデジタル撮影と、残り枚数を考えてシャッターを切っていくフィルム撮影とは、撮影の作法だけでなく、場への向き合い方も異なる気がしている。先般も東北やインドネシアにフィルム機材を持っていったが、もし、良品の中古に巡り合えるなら、EPSONのR-D1sを入手し、エルマリートの非球面28mm、程度の良い6枚玉ズミクロン35mm、沈洞エルマー50mmなどをカバンに入れてみたいと、夢の旅の夢を見るのであった。