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2010年2月27日土曜日

グッバイワーク〜よいハローのためのよいグッバイ

 おうみNPO活動基金という助成金がある。財団法人淡海文化振興財団、愛称で淡海ネットワークセンターという団体が展開している事業だ。同センターは、滋賀県が100%出資した財団法人で、いわゆる外郭団体として1997年に設立された。県域でNPO支援に取り組むということを当時は驚き、その翌年から、大学コンソーシアム京都のNPOインターンシップ・プログラム(1期生)から、インターンの受け入れをお願いした。
 助成金は今年で7回目だが、私は3年目(2004年度)から関わっている。詳細はセンターのホームページ内(http://www.ohmi-net.com/kikin/kikintoha.html)にあるように、滋賀県からの5000万円を基に設立された基金である。関わり始めた当初は「運営委員会」に「審査委員会」と「サポート委員会」が置かれ、助成決定までと、助成決定後と、それぞれ明確に役割を置いた、複層的な基金運営体制を敷いていることが興味深かった。その後、運営委員会内の委員会が一本化され、助成プログラムも「中間支援枠」「協働枠」など拡張され、この2年はハード部門の「まち普請事業」など、進化を重ねていった。
 プログラムの最後に委員としては最期の懇親会に参加させていただいた。その席で全部の席にお酒をつぎ、料理を寄せるなどしていたら、「もっと怖い人だと思ってたけど、やさしい人ですね」と言われた。ふと、秋葉原事件を起こした彼が、「小さいころから『いい子』を演じさせられていたし、騙(だま)すのには慣れてる」と掲示板に綴ったことを思い出した。他者とのあいだで、誰も演じていない役柄を演じようと立ち居振る舞ってしまうということ、それは結局のところ、他者とのあいだで壮大な誤解を前提に関わり合うという、不器用な人生を歩んでいることを意味するのかもしれない。
 そんな最後の委員会の昼食時、ハローワークのことが話題になった。NPOの緊急雇用対策で、ハローワークを(たとえ登録日1日でも)通さねばならない、という話だった。個人的に、手続き的にハローワークが用いられて、行政の機構として実績数値だけが評価されているとすれば、新しい仕事に出会う(say hello to the new work)可能性は低くなるのではないか。同時に、何事も新しいもの、こと、ひとにきちんと出会うためには、それまでのもの、ひと、ことをきちんと整理して(say good bye to something precisely)おかねばならないだろうと、委員の任期を満了するにあたり、感慨に浸るのであった。

こんなことを書いているが、別に全てのものを投げ出したい、という思いに浸っているわけではない。その象徴に、別にビートルズの「Hello Goodbye」を口にしているわけではない、とでも書いておいたらいいだろうか。ただ、いろんなことを整理する時期であることは間違いない。ゆえに、今日もまた、Mr.Childrenの「Tomorrow Never Knows」を何度か聴いている。

2010年2月26日金曜日

祭と大会、順位と順番

 冬季オリンピックがバンクーバーで行われている。私にとって思い出深い冬季オリンピックは、1994年のリレハンメルオリンピックである。ちょうど、大学受験で筑波に行っているときも、食堂にかぶりついている人々がいたことを、今でもよく覚えている。中でも、ノルディックスキー・ジャンプ団体で、最終の原田雅彦選手が「まさかの失速」をしたことは、受験という「本番に強いか弱いか」といった話にも広がって、同級生のあいだで話題になっていた気がする。ちなみにリレハンメルオリンピックは、それまで同年開催だった夏季オリンピックに対して隔年開催がなされるようにと、前回大会から2年しか経たない中で開催されたことも、印象に残っている。
 では、今回のバンクーバーオリンピックでは、人々にどんな印象が残されるのだろうか。個人的な印象を綴るだけでも、リュージュ練習中の死亡事故、モーグルでのメダル予想、スノーボードクロスでのドクターストップ、男子フィギュアでの「紐切れ」とメダル獲得、カーリングでの日本代表の奮闘、スケルトン女子での日本人選手の失格など、枚挙にいとまがない。そんななか、少なくとも今日の時点で、人々に強い印象を与えたのは、女子フィギュアでのメダル争いだろう。争われたのは「金」メダルである。
 ちなみに、オリンピックは「平和の祭典」という性格からか、国・地域で競い合う「総合優勝」という概念を持っていない。例えば、国民体育大会では、各種目の順位が得点化され、男女総合優勝(天皇杯)や女子総合優勝(皇后杯)が送られているのと、対比的な関係にある。だからこそ、各種目のメダルにこそ、注目が集まる。その一方で、入賞という概念もあるのだから、少し不思議な祭であるとも言えよう。
 ともあれ、本日の女子フィギュアでは、金メダルを取れなかった浅田真央選手がインタビューで泣き崩れ、一方で8位入賞となった鈴木明子選手が演技終了後に感極まり、5位に入った安藤美姫選手に対しては前回よりも順位が大きく上がったことなどが、精力的に報道された。ここで気になったのが「順位を競う」ことを直接的な目的としていない、オリンピックという性格についてである。というのも、表彰台には、高さの違いこそあれ、順番は書かれていないのであるが、明確に、「1位」と「2位」とのあいだに、単に点数の「1番目」と「2番目」という違い以上の意味があるとされていると感じてやまないからである。だからこそ、記録ではなく記憶という考えに賛成をするのだが、それゆえ、順位ばかりを競わない競技大会(祭)において、順位ばかりに関心が向けられてしまうことに、何か引っかかりを覚えてしまうのであった。

こうしたことを考えているうちに思い出したのが、以前、漫画「プロゴルファー猿」に出ていたと思われるのが、「優勝者は記録に残るが」といった話。つまりゴルフでは2位以下は意味がない、ということ。昔はこの手の台詞がスラスラっと出てきたのだが…。寄る年波には勝てない。

2010年2月25日木曜日

こころ

 へこんでいる。というか、へこむことが多い。何でへこんでいるか、というのは、ここに残したくないのだが、とにかく、今、へこんでいる。そんな今日この頃である。
 へこむ、を変換すると、凹む、と出てくる。文字通り、形あるものの形が変わっていることを示す。文字から連想すれば、四角いものの真ん中がへこんでいるのだ。もちろん、形あるものすべて、真ん中がへこむわけではなく、よくあるのは角がへこんでしまう、ということだ。
 では、人が「へこんでいる」というとき、何がへこんでいるというのか。もちろん、皮膚の界面がへこんでいるわけでもなく、ましてや臓器の外形の一部が突発的に形を変えているわけでもなかろう。恐らく、「こころ」なるものの形が変わったことをあらわしているのだろう。しかし、われわれは肉体の中に「こころ」という臓器を内臓しているわけではない。
 私が専門とするグループ・ダイナミックスでは、「こころ」は人と人(あるいは何か)とのあいだにあると考える。つまり、時間的経過の中で、自らが誰かと(あるいは何か)との関連づけがうまくいっていない状態に浸っているとき、「こころ」が通っていないと捉えるのである。よって、こころがへこんでいる、という状態にあるとき、それは、自らが他者とのあいだで、ある時間において浸っていた心地よい雰囲気に比べて、納得できる関係性の只中にその身が置かれていないことに自覚的である状態を意味するのだろう。無論、そんな「かやの外」に自らが望んで行きたいはずもなく、自らが招いた結果として、自らの動きをつぶさに見つめ直したいと思っている。

こういう状況のときに、思い出深い歌を聴くと、グッとくる。例えば、Mr. Childrenの「Tomorrow Never Knows」の歌詞がふと口にでると、涙がこみあげてくる。「果てしない闇の向こうに 手を伸ばそう 癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて…」このあたりは、「こころ」ではなく、心臓が痛くなる。

2010年2月24日水曜日

ソーシャル・イノベーションの力

 Amazonという書店がある。言わずと知れた、ネット書店だ。今ではKindleというデバイスを発売し、本にまつわるビジネスの根本をイノベーションしている企業と言えるだろう。実際、Kindleのコンテンツ印税を7割という設定にしたことは、出版会社や著者に大きな衝撃を与えたと思っている。
 もちろん、人々に便利さが提供されることは、よりよい社会が導かれていく上で重要な要素だ。事実、私もAmazonは重宝しているネットサービスの一つである。とりわけ、マーケットプレイスは、入手困難な書籍を手に入れる、最も簡単な手段であると感じている。また、学生等は、Amazonのカスタマーレビューを、レポート等の参考にしているとの声も聞く。間もなく発表、発売のAppleのiPadも、Amazonの躍進がなければ、そのコンセプトを固めきれなかったところがあるのではないか、と考えている。
 とはいえ、應典院の秋田光彦代表(大蓮寺住職)が、以下のようにTwitterでつぶやいているとおり、ネット書店の浸透を客観的に見つめる視点も大切だ。転じて、グローバル企業との関わり方についても、熟慮できる素養を持っておきたい。こうした市民知、あるいは社会のリテラシーが高まらなくては、イノベーションとソーシャル・イノベーションが区別され続けることになるだろう。先般、Twitterでも多くのつぶやきを招いたことで知られているグロービスの堀義人さんの指摘も、まさにこの点について触れられたものであると思われ、2月19日のブログ「社会起業家vs起業家」で示された点に目を向ければ、「社会」ということばについて、「冠に掲げられること」よりも、「冠に掲げること」による危うさ、落とし穴を、とりわけNPO・NGOの側が持たねばならないのだ、と受け止めたところである。
 ともあれ、そんなAmazonから、本日、3月1日発売の「The Power of Social Innovation : How Civic Entrepreneurs Ignite Community Networks for Good」という本の案内が届いた。以下に目次を挙げるが、非常に興味がそそられた。英語は得意な方ではない(カタカナは得意である)ものの、何となく、意訳をしながら、日本語にしてみた。既に同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル/イノベーション研究コースのメーリングリストに、読書会、あるいは、可能であれば、翻訳出版ができないか、と投げかけてみたところであるが、当然、今の私に率先してプロジェクトを進めていくだけの余裕はなく、どこかで他力本願になっているのであった。




The Power of Social Innovation: How Civic Entrepreneurs Ignite Community Networks for Good
ソーシャル・イノベーションの力:市民起業家がよりよいコミュニティ・ネットワークに火をつける

Part I: Catalyzing Social Change.
パートI:社会的な変化への触媒作用

Chapter 1 Igniting Civic Progress.
Entrepreneurship, Innovation, and Change.
So Many Ideas, So Little Progress.
Civic Entrepreneurship as the Solution.
Igniting Civic Progress.
The Mandate and Caution of Engaging Government.
Conclusions.

第1章 進歩的な市民に火を着ける
起業家精神、変革、変化
多様なアイデア・わずかな進歩
問題解決策としての市民起業家
進歩的な市民に火を着ける
魅力的な政府の委任・警告
結論

Chapter 2 Innovation as Catalytic Ingredient.
Discovering the Missing Ingredient.
Choosing the Right Catalyst.
Bringing It All Together: The Nehemiah Foundation.
Conclusions.

第2章 触媒としてのイノベーション
見失っている要素を見出す
妥当な触媒を選択する
先進事例:ネヘミヤ財団。
結論

Part II: Market Maker as Civic Entrepreneur.
パートII:市民起業家という市場創造者

Chapter 3 Open Sourcing Social Innovation.
Breaking Down Protectionist Barriers.
Opening Space for Innovation.
Leveling the Playing Field.
Inviting the Exceptional.
Forcing Cultural Change.
Bringing It All Together: The Enlightened Monopolist.
Conclusions.

第3章 ソーシャル・イノベーションとオープンソース
保守派の障壁を断ち切る
イノベーションのために場を開く
活動範囲の平準化
卓越したものを呼び込む
文化変容の促進
先進事例:The Enlightened Monopolist
結論


Chapter 4 Trading Good Deeds for Measurable Results.
Current Funding Limitations.
What Public Value Are We Purchasing?
Are the Funded Activities Still the Most Relevant?
What Change Does the Community Want and What Assets Can It Mobilize?
Are We Funding a Project or Sustainable System Change?
What Will We Measure?
Bringing It All Together: Linda Gibbs.
Conclusions.

第4章 定量的な成果を見極めるために善行を重ねる
現状における資金調達の制約条件
われわれが手に入れられる公共的価値は?
受託事業は組織のミッションとかけ離れていないか?
ソーシャル・イノベーションではどのような地域資源が動員されるか?
資金の投入は事業のためか、持続可能なシステムへの変化のためか?
われわれの価値基準は何なのか?
先行事例:Linda Gibbs
結論

Part III: Service Provider as Civic Entrepreneur.
市民起業家というサービス・プロバイダー

Chapter 5 Animating and Trusting the Citizen.
Balancing the Professional with the Public.
Building a Public.
Leveraging Social Media for Change.
"Client" Choice.
Curing the Expectation Gap.
Bringing It All Together: Family Independence Initiative.
Conclusions.

第5章 市民の行動力と市民への信頼を高める
公とのあいだで専門性を分散させる
公共性をつくる
社会メディアを活用した社会変革
「顧客」の選択・「顧客」からの選択
期待との齟齬を埋める
先行事例:Family Independence Initiative
結論

Chapter 6 Turning Risk into Reward.
Seeing Opportunity Where Others See Liability.
Taking First Risk.
Fully Calculating Cascading Return on Investment.
Political Risk and Reward.
Bringing It All Together: Wraparound Milwaukee.
Conclusions.

第6章 リスクを報酬へと転換を図る
他者が抱く障害要因をチャンスに捉える
最初のリスクを負う
段階的な投資利益率を完全に計算する
政治的なリスクと報酬
先進事例:Wraparound Milwaukee
結論

Chapter 7 The Fertile Community.
The Fertile City (and the Entrepreneurial Mayor).
Civic Entrepreneurs and School Reform.
Entrepreneurial Community Solutions.
Staying Entrepreneurial: Saving Yourself from Success.
The Future.

第7章 創造力豊かなコミュニティ
創造都市(そして起業家的首長)
市民起業家と学校改革
起業家のコミュニティ・ソリューション
起業家的で有り続けるために:成功に謙虚であれ
展望


ちなみに、既に日本語の翻訳の話が進んでいるかもしれません。あるいは、動きが速い、東京の方々で、チームが発足しているかもしれないです…。