冬季オリンピックがバンクーバーで行われている。私にとって思い出深い冬季オリンピックは、1994年のリレハンメルオリンピックである。ちょうど、大学受験で筑波に行っているときも、食堂にかぶりついている人々がいたことを、今でもよく覚えている。中でも、ノルディックスキー・ジャンプ団体で、最終の原田雅彦選手が「まさかの失速」をしたことは、受験という「本番に強いか弱いか」といった話にも広がって、同級生のあいだで話題になっていた気がする。ちなみにリレハンメルオリンピックは、それまで同年開催だった夏季オリンピックに対して隔年開催がなされるようにと、前回大会から2年しか経たない中で開催されたことも、印象に残っている。
では、今回のバンクーバーオリンピックでは、人々にどんな印象が残されるのだろうか。個人的な印象を綴るだけでも、リュージュ練習中の死亡事故、モーグルでのメダル予想、スノーボードクロスでのドクターストップ、男子フィギュアでの「紐切れ」とメダル獲得、カーリングでの日本代表の奮闘、スケルトン女子での日本人選手の失格など、枚挙にいとまがない。そんななか、少なくとも今日の時点で、人々に強い印象を与えたのは、女子フィギュアでのメダル争いだろう。争われたのは「金」メダルである。
ちなみに、オリンピックは「平和の祭典」という性格からか、国・地域で競い合う「総合優勝」という概念を持っていない。例えば、国民体育大会では、各種目の順位が得点化され、男女総合優勝(天皇杯)や女子総合優勝(皇后杯)が送られているのと、対比的な関係にある。だからこそ、各種目のメダルにこそ、注目が集まる。その一方で、入賞という概念もあるのだから、少し不思議な祭であるとも言えよう。
ともあれ、本日の女子フィギュアでは、金メダルを取れなかった浅田真央選手がインタビューで泣き崩れ、一方で8位入賞となった鈴木明子選手が演技終了後に感極まり、5位に入った安藤美姫選手に対しては前回よりも順位が大きく上がったことなどが、精力的に報道された。ここで気になったのが「順位を競う」ことを直接的な目的としていない、オリンピックという性格についてである。というのも、表彰台には、高さの違いこそあれ、順番は書かれていないのであるが、明確に、「1位」と「2位」とのあいだに、単に点数の「1番目」と「2番目」という違い以上の意味があるとされていると感じてやまないからである。だからこそ、記録ではなく記憶という考えに賛成をするのだが、それゆえ、順位ばかりを競わない競技大会(祭)において、順位ばかりに関心が向けられてしまうことに、何か引っかかりを覚えてしまうのであった。
こうしたことを考えているうちに思い出したのが、以前、漫画「プロゴルファー猿」に出ていたと思われるのが、「優勝者は記録に残るが」といった話。つまりゴルフでは2位以下は意味がない、ということ。昔はこの手の台詞がスラスラっと出てきたのだが…。寄る年波には勝てない。
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