研究に専念するにあたって、京都大学防災研究所の松田曜子先生に受け入れていただき、教育機関研究員(私学研修員)という立場をいただいた。そして、石川県七尾市田鶴浜地区において、滞在型フィールドワークを展開させていただくことにした。令和6年能登半島地震から2年が経った今、復旧から復興へ、そしてその先のまちづくりを展望する時期にある。同時に、発災から3年は、かつて阪神・淡路大震災で被災された100人を対象として「復興曲線」の手法により調査をした結果、発災時よりも心理的に深い落ち込みに浸る「復興感の二番底」を迎える時期でもある。
サバティカルの初日の朝8時30分、私は田鶴浜地区コミュニティーセンターの朝礼に参加させていただいた。今回、サバティカルの期間に田鶴浜での滞在型のフィールドワークを行う、ということを受けて、田鶴浜地区地域づくり協議会の会長・事務局長のお取りはからいのもと、当面のデスクワークの場所に、と、コミュニティセンターの執務室の一角に机を提供いただけることになったためである。そこで、会長・事務局長のご厚意に甘えるだけでは失礼と考えて、改めてスタッフの方々にご挨拶をさせていただくこととした。この2年あまりのあいだにも、既に何人かのスタッフの方々と顔なじみになってきたものの、改めてスタッフ全員のお名前やお仕事の内容に触れることで、復興に貢献したいという思いがより高まった気がしている。
今日の朝礼での挨拶とあわせて、「こころばかり」の熨斗が巻かれたお菓子を13個、つまり13人分用意させていただいた。田鶴浜を何度か往復する中で、「みなさんでどうぞ」とお渡しする京都みやげがやや固定化してきていたのが少々気になっていたこともあり、これまでとは異なるものを、と考えた結果である。学問の師である渥美公秀先生は、かつて「渥美君、1つのフィールドについて語るには10年はしっかりと向き合わなければならないよ」という助言が寄せられたとのことである。そんな渥美先生から、ご退職が近づいてきた新潟県中越地震から20年を迎える中で、「山口君、この先、定年まで見届けていくフィールドがもう1つくらいできるのでは?」と投げかけられた私は、恐らく田鶴浜がそのフィールドとなるのだろう、という思いを抱きつつ、サバティカル初日を迎えている。
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