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2026年4月5日日曜日

パンとラブレター

このところ、朝食はパン食の傾向にある。3月末、復興のその先のまちづくりを展望するために、田鶴浜の皆さんと富山県南砺市の井波地区を訪れたことが影響している。井波では、空き家を活用しながら、「こんな人がいたらいい」「こんなお店があったらいい」という思いを起点に移住者を募ってきた「ジソウラボ」の取り組みを伺った。その最初の呼びかけが、「おいしいパンを井波で食べたい」というものだったという。

今の田鶴浜にはパン屋がないということも重なって、4月1日から、田鶴浜に隣接する和倉地区から七尾市内へと少しずつ足を伸ばして、好みのパンを探し当てようとしている。今日は七尾市中心部に近い店で焼きたてのパンをいただいた後、そのまま奥能登・輪島市の町野町へ向かった。目的はNHKの夜ドラ「ラジオスター」の演出を務める一木正恵さんの講演会の聴講で、13時からの講演会の前には「ラジオスター」の上映が11時からと12時からの2回、催されていた。12時からの上映を鑑賞した後で聴講した講演は「『まれ』から『ラジオスター』へ」というタイトルのもと、能登との関わりの始まりから、震災後の向き合い方、そして作品に込めた思いへと展開していったご経験を踏まえ、能登の人びとの暮らしのあり方に対する驚きと、地域の歴史と文化、さらにはそれらを継承している人々への敬意が語られた。

一木さんは今回のドラマを能登への「ラブレター」として構想されたものだと語られていた。朝ドラ「まれ」に携わった際に効率や評価とは別の軸で営まれる暮らしに触れ、特に奥能登の方々が自分たちの生活が成り立つ範囲で手を動かし続ける姿勢に、ご自身のものづくりのあり方も問い直すことができたとのことである。それから約10年、一木さんは令和6年能登半島地震での発災直後、報道として現地に入りを志願した中で、短い時間ではどうしても「助けてほしい」という側面ばかりが強調されてしまうことを痛感したという。そこでエンターテイメントとしてのフィクションを通じて笑いを主軸に置いて、能登に対して物理的・精神的に距離がある人にも「ある街」の営みを伝え残そうした、という流れが印象に残った。

講演の後、せっかくここまで来たのだからと、これまで訪れてきた場所を辿ることにした。2024年、2025年と足を運んできた曽々木海岸、珠洲の真浦、そして白米千枚田を抜けて輪島朝市の界隈を訪れた後、さらに富来を経て、田鶴浜へと戻った。発災前の姿を知らない場所がほとんどであるものの、時間をおいて一度訪れた場所を再訪することで、それまでの自分がどう生きてきたかを見つめ直す手がかりを得ることができる気がしている。特に阪神・淡路大震災では、発災時に生まれていなかった未災者に震災を追体験する学習手法として定点撮影の活動に取り組んできたが、そうした教育実践についても「ラジオスター」の初回放送を能登で見届ける中で、きちんと整理したいと決意した一日になった。

※講演会の冒頭「ぜひ撮影して、皆さんに(ドラマを、そして能登を)紹介して!」と案内

2026年4月4日土曜日

洗って浸かって交わって

田鶴浜での滞在型のフィールドワーク、初の週末である。常々、デスクワークの環境で使わせていただいている田鶴浜地区コミュニティセンターは土曜開館であるものの、指定管理者である田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局執務室は閉じている。そのため、もう一つの間借りの拠点、タツルエで午前中を過ごさせていただいた。タツルエには共用スペース「まち土間」があるためである。

朝食は前夜に「タツルエ」の1階に入居されている居酒屋「語ろう亭」で卵巻きといなり寿司を調達させていただいていた。震災で閉業となった地元の寿司屋さん、大黒寿司さんにお願いして、金曜日のランチにあわせて語ろう亭で提供されている品である。曜日が限られている上に限定数(通常12個)の提供ということもあって、目にしたら選ぶ、というのが得策のように思う。1巻で10個とのことで、今回は卵巻き4個といなり寿司3個のセットを選択して、1回で2つの味わいを楽しませていただいた。

お昼前からはコインランドリーに出かけた。2017年、デンマークでの学外研究時にはコインの調達に難儀したことを思い出した。今回、常々そばを通る中でその存在を承知していたコインランドリーに行くと、アプリの利用で現金以外の決済ができることを知った。店内にはWiFiも整備され、さらには洗濯・乾燥の終了時間の通知はもちろん、そもそも空き状況と運転状況が予め確認できることがわかり、隔世の感を覚えた。

コインラインドリーが終わるまで、和倉温泉の総湯に浸かってリフレッシュをすることとした。また、どんたく生鮮市場和倉店で買ったパンで軽いランチに続いて、夜は金沢での立命館大学石川県校友会の4月例会にお邪魔させていただいた。二地点居住状態ながら、2025年3月にお会いしていた石川県校友会の西村和也会長からお誘いをいただいたためである。懇親会の前には立命館大学校友会未来人財育成による奨励金で支援された団体「PAK PAK」の活動紹介が設定されていたものの、強風などの影響によるダイヤの乱れのため、順番を入れ換えつつも短い時間での報告となった。



2026年4月3日金曜日

惜別の生花コーナー

田鶴浜での滞在型のフィールドワークを始めて最初の週末である。4月1日から3日間が過ぎただけだが、京都と能登を往復してきた45回とは異なった時間の流れに身を置いている気がする。1日は元データが見つからない案内状をMicrosoft Wordのファイルに起こすことから始まり、「ふらっとカフェ」再開への打ち合わせ、マットレスの搬入、さらには今後の取り組みの軸となる築150年ほどの古民家の公費解体完了の立会と続いた。昨日は午前中に読売新聞能登支局からの取材対応、そして田鶴浜地区コミュニティセンターでの「ふらっとカフェ」の新年度初回開催のお手伝いをさせていただいた。

今日は午前中と午後に2つのオンライン会議があった。午前中は昨年度にコーディネーターとして携わった防災・減災をテーマとしたリスクマネジメントに関する講座について、午後はある学会の論文賞の選考にかかる打ち合わせだった。いずれもZoomミーティングでの開催であった。便利になったものである。

そのZoomというサービスを2016年に教えてくれたのが、大学時代からの盟友の一人、谷内博史さんである。谷内さんとのご縁は、東日本大震災の後に立命館の百年史編纂室が企画した座談会の記事(「阪神・淡路大震災」と学生ボランティア活動)として、立命館百年史紀要第20号に収められている。その後の活動についても、大阪ガスのエネルギー・文化研究所による研究会記録(地域参加を通じた学びのコミュニティづくりに携わって~教育災害や学習災害をもたらさないように~)で収めていただいた。そもそも、私がこの1年を田鶴浜で過ごそうと思うようになったのは、令和6年能登半島地震の発災直後、七尾市の能登島地区で暮らしていた谷内さんを尋ねていったことがきっかけになっている。

今日は谷内さんに誘っていただいて長めのランチを能登島でいただいた。かつては能登島大橋のたもとで営業されていたものの、同じ能登島内の閨(ねや)にある民宿で仮営業されている店舗に連れて行っていただいた。またの再会を誓いつつ、17:15の田鶴浜地区コミュニティセンターの執務時間終了後に訪れた和倉温泉駅近くのスーパー「どんたく生鮮市場」に訪れて、七尾花正さんによる生花コーナーが2月で閉じたことを知った。「パンとバラ」の逸話ではないが、生存のためのよすがだけでなく、生活をよりよく保つための手がかりもまた求められる中で、復興への道のりが進められていけばと願っている。



2026年4月2日木曜日

まちの用務員

田鶴浜地区コミュニティセンター、略してコミセンにお世話になって2日目、今日は交流サロン「ふらっとカフェ」が開催された。3月5日にコミセンで開催されていた場にお邪魔した際、昨年度まで担当されていた生活支援コーディネーターの方が退職されると伺った。そして、次年度の開催は未定とも伺った。コミセンではキッズサロンも開かれていることから、多世代交流の機会にもなっているため、何らかのかたちで存続して欲しいと願っていた。

結果として、まずは田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局スタッフが担当となり、第1と第3木曜に継続されることが決まったとのことであった。ところが、この「ふらっとカフェ」は、「出張」バージョンとして、地域に出て行く取り組みも行われていた。例えば3月5日のコミセンでの開催の後は、3月10日に「タツルエ」で開催されると案内されていた。「タツルエ」は2025年7月にオープンとなった古民家再生物件である。1階には田鶴浜体育館の避難所にて1日「1時間・2杯まで」と限定して開かれていた交流の場「語ろう亭」が、常設の居酒屋として入居している。

今回、私が1年間にわたって田鶴浜にて滞在型のフィールドワークの展開するにあたり、この「ふらっとカフェ」の出張版を再開する一助になれば、と考えた。そのため、新年度1回目のコミセンでの「ふらっとカフェ」をお手伝いさせていただいた。再開の一助に、と言いながらも田鶴浜を不在にしている日もあるため、避難所となった田鶴浜体育館の運営補助にあたっていた当時の学生ボランティアの助けを借りることにした。ちょうど彼が実家のある七尾市に戻り、実家のお手伝いなどにあたっていることもあり、余裕があればこちらも手伝って欲しい、と投げかけたのである。

ちなみに私はコミセンにいるあいだはエプロンをつけることにした。そして、最初が肝心ということで、昨日からデニムのエプロンを着けて館内で過ごしている。今日はカフェということもあり、このコスプレのような姿勢がサロンの雰囲気とそれなりに合っていたようである。ただ、喫茶店のマスターというよりも、まちの用務員さんのように皆さんのちょっとした何かをお助けできれば幸いである。



2026年4月1日水曜日

こころばかり13個

2026年4月1日、今日から1年間、仕事と暮らしの環境が大きく変わることになった。2017年度に続き、2回目となる学外研究期間を得たためである。いわゆるサバティカルと言われるもので、日本語では研究休暇などとも言われている。そのため、この1年間は授業担当から外れ、研究に専念しなければならない。

研究に専念するにあたって、京都大学防災研究所の松田曜子先生に受け入れていただき、教育機関研究員(私学研修員)という立場をいただいた。そして、石川県七尾市田鶴浜地区において、滞在型フィールドワークを展開させていただくことにした。令和6年能登半島地震から2年が経った今、復旧から復興へ、そしてその先のまちづくりを展望する時期にある。同時に、発災から3年は、かつて阪神・淡路大震災で被災された100人を対象として「復興曲線」の手法により調査をした結果、発災時よりも心理的に深い落ち込みに浸る「復興感の二番底」を迎える時期でもある。

サバティカルの初日の朝8時30分、私は田鶴浜地区コミュニティーセンターの朝礼に参加させていただいた。今回、サバティカルの期間に田鶴浜での滞在型のフィールドワークを行う、ということを受けて、田鶴浜地区地域づくり協議会の会長・事務局長のお取りはからいのもと、当面のデスクワークの場所に、と、コミュニティセンターの執務室の一角に机を提供いただけることになったためである。そこで、会長・事務局長のご厚意に甘えるだけでは失礼と考えて、改めてスタッフの方々にご挨拶をさせていただくこととした。この2年あまりのあいだにも、既に何人かのスタッフの方々と顔なじみになってきたものの、改めてスタッフ全員のお名前やお仕事の内容に触れることで、復興に貢献したいという思いがより高まった気がしている。

今日の朝礼での挨拶とあわせて、「こころばかり」の熨斗が巻かれたお菓子を13個、つまり13人分用意させていただいた。田鶴浜を何度か往復する中で、「みなさんでどうぞ」とお渡しする京都みやげがやや固定化してきていたのが少々気になっていたこともあり、これまでとは異なるものを、と考えた結果である。学問の師である渥美公秀先生は、かつて「渥美君、1つのフィールドについて語るには10年はしっかりと向き合わなければならないよ」という助言が寄せられたとのことである。そんな渥美先生から、ご退職が近づいてきた新潟県中越地震から20年を迎える中で、「山口君、この先、定年まで見届けていくフィールドがもう1つくらいできるのでは?」と投げかけられた私は、恐らく田鶴浜がそのフィールドとなるのだろう、という思いを抱きつつ、サバティカル初日を迎えている。