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2017年6月2日金曜日

実直に測り続けて研ぎ究め

 バルセロナ2日目は、ガウディ研究家の田中裕也先生のアトリエ兼ショップにお邪魔した。当別エコロジカルコミュニティー山本風音くんが、当別町役場の中渡さんからの紹介を受け、つないでくれたご縁である。午前中には滞在中のホステルの近くにあるカサ・バトリョを眺めた後、焼きたてのクロワッサンで腹ごしらえをして、サグラダファミリア(外だけ)、サン・パウ病院(ちょっとだけ中に)、グエル邸を回って、例によってアップルストアにてバルセロナ大学で学外研究中の花村周寛さんと待ち合わせた。ゴシック地区を早周りした上で、海洋博物館にて遅めのランチをいただき、以前に花村さんがお住まいだったラバル地区を抜け、カタルーニャ広場の地下からFGC(カタルーニャ公営鉄道)にてEl Putxet駅まで向かった。

 田中裕也先生のことは、ご自身のサイト(スペイン語、英語、日本語) に詳しく、その他にも276回続いている「バルセロナ日記」や2011年4月24日放送の読売テレビ「グッと!地球便」が参考になる。大学で竹島卓一先生など(内井昭蔵先生ともご縁があったとのこと)から建築を学んでいたときにガウディ建築の実物に触れたカルチャーショックから、卒業後3年間の設計事務所勤務を経て、バルセロナに渡航し40年となる田中先生は、あと15年、80歳までで一区切りをつけるつもりという。田中先生の取り組みは、模型をもとに生み出されたガウディの建築作品群を実測の上で1/50で作図したことで知られており、今、ガウディの生誕地(の一つとされている)リウドムス(ちなみに、ここには田中先生が設計したアルブレ広場がある)に資料館を建設する(建設後の運営は市が行うところまで話は進んだという)ため、数量限定で作図された作品が販売中である。2015年8月には銀座の澁谷画廊にて「田中裕也展『ガウディの迷宮』」が開催、また2016年11月から2017年3月まで開催された愛知県常滑市のINAXライブミュージアムの10周年特別展「『つくるガウディ』 Making GAUDI」など、相次いで展示がなされ、日本でも人々の目に触れる機会がもたらされた。



田中先生は自らを「survayor」つまり「実測家」と名乗っておられる。絵や美術が苦手で、彫刻をはじめとして工作や立体は好きだった田中先生は、ただただガウディを勉強したいと思い、横浜からハバロフスクに船で渡り、その後シベリア鉄道にて半年かけてバルセロナに辿り着いたものの、そもそも言葉もわからない中でどうしたらいいかと考え抜いた結果、毎日通ったグエル公園にて「実測しかない」と覚悟を決め、スケッチに寸法を入れ、自らが受けたカルチャーショックの背景にあるガウディによるイマジネーションの豊かさの要素を発見していった。そして、バルセロナ工科大学に提出した博士論文(『Metodología gráfica, dibujos y proporciones de la obra de Gaudí』1992年、機械翻訳による英訳では「Graphical methodology drawings and proportions of gaudi's work」、後述するバセゴダ教授の遺書の邦訳には「ガウディー作品のプロポーション、描画そして作図法」とあった)において220のエッセンスにまとめると共に、2012年には『実測図で読むガウディの建築』(彰国社)が出版、さらに、より多くの人に届けようと2013年には『ガウディ・コード:ドラゴンの瞳(版元の長崎出版が倒産したために絶版となったが、今、別の出版社から再版の計画があるという)が上梓されている。実測だけでなく日記や文献を翻訳する中で、ガウディの倫理観に触れてきた田中先生が用いる言葉には含蓄があり、「勉強と研究は異なる」、「研究とは学習によってもたらされる」、「生活のための原理とまちをつくるための倫理は異なる」、 「学んだことは知識にはなっているが本来の姿ではない」、「本来の姿は自らつくりあげた方程式で解く」、「ものの作り方は独裁的であってはならない」、「いい作品では一人では生み出されていない」、など、枚挙にいとまがない。


 2時間半あまりお話しを伺う中、1/50の実測図も拝見させていただいたのだが、終盤になって「アルケオテクトーラ」(archaeotectura)という学問を確立させたい(ちなみに東京藝術大学大学院美術研究科文化財保護学専攻保存修復構造物研究室の取り組みは、田中先生の着想によるところ、とも)と仰ったのが印象的だった。日本語では建築考古学となるものの、そこにデザインの要素も加味されれば、修辞学の世界と実測の世界とが結ばれることにより、多様な人やまちの交流が生まれ、新たな文化が生まれ、そして産業も生み出されるのではないか、と見立てている。夜には花村さんの案内でタパス料理屋さんに向かったのだが、その席でも想い起こしたのが、田中先生が仰った「ガウディの日記には、うわべの装飾を抜いていくとある」という指摘であり、アールヌーボーの時代の装飾だらけの建築と見ていた私は真逆の解釈をしていたのだと省みた。何より、アトリエ兼ショップに掲げられていた田中先生の師匠であるホワン・バセゴダ・ノネール教授の遺書(現地の公証人に認めれているもの、パベゴダ先生のカタカナ表記はその証書のものを使わせていただいた)であり、「私は、日本人建築家・工学博士である田中裕也を単なる後継者とか弟子という事のみではなく、ガウディをテーマとした学術、科学、建築、産業、経済等における精神性、技術、人間性、徳性を広く知っていただくには相応しい人であることを承認する」という部分に、田中先生の誠実さと倫理観を見て取った。



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