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2016年1月1日金曜日

正月に修める

新しい年がやってきた。去年の今頃は、思い出したようにブログを続けることにした。結果として、1月9日までは途切れずに続いた。その後、途切れ途切れの投稿となったが、存在を忘れることはなかった。

この数年、大晦日から元旦にかけては同じ過ごし方となっている。12月31日の12時31分には大阪市役所の前に立つ。2007年から続く「愛と表現のために」と題した年の瀬ピクニックへの参加のためだ。旧フェスティバルゲートまで、土佐堀通から堺筋をただ歩くだけなのだが、変わらず掲げられている趣旨文「歩くという行為によって、ながれゆく日常のなかで忘れそうになるこころを、身体に取り戻す現代社会における表現とつながりのレッスン」を実感できる、尊い時間である。

年越しのその時は、大蓮寺の徒弟として僧籍登録をいただいていることもあり、23時半からの除夜の鐘と、0時からの修正会のお手伝いと流れる。年の初めに、何かを修正するための会、という捉え方もできそうだが、正月に修められる法要の会である。勤行に続いて行われる秋田光彦住職による法話では、「おさがり」を手がかりに、喜捨について説かれた。終了後、タイの方が住職と対話をされており、改めて参加者の方々の顔を見渡すと、この10年で参加される方々の構成も変わってきたと感じ入った。

終夜運転の大阪市営地下鉄と阪急電車を乗り継いで帰宅すると、しばし身体を休めた。テレビは特番だが、特にFMラジオは平時と同じ編成に近いということもあり、いつもの番組で朝を迎える。異なるのは食卓にお餅が並ぶことだ。とはいえ、その後は夜までかかって年賀状を仕上げ、なんとか元旦に投函するという、変わらぬ正月である。