ブログ内検索

2026年4月11日土曜日

モヤモヤの世界に踏み込むということ

今日は朝に田鶴浜を出て、京都大学吉田キャンパスで開催された「岡田憲夫先生の八十路への挑戦を共に祝う会」に参加した。岡田先生は京都大学防災研究所の所長も務められた研究者であり、私にとっては、鳥取県智頭町での地域づくりに関心を向ける中でご縁をいただいた存在でもある。特に、智頭町で「日本1/0村おこし運動(通称:ゼロイチ)」などの動きに触れていく中、現地のリーダーの一人である寺谷篤さんとの出会いを経て、私の師(渥美公秀先生)の師である杉万俊夫先生と岡田憲夫先生との協同的実践に関心を寄せていった。そして今日は、そうしたご縁の延長線上で、岡田先生ご自身の歩みと、その背後にある問題意識に直接触れる機会となった。

講演の中で繰り返し語られていたのは、「計画だけでは捉えられないこと」の存在であった。岡田先生は、かつて工学部の研究者として、統計や将来予測をもとに公共計画へ携わっていたものの、「このままでは未来はありません」と説明することしかできない自分に疑問を抱いたという。そして、地域の人々が肩を落として帰っていく姿を前に、「自分が間違っていた」と感じたことが、その後の実践へとつながっていったと振り返られていた。特に印象的だったのは、「行動は感情に先立つ」という言葉で、最初から完成された計画を求めるのではなく、小さく始めながら、出会いと実践を通じて変化を育てていくという発想が、智頭町での長年の取り組みを貫いていたことである。

その中で岡田先生は、「コミュニカティブ・スペース」という言葉を用いながら、人びとが出会い、語らい、共に動く場の重要性について語られていた。そこでは、教師と生徒が固定されるのではなく、「めだかの学校」のように、ある時は教え、ある時は学ぶ関係が生まれていく。また、PDCAサイクルのような管理型の枠組みだけでは、人は「できそうなこと」しかやらなくなるとも指摘されていた。むしろ、「どういう未来をつくりたいのか」という問いを共有しながら、小さな実践が波紋のように広がっていくことが大切であり、そのためには「量の成長ではなく質の成長」を支える関係性が必要なのだという。そして、それは地域づくりだけでなく、研究や教育にも通じる話であるように感じられた。

講演の最後、岡田先生は質疑応答の中で「モヤモヤの世界に入っていく感覚を持つこと」の重要性についても触れられていた。その際、既存の枠組みで捉えることを「システマティック」とするなら、自分の知らない流儀や価値観に触れていくことを「システミック」という観点で区別して説明されていた。具体的なイメージとして、ただ漂流するのではなく、時には「母屋」に戻りながら、自らの問題意識を鍛え直していく必要がある、と示しておられた。田鶴浜での滞在型フィールドワークを続ける中でも、計画通りに進まないことや、何を掴み取ればよいのか見えなくなる瞬間は少なくないが、だからこそ、まずは場に身を置き、人と関わり、共に動きながら考えていくことの意味を、改めて問い返された一日となった。



2026年4月10日金曜日

行動範囲が広がる

今日は行動範囲が広い一日になった。まず、朝は七尾駅近くのパン屋さんに足を運んだ。このところ、朝食をどう調達するかで、七尾市内のパン屋さんを巡っている。今日は朝6時から開いているお店に「サラダパン」を求めに行った。サラダパンと言えば滋賀県長浜市の長浜市のつるやパンが作っているコッペパンに沢庵が入ったものを想像するところだが、これまで回ったパン屋さんを田鶴浜地区コミュニティセンターのスタッフの皆さんにお話したところ、「ぜひ一度!」とお薦めをいただいたコッペパンにポテトサラダが入った品である。

日中は田鶴浜地区コミュニティセンターにて、いくつかの打ち合わせがあった。午前中には今後の田鶴浜地区の地域づくりについて、七尾市役所の地域づくり支援課との懇談の場に陪席させていただいた。そこでは、とりわけ3つの災害公営住宅群が田鶴浜町内に整備されることに伴って新旧住民との緊張関係が生まれることが懸念されることなどを投げかけた。今、第2・第4火曜日の午後は「タツルエ」での「出張ふらっとカフェ」のお手伝いをさせていただいていることもあって、何かお役に立てられれば、という思いもあって、である。加えて、たつるはま未来会議により、明治25年築とされる古民家の再生への準備も進めてきたところもあり、この1年の滞在のあいだ、またその後も含めて、まちに暮らす人たちの地域への愛着が喚起されていく手がかりがもたらされることを願っている。

午後は田鶴浜地区地域づくり協議会の新旧会長の意見交換に参加させていただいた。田鶴浜地域づくり協議会では、5月1日をもって新旧役員の交代がなされる予定となっている。加えて、田鶴浜地区では、この3月をもって地域おこし協力隊が離任した。これらに伴い、今後、どのような担い手を求めていくか、ということについて、ささやかながら私の見立てを述べさせていただいた。ちなみに現会長には、まちのコーヒーレストランにてランチをご馳走いただいた。

そして、夕方からは地域の神社の禰宜さんに、高岡方面に連れ出していただいた。まずは私がパンを求めているということもあって、パン屋さんにお連れいただいた。続いて、自家焙煎をされているコーヒー屋さんを訪れた。そして、フランスの家庭料理のお店と謳っておられるレストランで晩ご飯をいただいた。かつて、自転車を手にしたとき、その後バイクに乗るようになったとき、さらには車を運転するようになったとき、徐々に行動範囲が広がったことを想い起こしがら、新たなまちで暮らす中で広がる人間関係と訪問先を楽しむ一日になった。



2026年4月9日木曜日

さくらの花の咲く中で

「さくらの花の咲くころに」という歌がある。渡辺美里さんの名作アルバム「ribbon」の3曲目で、中学生の頃にはレンタル屋さんでダビングしたカセットで、後にはCD、さらにはiPodで、そして今でもよく聴いている一曲である。少なくとも私にとっては、美里さんによるサビのフレーズ「覚えていてね/想い出してね」と、TMネットワークの木根尚登さんによるメロディーが、いつの時期にも春の風情をありありと想起させてくれる。今日はそうして想い起こす春の風景に、新たな場面が増えた、そんな一日になった。

今日は午前中から午後にかけて、田鶴浜駅の装飾の続きを行った。これは昨年12月24日に、田鶴浜高等学校と立命館守山高等学校の生徒さんたちとの協働で行った活動の続きである。たつるはま未来会議が呼びかけたクラウドファンディングをもとにした活動で、被災建具のアップサイクルにより跨線橋を木の香りで満たそう、というものである。プロジェクトリーダーは革のお店「tasola」の高畑さんで、今日は田鶴浜ライオンズクラブで会長を務めた畑さん、また私の大学時代からの友人の谷内さん、さらには田鶴浜体育館の避難所の運営を2月から支えてきた越岡さんも参加した。

お昼はタツルエ1階の語ろう邸でいただいた。10時から行った用意した木枠へのはめ込みは15時過ぎには一段落となった。ちょうど16時ごろには、先日、4月4日に立命館大学石川県校友会でお目にかかった金沢市議会の稲端議員が珠洲からのお戻りの中で田鶴浜に立ち寄っていただいた。珠洲にはワーカーズコープ(センター事業団)の方々とお伺いになったようで、そのお二人にも、田鶴浜駅での装飾などをご覧いただけた。

そして夜には再び語ろう邸にて、タツルエの運営をサポートするメンバー「タツルエ倶楽部」の第1回の打ち合わせが行われた。語ろう邸は水曜日と日曜日が終日、また土曜日のランチがお休みである。そのため、それ以外の日に、古民家の土間部分を地域の方々の共有スペースとして開くためのお手伝いをするのが「タツルエ倶楽部」のミッションである。そのため、地域の7人が鍵を所有して、皆で共同管理をする、ということになった。私もその1本を持たせていただくこととなり、打ち合わせの後の食事会では、私の歓迎会という位置づけでご招待をいただき、ありがたくお招きに預かることとした。



2026年4月8日水曜日

いきつけのお店

能登での暮らしが始まって1週間が経った。これまでは通う場所だったまちに住むようになって、時間の過ごし方やまちの見方も少しずつ変わってきた気がする。特に食事をどうするかは、小さくとも楽しい悩みである。もちろん、体調を整える上でも重要な問いでもある。

今朝は七尾駅近くにある「うどん山口」でいただいた。過去の写真を遡れば、最初に訪れたのは2024年11月3日のようである。オープンは2024年4月のようで、11月の段階でも1玉250円で提供されていた。今は1玉280円となったが、そうした値段はさておき、またプレハブの店舗という外観に囚われることなくセルフ式でのうどんを一度でも食べれば、誰でもその味に満足するであろう。

実は4月3日の朝も、こちらでいただいた。学生たちと通ってきたので、スタッフさんには何となく顔も覚えていただいたが「1年間住みますので」と伝えると、相当驚かれていた。今日は先週おいしくいただいた後に「また来ますね」と約束をしてから、1週間を待たずの再訪となった。何度となく訪問をしてきたお店も、一時的ながら住民として訪れると、少なくとも訪れる側の私の気持ちには小さな変化があった気がする。少なくとも、「行きつけのお店」として紹介できるお店になっている、という実感が沸いてきているのは確かである。

ちなみに京都で長く暮らしてきた中で、「いきつけの映画感、作りませんか?」というキャッチコピーに触れてきた。これは四条烏丸の「COCON KARASUMA」3階にある「京都シネマ」が掲げるフレーズで、私は2004年の開業時にプレミアム会員を募集する呼びかけに応えさせていただいた。なかなか「いきつけ」と言えるほど通えてはいないものの、同じ作品を鑑賞するなら京都シネマで、という思いで足を運ばせていただいている。この1年、「うどん山口」に並んで、2024年1月以来、何度も足を運んできた「どんたく生鮮市場和倉店」もまた「いきつけのお店」の1つとなり、夕方には足を運んだ次第である。



2026年4月7日火曜日

ご縁に恵まれる日々

今日の田鶴浜地区コミュニティセンターの朝礼では、昨日の「ライトアップは突然に」の報告をさせていただいた。実は昨晩、片付けの後に山口進会長と「語ろう亭」にて、小さな打ち上げも行っていた。ランチも「語ろう亭」だったため、2食連続で「語ろう亭」にお世話になった。ところが、今日もまた「語ろう亭」で昼と夜のご飯をいただくことになるとは、朝の段階では想定していなかった。

今日は14時から出張「ふらっとカフェ」が「語ろう亭」が入っている古民家「タツルエ」で開催される日だった。2025年7月に、田鶴浜地区コミュニティセンターの生活支援コーディネーターの方が始めた「ふらっとカフェ」は、14時から16時までの2時間、予約不要で参加できる交流サロンである。ただ、それまで担当されてきた生活支援コーディネーターの方が2026年3月をもって退職されたこともあり、今年度は第1木曜日と第3木曜日は田鶴浜地区コミュニティセンターにて、そして当面は第2火曜日と第4火曜日に出張版を、手探りの中で継続がなされている。そして、この出張版については、せっかく私が田鶴浜で滞在型のフィールドワークをさせてもらっているということもあり、4月からのタツルエでの開催にあたっては、私も運営に携わらせていただくことを申し出た。

そんなこともあって、今日もまた「語ろう亭」でのランチとして、そのままカフェのセットの運搬と設営を担わせていただいた。タツルエに向かう前には田鶴浜体育館に寄って、昨日お借りした投光器をお返しし、あわせて現場の様子も報告させていただいた。ランチには、学生時代に田鶴浜体育館の避難所運営を手伝ってくれた七尾市出身の若手も誘い、あわせてカフェのマスター役も担ってもらうことにした。ちなみに彼は田鶴浜体育館でも「はまカフェ」の運営を担っていたため、図らずも田鶴浜での交流の場に関わり続けることになった。

今回、新年度1回目の出張「ふらっとカフェ」は5名の参加、7杯という結果になった。決して多い参加者ではなかったものの、継続への第1歩となったのは確かであり、それ以上に、参加いただいた方から5月31日に羽咋にて本州初となるトキの放鳥の情報を教えていただいた。ちなみに今日の晩ご飯は和倉温泉駅近くのスーパー「どんたく」で購入し、和倉温泉総湯に入ってから戻る予定だった。しかし、昼のカフェ企画への協力のお礼にと「語ろう亭」に一言お礼に立ち寄ったところ、「残り物でよければ」と、お魚とロールキャベツ、そしてご飯とお味噌汁のセットをいただくことになり、なんとも、皆さんのご縁に恵まれている日々である。




2026年4月6日月曜日

つぶやきからのライトアップ

今、間借りをさせていただいている場所から、徒歩3分ほどでコンビニエンスストアがある。今日の朝は、昨晩、この地域の神社の禰宜さんからおすそわけをいただいたものと、コンビニエンスストアで調達したあたたかいものを組み合わせることにした。そして、やや贅沢な朝ご飯をいただいてから、和倉温泉の総湯で朝風呂をいただいた。ただし、あいにく総湯の隣のパン屋さんは今は8時開店となったので、昼食は別の何かにすることにした。

このところ、日中は田鶴浜地区コミュニティセンターにデスクを用意いただいているが、平日は8時30分から朝礼があるということで、このところ連続で参加させていただいている。今日の朝礼では、田鶴浜の吉田(よした)にある吉田川沿いの道、通称「ほたるロード」の桜が話題になった。田鶴浜の中でも吉田が位置する相馬地区には、2004年に旧田鶴浜町が七尾市と合併するまで相馬小学校があったものの、金ヶ崎地区の金ヶ崎小学校とあわせて旧田鶴浜小学校と合併し、現在の田鶴浜小学校に新生されることになった。そして、この「ほたるロード」には、統合の1年前、当時55人が在籍していたことも踏まえ、1本1本にこどもの名前を付けた55本の桜が植えられ、地域の方の協力もあってさらに55本、計110本の桜が約1kmにわたって植えられている。

今日は朝礼で山口進会長が「ライトアップできたらいい」とつぶやいたことをきっかけに、夕方に試験点灯がなされることになった。まずはランチを「語ろう亭」でいただきながら構想を練り、続けて昼からは「藤澤邸」の漏水調査に立ち寄り、そして「ほたるロード」の現地調査に赴いた。かつて吉田では夏に蛍が訪れていたことにちなんで、秋から冬にかけて「吉田ほたる遊び実行委員会」が15,000個のLEDで彩っていたという。そこで、実行委員会で率先して動いていた長尾さんのお宅などにもお邪魔して、桜のライトアップへの知恵と絞ることにした。

結果として、田鶴浜地区コミュニティセンターが持っているLEDの投光器3つ、そして田鶴浜スポーツクラブ事務局の長田さんのハロゲン投光器とLED投光器を1つずつ、合計5灯で西下バス停の桜を下からライトアップすることになった。あいにく、明日の天気が雨ということもあって、17時30分ごろから20時ごろまでのわずかな時間の点灯に留まったが、約10人ほどが車を降りて、幻の風景をカメラに収めて行かれた。そして最後、偶然の産物として、照らされていない並木に向かって軽トラックのヘッドライトがハイビームにして向けられたことで、あたかも1kmのライトアップが試されたような写真も撮影された。私の学外研究期間は終了しているものの、来年のライトアップがどうなるか、少なくともこうして動く人々がいるまち、しかも吉田の桜は「アカネちゃんが小5の時だから、○年前ね」といった具合にお互いをよく知る人たちがいる田鶴浜なら、きっと何か素敵な動きが起きているのではなかろうか。


2026年4月5日日曜日

パンとラブレター

このところ、朝食はパン食の傾向にある。3月末、復興のその先のまちづくりを展望するために、田鶴浜の皆さんと富山県南砺市の井波地区を訪れたことが影響している。井波では、空き家を活用しながら、「こんな人がいたらいい」「こんなお店があったらいい」という思いを起点に移住者を募ってきた「ジソウラボ」の取り組みを伺った。その最初の呼びかけが、「おいしいパンを井波で食べたい」というものだったという。

今の田鶴浜にはパン屋がないということも重なって、4月1日から、田鶴浜に隣接する和倉地区から七尾市内へと少しずつ足を伸ばして、好みのパンを探し当てようとしている。今日は七尾市中心部に近い店で焼きたてのパンをいただいた後、そのまま奥能登・輪島市の町野町へ向かった。目的はNHKの夜ドラ「ラジオスター」の演出を務める一木正恵さんの講演会の聴講で、13時からの講演会の前には「ラジオスター」の上映が11時からと12時からの2回、催されていた。12時からの上映を鑑賞した後で聴講した講演は「『まれ』から『ラジオスター』へ」というタイトルのもと、能登との関わりの始まりから、震災後の向き合い方、そして作品に込めた思いへと展開していったご経験を踏まえ、能登の人びとの暮らしのあり方に対する驚きと、地域の歴史と文化、さらにはそれらを継承している人々への敬意が語られた。

一木さんは今回のドラマを能登への「ラブレター」として構想されたものだと語られていた。朝ドラ「まれ」に携わった際に効率や評価とは別の軸で営まれる暮らしに触れ、特に奥能登の方々が自分たちの生活が成り立つ範囲で手を動かし続ける姿勢に、ご自身のものづくりのあり方も問い直すことができたとのことである。それから約10年、一木さんは令和6年能登半島地震での発災直後、報道として現地に入りを志願した中で、短い時間ではどうしても「助けてほしい」という側面ばかりが強調されてしまうことを痛感したという。そこでエンターテイメントとしてのフィクションを通じて笑いを主軸に置いて、能登に対して物理的・精神的に距離がある人にも「ある街」の営みを伝え残そうした、という流れが印象に残った。

講演の後、せっかくここまで来たのだからと、これまで訪れてきた場所を辿ることにした。2024年、2025年と足を運んできた曽々木海岸、珠洲の真浦、そして白米千枚田を抜けて輪島朝市の界隈を訪れた後、さらに富来を経て、田鶴浜へと戻った。発災前の姿を知らない場所がほとんどであるものの、時間をおいて一度訪れた場所を再訪することで、それまでの自分がどう生きてきたかを見つめ直す手がかりを得ることができる気がしている。特に阪神・淡路大震災では、発災時に生まれていなかった未災者に震災を追体験する学習手法として定点撮影の活動に取り組んできたが、そうした教育実践についても「ラジオスター」の初回放送を能登で見届ける中で、きちんと整理したいと決意した一日になった。

※講演会の冒頭「ぜひ撮影して、皆さんに(ドラマを、そして能登を)紹介して!」と案内

2026年4月4日土曜日

洗って浸かって交わって

田鶴浜での滞在型のフィールドワーク、初の週末である。常々、デスクワークの環境で使わせていただいている田鶴浜地区コミュニティセンターは土曜開館であるものの、指定管理者である田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局執務室は閉じている。そのため、もう一つの間借りの拠点、タツルエで午前中を過ごさせていただいた。タツルエには共用スペース「まち土間」があるためである。

朝食は前夜に「タツルエ」の1階に入居されている居酒屋「語ろう亭」で卵巻きといなり寿司を調達させていただいていた。震災で閉業となった地元の寿司屋さん、大黒寿司さんにお願いして、金曜日のランチにあわせて語ろう亭で提供されている品である。曜日が限られている上に限定数(通常12個)の提供ということもあって、目にしたら選ぶ、というのが得策のように思う。1巻で10個とのことで、今回は卵巻き4個といなり寿司3個のセットを選択して、1回で2つの味わいを楽しませていただいた。

お昼前からはコインランドリーに出かけた。2017年、デンマークでの学外研究時にはコインの調達に難儀したことを思い出した。今回、常々そばを通る中でその存在を承知していたコインランドリーに行くと、アプリの利用で現金以外の決済ができることを知った。店内にはWiFiも整備され、さらには洗濯・乾燥の終了時間の通知はもちろん、そもそも空き状況と運転状況が予め確認できることがわかり、隔世の感を覚えた。

コインラインドリーが終わるまで、和倉温泉の総湯に浸かってリフレッシュをすることとした。また、どんたく生鮮市場和倉店で買ったパンで軽いランチに続いて、夜は金沢での立命館大学石川県校友会の4月例会にお邪魔させていただいた。二地点居住状態ながら、2025年3月にお会いしていた石川県校友会の西村和也会長からお誘いをいただいたためである。懇親会の前には立命館大学校友会未来人財育成による奨励金で支援された団体「PAK PAK」の活動紹介が設定されていたものの、強風などの影響によるダイヤの乱れのため、順番を入れ換えつつも短い時間での報告となった。



2026年4月3日金曜日

惜別の生花コーナー

田鶴浜での滞在型のフィールドワークを始めて最初の週末である。4月1日から3日間が過ぎただけだが、京都と能登を往復してきた45回とは異なった時間の流れに身を置いている気がする。1日は元データが見つからない案内状をMicrosoft Wordのファイルに起こすことから始まり、「ふらっとカフェ」再開への打ち合わせ、マットレスの搬入、さらには今後の取り組みの軸となる築150年ほどの古民家の公費解体完了の立会と続いた。昨日は午前中に読売新聞能登支局からの取材対応、そして田鶴浜地区コミュニティセンターでの「ふらっとカフェ」の新年度初回開催のお手伝いをさせていただいた。

今日は午前中と午後に2つのオンライン会議があった。午前中は昨年度にコーディネーターとして携わった防災・減災をテーマとしたリスクマネジメントに関する講座について、午後はある学会の論文賞の選考にかかる打ち合わせだった。いずれもZoomミーティングでの開催であった。便利になったものである。

そのZoomというサービスを2016年に教えてくれたのが、大学時代からの盟友の一人、谷内博史さんである。谷内さんとのご縁は、東日本大震災の後に立命館の百年史編纂室が企画した座談会の記事(「阪神・淡路大震災」と学生ボランティア活動)として、立命館百年史紀要第20号に収められている。その後の活動についても、大阪ガスのエネルギー・文化研究所による研究会記録(地域参加を通じた学びのコミュニティづくりに携わって~教育災害や学習災害をもたらさないように~)で収めていただいた。そもそも、私がこの1年を田鶴浜で過ごそうと思うようになったのは、令和6年能登半島地震の発災直後、七尾市の能登島地区で暮らしていた谷内さんを尋ねていったことがきっかけになっている。

今日は谷内さんに誘っていただいて長めのランチを能登島でいただいた。かつては能登島大橋のたもとで営業されていたものの、同じ能登島内の閨(ねや)にある民宿で仮営業されている店舗に連れて行っていただいた。またの再会を誓いつつ、17:15の田鶴浜地区コミュニティセンターの執務時間終了後に訪れた和倉温泉駅近くのスーパー「どんたく生鮮市場」に訪れて、七尾花正さんによる生花コーナーが2月で閉じたことを知った。「パンとバラ」の逸話ではないが、生存のためのよすがだけでなく、生活をよりよく保つための手がかりもまた求められる中で、復興への道のりが進められていけばと願っている。



2026年4月2日木曜日

まちの用務員

田鶴浜地区コミュニティセンター、略してコミセンにお世話になって2日目、今日は交流サロン「ふらっとカフェ」が開催された。3月5日にコミセンで開催されていた場にお邪魔した際、昨年度まで担当されていた生活支援コーディネーターの方が退職されると伺った。そして、次年度の開催は未定とも伺った。コミセンではキッズサロンも開かれていることから、多世代交流の機会にもなっているため、何らかのかたちで存続して欲しいと願っていた。

結果として、まずは田鶴浜地区地域づくり協議会の事務局スタッフが担当となり、第1と第3木曜に継続されることが決まったとのことであった。ところが、この「ふらっとカフェ」は、「出張」バージョンとして、地域に出て行く取り組みも行われていた。例えば3月5日のコミセンでの開催の後は、3月10日に「タツルエ」で開催されると案内されていた。「タツルエ」は2025年7月にオープンとなった古民家再生物件である。1階には田鶴浜体育館の避難所にて1日「1時間・2杯まで」と限定して開かれていた交流の場「語ろう亭」が、常設の居酒屋として入居している。

今回、私が1年間にわたって田鶴浜にて滞在型のフィールドワークの展開するにあたり、この「ふらっとカフェ」の出張版を再開する一助になれば、と考えた。そのため、新年度1回目のコミセンでの「ふらっとカフェ」をお手伝いさせていただいた。再開の一助に、と言いながらも田鶴浜を不在にしている日もあるため、避難所となった田鶴浜体育館の運営補助にあたっていた当時の学生ボランティアの助けを借りることにした。ちょうど彼が実家のある七尾市に戻り、実家のお手伝いなどにあたっていることもあり、余裕があればこちらも手伝って欲しい、と投げかけたのである。

ちなみに私はコミセンにいるあいだはエプロンをつけることにした。そして、最初が肝心ということで、昨日からデニムのエプロンを着けて館内で過ごしている。今日はカフェということもあり、このコスプレのような姿勢がサロンの雰囲気とそれなりに合っていたようである。ただ、喫茶店のマスターというよりも、まちの用務員さんのように皆さんのちょっとした何かをお助けできれば幸いである。



2026年4月1日水曜日

こころばかり13個

2026年4月1日、今日から1年間、仕事と暮らしの環境が大きく変わることになった。2017年度に続き、2回目となる学外研究期間を得たためである。いわゆるサバティカルと言われるもので、日本語では研究休暇などとも言われている。そのため、この1年間は授業担当から外れ、研究に専念しなければならない。

研究に専念するにあたって、京都大学防災研究所の松田曜子先生に受け入れていただき、教育機関研究員(私学研修員)という立場をいただいた。そして、石川県七尾市田鶴浜地区において、滞在型フィールドワークを展開させていただくことにした。令和6年能登半島地震から2年が経った今、復旧から復興へ、そしてその先のまちづくりを展望する時期にある。同時に、発災から3年は、かつて阪神・淡路大震災で被災された100人を対象として「復興曲線」の手法により調査をした結果、発災時よりも心理的に深い落ち込みに浸る「復興感の二番底」を迎える時期でもある。

サバティカルの初日の朝8時30分、私は田鶴浜地区コミュニティーセンターの朝礼に参加させていただいた。今回、サバティカルの期間に田鶴浜での滞在型のフィールドワークを行う、ということを受けて、田鶴浜地区地域づくり協議会の会長・事務局長のお取りはからいのもと、当面のデスクワークの場所に、と、コミュニティセンターの執務室の一角に机を提供いただけることになったためである。そこで、会長・事務局長のご厚意に甘えるだけでは失礼と考えて、改めてスタッフの方々にご挨拶をさせていただくこととした。この2年あまりのあいだにも、既に何人かのスタッフの方々と顔なじみになってきたものの、改めてスタッフ全員のお名前やお仕事の内容に触れることで、復興に貢献したいという思いがより高まった気がしている。

今日の朝礼での挨拶とあわせて、「こころばかり」の熨斗が巻かれたお菓子を13個、つまり13人分用意させていただいた。田鶴浜を何度か往復する中で、「みなさんでどうぞ」とお渡しする京都みやげがやや固定化してきていたのが少々気になっていたこともあり、これまでとは異なるものを、と考えた結果である。学問の師である渥美公秀先生は、かつて「渥美君、1つのフィールドについて語るには10年はしっかりと向き合わなければならないよ」という助言が寄せられたとのことである。そんな渥美先生から、ご退職が近づいてきた新潟県中越地震から20年を迎える中で、「山口君、この先、定年まで見届けていくフィールドがもう1つくらいできるのでは?」と投げかけられた私は、恐らく田鶴浜がそのフィールドとなるのだろう、という思いを抱きつつ、サバティカル初日を迎えている。