ブログ内検索

2014年9月2日火曜日

サンガメンバーと檀家の違いに見るもの

ニューヨーク滞在の2日目は、ニューヨークの中心部から少しはずれたところにある天台宗のニューヨーク別院にお邪魔した。場所で言うとコロンビア郡となる。応対をいただいたのは、聞真ネエモン住職(Ven. Monshin Paul Naamon)と、妻のShumonさん、そして日本から修行僧として2年前にやってきたアシスタントのKyoshoさんである。また、総代のPeterさんとDavidさんも顔を出しておられた。

このお寺(慈雲山天台寺)が開かれて今年で21年になるという。Naamon住職は千葉のお寺と比叡山に学び、比叡山の風景に重なるこの地でお寺を開くことにしたとのことだ。もともと馬小屋だった建物をセルフビルドで改築し、坐禅のための場所をつくったという。最初の6年は細々と活動をしていたが、その後、天台宗の海外普及事業団から連絡が入り、視察の上で「別院」にという提案が寄せられたことで、今の形になったと説明いただいた。言うまでもなくクリスチャンが多いニューヨークだが、この地域は(チベット仏教、韓国仏教、日本仏教、創価学会、立正佼成会など合わせると)仏教者の比率が高い地域とのことだ。

そうした中、Naamon住職からは、日本と米国とではお寺のあり方に2つの違いがあると説いていただいた。一つは墓や納骨など家単位でのシステムをもとにしていない点、もう一つは先祖の供養を通じた関わりは行われずに個々のライフイベントへの関わりを求められている点である。Naamon住職のお話は、Shumonさんが「行間」を含めて通訳をされたのだが、そのお言葉を借りるなら「日本で言うところの神道と仏教を融合させたような感じ」であるが「ちょうどキリスト者が洗礼やミサにやってくるようにお宮参りや結婚式や地鎮式を頼まれる」とのことだ。加えて、いわゆるホスピスチャプレンのように、死に向かう人々のもとでお話をする、そうした取り組みも行われているという。

そのため、Naamon住職は、お寺に集う人々を「檀家」ではなく「サンガメンバー」と表現する。サンガとは仏教において衆生が帰依すべき3つの宝(三宝:仏、仏の教え〔法〕、教えを大切にする仲間〔僧〕)のうちの一つ(僧伽)だが、仏教は一人ひとりがいい人生を送る(to follow better life)ことができるよう、寛容(tolerant)で平穏(peaceful)で包容力がある(not exclusive)ゆえ、サンガメンバーも、それぞれに信仰がある(カトリック、ユダヤ、ムスリム、人によっては無宗教という人も)という。それでも共に信じ支え合う仲間の関係が成り立っているのは、毎週水曜日に瞑想の会(食事を持って集まり、最初はディスカッション、その後に勤行と坐禅、そして夕食会、全体で3時間ほど)で時間と空間を共有しているゆえ、と解く。転じて「日本のお寺では年末年始やお盆やお彼岸など、年に数回しかお寺に集っていないのではないか」という指摘しつつ、お寺が地域コミュニティのインターフェースになるには、「改宗を望んで接するのではなく、対話を通じて教えを伝えていく」という仏教者の姿勢が大切と、渥美公秀先生による協働的実践の論理を使うなら、「布教とは言わない布教」の実践を垣間見る一日となった。

2014年9月1日月曜日

1日6食となる日

私にとっての2014年9月1日は、一日6食をいただく日となった。ストレス食いではない。日付変更線をまたいでの旅に出たのだ。出発前の日本時間での食事に加え、搭乗後に出される機内食をいただくため、合計で6食を取ることになるのである。

今回は9日に帰国という8泊9日の米国への旅だ。振り返ると、米国の本国に行くのは2002年以来になる。今年度、立命館大学研究部による研究推進プログラム(若手研究)において「悲嘆の受容と伝承の方法論に関する研究」というテーマで支援をいただいたので、そのフィールドワークとして足を向けることにした。最大の関心は、2014年4月に開館した「9.11記念館」への訪問である。そこでは、いかにして当事者による語り直しの場づくりが行われているかに視座を置くことにしている。

昔と違って、関西からのアメリカ東海岸へのアクセスはあまり良くなく、今回は成田経由の便での渡米となった。ユナイテッド航空の運行による便とあって、事情をよく知る方にとっては想像のつくように、機内食や機内サービスでは、あまり盛り上がらない。それでも、出されたものは残さずにいただく旅路である。ふとそう思ったら「太陽にほえろ!」のラガー刑事が思い浮かんでしまった。

無事にニューヨークに到着し、タイムズスクエアのホテルにチェックインした後、長い一日の最後の食事はKorean Wayにあるベジタリアン向けの韓国料理店でいただいた。案内してもらったのは大学時代の旧友で、昨年に一児の母となった奥さんである。ろうそくの灯りが置かれた掘りごたつ式のテーブルで食事を共にする中で、ニューヨークに住み、働く中で、改めて日本に寄せる思いがあることを知った。3時間ほどの再会であったが、2回目の晩餐のうちの地上編として、この4日間のニューヨーク滞在の「ツボ」(食事やオフタイムのスポット)を得ると同時に、共同での論文執筆への可能性も生まれた充実のときであった。