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2015年1月4日日曜日

幸せの辛さ

 同窓会から一夜明け、帰省も最終日となった。日付が変わるまでは飲まなかったけれども、14時から22時半まで、3つの場を渡り歩いた。何種類かのお酒をいただいたので、若干のダメージが残っての朝だった。ちなみに一次会ではジーンズの下に1枚仕込んでいたために、まるで土偶のような体型となり、その締め付けのきつさから、ほとんど食事を取ることが出来なかったことも、酔いの回りに影響しているだろう。
 高校卒業以来、地元を離れて暮らしているが、生まれてから18年のあいだ育ってきた故郷での時間よりも、関西で過ごした時間の方が既に長くなっている。そのため、ふと目が留まった風景をことさらに懐かしく思う場合や、あまりの変わりように驚く場面が多々ある。今日は母の実家に両親そろって年頭の挨拶に行くということで、帰る方向が同じということもあり、共にお邪魔した。この道中でも、変わらない風景と、変わりゆく風景、そして同じ変わる風景でも朽ちていく風景も目にしたのであった。
 母の実家では、母のきょうだいが集い、共に昼食をいただいたのだが、その場では程なく孫の話で盛り上がっていった。写真を見せ合い、それぞれが見聞きした物語を伝え合う場が生まれるのだ。 その流れとなれば、こどもがいない私の家族は自ずと話題に上りようがない。いくらか時間が経つと、気遣いも重ねられつつ、順番に我々の話にもなるのだが、なかなか辛い場である。
 連日の疲れも相まって、会食は中座を許してもらったものの、やはり何年経っても子は子である。子の幸せを願う気持ちは、それぞれに変わらない。結果として、弟夫婦からの洋菓子、いとこからの草餅、実家からは林檎、手作りの栗きんとんと梅酒とゆず酒、お歳暮のお裾分けのボンレスハム、そして地元の名店(竹茗堂)のウス茶糖、と大きめの不織布の袋いっぱいを携えての道のりとなった。袋の重さに親たちの思いを感じると共に、きょうだいやいとこの幸せをきちんと祝いきれているかと自問しつつ家路についた年始である。

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