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2017年6月30日金曜日

4分の1

 6月も末である。Facebookのタイムラインでは、何人かが水無月の写真をアップしていた。京都に来て初めて知ったのだが、6月の末、無病息災を祈って、白いういろうの上に小豆が乗った和菓子を食べる習慣がある。平安時代、氷室から切り出した氷で暑気払いをしたことに由来しているという。

 6月末を迎えたということは、デンマークの滞在も3分の1を終えたということになる。気づけば月日の経つのは早いものだ。この調子だと、あっと言う間に帰国のときを迎えるのだろう。滞在記を兼ねて、対人援助学会の対人援助学マガジンに連載を持たせていただいているので、一つのペースメイクができているのがありがたい。

 今日は自宅にオールボー大学へ留学している学生を招いた。4月のお花見会の際に出会った学生である。日本にいてはなかなかできない、あるいはしてこなかったことだが、逆に言えば気づかぬうちに自分を型にはめていたことも多かったように思う。ともあれ、今日招いた学生は、外国での生活が長いようで、多様な経験を聞かせていただいた。

 その留学生と我々夫婦とのあいだでは20歳の開きがある。ただ、互いに空間と時間を共有する上では、年の差の程度より、アウェイな環境でホームをどのように見つめているかなど、ものの見方の違いが会話の盛り上がりを左右する。和食を中心にした食事とおしゃべりで、気づけば5時間あまりが経っていた。早ければ来週水曜日、遅くともその翌週の月曜日か火曜日には再会の約束した、日の長い北欧の夏の夜となった。


2017年6月29日木曜日

教授会(のようなもの)に

 今日は13時から大学でのミーティングに参加した。6月20日に、デンマーク語で「Medarbejdermøde」(Google翻訳にかけると「Employee Meeting」)への招待メールが届いたのである。そのメールには「Doodle」(日本で言えば「調整さん」のような日程調整や出欠確認を行うことができるサービス)へのリンクが張られており、開いてみると、20日の13時から15時までの一択しかなかった。要は出席確認だと捉え、他に何も予定がなかったので、出席で回答した。

ところが、案内には時間と場所しか書かれておらず、事前に議題などは明らかとされていなかった。私はnon enmployedのVisiting Researcherのため、厳密には雇用者の会議に参加する資格はないはずである。ともあれ、メールで招待が届いたのなら行ってみようと、出席で回答したのである。ちなみに今日、改めてDoodleで作成されたURLを見てみると、回答者は114人で、出席者は49人、そのうち私のような立場の人がどれくらい参加しているのかは見当がつかなかった。

会場に入ると、デンマーク語でのスライドが準備されており、何となく察しがついた。夏休みには個別に3週間の休暇を取ることができるため、今日が全員が集まることができる最後の機会ということで、スタッフ全員に対して、オールボー大学コミュニケーション・心理学部の中期計画の説明がなされたのであった。スライドに示された議題には、戦略の名前、現在私たちが置かれている環境、具体的な行動計画、財政面の将来展望、まとめ、とされていた。ちなみにまとめのところでは「jordbaerkage og champagngne
」と付記されていた。

2時間、デンマーク語での説明となったが、いわゆる講義室での開催だったこと、スライドが使われたこと、ノートパソコンを持っていたこと、それらが重なって、Google翻訳を使いながら、内容を把握した。途中、中期計画の冊子も配布されたが、これまたデンマーク語で、こちらは写真からOCRでスキャンして翻訳をしてくれるスマートフォンのアプリを使って内容の理解に努めることにした。多岐にわたる内容であったが、今後、いっそう自己開示を促し、社会との接続を図りつつ、そして価値創出のため、PBLに焦点を当てていく(PBL som omdrejningspunkt i forhold til åbenhed, samfund og vaerdiskabelse:Google翻訳によると、PBL as a focal point in relation to openness, society and value creation)と示されていた。2時間のミーティングを終えると、会場の出口には「ストロベリーケーキとシャンパン」が用意され、廊下での懇親会が予定されているようだったが、朝に京都(立命館大学)から届いた荷物の整理と、明日お客さんを迎える準備もあって、そそくさと失礼をしてしまった。

2017年6月28日水曜日

電子化の波の中で

 デンマークに来てから、あまり現金を使っていない。もちろん、当初は使わざるを得ない場面もあった。しかし、まずバスのICカードをつくり、クレジットカードでチャージできるようになってから、格段に現金を必要としなくなった。また、銀行の口座が開設できるまで、それなりの時間がかかったため、最初の家賃はクレジットカードのキャッシングを使って現金を調達し、その上で銀行の窓口にて振込をしていた。

 デンマークは、滞在許可の申請が完了した段階で市民個人登録番号(CPR No.)が割り当てられ、それがほぼ全ての手続きにおいて必要になる。まず、住民登録をすると、CPR-No.が入った保険証が発行される。その後は、2010年に導入されたNem IDという、デンマーク国内におけるほぼ全ての電子手続きにおける個人認証のためのIDを発行してもらうことになる。Nem IDは住民登録をした際に、そのまま窓口で発行を依頼することもできるし、銀行に口座開設を依頼しに行けば、自動的にNem IDの発行も依頼することになる、という制度となっている。

 日本のマイナンバーとの大きな違いは、政府の都合でルールが決められているわけではない、ということである。結果として、個人の情報は全て政府側が握ることともなる。実際、銀行口座の開設後には、すぐにDR(日本でいうNHKと捉えていただいてよいが、 その性格は若干異なるものの、今回は立ち入らない)からメディア税徴収の封書が届いた。このように、一元管理されていることを、ことさらに監視社会だと捉えるのは、政府への信頼・信託がない証なのだろうし、Nem IDがあれば公共機関からのメール(Digital Post)や銀行を含む企業等からのメール(Eboks)が、通常の電子メールとあわせて管理できるWebサービスと紐付けされていることなどは、日本のマイナンバーとは比べものにならない制度だと感心する。

 こうしてデジタル化が進んでいるデンマークだが、今の住まいでの洗濯だけは、コインに頼らなければならない。1回15クローナが必要で、おつりが出てこないという機械なのである。以前、大阪の浄土宗應典院に籍を置いていた際、築港ARCプロジェクトのチーフディレクターをしていたアサダワタルくんと、現在は大阪府立大学に所属しつつバルセロナで学外研究中の花村周寛先生の企画により、阿倍野などで「エクソダス」という行動展示プログラムを行ったが、その際、一部の自転車置場が「100円玉1枚と50円玉1枚の、合計150円を入れて利用する」ものとなっていて、驚いたことをよく覚えている。あれから7年あまり、合理的な値段設定がなされた結果、利用者に悩みをもたらす場合もあるのだろうと、15クローナを必要とするものの大阪と同じく両替機は置かれていない洗濯機の前で思うのであった。


2017年6月27日火曜日

ひょんな出会いでおなじみに

 大学が長期休暇モードへと移りつつあることは肌感覚でも知っていたが、夏至を過ぎたデンマークでは、街中もまたバカンスモードに入っているようである。今日は妻が街外れの福祉施設に見学に行ったため、昼食を街中で一緒に食べることにした。そのため、昼前に中心部へと向かった。行きも帰りもバスは混み、繁華街の人通りも多かった。

 物価と消費税の高さも相まって、デンマークでは外食することが少ない。そのため、好みの商品もだいぶ定まってきた。例えばコーンフレーク、牛乳、白米、などである。あの店に行けばこれが買える、ということもわかってきた。よって、今日はまちに出たついでに、馴染みの品をいくつか揃えることにした。いつものお店でも違う店舗に伺ったので、いつもとは違うものにも手を伸ばしてしまった。

 外食が少ない中で、今日のランチは3度目の訪問となるお店でいただいた。港の近くにある、小さなハンバーガーショップである。ネットで評判を知り、初めての訪問は5月16日、続いて6月6日に再訪した。評判通りの味が気に入って再訪したのが、その際、アジア系と思われる店員さんに親切にしていただいたことが好印象で、続けての訪問となったのである。

 今日もまた、前回と同じ店員さんで、会計が終わった際にいくつか話し込むことになった。そして、Facebookでつながることにもなった。なかなか、日本では味わえないつながり方な気がしている。その後、家に戻る途中、大学の学食あたりが賑やかだったので少し覗いてみると、どうやら卒業記念のパーティーのようで、これまたなかなか味わうことができない雰囲気に少しだけ便乗させていただいた。


2017年6月26日月曜日

やっと目があう

 日本でもネコと縁があった。大学院生の頃、西陣で暮らしていたとき、草津に住んでいた親友の家で生まれた子猫を1匹引き取ることにした。その後、きょうとNPOセンターが最初の事務所を置いた麩屋町通二条下ルの町家から、3匹の子猫もやってきた。3匹のうち2匹は飼い主となる方が見つかり程なく去っていったが、先にいた1匹(マリン)は大家さんのお宅にて2014年6月19日まで、1匹(つくね)は3月まで住まいを置いていた柏野の家で2017年2月16日まで、それぞれ生きていた。

 昨年の夏に下見のような訪問をした際にはあまり目にしなかったものの、今のデンマークでの住まいの周りには多くのネコたちが暮らしている。ちなみに、今の家はペット禁止がルールとなっている。ところが、首輪のついたネコも多々、遊び歩いている。地域のネコがたまたま家にいるという設定のもと、共に暮らしているのかもしれない。

 日本でもデンマークでも、何かを察知してなのか、ネコたちは私にあまり寄って来ない。妻の見立てでは、不用意な動きがネコたちに嫌がられているのではないか、とのことである。例えば、京都の家のことだが、畳の部屋で食事を取っていたときには膝の上に乗っかってきたし、餌を持っていけばその音につられて私の方に寄ってきた。食事のときだけは私も穏やかで、ネコもお腹が空いては大変ということもあってのことかもしれない。

 今日は終日、家で諸々の作業をしていた。朝は実家に届いたというNHKの受信料請求に対し、廃止届提出のためのやりとりに1時間弱かかった気がする。その後はパソコンでのメール返信や書類仕事をし、家の片付けも行った。そして、貯まったプラスチックごみを捨てに行った帰り、なかなか目の合わないネコ(しっぽ無しちゃん、と呼んでいる)が珍しく寄ってきて、行いを褒めてもらっているような気分に浸った。

 

2017年6月25日日曜日

Vikingとバイキング

 日本でバイキングと言えば、今は昼の番組を指すのかもしれない。かつて、その時間帯に「笑っていいとも!」という番組が31年半にわたって放送されていて、しかも正式には番組名に「森田一義アワー」と、司会者の個人名が掲げられていた、ということを説明しなければならないときが来るだろう。いや、ややもすれば、「笑っていいとも!」について説明した後で、「バイキング」という番組に触れられる場合もあるかもしれない。ただ、Wikipediaなどにより情報が相互に編集され、YouTubeなどのメディアのプラットフォームがあれば、生放送で観てこなかった人にも、コンテンツそのものは伝わっていくだろう。

 今日はオールボー空港の近くにある、リンホルム遺跡(Lindholm Høje)で行われたViking(よって、ヴァイキングと表記する)の市場に出かけた。昨日と今日の2日間にわたって開催されるもので、大規模なマーケットは毎年1回、6月の最後の週末に行われ、25年以上続いているようである。企画・運営はVikingegruppen Lindholmhøjeというヴァイキングに関心のあるボランティアらの団体が担い、オールボー市が支援、また遺跡に設置された博物館が協力しているという。それもあって、マーケット会場への入場料(1人60デンマーククローナ)で、博物館も鑑賞(通常30クローナ)できると案内された。

 2日間の市場では、手作り品販売、また実演販売、飲食ブース、そして音楽の演奏、フクロウ(かミミズク)と鷹つかいによる技の披露、そして1000年以上の前の戦いの様子の再現などが行われた。朝は10時から開いていたが、13時ごろに会場に到着した。一回りして、炭火焼きのパンとラムのサンドウィッチに舌鼓を打った。そして、音楽や鷹のパフォーマンスを垣間見、小雨が舞う中、50人ほどによる戦いの再現にかぶりつき、博物館も訪れて会場を後にした。

 ヴァイキングという海賊というイメージがあるが、フィヨルドと呼ばれている入り江のあたりに住む農民や漁民であったという。それが、武装して船に乗り、域外へと出て行った理由には諸説が挙げられている。ただ、時を経て20世紀の日本には、多くの品をテーブルに並べるという、スウェーデンでのパーティー料理の様式「スモーガスボード(smörgåsbord)」に着想し、後に料理長となる村上信夫さんの研究のもと、帝国ホテルで食べ放題のレストラン「インペリアルバイキング」が開店したことで、バイキングの名は広く知れ渡っているだろう。改めて、ヴァイキングの歴史や文化について触れた夜、昨日、妻が知り合いから譲っていただいた白滝などを使い、今、入手できる素材によるデンマーク風すき焼きをいただくことにしたのだが、IHコンロで小さめの鉄鍋に収まったその仕上がりは、まるでバイキングレストランに並んでいるものようにも思えた。


2017年6月24日土曜日

生命・人生・生活

 どうやら昨日、6月24日が夏至(Sankthansdag)だったようだ。今、住まいを置いているオールボー大学の近くは、閑静な地区である。ところが、昨晩は深夜1時を過ぎても、家の周りで行われているであろうパーティーの声は収まるがなかった。ちなみに、夏至の前夜(Sankthansaften)の方がお祭り騒ぎとなるようだが、いずれにしても、「うるせー、静かにしろ!」とか「警察呼ぶぞ」とか、あるいは警察がやってくる、ということはない。

 先般、港で鑑賞した花火のときも感じたのだが、季節の変化をきちんと味わうということは、ある程度、生活に余裕がないと難しい。もっとも、それは経済的な側面だけを指しているのではない。暮らしの上での社会的、文化的な要素がより重要となろう。端的に言えば精神的な余裕が欠かせない、ということだ。

 今回、オールボー大学との縁結び役となったサトウタツヤ先生は、あるとき「Lifeを辞書で引くと、生命、人生、生活の3つがあり、心理学はそれぞれのLifeを扱う学問である」と仰った。恐らく、東日本大震災の後、福島への支援をどうするかを議論していたときのことのように思う。日本から遠く離れたデンマークでも、日本のニュースに簡単に触れることができる時代だが、その一端から、日本では人生の道半ばで生命が絶たれた悲しみが駆け抜けているのだろうと想像する。どんな人にも必ず死がやってくるという宿命において、果たしてどのような生活を送っていくか、今、有り難い環境をいただけている中で、多数の練習問題に向き合っている気がしている。

 デンマークの人々が夏至を楽しんだ翌日の今日、まちで制帽をかぶった若者たちの姿を見た。卒業を迎え、新たな人生への旅立ちのときを迎えているのだろう。バスを降りると、家の近くの池に花が咲き、風にそよいでいた。こうしたときに花の名前がすらすら出てくればいいのだが、それは叶わず、同じ植物の種類であっても、一つひとつ、咲いている表情が異なることへの関心だけは持つようにした。


2017年6月23日金曜日

シロツメクサが咲く風景

 私が通った学校は、家に近い順に、小学校と中学校と高等学校と幼稚園と並んでいた。まだNHKの朝の連続テレビ小説が8時15分から放送されていた高校2年のとき、「ひらり」というドラマを登校ギリギリまで見て、自転車で通っていた。テーマ曲は「晴れたらいいね」だったが、ある雨の日、学校の手前の信号のところで大胆に転び、父のお下がりのセイコーの腕時計の風防を割ってしまったという苦い思い出がある。ギリギリまで何かを楽しもうとして、何かを犠牲にしてしまうのは、今も昔も変わらないようだ。

 幼稚園こそ建て替えされたのだが、小学校も中学校も高等学校も、なかなか立て替えが進まないのは、国の特別史跡に指定されている遠江国分寺跡のためと思われる。磐田市役所の示すところによれば、1951年の発掘調査の翌年に指定され、1967年から3年間かけて整備されて以来、その周辺は大きく変わっていない。耐震基準などが厳しく指摘される中でも、学舎の姿は今なお変わらないのである。あれから40年、2017年3月に「遠江国分寺跡整備基本計画」が策定されたようで、これから徐々に懐かしい風景はかたちを変えていくのだろう。

 ふと、懐かしい風景に思いを馳せたのは、今日の午前中、今の住まいの周りのメンテナンスで、シロツメクサが覆う中を芝刈り車が走り抜けていったためである。何となく、シロツメクサというと、国分寺跡に整備された国分寺公園を想い起こすのだ。記憶がおぼろげなところがあるが、幼稚園の頃から、ピクニックのようなものをしに出かけて、そこで誰かがシロツメクサの王冠を作った、そんな場面が目に浮かぶのである。それから30年あまり、まさかデンマークで暮らしているとは、当時の自分には思いも寄らなかっただろう。

 そうして草木も茂る夏のデンマークで、午前中には5月に行われたPBLのセミナーの資料を整理し、午後には文献によりデンマークの教育哲学について学び直した。セミナーは5月0日に行われたPBLにおける3つの実施形態についてであり、8月末締め切りの原稿に向けての準備である。午後のデンマークの教育の父とも言われるグルントヴィが重視した対話について整理すべく、文献はサトウタツヤ先生に餞別でいただいた『デンマークの教育を支える「声の文化」:オラリティに根ざした教育理念』を読み返した。「公共の精神は、個人の犠牲や強要から生まれるのではなく、社会の相互作用のなかで生み出されてくる」(児玉, 2016年, p.45)など、日本に戻ってからの教育実践に接続していくためのことばを探す時間となった。


2017年6月22日木曜日

理論とは社会を見つめるバルコニー

 「この前の話の続きを」と、オールボー大学での受入担当教員、Mogens先生が誘ってくれた。というのも、先週の金曜日のリサーチミーティングが、実践的な教育において理論をどのように重ね合わせるか、というところで時間切れとなったためである。その場では「構想」だけでなく「分析」のレベルまで思考を深めることが大切だ、というところで終わった。そこで先日、改めてJens Rasmussenの「The decision ladder template」(直訳すれば「意志決定のはしごの雛形」)について記された文献を借り、この理論について解釈を重ねていた。

 今朝のミーティングには、コミュニケーション・心理学部のHanne Bruun Søndergaard Knudsen先生を誘ってくださった。先週、Rasmussenモデルを簡素化したMogen先生による「はしごモデル」を通して、プロジェクト型の問題解決学習において、教員がいかに指導者として立ち居振る舞うかについて意見交換を重ねた。そのすぐ後に、そうしたスーパーバイズのあり方について、Hanne先生からMogen先生に質問が寄せられたために誘ったという。そこで、3人で実践について、教育について、理論について語ろう、ということになった。

 Hanne先生は、心理学の中でも、こどもの分野でプロジェクトを展開されている。オールボー大学だけでなく、デンマークでは心理学の分野で職を得ていくには、修士課程の修了がほぼ前提となっているようで、実際、オールボー大学では1学年約150人のうち、120人から130人ほどが大学院に進学し、残りの学生たちもコペンハーゲン大学やオーフス大学の大学院に進学を選んでいる場合があるという。それゆえ、今日のディスカッションでは、最初に立命館大学では教養教育としてプロジェクト型の学習を展開していることについて紹介し、環境の違いを前提にした上で対話を重ねていくことができるように努めた。

 Hanne先生は午前中に院生とのミーティングがあるということで1時間ほど、Mogens先生とは最終的に2時間半あまりのディスカッションを重ねた。子育てをしたことがない学生たちであっても、自らのこども時代を振り返り(reflect themselves, down to the layer)、何が問題であるのかを定めることに時間を掛ける(formulate the problem, so much time)、そのために教師ではなく指導者として自らの関心へと仕向けない(no control by institution, in different ways)ことが大切だと、Hanne先生は実体験を語ってくださった。Monges先生も「現場は問題を抱えている」という前提で臨むのではなく、目の前に起きている現象やそれらの行為をもたらしている習慣を説明できるようになること、その過程で理論的観点を深めることができ、そこから未だ気づいていない前提を問い、結果として解決すべき問題が定められると、一連の「はしご」を登って降りていくメタファーで捉えられる学びのモデルを説明してくださった。それぞれに「実社会に出て、継続してプロジェクトを展開していくことはデンマークでは難しい」と好意的に評価してくださった(というのも、デンマークでは「去年もやったから次は…」と新しいことが促される傾向にある)こともあり嬉しく評価をいただいたが、ミーティングの最後、Mogens先生が、「理論とは社会を見つめるバルコニー」と描いた友人のイラストを紹介してくださり、メタファー話に花が咲いた。


2017年6月21日水曜日

バリエーションの工夫

 カレーライフが2日目に入った。今回は日本から持ってきたカレールウを使った。ちなみにルウはフランス語(roux)のようで、フランス料理という言葉がある理由を改めて再認識していたりする。ともあれ、家の近くのスーパーではカレー用のスパイスは売っていてもルウは買えなさそうなので、スコットランドで火が付いたウイスキー研究と並んで、カレー研究も進みそうである。

 ちなみに昨日の晩はパスタで、今日は朝が丸パン、昼が蕎麦、夜が白米と、それぞれのバリエーションで楽しんでいる。ちなみに付け合わせは冷蔵庫からプチトマトやほうれん草やインゲンなどを取り出して、小さなサラダにしてみたりする。今、住んでいる家は比較的大きなリビングダイニングと寝室、そしてシャワーとお手洗いという構成なので、仕事や作業が一区切りしたところで、キッチン周りに立ち、仕事や作業をする同じテーブルでの食事が済めば、そのまま流しに持っていき、皿洗いまでするというパターンが身体についてきた気がする。果たして、日本に帰った後も同じようにできるかどうか、住まいの環境への課題を見いだした気がしている。

 昨晩はGoogle翻訳の手を借り、日付が変わるくらいまで資料作成をしていたのもあり、若干の寝不足で朝を迎えた。よく「深夜のラブレター」を比喩として自戒しているのだが、夜に作った文章はそのままで完成としない方がよい。そこで午前中には、改めて昨晩の作業を見直した上で、適切な解釈ができているかどうか確認していただこうと、オールボー大学での受入担当のMogens先生にメールで素材をお送りした。開放感に浸ったのか、昼食の後には偏頭痛のようなものでだるさを感じたため、少し横になることにした。

 少し休んで楽になったので、夕方からは8月の国際総合防災学会での発表に向けて、2月11日にイオンモール草津で行った「お買いものdeぼうさい」の内容の整理を始めることにした。まずは写真から情報を拾っていくという作業である。質的な研究ゆえに、単に社会的な活動をしただけでなく、それらの実践の成果が学術的な研究として受け止められるよう、丁寧に見つめる必要がある。発表をいただいた10名分を仕上げたのは21時頃であったが、西の空はまだ明るく、デンマークの夏の夜長を赤ワインをいただいて楽しむことにした。


2017年6月20日火曜日

気づけばネットの恩恵に

 インターネットがある時代に国外研究の機会を得ている今、もし、インターネットがない時代だったら、ということを時々考える。もちろん、ないならないで何とかしてきた先達がおられる。一方で、あることが前提の今となっては、ない時代のことは想像するしかない。なんだか、大阪の豚まんのCMのようである。

 今日の午前中はFacebookのメッセンジャーで日本からの問いかけに応えていたところ、Apple社のFaceTimeによりビデオ通話が入った。昨年度に常務理事から監事の職へ、新たなお役目を頂いた、きょうとNPOセンターの通常総会の会場からであった。iPhoneからiPhoneへの通信であったが、それぞれの場所で無線LANを通した接続となったため、個々人が負担する通信料はない。1時間あまりのあいだ、事業のあり方について、中間支援組織の立場と役割について、価値を生み出す組織に求められる視点について、離れた空間からではあるが、同じ時間を共有させていただいた。

 そうこうしているとお昼を過ぎ、気分転換にと食事をつくることにした。豚と牛の合挽のミンチがあったので、これを使って何かをつくろう、と思い立った。冷蔵庫の有りものを見つめた上で、タブレット端末でレシピを検索してみると、ミートボールの煮込み料理がよさそうだ、と目星をつけた。ただ、思いの他、豚の比率が高いようで、結果としてカレーに収まった。これから数日、カレーが続くことになりそうだ。

 午後には先週のリサーチミーティングでいただいた素材を、Google翻訳を使って読み解いていくこととした。以前、イタリアのベルマミーア団地の研究をした際にもそうしたのだが、Google翻訳は英語への翻訳はそれなりに実用に耐えうるものだと感じている。そこで、今日も含め、デンマークでの在外研究にあたっては、デンマーク語から英語への翻訳をして、そこからは疎いながらに専門分野を取り扱ったものだという前提で読解を進めていっている。朝、昼、そして午後から夜にかけて、インターネット様々の一日であった。


2017年6月19日月曜日

出汁とシーズニングと

 「昨日の晩ご飯は親子丼でした。」何の変哲もないことのように思われるかもしれないが、それがデンマークで、となると、特別な事柄となる。デンマーク到着後、近くにある比較的大きな方のスーパーで、お粥用の白米を売っていることを知り、4月の一時帰国の際に炊飯器を購入してきた。もちろん、鍋でも炊飯はできるが、やはり文明の利器を求めることにした。

 今日はその親子丼の残りをいただいた。ちなみに、というか、もちろん、というか、調理は妻が担った。これまで、パスタを中心に、デンマーク生活において工夫を重ねてきたものの、あるものを工夫して日本食も作ろう、と決断したとのことである。水も素材の味も違うこともあって、多少、風味や食感が異なるものの、少し懐かしい味を楽しませてもらった。

 和食が出汁文化だとすれば、ヨーロッパの食事はシーズニングの文化である。5月に日本からのおみやげとして七味唐辛子をいただいたときにはスパイスの文化と記したが、調味料による味付けという意味では、シーズニングという方がふさわしいだろう。もちろん、醤油と味噌といった、和食独特の調味料の存在も大きい。しかし、それにも増して、出汁が素材にもたらす機能が決定的に重要であろう。うまみを際立たせるのが調味料だとすれば、素材を引き立てるのが出汁、そんな気がしている。

 シーズニングとはseasoningと書き、季節をあらわすseasonにingが付いたものとも捉えられるが、ラテン語のsatioを語源にしたsowing、つまり種まきを意味するという。料理への種まきが調味料だと捉えると、なんだか料理に対する見方が広がる気がする。ちなみに今日、親子丼には海苔をまぶして味わせていただいた。デンマークでもデンマークで好まれるかたちで寿司が食されているために簡単に購入できた海苔であるが、懐かしい風味の重ね合わせは、「おいしゅうございました」。


2017年6月18日日曜日

余韻

 スコッチウイスキーの蒸留所を訪ねる旅、今回は2ヶ所を巡ったのみで、翌朝に帰路につくことになった。アムステルダムでの乗り継ぎがもう少しよければ、午前中にもう1ヶ所くらい行くことができたのだが、あいにく、叶わなかった。しかも、今日は日曜日である。そもそも公開している蒸留所が少ない上、ビジターセンターを設けているところでも、日曜日は閉めているところもある。

 インヴァネスからアムステルダムへのフライトは朝6時10分の出発予定だった。ところが、日曜日と言うこともあって、フライトに間に合うバスがない。予め知っていたので、昨日のうちにインターネットでタクシーを予約しておいてよかった。時間よりも早くにホテルに到着したタクシーの車窓から見てみると、昨日の夕方には客待ちのタクシーが並んでいた駅でさえ、一台もいなかったためである。

 帰りのフライトでは落語の聞き比べで楽しんだ。志ん朝師匠と談春師匠のお二人を、である。持ち合わせた演目は「文七元結」と「明烏」であった。スコッチウイスキーの翌日が落語というのも妙な感じかもしれないが、落語もまた、熟成という言葉が似合う文化の一つな気もしている。英国からシェンゲン協定圏内への移動ということもあって、アムステルダムではパスポートコントロールを通らねばならなかったのだが、ここが大混雑で、同じく談春師匠による「九州吹き戻し」を想い起こしながら、無事の帰路を思うのであった。

 インヴァネスからアムステルダムまでは1時間30分あまり、そしてアムステルダムからオールボーは1時間10分ほどのフライトだった。耳では落語を楽しみつつ、一段落ついたところで、「スコッチウイスキーの真価」が収められた『美味しんぼ』第70巻を電子書籍にて購入し、昨日の濃密な時間を復習することにした。改めて、無知であった部分と、見聞きした内容の奥深さに気づくことができ、これで趣味が一つ増えたと確信している。芳醇な土地の気候と、その気候が生み出した文化が、まさにシングルモルトの後味のように、私の関心を包み込んで離さないのである。




2017年6月17日土曜日

伝統のぶんだけ今を磨く

 飛行機をバス感覚で手配して移動できるヨーロッパにいることを幸いに、スコットランドのインヴァネス(Inverness)にやってきた。ネッシーの物語(≠存在)で有名なネス湖(Loch Nis)のほとりにあるまちで、スコットランドの公用語であるゲール語「Inbhir Nis」から紐解くなら、ネス湖(Nis)の河口(Inbhir)を由来としていることがわかる。いくらバス感覚と言っても、今の住まいを置いているデンマークのオールボーからは、最低でも1回は乗り継ぐ必要があり、今回はアムステルダムでの乗り換えを選ぶことにした。ちなみにフライトを予約したのは先週で、ちょうど英国に滞在中である大学時代に知り合った友人の誘いに乗ることにしたためである。

 インヴァネスへの旅の目的は、ずばり、スコッチウィスキーの蒸留所巡りであった。おそらく最初に「スコッチ」という言葉を覚えたのは、テレビドラマ「太陽にほえろ」で沖雅也さんが演じた役への愛称だった気がする。お酒を飲むようになると、ジェームス・ディーンをはじめとして米国文化への関心の高さからバーボンを飲むことが多かったが、働き始めてから大人買いで揃えた漫画「美味しんぼ」の70巻に収められた「スコッチウィスキーの真価」を読んでから、お酒もまた、多くの職人たちによって生み出される作品であるとして、きちんと味わうことができるようになろうと、手を出し始めた。インスタントコーヒーのCMで使われた「違いのわかる男」ではないが、それぞれの味わいがなぜ、どうして違うのか、わかりたいと思うようになって早幾年、まだまだ及ばないのは質より量を求めてしまうときがあるからかもしれない。

 ともあれ、今回、友人の手ほどきで伺った蒸留所は、グレンフィディック(Glenfiddich)とグレングラント(Glen Grant)、2箇所である。朝にインヴァネス駅でエルギン(Elgin)までのオフピーク(土曜日ゆえに全日オフピーク適用)の往復チケットを求め、エルギン到着後は市内中心部を散策しつつショッピングセンター横のバスターミナルから36番のバスでダフタウン(Dufftown)へと向かった。この36番のバスは、A941でグレングラント蒸留所のあるローゼス(Rothes)を通り、クレイゲラヒ(Craigellachie)を抜け、アベラワー(Abelour)で向きを変え、そしてダフタウンへと向かう、蒸留所巡りのためにあるようなバスであり、マレイ(Moray)地区の一日乗車券(9.30ポンド)も利用できる路線である。車窓からは牛や羊が思い思いにそれぞれのいのちを生きている様子に目を向け、その山々のあいだを流れるスペイ川(River Spey)の流れに、スペイサイド一帯でウィスキーづくりが勤しまれてきた文化に思いを馳せた。

 今回は2つだけの訪問となったが、それぞれ、(1)会社の歴史、(2)原料である大麦麦芽、(3)糖化の過程、(4)大樽での発酵の様子、(5)蒸留器、(6)樽で熟成中の倉庫、それらの見学の後、試飲という流れだった。グレンフィディック(見学冒頭の10分ほどの映像では日本語の音声チャンネルもあり)では12年、15年、18年、そして20年(Project XX)を、グレングラントでは定番(ザ・メジャー・リザーブ)と10年ものを、それぞれテイスティングさせていただいた。ちなみに昼食は日本人の方がオーナーとして継承したクライゲラヒにあるハイランダーイン(Highlander Inn)で、早めの夕食はマッサンこと竹鶴政孝さんゆかりというエルギン駅前のライッチモレー・ホテル(Laichmoray Hotel)でいただいた。蒸留所はもとより、ダフタウンのバス停近くのウィスキー博物館やウイスキーショップに加え、折々の場所で適切な解説を重ねてもらった友人への感謝を込め、再来の約束と、それまでにスコッチへの研鑽を重ねることを誓う一日となった。


2017年6月16日金曜日

はしごを架ける

 デンマークの朝は早い。仕事終わりが15時という人も多いこともあろう。それに加えて、今の季節は朝4時くらいから明るいということも重なっている。今日は8時から受入担当のMogens先生とリサーチミーティングを行った。オールボー大学の心理学部の基本棟があるKroghstræde 3に行くと、ちょうど朝のコーラスの時間だった。

 Mogens先生の研究室に着くと、テーブルの上にはコーヒーが用意されていた。Mogens先生は紅茶を好むようだが、私のコーヒー好きを知っていただけているようで、お代わりの分まで用意をいただいていた。デンマークに来て2ヶ月あまり、こうした配慮を重ねていただいている。充実した研究環境が得られていることに感謝の念が絶えない。

 今日のミーティングでは、4月21日のリサーチミーティングで紹介いただいた参加型学習にあたっての「はしごモデル」を深めることになった。まずは長いこと借りっぱなしになっていたスウェーデンの哲学者、Bengt Molander著『The Practice of Knowing and Knowing in Practices』の返却と、感想交流から始まった。そして、デンマークの夏休みの取り方と、大学の学年暦について説明いただきつつ、大学の教学システムについて解説をいただいた。約2時間取っていただけたものの、心理学部における各セメスターでのカリキュラムとPBLの組み合わせを丁寧に教えていただく途中で時間切れとなってしまった。

 ちなみにMogen先生の言う「はしごモデル」は、Jens Rasmussenが1976年に示した「The decision ladder template」を単純化したものである。Rasmussenモデルは、いわゆるコンピューターによる情報処理がメタファーとされているように見受けられるが、Mogens先生によって単純化されたモデルでは、場の認識よりも場の設計が志向されていると見受けられ、興味深い。何より、私の立命館大学での教育実践にも引きつけて説明をいただけているので、余計に関心を寄せている。帰り際にはMogens先生がお好みのデンマークのユーモア集の本をプレゼントくださった上、次回はまた夏休みの前、もしくは夏のどこかで、ということになったのだが、私は小刻みに夏を楽しむために、今晩から、スコットランドに足を伸ばしたのであった。


2017年6月15日木曜日

記念の日

 5月に取り組んでいた原稿が6月15日の今日「対人援助マガジン」にて公開された。「PBLの風と土」という看板を掲げた新連載の第1回目である。風と土の対比は、古くは和辻哲郎『風土』などでも著されている。また、気候を意味する英語のclimateという言葉も、ギリシャ語で「傾き」を示すklimaという言葉に由来しているとのことで、どの地でもその地にもたらされる変化とその地に根ざしてきた不変なものとの対比を通して、その場所の性質に対する表現がなされるようである。今回の連載では、デンマークのオールボー大学に根ざしてきた「問題にもとづく学習(Problem Based Learning)」について紹介していくという趣向である。

 「対人援助マガジン」は連載専門誌と掲げられている。季刊による年4回の発行で、既に28号まで刊行されている。今回の新連載は私を含めて2本で、全体の分量は50人・300ページを超えるものとなっている。既に次号への予告も記しただが、デンマークでの滞在を終えたとき、どう連載を重ねていくかは、今後への課題としたい。

 今回の連載は依頼原稿ではなく、サトウタツヤ先生の紹介のもと、自ら申し出たものである。その初回、締め切りに対しては、いつもにも増して真摯に向き合った。加えて、この連載誌はそれぞれがレイアウト・デザインを定めても良いという趣向とされている。産みの苦しみというとたいそうかもしれないが、余裕を持って初回を出稿することができたこともあって、次回への構えと弾みをつけることができた気がしている。

 晴れやかな気持ちに重なるかのように、今日はデンマークにとって国民の日とされていた。休日ではないものの「Valdemarsdag og Genforeningsdag(英語ではDay of Valdemar and Reunion day」と呼ばれる日で、1219年のエストニアとの戦いに勝利したこと(Valdemarsdag、ヴァルテマ2世の統治時代の出来事として)、1920年に住民投票の結果によりユトランド半島の南側に位置する北部スレースヴィ地方がデンマークに復帰したこと(Genforeningsdag)、それぞれを祝う日であるという。連載の初回が公開されたことをいくつかの手段で伝えた後、近くのスーパーに買い出しにいった。なんだか買い出しばかりに行っているようだが、今日は何だか心が躍る日のような気がして、デンマークのビールに手を伸ばし、夜に祝杯とさせていただいた。


2017年6月14日水曜日

表出される力

 既に2年前に発表されたMac OS El Capitan(Mac OS X 10.11)をサブのノートパソコンに入れて1日、なかなか悪くはない。何せ、Macを使い始めたのが漢字Talk 7.1の時代であり、長くMac OS 9の環境を使ってきたものあって、システムフォントと言えばChilcagoとOsakaに馴染んでいた。その後、UnixベースのOS XはMarverics(10.9)までLucida Grandeとヒラギノ角ゴシックだったが、ネコ科の動物の名前から地名へとシリーズ名を変えたYosemite(10.10)ではHelvetica Neueに、そしてEl CapitanからはiOS 9とApple Watchと揃えてSan Franciscoという欧文フォントが用いられることになった。

 日本語では書体などと訳されるフォント(font)という言葉を英英辞典で引いてみると、泉(fountain)という言葉にある程度の馴染みがあるように、ラテン語を起源とした言葉で、教会で洗礼を受ける際に聖水を入れた容器、湧き起こってくる力、そうした意味合いがあるようだ。その点で、インクの壺で補充してペン先を適切に維持・管理していけば永遠に書き続けることができる「fountainpen」を万年筆と訳した方のセンスには脱帽である。一方で、書体そのものに力があるということにもうなずける。今日の朝は、福島県楢葉町の一般社団法人「ならはみらい」と立命館災害復興支援室が関わる「ならは31人の<生>の物語」について、インターネットでやりとりを重ねたが、書体の選び方によって、人生の、生活の、そして生命に関する語りの伝わり方が変わってくる。

 もっとも、文章が持つ力というのは、決して書体のみによってもたらされるのではなく、用いる言葉、そしてレイアウト、さらに全体を包み込む雰囲気の洗練さ(あるいは、洗練のなさ)という意味でのデザイン、それらの総合的なバランスによる。今日、長らく待ちわびた郵便が届いたが、それもまた、ポストを開けた瞬間に、「あそこから来たあれだ」という力を感じるものであった。差出人はデンマーク政府の移民局である。この数週間、もっと言えば住民登録をしてからずっと待ちわびていた書簡であった。

 事務仕事の業務分掌を縦割りとして否定的に捉えるか、他人の領分を侵害しないために自分の領分から踏み外さないと批判的に捉えるか、さらには自らの職務に忠実であると肯定的に捉えるか、人それぞれかもしれないが、少なくともデンマークの行政機関における仕事の仕方には、ささやかな疑問を感じるところがある。ちなみに米国の宗教社会学者のロバート・ベラーは著作『心の習慣』において、米国の個人主義を(1)聖書的個人主義、(2)共和主義的個人主義、(3)功利的個人主義、(4)表現的個人主義に分類した。乱暴な整理だが、(1)と(2)のように他者が尊重された上での個人(一人ひとり、それぞれが)は特に近代国家の成立と成長の中で社会システムを作動させる上で重要な要素となってきたものの、(3)と(4)のように他者に対する個人(それぞれ、一人ひとりが)は現代の社会システムにおいて構成要素を区別していく主体に過ぎない。モヤモヤすることが多いものの、それをスパッと言葉にできていない自分もまたもどかしいが、ともかく、シェンゲン協定加盟国圏内入って3ヶ月を迎えつつある中、滞在許可が下りているにもかかわらず、いっこうにOpholdskort(英語ではresidence card:いわゆる在留カード)が届かなかかった中、市役所、警察(デンマークでは警察署に移民局の手続き窓口がある)、東京の大使館、それぞれに「ここではない」と言われ、まるで「あんたが悪い」と他人を遠ざけていくかのような役人さんたちの態度、そこに埋め込まれた社会システムの外へと追いやるかのような力の加減を、おそらく忘れることはないだろう。


2017年6月13日火曜日

クラウド時代の宿命

 受動態と能動態、自動詞と他動詞、そうした言葉の使い分けにこだわるようになったのは、阪神・淡路大震災でのボランティア活動の後、大学とまちを頻繁に往復するようになってからのことだろう。ある日を境にいきなり変わるような事柄でもないので、徐々に、そうなっていったと思われるが、説くに2回生の夏を前に高速道路での警備のバイトをして、エイヤと購入した中古のMacintosh PowerBook 180cを使いこなそうと遮二無二なり、Aldus PageMaker 5.0で多くの書類を作るようになったことが大きい。例えば、ただ伝えるのではなく、きちんと伝わるように、この表現一つ取っても、主語が人から物へと変わっているし、表現というのは自ずとできるのではなく丁寧につくる必要がある、そんな風に記すなら、前者が自動詞で後者が他動詞である。PageMakerでは緻密なレイアウトができるゆえに、それっぽい装飾を重ねてデザイン面でごまかさず、素材としての言葉がうまく活かされるように努めたことで、言葉へのセンスが磨かれたと捉えている。

 もっとも、文字は紙とペンがあれば、もっと言えば、土の上に棒や手や足でも表現できるのだが、最近は多くの書類がコンピュータでつくられている。デンマークに来て思うのは、日本での事務仕事においては作成の電子が進んだだけで、処理と管理の電子化と切り離されているということである。Excel方眼紙の話題をバカバカしく思いながらも、それに慣れてしまってきており、何よりもともと、電子化というのは省力化のためにあったのではないかと問い直している。例えば出張書類をMicrosoft Wordの雛形で作成すれば、確かに見栄えは整うものの、罫線のズレや枠内に収まるようにフォントサイズなどを整えるまでにそれなりの時間を使っていることを思えば、丁寧かつ注意深く手書きをすればいいのではないか、と。

 そうしてコンピュータを日々活用してきているが、また、やらかしてしまった。愛用のMacBook Proのキーボードが壊れてしまったのだ。正確に言えば壊してしまったのであるが、シフトキーが常時押されている状態になってしまったのである。そのため、常に大文字での入力(Capslockを入れれば逆に小文字になるかと思いきや、シフトキーが押されている状態を反転させる力はないことが判明)となり、一度ログアウトをしてしまうと、自動的にセーフブートがかかってしまうため、メインパソコンで何の作業も仕事もできなくなってしまい、昼過ぎに今の住まいに2台の救急車がやってきている風景が、何かの暗示のようにも感じてしまうのであった。

 悪いことは重なるもので、先日、Appleからメールでリマインダーが届き、2017年6月15日以降、Apple社以外の製品・商品からのiCloudサービスにアクセスする際には2ファクタ認証によるAppパスワードの利用が必須と案内されている。これによって今すぐ何かに困ることはないと思われるものの、古いOSを併用・活用している身としては、例えば昔のワープロ専用機のように、スタンドアローンで使う時代も想定しなければならなくなってきた気がしてならない。加えて、無制限のストレージを謳ってきたAmazon Driveも、米国版では次の更新から1TBの制限がかかり、1TBごとに同額の請求(59.99米ドル)がかかるという。最早、我々はシステムの上で動いているのではなく、システムに絡み取られながらもがいているのではないか、そんなことを感じながら、MacBook AirのOSをEl Capitan(Mac OS X 10.11、2015年発表)にアップデートし、Evernoteのプレミアム会員に契約(ちょっとお得なソースネクストの商品でコードを購入)するなど、来るべきときに備えるべく、パソコンの環境整備に充てた一日となった。


2017年6月12日月曜日

気にかけられる喜び

 オールボー大学では春の学期が終わりを迎え、夏休みを迎えつつある。今、在籍しているコミュニケーション・心理学部の基本棟から歩いて5分以内の場所に住まいを用意いただいるが、少し前には日中に学生と思われる方々の往来をよく見かけていた。ところが、木々の成長によって家の窓から道行く人が見づらくなったことを差し引いても、キャンパスを行き交う人の姿はまばらになっている。それもあって、時折、SNSで知人・友人等が投稿している日本のキャンパスの風景を見ると、帰国した後やっていけるか、ささやかな不安さえ抱いてしまう。

 そうした中、今日は秋のセミナーシリーズでの話題提供者にエントリーをした。毎週水曜日の15時から、文化心理学研究センターが行っている「キッチンセミナー」に、である。開催直前の土曜日までに発表要旨を送ることがルールとなっており、15分ほどのプレゼンテーション後、議論が尽きるまで、最長で17時までのディスカッションが重ねられる。ちなみに発表日は11月15日となった。

 話題提供をしないか、と誘っていただいたのは、進行役を担っているPinaである。オールボー大学に着任して程なく、受入担当のMogens先生から学部のメーリングリストに私の自己紹介を送っていただいた後、Pinaからは「キッチンセミナーに参加しない?」と案内をいただいた。ちょうど「金継ぎ」をメタファーにした研究ということもあり、参加しやすいのではないか、という配慮もあってのことだった。秋学期のセミナーは9月6日から始まるようで、自分の発表の回まで、メンバーの方々とさらなる交わりを深めていくこととしたい。

 セミナーへのエントリーの後、お昼にはお蕎麦をいただいた。日本で買う蕎麦とは違うのだが、近所のスーパーで安売りされていたものである。デンマークでも、廃棄食品を減らすことに注力されており、生鮮食品を中心に割り引き販売されているものをよく目にする。昨日に続いてドラえもんを引き合いに出してのことになるが、「石ころぼうし」や「どくさいスイッチ」などで描かれている、気にかけられなくなることのさみしさにも思いを馳せるのである。


2017年6月11日日曜日

文化を読み解く・未来を書き描く

 今日は朝から近所のスーパーに空き缶とペットボトルを持っていった。5月末、お客さんを招いたこともあって、貯めておいたキッチン横のスペースが目立つようになってきたためである。いざ、持って行こうとすると、いつも買い物に使っている大きめの布バッグ一杯になるくらいの分量になった。帰りに買い物をして帰ろうと、あまり混雑していない日曜の朝を狙って、お店に行くことにした。

 その理由はデンマークではアルミ缶とペットボトルの飲料にはデポジットが乗せられているためである。こちらに来て2ヶ月あまりが経つが、今日、初めてデポジットの返金をすることになり、1つずつ、スーパーの入り口にある機械に入れていった。そして、1つあたり、空き缶は1クローナ、ペットボトルは1.5クローナであることとを知った。ちなみに、コペンハーゲンの空港では、赤十字社による「あなたのボトルを寄付して」と記された回収ボックスが通常のゴミ箱とは別に置かれているのを観たことがあり、また、列車や街中で、デポジットの返金を狙ってか、丁寧に狙いをつけ素早く回収していく方の姿も見たことがある。

 ふと、大学を卒業して程なく「ではの神」にならないように、と諭されたことを思い出した。ある一面を切り取って、「〜ではね…」と、自慢気に語らないように、という意味である。藤子・F・不二雄先生の作品『ドラえもん』で言えば、スネ夫がよく言いそうな台詞である。ちなみに、LINEの「意識高い系になれるスタンプ」の中にも、吹き出しの中に「北欧ではね…」という言葉が添えられ、得意な顔をして語っているものが収められており、時々使う機会がある。

 先般、パソコンのドライブを整理している際、かつて、NHKの『視点・論点』で詩人の長田弘さんが「文化とは習慣である」というテーマでお話になっていたことに気づいた。2010年11月3日の放送分で、その内容は後日、岩波新書の『なつかしい時間』にも収められているが、10分間の語りの中で、「技術の極めて早い展開が、同時に広めてきたもの」として「習熟の欠如」を挙げ、「経験知というもの、経験して知るということが大切なことでなくなった」と指摘した上で、「メールなどですぐあからさまな表情を持つ絵文字に頼るようになったのは、今、私たちが持つ言葉が、それだけ表情をなくした言葉になっている、その乾きのせいかも」と述べて、「言葉のダシのとりかた」というご自身の詩を紹介された。「デンマークでは資源の有効化のために、空き缶やペットボトルを…」、と、一つの現象を捉えて「進んでいる」と紹介するのではなく、そうした社会システムが根ざしてきた背景を見つめ、自らが浸ってきた文化と照らし合わせながら、よりよい未来を見据えていくことができるよう、文化の読み書き能力を高めていきたい。


2017年6月10日土曜日

港町への夏の訪れ

 昨日は8月のアイスランド・レイキャヴィクへのフライトを調べていたが、9月のアイルランド・ゴールウェイへの出張も決まった。こちらは国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE)2017である。2年前にボストンでの年次大会に参加し、昨年のニューオリンズでの年次大会には筆頭発表者として参加することができた。今年は発表希望者が多いので査読が遅れていると連絡があったが、幸いにも2年連続で採択されることになった。

 デンマークの緯度は樺太と同じくらいである。数字で言えば、概ね京都が北緯35度でオールボーが北緯57度だ。ゴールウェイ(北緯53度)はコペンハーゲン(北緯56度)よりも若干赤道寄りだが、レイキャヴィクは北緯64度と、さらに北極寄りである。もろもろ、地図を見ながら、アイスランドは氷がなくて緑があり、グリーンランドは緑がなくて氷がある、と、以前覚えたことを思い出した。ともあれ、この夏は北半球の北のまちをいくつか回ることになる。

 そうした中、今日はオールボーでアジアカルチャーフェスティバルが開催された。昨日から始まっていたが、昨日の内容は本日も開催されること、また小雨の予報でもあったことなどから、今日、街へと繰り出すことにした。会場はオールボー市内中心部の港湾一帯で、大変な賑わいだった。恐らく、パワーボートによるレースが開催されることもあってのことと思われる。

 夜には同じく港湾にて、花火の打ち上げもなされた。これまた大変な賑わいであった。ちなみに開始時刻が22時30分という、日本では考えられない時間から始まった。約30分、デンマークでの花火を楽しみ、23:35発のバスにて家路についた。


2017年6月9日金曜日

チマチマと

 今の時期、デンマークは4時台に明るくなり、22時を過ぎても明るいのだが、今の朝は行き場に困った猫の鳴き声で始まった。20代のころ、NPO仲間と「白夜の北欧に行けば、一日中仕事ができるかもしれない」なんて雑談をしたことがある。デンマークでは白夜にこそならないが、冒頭に示したように、睡眠のリズムからすれば、白夜のようなものである。年を取ったのか、デンマークの風土に慣れてきたのか、はたまたデンマーク人の気質に慣れてきたのか、猛烈に仕事ができる身体ではなく、最早、昨日の夢だ。

 今は6月、この先、どんな気候となっていくのか、調べることはできても、体感していないゆえに、想像の及ばないところもある。4月、オールボー大学での受け入れ担当を担っていただいた一人、Mongens先生が「良い時期に来たね」と仰ったのをよく覚えている。ちなみに「木々が茶色から緑になっていく春もいいけど、私は緑から赤へと色づいていく秋が好き」とのことである。私もまた、デンマークの紅葉が楽しみだが、その後にやってくる冬は誰もが鬱々とした気分なると聞いていることもあり、気がかりでならない。

 今日は午前中に8月23日から25日に、アイスランドのレイキャヴィクで開催される国際総合防災学会(IDRiM2017)のための旅程の確認を行った。現在滞在中のオールボーからLCCでもレガシーキャリアでも、いずれの方法でも比較的簡単に行くことができそうだ。一方で、日本から参加を希望している共同発表者については、なかなか一筋縄でいきそうにない。関西からはヘルシンキ経由で、夏限定のレイキャヴィク便への接続がうまくできるといいのだが、乗り継ぎ時間にあまり余裕がない上に、夏のバカンスシーズンと重なっており、既に空席が限られてしまっている。

 調べものをする中で、ふと、NASの整理を思い立った。日本からNAS(Network Access Strage:ネットワーク型のハードディスク)は、Buffaloブランドから一時期発売されていたLinkStation Cloud Editionで、米国のPogoplug社のサービスを利用するものである。独自のサーバーを立てる必要もなく、また、1台の機械を設置するだけで、外出先からファイルにアクセスすることができて便利に使っていた。ところが、Pogoplug社の方針変更で、既に段階的にサービスが終了していっている。2015年にサービスの縮小が案内されて以来、日常的なファイルの同期にはDropboxをメインに、動画関係などの倉庫としてはAmazonDriveを使うことにしているので、完全にNASを使わずに済ませられるよう、時間のある今こそ整理をと、チマチマした作業を進めることにした。


2017年6月8日木曜日

ストレスが地球をダメに?

 大学1回生のときにMacintoshに触れて以来、Appleのファンである。開学したての立命館大学びわこ・くさつキャンパスで学んでいた私たちは、入学早々、SONYのUnixマシン(News 5000シリーズ)を使うことが求められたものの、同じ年に衣笠キャンパスで開設された政策科学部は全員がMacintosh PowerBook 180を所有した。その影響もあってか、びわこ・くさつキャンパスにも、マルチメディアルームやオープンパソコンルームなどと呼ばれた部屋にMacinotoshが何台か設置されていた。3ボタンマウスが接続されながらもコマンドを打ち込んで操作することが前提の「メルセデスベンツのそれなりのクラスが1台買えるくらい」と称されたマシンの横で、1ボタンで一目瞭然なGUI(グラフィックユーザーインターフェース)によるMacintoshの操作性に強く惹かれてしまったのだ。

 時を経て、今、Appleの製品は広く人々に行き渡るようになった。昨日、米国サンフランシスコのサンノゼで現地時間10時から始まった世界開発者会議(WWDC)2017は、日本に居るときとは異なって常識的な時間に開始(デンマーク時間で19時)されたため、ライブストリーミングを見たが、隔世の感がある。今回新たに発表されたmacOS High Sierra(10.13)は、未だにメインのコンピュータではSnow Leopard(10.6.8)を使っているから見れば、既に7世代も離れた基本言語を使い続けていることになる。なぜ、かくも古いOSにこだわっているかと言うと、電子メールというものに慣れたのが、大学1回生ときから使っているEudoraであるため、ほぼこの1点に集約される(ただし、1994年からのメールは2005年12月18日、雪の残る京都の堀川御池交差点で自転車で転倒した際、ポータブルのハードディスクが壊れて全て消えてしまった)。

 そんな10.6.8の動くMacBook Pro 17(early 2011)やMacBook Air(Late 2010)を使いつつも、幸いにしてiTunes Matchサービスを利用することができる環境のため、ローカルに管理していた音楽ファイルはiCloudミュージックライブラリにアップロード済みで、複数のデバイスで楽しむことができている。今、iPhoneは5c、iPadもmini2、そしてiPod touchは第5世代ながらにレアなリアカメラなしのモデルを使っている。音楽ライブラリと言いつつも、その中には落語のCDも多々入っている。そのため、飛行機の機内放送と同じく、音楽を聴いているようで落語を聞いていることがよくある。

 iClouldミュージックライブラリに入っているものの一つに、森高千里さんの『森高ランド』があるのだが、今日はその3曲目「ストレス」の歌詞を想い起こした。シングルバージョン「ザ・ストレス〜ストレス 中近東バージョン」は公式のプロモーションビデオがYouTubeにアップされていることを今日知ったが、「ストレスが地球をだめにする」という部分が実に印象的な楽曲である。想い起こしたのは、電動工具メーカーで知られるBOSCH社のものが近くのスーパーで半額ということもあり、滞在2ヶ月あまりにして掃除機を購入した帰り道である。これでどこからともなく入ってくる埃などの掃除のストレスが少し減る反面、もしかして地球環境には負荷をかけてしまうのだろうと思いを馳せた、ということを、長々と書いてきて、これを読む人にストレスがたまらないことを願うばかりである。


2017年6月7日水曜日

一元化ゆえ届く請求

 我が家にも、ついに「DR」から請求書がやってきた。DRとは元々Danmarks Radioの略称で、英文名はDanish Broadcasting Corporation、そう、デンマーク放送協会のことである。1925年発足の公共放送(当時の名前は「Radioordningen」で直訳すればRadio System)で、翌1926年には国営放送(Statsradiofonien)に改称、1959年には先に示したDanmarks Radio(デンマーク放送)に再び改称され、1996年からは略称のDRが正式名称とされたとのことである。ちなみにラジオ放送は1926年に、テレビ放送は1951年に、それぞれ開始されているが、テレビ放送も電波を用いていることを考えれば、Radioとあってもラジオ放送局のみに留まらないことを自明としている。

 請求書には「Husk medielicensen(英語ではRemember the media license)」と大きく書かれている。デンマークでは、テレビ、コンピュータ、スマートフォンもしくはタブレット端末を持っている家庭は、全て、この「マルチメディア税」を支払わなければならないのである。2017年の税額は年間2,492デンマーククローナとのことで、2017年6月7日のレート(約16.6円)で換算すれば42,000円弱(41,367.2円)となる。ちなみに2017年のNHKの年間受信料は衛生契約だと24,770 円、地上契約の場合は13,990円と、デンマークに比べれば安価に思えてくる(衛星・地上とも12ヶ月割引・口座振替もしくはクレジットカード払いの場合)。

 medielicensenの請求があることはオールボー大学のwelcome meeitngでも説明されていたが、届くか届かないか、どのタイミングで届くかは、人によるという。私が参加した2017年5月のwelcome meetingでは「最初に掛かってきた電話がマルチメディア税を払え、というものだった」と語った方がいた。昨日も行政の窓口で苛立ちを覚えたのだが、こういう制度運用における手続きの曖昧さが時にデンマークへの理解を苦しめる。ちなみに届いたら必ず払わなければならず、それがマルチメディア税と訳される所以である。

 我が家に届いた請求書は「半月払いか月払いか」の選択肢と、銀行の口座番号を記入、日付と署名を入れて返信用封筒で送付するタイプのものだった。恐らく、先月末に銀行口座が(やっと)開設できたので、それによってCPR-Number(いわゆるマイナンバー)に紐付けされている居住実態と銀行口座が明らかになり、自動引き落としによる請求書が届いたのであろう。ちなみに、4月5日に住民登録を終えているため、今さら届いたのか、という感は否めない。一方ですんなり払おうという気になったのは、テレビは置いていないものの、iPhone(及び携帯型音楽プレーヤーと言うべきか、つまりはiPod touchで)9チャンネルあるDRのインターネットラジオ(P4が10地域の各放送局の編成のため、実質18チャンネル)のうちの一つ、DR P8 JAZZをお気に入りで聞いているためであり、今回納める税金が効果的に使われることを願うばかりである。


2017年6月6日火曜日

悪い加減

 「いいかげん」というのは「良い加減」のことなのだ、と知ったときには、それは加減の良く効いた表現だと感じた。この手の類の日本語表現はいくつかある。似たところで挙げるなら「適当」という言葉もまた、使い手と文脈によっては意味が異なって受けとめられるだろう。極端に言えば、カタカナを用いて「テキトーな人」などと表現すれば恐らくネガティブに受けとめられ、一方で「適当にしておきましょう」を「適切にしておきましょう」に置き換えれば、一定の節度や素養が求められるということに想像がつくだろう。

 学生だったころ、特に社会人大学院生だったころには、鷲田清一先生の著作に多くの気づきを得た。今、朝日新聞で「折々のことば」を連載中ということもあって、鷲田先生の感性に日々、何らかの学びを得ている人も多いのではなかろうか。数々の著作の中でも、私が授業で用いる書籍の一つに『〈弱さ〉のちから』がある。この中に「加減とか塩梅、潮時とか融通、ほどほどとか適当というのは、ほんとうは経験を積んだひとの深い智慧ををあらわすはずの言葉なのだが、適当に済ますやつだとか、いいかげんなやつだとかいうふうに、良い意味では使われないことが多い。」(p.220)という箇所がある。

 今日は訳あってオールボーの役人さんと触れる機会があったのだが、何とも、仕事の加減が悪い方々に相次いで関わることとなった。公務員の世界では、縦割り、杓子定規、そうした仕事ぶりがどの国においても共通する、などと片付けたくはない。ただ、逆にデンマークが「世界一幸せな国」と標榜するのであれば、もうちょっと、仕事の仕方を考えてもらいたいと、痛切に感じた。詳しいことには立ち入らないが、「それは私の仕事ではない」という立場を理解しないわけではないが、言われた通りの対応をしても埓があかない状況を、それこそオールボー大学でPBLが積極的に導入されているように、対話を重ねながら問題解決を図ってもいいのではなかろうか。

 「たとえば他人とのつきあいのなかでここが引き際だと判断すること、じぶんの身体においてそろそろ限界だと感じること、子どもに対してここで一言いっておくべきだと考えること、他人との交渉のなかでそろそろ潮時だとおもうこと、これらの判断や感覚は、科学者や技術者のくだす判断に劣らず精密である。」(鷲田清一『〈弱さ〉のちから』2001年、講談社・刊、p.220)これは先程、引用した箇所の直後に「しかし、」と逆接で続けられている文章である。「もう日本に帰ろう!」といった短絡的な思考には至らなかったが、釈然としない感覚が残った。一方で、鍵の落とし物コーナーがセルフサービスで持ち帰るよう「最上段は今月、2段目が先月、3段目が2ヶ月前、4段目が3ヶ月前」と整理され、「決して混ぜないように(Bland ikke noeglerne sammen/Do not mix the necks together)と促されていたあたり、日本的な価値観とは異なる世界に暮らしているのだな、と痛感して、役所を後にした。


2017年6月5日月曜日

気候に戸惑う

 バルセロナの帰国から1日、今日はデンマークでは休日なのだが、どうも体調がすぐれない。昨晩からその兆候があった。まず、鼻水が止まらない。そして、風邪のようなだるさに見舞われた。

 昨日、眠る前にトローチのみ服用したのだが、どうしようもないので、朝ご飯は軽くシリアルで済ませ、日本から持ってきたカプセル薬を服用することにした。箱には「鼻水・鼻づまりに」とある。立川志の輔師匠の新作落語「買い物ぶぎ」に出てくるくだり、「鼻水、鼻づまりって、これ何?反対じゃん。どっちに効くの?」を思いだし、ほくそえんでしまった。

 そんな小話を妻になげかけてみても、あまり反応がない。私の話の持って行き方も悪いのだが、私と同じく、旅の疲れがどっと出たようだ。昨日の帰りの飛行機でのささやかな不安が的中してしまった気がしてならない。ただ、私は朝に飲んだ薬が効いたのか、昼にはだいぶよくなったので、ある報告書の校正を終えた後、遅めの昼食の当番を買って出ることにして、先般、買っていた中華麺で和風ラーメンを作ることにした。

 今日は家全体に洗剤の臭いが立ちこめている。それぞれに体調の悪さを押して、コインランドリーの洗濯機を3台使って、溜まっていた洗濯を終えたためである。洗剤の臭いに、また時折小雨がぱらつく空も相まって、なんだか晴れない気分の中、以前購入した移動販売車のベルの音が辺りに響いた。急いで出たために、上はフリースで下はスウェットパンツに革靴という、何とも言えない出で立ちとなったが、車の周りに集まった人々も、それぞれの格好で買いに来ており、ふと笑みがこぼれてしまった。


2017年6月4日日曜日

セットプレイ

 バルセロナから帰国する日となった。5月23日に、コペンハーゲン郊外のアマーネイチャーセンターで合流して、ベルリンにもご一緒した当別エコロジカルコミュニティーの山本風音くんともお別れである。山本くんはまだバルセロナにとどまり、いくつかの場所を回ってから変えるという。最後の朝ということもあり、予約時につけていた朝食を一緒に取り、ささやかに旅の行程を振り返った。

 話の中に比喩が多く含まれることを多いに自覚しており、何より自ら積極的に用いているのだが、今日の会話ではサッカーの比喩を用いた。しかも、会話そのものへの比喩として、である。私は相手に向かってパスを出しているつもりが、時折、それがシュートだと思われて、必死に向き合ってキャッチされる場合、ともかく反応だけはなされる場合、ともかく守らねばとパンチングするかのように弾かれる場合がある、そんな話である。こうしたレトリックは、学生時代、立命館大学産業社会学部の中村正先生が用いた「キャッチボール」型(受けとめることが大事であり、受けとめられるように投げかけるのが大切)と「ドッジボール」型(ぶつけることが大事であり、時には受けとめられないときには逃げることが大切)という対比などから着想を得ている。また、「もち型社会」(一つひとつの要素が全体の中におしつぶされている状態)と「おにぎり型社会」(一つひとつの要素はバラバラだが水分や具や海苔になどによって一つの形をなしている状態)という対比に感じ入ったこともよく覚えており、集団の力学を語る上で今でも使う比喩のセットの一つである。

 落ち着いた朝食の会場では、サッカーで言えばセットプレイが多いこと、目の前のバナナ1本でもここまで会話は広げられる、といったオッサントークをして、空港へと向かった。行きと同じく、いわゆるLCCのフライトである。今、住んでいるオールボーからバルセロナまで、約3時間の旅なのだが、何と、オールボーからコペンハーゲンへの40分ほどのフライトよりも、安価で移動することができるのだ。ただ、その代わりとして、かなり狭いシートピッチで満席に近い予約でのフライトとなるため、機内はかなり混雑した状態で飛ぶことになる。


 後ろの席の方が頻繁に咳をされていたのが気になったのだが、予定時刻よりも30分ほど早くオールボー空港には到着した。そこで待ち構えていたのは、ランダムチェックをする移民局の警察官であった。デンマークもスペインも、ビザ無し渡航ができるシェンゲン協定内の国だが、最近はドイツから協定国内に不法滞在するケースを警戒してか、パスポートの提示を求められた。幸い、私たちには滞在許可が出ている上、シェンゲン協定圏内に入って3ヶ月未満であるため、特に問題はないのだが、今後もこうしたケースが増える可能性を思うと、滞在許可証を常時携帯しておかねば、と決意を固めた。そんなこともあって、ほとほと疲れてしまった夜の食事は、私が当番となり、妻の手解きのもと、チキン&シーフードグラタンを作ることにした。


2017年6月3日土曜日

海へのピクニック

 3日目のバルセロナは、バルセロナ大学で学外研究中の花村周寛さんたちのお誘いで、ピクニックをすることになった。ただし、今晩は別のホテルに泊まるため、当別エコロジカルコミュニティーの山本風音くんと共に荷物を預けてから向かうことにした。今日までお世話になったのは交通至便の街中にありながらホステルということもあって、チェックアウトが10時と早かった。花村さんたちとの待ち合わせが12時だったので、山本くんと私たち夫婦は別行動を取り、昨日の田中裕也さんのお話を復習するためにグエル公園に行こうかとも迷ったものの、小雨にも見舞われたため、カフェで簡単な朝食をいただくことにした。

 カタルーニャ広場の横のアップルストアで合流すると、ピクニックの場所の候補として、シウタデリャ公園、バルセロネータ・ビーチ、グエル公園を挙げていただいた。かつて要塞があったもののガウディが水場を整備した場所、穏やかな地中海に触れる場所、街を一望できるガウディ設計の場所、それぞれに魅力がある。小雨も上がったので、これまでとは違う雰囲気を味わうためにもビーチに、ということになり、まずはランブラス通りにあるカルフール、続いてカタルーニャ広場横の東方商場にて、食材や飲み物を調達し、地下鉄でバルセロネータ駅へと向かった。ちなみにカタルーニャ広場では、カタルーニャ地方の民族舞踊であるサルダナス(sardanes)を学ぶこどもたちの発表会が行われる様子だったが、買い物のあいだに終わってしまったようで、見ることは叶わなかった。

 バルセロネータ駅から10分ほど歩けばビーチに着くはずなのだが、まちはお祭りムードで、ラテンのリズムが鳴り響いていた。サンバのリズムか、と思いながらも、中欧のラテンと南米のサンバでは使う楽器が違うようである。確かに、太鼓の上にカウベルがついた楽器を使っている人がいらっしゃって、後で調べてみると、それはティンバレスという楽器で、ラテンパーカッションとも言われていることがわかった。複数のチームがまちをパレードしながら演奏をしているようで、駅からビーチまでは1kmもない距離ということもあり、程よいBGMとして、海辺のピクニックを楽しんだ。

 ビーチで3時間ほど過ごした後はゴシック地区のまち歩きとなった。カタルーニャな雰囲気をまとう陶器屋さん(1748 Artesania i coses)にお邪魔し、毎晩3回のフラメンコショーがなされている空間(Palau Dalmases)を覗き、ピカソ美術館を訪れた。時間と体力があればピカソの生い立ちと作風を学びたかったが、身体が北欧に順応してしまったのか、軽い熱中症のような状態となってしまい、美術館裏のアイスクリーム屋さん(La Campana de Flassaders)で休ませていただいて、私たちは地下鉄駅(Jaume I)で離脱させていただくことにした。少しホテルで横になって体力も回復したので、ホテルから程近いところにあることを思い出して、夜の部は20時30分に開店の「らあ麺屋 ひろ:Ramen-Ya HIRO」さんの開店前の行列に並び、舌鼓を打って帰ってきた。



2017年6月2日金曜日

実直に測り続けて研ぎ究め

 バルセロナ2日目は、ガウディ研究家の田中裕也先生のアトリエ兼ショップにお邪魔した。当別エコロジカルコミュニティー山本風音くんが、当別町役場の中渡さんからの紹介を受け、つないでくれたご縁である。午前中には滞在中のホステルの近くにあるカサ・バトリョを眺めた後、焼きたてのクロワッサンで腹ごしらえをして、サグラダファミリア(外だけ)、サン・パウ病院(ちょっとだけ中に)、グエル邸を回って、例によってアップルストアにてバルセロナ大学で学外研究中の花村周寛さんと待ち合わせた。ゴシック地区を早周りした上で、海洋博物館にて遅めのランチをいただき、以前に花村さんがお住まいだったラバル地区を抜け、カタルーニャ広場の地下からFGC(カタルーニャ公営鉄道)にてEl Putxet駅まで向かった。

 田中裕也先生のことは、ご自身のサイト(スペイン語、英語、日本語) に詳しく、その他にも276回続いている「バルセロナ日記」や2011年4月24日放送の読売テレビ「グッと!地球便」が参考になる。大学で竹島卓一先生など(内井昭蔵先生ともご縁があったとのこと)から建築を学んでいたときにガウディ建築の実物に触れたカルチャーショックから、卒業後3年間の設計事務所勤務を経て、バルセロナに渡航し40年となる田中先生は、あと15年、80歳までで一区切りをつけるつもりという。田中先生の取り組みは、模型をもとに生み出されたガウディの建築作品群を実測の上で1/50で作図したことで知られており、今、ガウディの生誕地(の一つとされている)リウドムス(ちなみに、ここには田中先生が設計したアルブレ広場がある)に資料館を建設する(建設後の運営は市が行うところまで話は進んだという)ため、数量限定で作図された作品が販売中である。2015年8月には銀座の澁谷画廊にて「田中裕也展『ガウディの迷宮』」が開催、また2016年11月から2017年3月まで開催された愛知県常滑市のINAXライブミュージアムの10周年特別展「『つくるガウディ』 Making GAUDI」など、相次いで展示がなされ、日本でも人々の目に触れる機会がもたらされた。



田中先生は自らを「survayor」つまり「実測家」と名乗っておられる。絵や美術が苦手で、彫刻をはじめとして工作や立体は好きだった田中先生は、ただただガウディを勉強したいと思い、横浜からハバロフスクに船で渡り、その後シベリア鉄道にて半年かけてバルセロナに辿り着いたものの、そもそも言葉もわからない中でどうしたらいいかと考え抜いた結果、毎日通ったグエル公園にて「実測しかない」と覚悟を決め、スケッチに寸法を入れ、自らが受けたカルチャーショックの背景にあるガウディによるイマジネーションの豊かさの要素を発見していった。そして、バルセロナ工科大学に提出した博士論文(『Metodología gráfica, dibujos y proporciones de la obra de Gaudí』1992年、機械翻訳による英訳では「Graphical methodology drawings and proportions of gaudi's work」、後述するバセゴダ教授の遺書の邦訳には「ガウディー作品のプロポーション、描画そして作図法」とあった)において220のエッセンスにまとめると共に、2012年には『実測図で読むガウディの建築』(彰国社)が出版、さらに、より多くの人に届けようと2013年には『ガウディ・コード:ドラゴンの瞳(版元の長崎出版が倒産したために絶版となったが、今、別の出版社から再版の計画があるという)が上梓されている。実測だけでなく日記や文献を翻訳する中で、ガウディの倫理観に触れてきた田中先生が用いる言葉には含蓄があり、「勉強と研究は異なる」、「研究とは学習によってもたらされる」、「生活のための原理とまちをつくるための倫理は異なる」、 「学んだことは知識にはなっているが本来の姿ではない」、「本来の姿は自らつくりあげた方程式で解く」、「ものの作り方は独裁的であってはならない」、「いい作品では一人では生み出されていない」、など、枚挙にいとまがない。


 2時間半あまりお話しを伺う中、1/50の実測図も拝見させていただいたのだが、終盤になって「アルケオテクトーラ」(archaeotectura)という学問を確立させたい(ちなみに東京藝術大学大学院美術研究科文化財保護学専攻保存修復構造物研究室の取り組みは、田中先生の着想によるところ、とも)と仰ったのが印象的だった。日本語では建築考古学となるものの、そこにデザインの要素も加味されれば、修辞学の世界と実測の世界とが結ばれることにより、多様な人やまちの交流が生まれ、新たな文化が生まれ、そして産業も生み出されるのではないか、と見立てている。夜には花村さんの案内でタパス料理屋さんに向かったのだが、その席でも想い起こしたのが、田中先生が仰った「ガウディの日記には、うわべの装飾を抜いていくとある」という指摘であり、アールヌーボーの時代の装飾だらけの建築と見ていた私は真逆の解釈をしていたのだと省みた。何より、アトリエ兼ショップに掲げられていた田中先生の師匠であるホワン・バセゴダ・ノネール教授の遺書(現地の公証人に認めれているもの、パベゴダ先生のカタカナ表記はその証書のものを使わせていただいた)であり、「私は、日本人建築家・工学博士である田中裕也を単なる後継者とか弟子という事のみではなく、ガウディをテーマとした学術、科学、建築、産業、経済等における精神性、技術、人間性、徳性を広く知っていただくには相応しい人であることを承認する」という部分に、田中先生の誠実さと倫理観を見て取った。



2017年6月1日木曜日

いざ、地中海のまちへ。

 ミニプレゼンから1夜開け、今日はバルセロナへと向かった。初のスペインである。スペインに拠点を置くブエリング航空(Vueling Airlines:VLG)がオールボーからバルセロナには週2回、直行便を運行している。約3時間のフライトで、地中海のまちに着くのだ。

 ちなみにブエリング航空はいわゆるLCCである。オールボーとコペンハーゲンの間もノルウェー・エアシャトル(Norwegian Air Shuttle:NAX)というLCCが周航しており、既に何度か利用させていただいたが、同じLCCでも国や会社の性格の違いが現れるのか、と感じたフライトであった。今回のVLGはシートピッチは極めて短く、化粧室も後部に2つのみで、詰めるだけ詰め、機内販売はまるで新幹線のワゴン販売のように頻繁に往復して購入意欲を駆り立てていた。それに対して、NAXはそれなりの広さで、機内も静かであり、実に満足度が高い。

 もちろん、NAXには短距離(40分弱)しか搭乗していないので、VLCでの3時間のフライトと直接比較はできない。ただ、格安航空会社が追求する効率性や生産性の指標も、会社の方針によって多様な形態をとることがわかった。ただ、何より驚くのは運賃の設定である。予約期日や空席状況などにもよるのだろうが、NAXでのオールボー〜コペンハーゲンの運賃はSAS(スカンジナビア航空)の半額以下で鉄道よりも少々高いくらいなのだが、VLCはそのNAXでの運賃よりも安くオールボー〜バルセロナを移動できるのである。

 シェンゲン協定内の移動ゆえにパスポートコントロールを通る必要もなくスペインに到着すると、先にバルセロナに入っていた妻と合流し、宿に荷物を置いてからカタルーニャ広場横のアップルストアに向かった。今回の滞在では、この春から1年間、Jordi Tresserras Juan准教授のもと、バルセロナ大学の遺産観光研究所(Laboratorio de Patrimonio y Turismo Cultural)で客員研究員をされている花村周寛先生にお世話になる。コペンハーゲンのアマーネイチャーセンターで合流してベルリン郊外のトノー自然学校などに一緒に訪れた当別エコロジカルコミュニティーの山本風音くんと共に、である。それもあってメッセージ等では「花村先生」という表現を用いるものの、「ぜひスペインではパエリアを」とお連れいただいたレストランでは、こうした敬称は出会ったときの呼び名を引きずるため、対面では(実は同学年であるものの)「花村さん」「山口さん」と呼び合い、ラテンなまちの長い夜を楽しんだ。