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2010年8月4日水曜日

お寺の神様?

 今年もまた、「詩の学校」お盆特別編「それから」の時期がやってきた。2006年から毎年参加というか、お手伝いをさせていただいている。逆にいえば、初年度からお手伝いだけでなく、詩作もさせていただいているのだが、昨年は作り上げられなかった。震災15年の思いを綴ろうしすぎてしまったからかもしれない。一方で、今年はタイトルから定めて、思いつくことばを重ねていった。
 「ウケ狙い」のタイトルにしてしまった感もある。しかし、逆にそうして思考や着想の「枠」ではなく「軸」を定めたことで、ことばを紡ぎやすかった気がする。朗読は淡々とさせていただいたつもりだが、少しことばを加筆修正して、以下に刻んでおくことにしよう。何より、大切な思い出を思い出し続けられるよう、願いを込めて。




お寺の神様?

 泣ける歌が、いくつかある。
 泣けてくる歌に、時々出会う。
 ことばと伴奏の「合わせ技一本」で、
 懐かしい思い出に、攻め入ってくる。

 ただ、泣かせる歌は、最後まで聴けないことがある。
 ふと、泣かされる歌だと、とっさに思うからだ。
 いい思い出と、つらい思い出の混ざりあう中で、
 やさしくできなかったことへの悔いがこみあげてくるためだ。

 この春知った「トイレの神様」はその典型。
 題名をあなどって、
 サビの前でこらえきれず、
 無言のなま、涙が頬を伝っていった。

 見えないものが大事なことを、「星の王子さま」の物語を借りて伝えたことがあるけど、
 「トイレそうじをちゃんとしようね」って、
 神様という物語を借りて孫に伝えるおばあちゃんを歌った歌。
 わかりすぎるくらい、わかっちゃったのだ。

 実家を離れて17年。
 再来年になったら、実家で過ごした時間は人生の半分以下になっちゃうけど、
 いろんな物語を残してくれた実家の記憶は、
 ずっと、ちゃんと思い出していこう。

 お寺に神様はいないとされるけど、
 今、場所の力が、
 物語を思い出させてくれている。
 墓地でボチボチ、考えていこう。

 はかないいのち
 はえあるいのち
 たいせつないのち
 つながるいのち

2010年8月4日 應典院「詩の学校」お盆特別編「それから」にて。(於:浄土宗大蓮寺墓地)