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2015年1月9日金曜日

オートとマニュアル、デジタルとアナログのゆらぎ。


 久しぶりに移動の多い一日だった。朝はガソリンスタンドで給油、その後ヨドバシカメラ京都へお買い物、そしてそそくさと昼食をとって立命館朱雀キャンパスへ向かった。災害復興支援室の事務局会議がほぼ定時で終わると、エレベーターホールで広報課の職員さんと日程調整をして、急いで立命館大学びわこ・くさつキャンパスから程近い滋賀県社会福祉協議会へ向かった。1時間程度の打合せを終えると、翌日に迫った岩手行きの準備でモンベル京都、動物病院、さらに立命館大学衣笠キャンパス、とわたり歩いたのだ。
 余裕がないときこそ、車か公共交通機関か、移動手段に悩む。当然のことながら、公共交通機関で移動した方が、移動中に作業を進めることができる可能性がある。しかし、座れなかったときには、全く作業は進められず、むしろ風邪などをひくリスク、さらには車内の騒音で気疲れする可能性が高い。そんなことを考えてしまうようになり、最近は(もちろん、運転に求められる注意は払うのは当然として)無心になる、深酒を避ける、そういった観点から、あえて車で移動することが増えた。
 ちなみに仕事ではマニュアルが嫌いだが車はマニュアル車で、仕事にはデジタルな機材を用いるが趣味にはアナログな機材を好んでいる。メカ好きでモノフェチなのだ。ただ、そうしたメカやモノへの思いは、身体感覚から切り離されたものではない。むしろ、皮膚感覚というか、自らの活動のリズムと合うものによって、長く使っていきたいと愛着が湧いていく。
 今日は久しぶりに自分の身体感覚に合うモノのために、買い物に出かけた。リバーサルフィルムである。しかし、高校時代に水越武さんの写真に出会って以来、15年あまり愛用してきたコダクロームは2009年に販売が終了している。明日から應典院ではコモンズフェスタの後半戦だが、私は悩んだ末、初めて使う「プロビア100F」を携え、岩手県久慈市を初めて訪れる。

2015年1月8日木曜日

贔屓のメーカーで好みのスタイルを


 モノフェチという自覚がある。多趣味ということも重なって、年を重ねるごとにモノが増えてきた。それでも、自宅と職場の引っ越しを経て、少しずつだが、モノを減らしつつある。思い出の詰まったものも多いのだが、思い出を平面に封印するかの如く、写真に遺してから手放し始めている。
 スティーブ・ジョブズもまた、モノへの相当なこだわりがあったという。ウォルター・アイザックソンによって著された伝記には、自宅の家具を選ぶのに8年を費やした、といった挿話が紹介されている。また、普段使いのものも、イッセイミヤケの黒のタートルネックに、ボトムスはLevi'sの501、目にはドイツ・Lunor社のClassic Roundのアンティークゴールド、足元はニューバランスのM990(992)、という具合に選び抜かれていたことはよく知られている。いわゆるライフハックと呼ばれるような、ちょっとした仕事術をまとめたウェブなどでは、facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグも毎日同じTシャツを着ているというが、それは「できるだけ決断の数を少なくしたい」からだという。
 今日、新しい靴をおろした。ザッカーバーグほど無頓着ではなく、ジョブズほど偏執ではないが、贔屓にしているメーカーや、好みのスタイルがある。例えば、眼鏡は眼鏡研究社、ボトムスはWranglerのドレスジーンズ00082、革靴はtrippen、という具合である。一時期はmade in Japanにこわだわってオニツカタイガーなどを選ぶなどしてきたが、気付けば一番の仕事道具であるコンピュータがAppleということで、それを貫くことはできないという壁にぶち当たってしまった。
 今日おろしたのは、いつもと変わらない黒の靴、しかしスニーカーである。後に知ったtrippenもそうであるように、こだわりの靴づくりの歴史を持つメーカーであることにひかれて、大学時代に愛用していたニューバランスを久しぶりに選んでみた。時折、雨に降られる京都だったが、新しい靴は甲が高めの私の足を絶妙に包み込むものだった。今日は朝から立命館大学衣笠キャンパスでサービスラーニングセンターの会議、その後新春ランチ、そして夜は京都シネマの支配人の横地由起子さんと歓談、という具合だったが、誰にも新しい靴に気づかれなかったので、スニーカー記念日として記しておくことにしよう。

2015年1月7日水曜日

「わかる」と「かわる」


「場に正面があるという空間は珍しいのではないか。」今日は朝から應典院で年始のお勤めがあった。冒頭の発言は秋田光彦住職の講話の一節である。宗教空間において御本尊を前に皆がお念仏を唱えることの意味について、逆に生活空間では「テレビの方を向いて集う」といった間の取り方に注意を向けてのお話だった。
 應典院でのお勤めの後、大学での講義の前に今年最初の英語のレッスンに向かった。今、通っているクラスではInternational New York Timesの記事をテキストに語り合うこととなっている。今日のテーマは米国の裁判制度における検察と警察の関係についてであった。昨年7月のニューヨーク州Staten Islandでの事件(違法タバコを販売していたとして捕らえ、窒息死)、8月のミズーリ州Fergusonでの事件(警察の指示に従わなかったと、射殺)、9月のノースキャロライナ州Charlotteでの事件(交通事故で近隣住民に助けを求めようとしたものの強盗と間違えられ、射殺)と、相次いで警察が故意故殺とされていく背景が扱われた。日本でも刑事事件に裁判員制度が導入されて久しいが、刑事と民事とも扱われる点、有罪か無罪かの評決のみ(量刑は扱わず、司法取引があることも一因だろう)を行う小陪審、起訴か不起訴かを評決する大陪審など、Tad先生の絶妙な進行もあって、内容の理解が深まった。
 英語を学んだ後は、立命館大学びわこ・くさつキャンパスでの「現代社会のフィールドワーク」の講義に向かった。この2ヶ月ほど重ねたフィールドワークの発表の回だった。5つのチームに分かれ、「人はなぜタバコを吸うのか?」、「なぜ関西人はノリがいいのか?」、「BKCの設備はどのように決まっているのか?」、「なぜ男性もKAWAIIと言われるようになったのか?」、「日本人は小心者か?」といったテーマを掲げてのフィールドワークがなされてきた。多様な人々に尋ね、映像も用いて実験がなされ、関係者に直接ヒアリングを行い、仮説を鍛え上げ、諸条件を変えて複数の調査を重ねるなど、精力的な動きからもたらされた結果を分かち合うことができた。
 この講義では脳味噌で理解する(understand)ことと経験的に実感する(realize)こと、2つの「わかる」を重ねて欲しいと伝えてきた。頭と身体、あるいは熟慮と脊髄反射、そうして理解と実感を重ねることで、結果としてある場面に対する行動様式を習得することができると考えたためである。ちなみに『「わかる」ことは「かわる」こと』という書物(養老孟司・佐治晴夫、河出書房新社、2004年)もある。脳味噌で考えているうちは、まだまだ「腑に落ちる」「膝を打つ」段階まで至っていない、そんなことを朝から考え、夕方には学生らの学習成果から感じる、そんな一日だった。

2015年1月6日火曜日

質の高いLifeのために


 今年に入って「これだけはやめよう」ということを1つ決めていた。それは近距離のタクシー移動である。このところ時間を買う感覚でタクシーに頼ることが多かった。しかし、時間に余裕を持ってバス等で移動し、目的地の近くでコーヒーを飲むなどした方がよほど質の高い仕事ができると考えたためである。
 新年から6日、自分に課した「近距離タクシー禁止令」は、早くも崩れ去った。今日は朝から立命館大学の朱雀キャンパスで1月より着任の新総長、吉田美喜夫先生に立命館災害復興支援室のブリーフィングを行うことになっていた。終了後、衣笠キャンパスに向かって講義2コマという予定だったが、なかなかの手ごたえを感じることができたことも相まって、説明要員を担った災害復興支援室の事務局スタッフの皆さんと共に昼食をいただくことにした。そのため、慌ただしい移動となり、タクシーを使わざるを得なかったのである。
 慌てて衣笠キャンパスに向かわねばならなかったのは、3限の「地域参加学習入門」で、NPO法人サリュの皆さんをゲストにお迎えしたためだ。今回はスタッフの瀬端さんとメンバーの大西さんにお越しいただいた。講義後に回収したコミュニケーションペーパーと呼ばれている感想・質問の用紙を見てみると、精神障害、作業所、それらの存在を知らない学生もいた。何気なく目にしている人々が目には見えないしんどさを抱えていることに想像力を巡らせていく手がかりを見出してもらえたら、と願っている。
 ちなみに私は「サリュに行くと生活にメリハリが生まれる」という大西さんのフレーズが印象的だった。QOL(Quality of Life)という概念が提示されて久しい。以前、立命館大学文学部のサトウタツヤ先生が、原子力災害の只中にある福島の方々にどう向き合っていくのかを考える際には、「Life」という一つの単語に、人生、生命、生活、3つの意味がある、ということに注意を向けよう、とお話されていた。そんな話を想い起こしながら、6限の「ソーシャル・コラボレーション入門」では生協購買部で売っていた福袋を配りつつ、「ニーズ」からの企画提案だけでなく「シーズ」からの企画立案もある、ということを説き、長い一日を終えた。

2015年1月5日月曜日

2015年の初仕事

長い休みが明け、今日から通常モードである。今年は4日まで、メールを返信しないという自己ルールで縛っていた。それでもタブレット端末で着信は確認していたし、完全にネットから離れていたわけでもない。それでも心なしか、ある種のストレスからは解放されていたように思う。
 2015年の初仕事は同志社大学大学院総合政策科学研究科の講義から始まった。5限の「臨床まちづくり学研究」である。ちょうど昨日、サンデーモーニングの新春特番でル・ボンの『群集心理』が取りあげられていたので、いくつかの題材を紹介しつつ、集団意思決定について迫ることにした。その後はリレー講義「コミュニティ・デザイン論研究」にオブザーバー参加した。
 この日のご担当、高田光雄先生のテーマは「コミュニティ再生と建築・居住文化」で、異なる価値観の共存が成り立っているのが「よい」まちであること、そのためのまちづくり組織では仕組みとして「タイトでオープンなコモンズ」ができていること、そのためには時間軸の視点を導入して「シナリオアプローチ」によるプロセスを重視する必要があること、この3点が説かれた。要約すれば、価値調整型のまちづくりでは、やがて互いの利害を巡って喧嘩となり、調整役が消耗する。一方で震災前から多くの取り組みを重ねてきたまちは、現在や過去の話ではなく将来像を語り合うことができるため、価値共有型のまちづくりが展開されていると捉えられる。これこそが熟考と議論を重ねた熟議(deliberation)であると、阪神・淡路大震災の際の100を越える復興まちづくり協議会の活動や、京都の姉小路界隈を考える会の活動を事例に示された。
 興味深かったのは、東日本大震災以降注目を集めたレジリエンスについて丁寧な解説がなされたことであった。高田先生によれば、最近はResilience(回復力)が変化した状況から回復することの大切さを指摘するために用いられているが、古くから都市計画等で言われてきた文脈になぞらえれば、予測困難な環境変化への対応としてRedundancy(冗長性)、Diversity(多様性)をを含んだ概念として捉えることが重要ではないか、とのことであった。これを踏まえた上で、計画論における「シナリオアプローチ」が、マクロレベルでは経済や人口や都市圏(すなわち、社会)が縮退化するという将来予測が困難な中で変化への対応力を強化し、ミクロレベルでは家族や価値観(すなわち、ライフスタイル)が多様化するという住民の行動の把握が困難な中での個人同士の相互理解を促すために実施される上で妥当となる、と語られた。終了後は焼酎の品揃えが群を抜いている烏丸今出川の「一揆」にて、新川達郎先生や、このリレー講義のとりまとめ役の弘本由香里さん(大阪ガス株式会社エネルギー・文化研究所)や学生の皆さんと共に、価値の共存と共有の場をご一緒させていただいた。

2015年1月4日日曜日

幸せの辛さ

 同窓会から一夜明け、帰省も最終日となった。日付が変わるまでは飲まなかったけれども、14時から22時半まで、3つの場を渡り歩いた。何種類かのお酒をいただいたので、若干のダメージが残っての朝だった。ちなみに一次会ではジーンズの下に1枚仕込んでいたために、まるで土偶のような体型となり、その締め付けのきつさから、ほとんど食事を取ることが出来なかったことも、酔いの回りに影響しているだろう。
 高校卒業以来、地元を離れて暮らしているが、生まれてから18年のあいだ育ってきた故郷での時間よりも、関西で過ごした時間の方が既に長くなっている。そのため、ふと目が留まった風景をことさらに懐かしく思う場合や、あまりの変わりように驚く場面が多々ある。今日は母の実家に両親そろって年頭の挨拶に行くということで、帰る方向が同じということもあり、共にお邪魔した。この道中でも、変わらない風景と、変わりゆく風景、そして同じ変わる風景でも朽ちていく風景も目にしたのであった。
 母の実家では、母のきょうだいが集い、共に昼食をいただいたのだが、その場では程なく孫の話で盛り上がっていった。写真を見せ合い、それぞれが見聞きした物語を伝え合う場が生まれるのだ。 その流れとなれば、こどもがいない私の家族は自ずと話題に上りようがない。いくらか時間が経つと、気遣いも重ねられつつ、順番に我々の話にもなるのだが、なかなか辛い場である。
 連日の疲れも相まって、会食は中座を許してもらったものの、やはり何年経っても子は子である。子の幸せを願う気持ちは、それぞれに変わらない。結果として、弟夫婦からの洋菓子、いとこからの草餅、実家からは林檎、手作りの栗きんとんと梅酒とゆず酒、お歳暮のお裾分けのボンレスハム、そして地元の名店(竹茗堂)のウス茶糖、と大きめの不織布の袋いっぱいを携えての道のりとなった。袋の重さに親たちの思いを感じると共に、きょうだいやいとこの幸せをきちんと祝いきれているかと自問しつつ家路についた年始である。

2015年1月3日土曜日

密の一体感と疎の連帯感

 よりよい未来のためには、思い出に浸ることなく前を向け、といった格言を見聞きすることがある。確かに一理ある。だからと言って、まったく過去を振り返ることなく、それまでの人生を否定してしまう必要はないだろう。浸りすぎもよくないが、時に古き良き思い出に浸り、忘れていた何かを想い起こし、そのときには語り得なかったものを語りなおすことがあってよいはずだ。
 今日は高校卒業から約22年を経て、初めての同窓会が開催された。実は昨年も1月4日に同窓会が開催されたのだが、連絡窓口となった個人の名前が際立ち過ぎたようで、学年全体での会という位置づけが浸透しなかったようだ。しかし、今年は同級生(同じクラスの仲間)たちだけの盛り上がりではなく、何がなんでも同期生(同じ卒業年の仲間)で改めて縁を結びあわせる必要があった。それは40歳を迎える年に、学校全体の同窓会の当番学年となる習慣があるためである。
 この間、39名の実行委員が頻繁に集い、8月16日に開催予定の第89回の年次総会のために、今日の日の160人規模での会への準備が重ねられてきた。私もその端くれなのだが、何せ、地元から離れて暮らして久しい。それでも、昨年に続いて校歌斉唱の場面で指揮の役をいただいた。ただ、今年はプロのピアニストとなった金澤亜希子さんの伴奏によるという贅沢な場ゆえ、金澤さんと相談し、磐田に根づいている残りの37人の実行委員を壇上に呼び込み、共に歌うというサプライズ演出をさせていただいた。
 同級会は通常3年生のクラスを単位として行われるが、実は私にとっては1年生のクラスのメンバーの方が馴染みが深い。当時からの一体感の高さは参加率にも反映されて、3年生のクラスでは12人のテーブルとなったが、1年生のクラスで括ってみると(実際、これは当日盛り込まれていたクイズで明らかとされたのだが)22人の参加であった。結果として、3次会は1年生のときのクラスでの開催となり、さらには今後も「モトヨン(元4組)」同窓会が開催されていくこととなった。転じて、3年のときのクラスは、当時はあまり一体感がなかったものの、逆にあのときの連帯感のなさが今となっては良い思い出かもしれないなどと語り合い、密と疎の両極から当時を振り返る1日となった。

2015年1月2日金曜日

白の世界から青の世界へ


 應典院に身を置き、大蓮寺の除夜の鐘のお手伝いをさせていただくようになり、決まって帰省は年明けになっている。この2年は京都住まいをさせていただいているが、その前の京都暮らしのときには、元旦に大家さんのお宅でお招きをいただき、夕方まで歓談を重ねることが慣例となっていた。あいにく、その大家さんとはお酒を交わすことがなくなってしまったが、年賀状や電話で、時には素敵な家を住み継いでいただいた友人を介し、近況を交わすことができている。
 そして今、帰省する先は2つになった。一つは妻の、そしてもう一つは私の、である。かつて室生犀星は「故郷は遠きにありて思ふもの」と詠んだ。昔とは違い、物理的な距離の移動は容易になったが、精神的な距離には丁寧に向き合っていきたいものである。
 私の家族も、妻の家族も、やはりそれぞれ年を重ねている。もちろん、我々も、だ。あと何回、こうして変わらず年を越し、共に新たな年を迎えられるか、そんなことを考えるようになってきた。一度、きちんと京都に招かないと、もしくは皆で共にどこかに出かけようか、今度きょうだいと相談してみようか、そんな思いにも駆り立てられる。
 今日は京都で58年ぶりの大雪だったという。家を出て駅に向かう道は、一夜を経て所々アイスバーンとなっていた。約1時間遅れで到着した駅で見上げた空は、澄んだ青だった。視界いっぱいに広がる青と、暖かな日差しが、懐かしい記憶に包んでくれたような気もしている。遠くにありて思うのもまたよいのだが、やはり故郷に浸るのもまた、よいものである。

2015年1月1日木曜日

呼ぶことと応えること


 新しい年が始まった。今年は喪中ということで、年頭の挨拶を控えさせていただいている。先のご案内が叶わず、年が明けて早々、寒中見舞を作成してるという非礼をお許しいただければと願っている。なかなか定型のものを使うことができず、迫られてから作るという習慣は何とかしたいものである。
 そんな元旦は應典院の本寺、大蓮寺の除夜の鐘が響く中で迎えた。今年で7年連続9回目となった。大晦日の23時から受付開始で、23時30分に浄土宗の日常勤行から始まる除夜の鐘は、ほぼ0時に54回目が撞かれるよう進められる。そして0時になると大蓮寺の本堂にて修正会(しゅしょうえ)と呼ばれる法要と、秋田光彦住職の法話が行われるのだ。
 今年、最初の法話は「呼応」がお題とされた。いや、正確に言えば、それがお題となった。新年の挨拶を枕に、まずは昨年の出版以来、各方面で話題にのぼっている東田直樹さんの『跳びはねる思考:会話のできない自閉症の僕が考えていること』(イーストプレス)が紹介され、「話しかけられれば、それに答えようとする気持ちは障害があってもなくても同じだという気がします 。答えられないからこそ、尋ねてほしいのです。」の部分が読み上げられた。そして、そこからお念仏が唱えられる理由が語られたのである。
 よく「呼べば応える」という言い方がなされる。しかし反応を期待する前に(またそうした言語的な応答とは、期待する答えを求めるためになされるものではないことは言うまでもないとして)、まずは呼びかけが必要なのだ。ちなみに修正会には、大晦日の「年の瀬ピクニック」でお目にかかったクリエイティブサポートレッツ(浜松市)の皆さん(cocoroomが呼びかけた年末年始の釜ヶ崎の越冬を支えるボランティアに参加)もお参りいただいた。はてさて、どんな風に感じられたのか、3月のアートNPOフォーラムでお邪魔した折などに尋ねてみることにしよう。