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2023年1月31日火曜日

無人なラウンジ

打合せのあいまに鍼灸院に駆け込んだので夕方の会議は朱雀キャンパスからZoomで



2023年1月30日月曜日

試験と入試とのはざまで

1月末の月曜日の朝9時の立命館大学衣笠キャンパスは定期試験も終盤で入試の直前ということで静けさに満ちていました。



2023年1月29日日曜日

宵の

西の空にPowerPointのテンプレートのようなグラデーションと金星とおぼしき明星が



2023年1月28日土曜日

絶滅せずに

京都府の絶滅寸前種とされていた「フジバカマ」の原種を「挿し芽」で育てる活動、2023年度も継続・発展しそうです。



2023年1月23日月曜日

2023年1月22日日曜日

複数の結び目を経由して

IC乗車だと実感が湧きにくいJR東日本「長岡駅」からJR西日本「茨木駅」へ移動して立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)で夜まで研究会



2023年1月20日金曜日

2023年1月19日木曜日

最終講義の行われた部屋で

立命館大学経営学部の小久保みどり先生の退職記念講義が行われた教室で秋学期15回目の地域参加学習入門



2023年1月18日水曜日

2023年1月15日日曜日

嫌みな先生

2023年度の秋セメスターの立命館大学サービスラーニングセンター科目「シチズンシップ・スタディーズ」の活動報告会が実施された。3キャンパスで開講されている4クラスでの計13プロジェクトが合同での実施となった。こうして一同に会するのは長引く新型コロナウィルス感染症のために3年ぶりである。何より、地域と大学とを往復する科目ゆえ、授業内容にも一定の制約を受けてきたが、万全の感染対策を条件に特段の制限なく活動できたのも3年ぶりであった。

今日は立命館大学大阪いばらきキャンパスが大学入学共通テストの会場となっていたため、一般向けに開放することを前提に設計・運用されているB棟での実施となった。以前は1階のカンファレンスホールで実施したこともあるが、プロジェクト数が増え、リレー形式のプレゼンテーションでは聴く側の集中力が続かないことなどへの懸念から、ポスターセッション方式を基本として行うこととした。衣笠キャンパスやびわこ・くさつキャンパスに在籍する学生にとっては「わざわざ」出向く必要があるものの、学びの場の多様化に対応したキャンパスデザインとなっている大阪いばらきキャンパスで実施することについては、会場にて実感してもらえたことだろう。ただ、もし可能であれば、C棟のラーニングシアターで実施できれば、より柔軟な会場レイアウトが可能だったが、共通テストの開催日とあっては、そちらが優先されてしかるべきだと納得の上での実施となった。

活動報告会の実施にあたっては、事前に資料集にコメントを寄せることが通例となっている。今年もA4版1枚分にまとめてみた。「自己完結せず、満足しつつ、地域に貢献を」と題した文章は、1,426文字となった。そこでは「「すべき」ことができているか、あなたが言う「やりたい」ことはみんなが「やりたい」と思っているか、これらに加えてもう一つ受講生に問われることは、「やりたい」ことが実現すると何がどうなるのか」と、授業内で問いかけてきた事柄を、改めて文字にしつつ、その意図について記した。

授業2コマ分、3時間に及ぶ活動発表会の最後、口頭で講評を述べる場面があったので「恐らく私は受講生にとって嫌な先生だったことでしょう」と冒頭で述べたところ、何人かが即座にうなずいていた。続けて「なぜなら、チームでの動きを頻繁に止める役割を担ったからだと自覚しているからです」と伝えた上で、自動車教習所と教習車のブレーキの比喩を用いて、いかにして安全運転の知識と技術と素養を習得するか、一方で自他の運転の癖に関心を向けるか、ということに関心を駆り立てた。この授業の履修後、とりわけ大学卒業後に、多様な人々と共に協働できる市民性が身に付き、模範的な態度で振る舞うことを願っている。そんな態度で指導を重ねて来た私は、以前にもそうしてきたように、打ち上げへの参加の代わりにカンパで貢献することにしたものの、先にそうした噂が流れていたのか、特に打ち上げへの参加に誘われることもなく、ただし9月からの受講生らの動きを振り返りつつ家路についた。

立命館大学大阪いばらきキャンパスB棟3階「コロキアム」にて

2023年1月14日土曜日

食べることでの記憶

久々に大きな予定がない土曜日だった。心ゆくまま眠り、遅い朝のスタートになった。9時からは消防設備の点検が入るということで、あまり片付いていない部屋をささやかに整える時間がギリギリあったくらいである。そして、荷物の受け取りなど、細々した用事を自宅で過ごした。

その後は明日、1/15に迫った立命館大学サービスラーニングセンターの開講科目「シチズンシップ・スタディーズ」の活動報告会にかかわって、学生たちとのやりとりが続いた。とりわけ今年度は感染対策を万全にするという条件のもと、3年ぶりに大きな制限がない中での地域参加型学習が展開された。ただ、この2年あまりの学習スタイルが反映してか、学生たちの地域での自主活動が、結果として地域について取り扱った自己完結型の取り組みに留まる場合があることが常々気がかりとなっていた。既に明日の活動報告会で配布される資料にもそのことについて記しておいたが、恐らく受入団体との懇談や、活動報告会の最後の講評においても触れることになるだろう。

午後には年を越してしまっている最後の1本の構成を整えることにした。明日には書き上げて、月曜日の朝には改めて通読した上で送付させていただける見込みとなった。お詫びのことばを添えてメールを送ることに慣れてはいけないということを常々人に言っているのは、こうした自らの後ろめたさから来ている。一方で、こうしてブログを続けているのは、締切がないものを自分で決めたルールを守ることで、他者の呼びかけに応えていく瞬発力と持久力の双方を高めたい、という意思によっている。

夕方には大阪まで足を伸ばした。かつて暮らしていていた界隈に程近いエリアに出向いたものの、コロナ禍もあって、特に飲食店のラインナップが様変わりしていた。お店の名前は思い出せなくても、「あの人と一緒に○○を食べたな…」という風景は思い出すことができた。今晩もまた、そんな記憶を一つ刻むことができた、そんな気がしている。





2023年1月13日金曜日

意識より行動の改革が

毎週金曜日は唯一、定例の予定がない日である。2011年度から2016年度までは立命館災害復興支援室の会議がほぼ毎週入っていたが、2017年度のデンマークでの学外研究を経て、2018年度以降は出張や作業日として活用する日となっている。何も予定を入れずに滞った事柄を進めることが望ましいものの、やはりいくつか予定が入ってくる。それでも、今日は朝から昨日のうちに概ね仕上げつつあった原稿を仕上げ、当初の締切を大幅に過ぎたお詫びを記して提出した。

お昼前には京都信用金庫に伺った。2006年のジャワ島中部地震に対する京都府国際課による支援プログラムを契機に設立されたプロジェクト「てこらぼ」の関係で、であった。てこらぼ側でも副理事長・事務局長の細尾真生さん、また監事の深尾昌峰さん、それぞれに京都信用金庫さんとは常々ご縁があるので、話は順調に進んだ。何よりも応対いただいた方が立命館大学の大先輩というご縁もあり、よい方向に事が運ぶことを願うところであり、その足で京都地方法務局で必要な書類を入手してきた。

午後は立命館の朱雀キャンパスに向かった。教職員による自発的で草の根的な取組みを支援する「グラスルーツ実践支援制度」に採択された「『⽩雲荘』リバイタルプロジェクト(創⽴者中川⼩⼗郎旧宅復興企画)」への参加だった。12月4日のプレ企画を経て、2月に行う企画の具体化を図るための意見交換を行った。前回は別用で参加ができなかったので、次回こそ、長きにわたる学園の歴史の源流に触れていただける場づくりに貢献したい。

その後は家に帰っていくつかの事務作業をした上で、かかりつけ医への定期通院に出かけた。30代から続く生活習慣病への加療は、薬こそ増えてはいないが、改善の傾向は見られない。当時からすれば、私自身の健康寿命への関心が高まっているので、意識ではなく行動の改革が不可欠である。とはいえ、学生時代から「家の延長」のように訪れている町中華のお店でテイクアウトをしてしまうのであった。



2023年1月12日木曜日

学びの橋を渡る

冬季休暇明けの最初の木曜日である。秋学期は立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)での授業の後、同志社大学大学院総合政策科学研究科での非常勤という流れとなっている。ただ、今日は授業前に来年度の立命館大学サービスラーニングセンターの事業展開についての打合せが1件あり、午前中から茨木へと向かった。そして、授業終了後は一旦自宅に立ち寄り、図書館で借りている本を参照しながら書きかけの原稿をできる限り進めた上で、同志社へと向かった。

午前中の打合せは、例年、夏に行っている岩手県大船渡市でのプログラムの展開方法についてであった。この数年携わってきた職員が雇用期間満了で退職となることを受け、どのような方針と体制のもとで行うか、ということが論点となった。サービスラーニングセンターが主催するものとあって、学生の自主性を尊重することが前提となるものの、課外プログラムでの参加者に加えて、夏期集中での正課科目の受講生もまた共に活動するため、いわゆる質保証と言われる観点から、教員の介入が不可避な状況もある。ただ、同一年度での正課・正課外の学生どうしの交流だけでなく、過去にいずれかに参加した学生が別の形態で参加する場合もあれば、また正課科目で受講した場合に単位が付与された場合は1回しか参加できないのに対して正課外であれば複数年度の参加も可能、という具合に、多様な学びのスタイルを選択可能という「ラーニング・ブリッジング」の実現が可能という特徴は今後も活かし、よりよいプログラムとして展開していくことは最低限確認できた。

午後は「地域参加学習入門」で、「ソーシャル・イノベーションと社会的責任」というテーマのもと、谷内博史さんをゲストに迎えた。キャンパスへの出講を前提に招聘手続きを進めていたものの、結果としてZoomでの話題提供となった。地域通貨おうみの話も少し交えつつ、立命館大学ボランティア情報交流センターで共に活動していた頃の学びと、現在の生活拠点である石川県能登島での取り組みを紹介いただいた。職場である金沢市市民活動サポートセンターからの参加ということもあって、仕事内容にも触れていただき、谷内さんの後輩にあたる政策科学部の受講生からも授業内で質問が寄せられ、時間と空間を縦横無尽に行き来する場となった印象がある。

そして夜の「コミュニティデザイン論研究」では、主担当の大和田順子先生が「生物多様性(ネイチャー・ポジティブ)を活かした持続可能な地域づくり」というテーマで話題提供をされた。長く農林水産省の世界農業遺産等専門家会議の委員を務めてこられたこともあって、各種の概念を端的に紹介いただいた。特にテーマにも掲げられた「ネイチャー・ポジティブ」は今回の講義で改めて理解することができ、環境省が2022年3月23日から「ネイチャーポジティブ経済研究会」を実施していること、その第1回会議の資料においてはネイチャーポジティブの「国際的な定義は固まっていない」としつつ「次期生物多様性国家戦略素案」では「生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せること」と位置づけていることなどを知った。大学院ならではの展開で、授業終了後の熱心な学生からの感想や質問に答える場面とあわせて、知的な充足感に浸って帰宅した。

ちょうど阪急百貨店うめだ本店から「デパ地下」スイーツの移動販売日でした

2023年1月11日水曜日

見ている世界

冬季休暇が明けて最初の水曜日である。通常であれば、受講している英語のクラスに参加するために朝から大阪・中之島まで向かうのだが、今週は講師の先生の都合で、当初から開講されないスケジュールとなっていた。そこで、午前中は自分の授業準備と、わずかながら身体を動かす時間とした。そして、午後はすぐにやってきた。

午後は京都市役所に伺った。都市計画局のスタッフの方との意見交換のためである。かつて、立命館大学のシチズンシップ・スタディーズIを受講していた職員さんから、大学と連携した事業の展開可能性について相談を受け、昨年12月の初回は対面で、2回目はZoomで、そして3回目となる今回は再び対面で集まることとした。

京都市の財政逼迫については既に各所で指摘されていることもあって、まちの魅力や住民らによる地域の自治へ関心が高まるようにするためには、ひと・もの・かねといった資源を積極的に投入して「市役所が高める」といった方針を前提にすることはナンセンスである。もとより、そうして役所が管理する、秩序を保つ、という姿勢こそが、住民らのポテンシャルを無力化させてしまうことにもなる。それもあって、かつて地域参加学習に取り組んでいた職員からの呼びかけ応えるべく、学生が地域に入り、学び、その一連のプロセスを記述したものを地域に還元することで、学生が地域活性化の触媒になれば、という願いのもとで、来年度の授業で連携・協力できそうな内容について、今日は具体的に示してみた。

同志社大学大学院総合政策科学研究科時代の仲間たちを中心にして刊行「ソーシャル・イノベーションが拓く世界」(法律文化社、2014年)で、編者の西村仁志さんは「ボヤキ」と「やる気」の対比により、理想像を実現するための手がかりを記している。京都市役所の後には、立命館大学びわこ・くさつキャンパスに向かい、ちょうど「現代社会とボランティア」という科目で受講生のプレゼンテーションが行われる日だったこともあり、「ボヤキ」や「モヤモヤ」を大切にすることが、結果として社会の構造に関心を向け、かつ理解を進めていく契機になる、といったことを、ゲストコメンテーターに迎えた蔵田翔さんとの対話の中でも、暗に触れることにした。一方で、社会問題の解決、といった観点では「医学」の比喩のもとで地域の診察や治療といったことが言われることもあることを思えば、地域の生活習慣病や町内会のアンチエイジングといった具合に比喩を展開して考えていくのも一つの手がかりかもしれない。

物理的に距離を取る戦略が社会的な処方ということで

2023年1月10日火曜日

年始の初講義

年が明けての最初の授業を立命館大学衣笠キャンパスで行った。火曜日は3コマを担当している。秋学期も終盤で、それぞれの科目で、まとめに向けた動きとなっている。そして、聴く姿勢が整ってきた段階ということもあって、今日はゲストスピーカーをお招きする授業が続いた。

2限の「地域参加学習入門」では、一般社団法人学びの森の北村恵美子さんをお招きした。テーマは多文化共生とソーシャル・インクルージョンで、京都府亀岡市で展開しているフリースクールの取り組みを中心に話題提供をいただいた。印象的だったのは「困ったちゃん」扱いされるのは、個性の問題でも環境の問題でもなく、その場の関係性の問題だ、と、同じ授業の第3回目で紹介したグループ・ダイナミックスにおけるクルト・レヴィンの「場の理論」に通じる話の流れになったときである。今回、受講生には「○○になってよかった」という具合に、価値をずらすための問いかけをいただいたので、来週まで受け付けている受講生用アンケートにて、どのような表現が寄せられるかが楽しみである。

4限の「現代社会のフィールドワーク」では、陸奥賢さんをお招きした。陸奥さんには應典院に身を置いていた頃から幾度となくお世話になっているが、この授業では第2回目に「まわしよみ新聞」の手ほどきをいただいているので、同一授業で2回目の登場である。少なくとも立命館大学では、ゲストスピーカーの招聘計画を前年度のうちに提出し、承認を得ておく必要があるため、突発的に呼んだわけではない。2回目の授業にて情報源とその解釈の多元化を図る意義についてお示しいただいた受講生らが、どのようなフィールドワークを展開したのか、その成果発表を聴講いただき、かつ、今後の探究心がさらに高まるようなコメントをお願いすることにしたのである。

5限の「シチズンシップ・スタディーズ」では、ゲストスピーカーとしてではなく、サービス・ラーニングのプログラムの受入先の方々にお越しいただいて、1月15日に予定されている活動発表会のリハーサルに立ち会っていただいた。時代祭応援プロジェクトからは平安講社第八社の太田興さんに、堂本印象美術館のプロジェクトからは下河邊英寿副館長と谷本栄作さんにお越しいただいた。伝えたい思いが伝わるように、それぞれに的確な助言をいただいた。授業時間が終了しても、一部の受講生はより充実した内容となるよう、発表資料の修正を精力的に行っていた受講生らの姿から、現場への責任感を十分に自覚しているのだと想像し、気持ちが温かくなった。

2013年4月1日より終日全面禁煙となったキャンパスなのに吸い殻が…

2023年1月9日月曜日

1月15日に成人式に参加した世代

3連休の最終日は「成人の日」の休日である。いわゆるハッピーマンデーの制度が導入されて久しい。調べてみれば、1月15日に固定されていたのは1999年までだった。よって、1月15日に成人の日に祝われた私は、そもそも1月15日がなぜ成人の日とされているのかに関心を向け、その意味を理解する機会を得ていたように思う。

近代化の進展を通じた家族関係の変化もあって、最早「元服」という儀礼を継続している地域は少なく、説明すら困難な人も多いだろう。かく言う私も、元服と成人の日との関連について一定の説明はできるが、きちんと説明しきる自信はない。ただ、新潟県中越地震で大きな被害を受けた小千谷市塩谷集落の復興や振興に携わるようになり、「塞の神」と呼ばれる年中行事への参加を通じて、1月15日と小正月との関連については説明ができるようになった。

今日は午後から立命館大学大阪いばらきキャンパス(OIC)に向かった。2022年度、2030年を目標とした学園ビジョン「R2030」に基づく「R2030推進のためのグラスルーツ実践支援制度」に採択されたプロジェクト「地域在住外国人支援を通した多文化サービス・ラーニング授業の開発・検証」(代表:北出慶子・文学部教授)のメンバーとして、お世話になった地域の方々との座談会のためである。ただ、昨日からの咳が気になって、自家用車でOICに向かったところ、周辺道路が大混雑していた。そして、いよいよキャンパスに近づくと「20歳のつどい」という看板を持った方々が多く、混雑の理由に合点がいった。

そもそも本日の朝は滋賀県草津市の「20歳のつどい」に来賓としてお招きいただいていたものの、咳き込んでしまったときには周りの方々に心配や迷惑をかけてしまうだろうと、直前に辞退をさせていただいた。ちなみに夜には学生時代からお世話になっている方が作詞・作曲・歌を担当されているバンドのライブにお誘いをいただいていたが、そちらもまた配信で楽しませていただくこととした。ただ、座談会は対面で、とのことなので、あたたかい飲み物で喉の乾燥への対策をしつつ、2時間の対話を行った。座談会の会場はOICのB棟4階の研究会室だったため、同じ建物の2階で行われている「20歳のつどい」に参加の方々を多く目にしたが、2022年の民法改正で成人年齢の引き下げに伴い「成人式」と言わなくなったことを、行き交う人の語りで改めて気づく私は「1月15日に成人式に参加した」という旧々世代である。

20歳のつどいの会場の前で凧あげに楽しむこどもたち

2023年1月8日日曜日

「自分で律するという思想を基盤に」

「言われなくてもする、言われてもしない」。これは幾度となく耳や目にしてきた、現場のボランティアの活動に共通する理念について、端的に示した表現の一つである。言葉の主は草地賢一さんで、2000年1月に急逝された。阪神・淡路大震災での現地でのボランティア活動に関する連絡会議の場に参加した際、同じ会場に身を置いたことがあったように思われるものの、少なくとも私の名前を呼んでいただいた記憶はない。

深い関わりを重ねることはなかったものの、例えば渥美公秀先生や村井雅清さんなどから、草地賢一さんのお名前のみならず、その振る舞いについては何度も伺ってきた。実際、冒頭の「言われなくてもする、言われてもしない」は、村井さんが東日本大震災直後に緊急出版された「災害ボランティアの心構え」でも、マニュアルを整備して現場の秩序を保とうとする姿勢を批判し、そうした管理者の動向を否定的に捉える上で、草地さんのこの言葉が効果的に紹介されている。私の解釈も交えるなら、草地さんが示すボランティア活動の理念は、ボランティアの自発性が尊重されるためには、ボランティア側もまた、「したいこと」や「すべきこと」をすることが重要である、とことである。

年末から精力的に取り組んでいるのが、国際ボランティア学会の学会誌「ボランティア学研究」に寄稿させていただく原稿である。そのうちの一つに、草地さんが遺されたこの言葉を紐解くことにした。助けとなったのが、2001年に刊行された『阪神大震災と国際ボランティア論』という書籍で、副題「草地賢一が歩んだ道」からも想像ができるとおり、お仲間な方々によって組織された「『草地さんの仕事』刊行委員会」により編纂された一冊である。それとあわせて、いくつかの文献に目を向けてきたために、年を越してしまうことになってしまった。

刊行から20年あまりが経過した今、改めて「草地賢一が歩んだ道」を文字で辿らせていただいたところ、冒頭の言葉「言われなくてもする、言われてもしない」という言葉の背景を理解することができた。中でも、書籍の冒頭に収められた1999年6月16日の茨城キリスト教学園での講演録に、「ボランティアの思想というのは、おかしかったらおかしい、間違っていたら間違っていると言い、そしてそれを正そうとする具体的、自発的な行動です。だから言われなくてもする、言われてもしない、というような「自律」、自分で律するという思想を基盤にしているのです。」(p.24)と示しておられる部分には大きく頷くことができた。こうして3連休の中日、越年した原稿の仕上げには概ね目処が立ったが、この数日、根を詰めた作業をしていた際に乾燥でやられてしまったのか、特に今日の日中は咳が止まらない状況になってしまった。不摂生を恥じつつ、周りの方々に心配や迷惑をかけてしまうことを案じ、明日(1/9)の朝と夕方の予定は先方に了解をいただいて変更させていただくこととした。

お仲間の皆さんでまとめられた追悼のための一冊
<Nikon D3S, Micro DX Nikkor 40mm, f4.5, 1/80, ISO400>

2023年1月7日土曜日

10時間の研究会

月曜日の成人の日まで、3連休として過ごしている方も多いと思われる土曜日、朝から大阪に向かった。グランフロント大阪の7階にある大阪ガスネットワーク株式会社の都市魅力研究室にて、同志社大学大学院総合政策科学研究科の「コミュニティデザイン論研究」の講師陣によるスピンオフの研究会のためである。12月に予定されていた分を合同開催としたこともあって、朝から10時間、お昼休憩を挟みつつ、2つのテーマについて議論を重ねることとなった。前半は「計画」について、後半は「共生」について、という具合に、茫漠としたテーマのようだが、それぞれ、コミュニティ・デザインの手法について、コミュニティ・デザインの担い手や対象や協力者について、深めることが目的であった。

テーマ「計画」は、弘本由香里さん(大阪ガスネットワーク)の進行のもと、高田光雄先生(京都美術工芸大学)が話題提供をされ、それに私がコメントしていく、という流れだった。高田先生からは、ご自身の捉えるコミュニティ・デザインの概念について各種文献を紹介しつつ、建築学におけるコミュニティ論のもとでの研究フィールドへの向き合ってこられた姿勢と現場と共に開発した地域開発の手法について、そしてそれらを結び合わせて行ってきた6つの実践的研究の概要について語られた。とりわけ印象的だったのは、ハードとソフトの両面での都市計画では「白紙に絵を描く」という観点ではcity planningでもcommunity designもほぼ同義であるが、住民参加のまちづくりや歴史的市街地の再生など、人の営みに着目していけば、community managementの観点がより重要になるのではないか、と指摘されたことである。その他にも、関西を主なフィールドにされてきたものの、東京からの情報発信により、むしろ現場への関心が高まる、といった工夫をされていたことなども興味深かった。

テーマ「共生」は、前田昌弘先生(京都大学)の進行のもと、渥美公秀先生(大阪大学)が話題提供され、それに川中大輔先生(龍谷大学)がコメントしていく、という流れだった。渥美先生からは、ご自身の研究歴と災害史との関係をまずお話いただいた上で災害史に対してご自身の研究における手法の変遷が示された上で、柄谷行人の「世界史の構造」での交換様式についての理論について簡潔に解説された後、共生を「A+B→A’+B’+α」という化学反応式のように捉えたとき、演算子(上掲の式では「+」)の意味、各項(AとB)の集合体の境界、さらなる項(C、D…)の可能性と影響など、理論的かつ論理的に、各々のコミュニティ・デザインに対する認識が揺さぶられることとなった。そこに川中先生が社会学を中心に怒濤のように文献を引用し、ご自身の教育実践の様子も紹介しつつ、「共生の難問・難所」を突き詰めていく展開となった。

この研究会は非公開ながら連続的に展開されており、既に1回目の新川達郎先生の内容が大阪ガスネットワークのエネルギー・文化研究所のホームページで公開されている。そして、今回の内容もまた、後日、公開される予定である。ただ、高田先生の話題提供に対する私の応答部分は相当の加筆修正が必要になりそうで、やや気が重い。と同時に、まだまだ浅学であることを自覚し、高田先生や渥美先生、そして圧倒的な読書量や丁寧な読解を通じて一つの場に臨む若手の皆さんの姿勢に、自らの振る舞いを内省する契機をいただけることに感謝している。

皆でおそろいのお弁当をいただきました
<Nikon Z30, NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR [36mm/a full-frame equivalent 54mm], f5.3, 1/60, ISO320>

2023年1月6日金曜日

「もう」でも「まだ」でもなく

立命館大学の仕事始めである。衣笠キャンパスに向かうと、アカデメイア立命21の改修工事のために2018年より個人研究室を移すことになった尚学館に足場が組まれていた。昨年の秋以降に行われていた有心館に続く外壁タイルなどの点検・補修のためと思われる。衣笠キャンパスの多くの建物には、立命館史資料センターによる2022年1月27日の記事「衣笠キャンパス校舎の泰山タイル」にあるとおり、建築に詳しい人には名高いタイルが用いられており、末永く大切にされて欲しいと願うところである。

年始早々にキャンパスに向かったのは、いつもお世話になっている共通教育課のスタッフの皆さんへのご挨拶に加え、年末に届いた荷物の引き取りという目的があった。宮城と東京では2月から、関西では3月に公開となる映画「ただいま、つなかん」の風間研一監督から、映画の宣伝素材をお送りいただいていたのだ。「つなかん」とは宮城県気仙沼市の唐桑にある民宿「唐桑御殿つなかん」のことで、2014年から1年ほどかけて「つなかん」の隣にある山桜の木のもとに「TUNAMARU」というツリーハウスを建設したご縁がある。底抜けに明るい菅野一代さんの魅力に惹かれた人は私たちも含めて数多く、それが結果として映画へと結実した、という具合なのだが、そうして「つなかん」に思いを馳せた日に、今の立命館災害復興支援室の室長を務めておられる宗本晋作先生から、今年の3月の「いのちのつどい」などについて相談の電話があったのも、これまたご縁な気がする。

大学の後は鍼灸院に向かった。年末年始の疲れで、肩と腰がひどい状態だという自覚があったためである。年末にはそれが予見できていたので、予約しての通院であった。それゆえ、関西学院大学の岡本仁宏先生の最終講義は移動のあいだのみの拝聴に留まった。岡本先生には、社会人大学院生で学んでいた折にゲスト講師で来られた授業にて倫理学について平明な解説をいただいたのが最初で、2020年度の大学コンソーシアム京都による第26回FDフォーラムをはじめとして何度かお世話になる機会があった。

立命館大学に着任したのは2011年4月で、このまま定年まで働くと、あと17年である。それこそ「マネジメント」に関する著作で知られるドラッカーによる「コップの水」のエピソードのように、もう17年か、まだ17年か、その捉え方によって、今後の働き方は大きく変わってくるだろう。岡本先生のお話では、阪神・淡路大震災を契機に、それまでの政治哲学に加えて非営利組織論も専門とされるようになり、2009年には大学院の指導教授として再審査も受けられた、という。その点では、年数の如何によらず、「まだ」習得しえない、また出会えていない知の世界がある、という前提に立ち、まだまだ浅学の身であることを自覚することが肝となろう。

2011年の入職当初はBKCのアクロスウイングの琵琶湖を見渡すことができる部屋でした
<Nikon Z30, NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR [16mm/a full-frame equivalent 24mm], f7.1, 1/7/, ISO100>

2023年1月5日木曜日

まにあって

立命館大学の冬季休暇も最終日となった。休暇中も、当初の締切が過ぎた仕事に精力的にあたったつもり、である。しかしながら、つもり、ではダメなのが仕事というものであることは、重々理解している。理解していてもできない理由を、カントの道徳的観点か、アリストテレスの幸福的観点か、いずれかで語るべし、などという問いを投げかけられれば、何か書けそうな気もしているが、そんなことは現時点では誰からも私には求められていない。

それでも今日、明日の朝9時に立命館大学の業務開始に届けられる仕事を複数仕上げることができた。このところブログが続いているのも、日々の出来事をきちんと綴ることが、結果として後に困る場面を減らすことができる、と捉えた上で、自分への課題としたゆえんである。もちろん、そもそも締切があるものの締切を守ることができていないのに、という指摘も寄せられるだろう。それでも、2022年から持ち越した事柄は後は数えるほどとなり、少なくとも2023年になすべきことに、現時点においては悪影響はもたらされる見込みはない状況にある。

このところ、実家に帰省した時間を除いて、起きている時間はほとんどパソコンの画面に向かい、キーボードで文字を入力する時間を過ごしていた。主にはこたつで、その他はソファで、時には椅子にかけてテーブルで、打鍵音を響かせていた。今のメインパソコンはAppleのMacBook Pro 14インチ(2021年)モデルなのだが、全く相性が合わなかったMacBook 12インチ(2017年)は論外として、長く相棒として活躍してくれたMacBook Proの2011年(正確にはEarly 2011)モデルの感覚を想い起こせてくれる打鍵感である。ちなみにマニアックなことながら、MacBook Proの2011年モデルは最初は15インチを中古で購入し、途中で状態のいい中古に買い換え、その後に満身創痍となって13インチモデルへ移行、Snow Leopardと呼ばれるMac OS10.6.8にてコロナ禍の深刻化の直前まで使用し、デンマーク時代の記憶も含め、思い出深い機種である。

そうしてお籠もり状態が続いたこともあり、夕方には小さな運動と散歩と日用品の買い物に出かけた。思いの他、腰と腕に負担がかかっていたようで、わずかな外出時間であっても、キーボードの打鍵以外の筋肉の動きに対し、身体があまりに運動不足の状態にあることを素直に気づかせてくれた。画面以外を観ていないことで、目にも相当の疲れが出ていることを、明後日に満月となるであろう月のあかりが教えてくれた。喪中ということで参拝は控えたものの、鳥居越しに月を眺め、その明るさにしばらく目を向けてみたら、なんだか龍が月を食べようとしているような構図に見えてきた。

星座のように雲もまた「見立て」で楽しめることに改めて気づく
<Nikon Z30, NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR [21.5mm/a full-frame equivalent 32mm], f4, 1/30, ISO7200>


2023年1月4日水曜日

厄除け

わずかな実家への帰省を終え、仕事モードへと戻った。国立大学を含めた公共団体をはじめ、いくつかの会社は今日から仕事始めとなったところが多いようで、朝からメールやLINE・Facebookでのメッセージがいくつか届いた。また、年末年始にCOVID-19で療養していた方もおられたようだ。そうして新たに跳び込んでくる用務に対応していると、年を越えて抱え込んでしまった事柄への対応が後手後手となってしまい、まるで対戦型テトリスをしているような感覚になることもある。

今日の午前中の「耳のお供」は、昨日1月3日に放送されたNHKラジオR1の「ヤマザキマリラジオ」とした。立川志の輔師匠がゲストで来られた回である。年末12月30日の松岡正剛さんのゲスト回も聴かねばならないと思いながら、1月1日の文化放送「志の輔ラジオ 落語DEデート」でのヤマザキマリさんのゲスト回(2022年9月4日放送回の未放送分の利用)での「ヤマザキマリ伝」と関連しそうで、先にそちらを聴くこととした。ちなみに「ヤマザキマリ伝」では、エッセイ『ヴィオラ母さん』を出版される程、豊富なエピソードがあるお母さまのお話から、ヤマザキさんが多彩な才能を花開かせている背景を知ることができた。
(ちなみに1月3日、ヤマザキマリさんの公式Twitter(情報用アカウント)にて、「母リョウコこと山崎量子」さんが12月30日に亡くなられたとあった。謹んで哀悼の意を表しつつ、「ヤマザキマリ伝」での「あなたの誕生日にはあなたを産んだ母に感謝する日であってもいい」と電話をかけてこられたというお話に笑わせていただいたことに感謝申しあげます。)

志の輔師匠がゲストの「ヤマザキマリラジオ」では、ヤマザキさんが各国の暮らしを送る中で、お風呂と落語がアイデンティティになる、というきっかけのもと、志の輔師匠から、立川流家元の談志師匠による「業の肯定」のお話(お風呂のお湯の温度に絡めて)、そして一人が複数の人物を演じていくという落語の特徴に言及される流れとなった。まるで高座を伺っているような感覚にもなった。そして、ヤマザキさんから「新作落語について」の問い(34分25秒ごろ〜)において、物語に根ざす哲学についての対話が大変興味深かった。お二人とも、清水義範さんの作品に「おかしいけど深い」と感銘を受けたという共通点もあるようだが、お二人は昨年が初対面というから、ご縁というのは不思議なものである。

そんな具合で、耳のお供のはずが、耳から心を奪われ、結果として仕事が手に付かず、という悪循環に陥ってしまった午前中だった。午後には多少、挽回したものの、休みはあと1日を残すばかりとなってしまった。ちなみに、昨日、弟が買いに行き、おみやげにと持たせてくれた袋井・法多山の厄除団子を15時のおやつにいただいた。果たして晴れて厄を除けることができ、立命館大学の冬季休暇が終了となる1月6日の朝9時を穏やかに迎えることができるかどうか、それは明日の夜に明らかとなるだろう。

毎年1月3日に父の運転でお参りを続けていた法多山の厄除団子
<Nikon D3S, Micro DX Nikkor 40mm, f4.5, 1/80, ISO400>

2023年1月3日火曜日

命の日

父を見送ってから1年になる。1年前の今日、実家に帰るために自宅近くのバス停で京都駅行きのバスを待っていたときに受けた母からの電話は、今でもよく覚えている。スピーカー越しに聞こえてくるサイレンの音から、病院に向かう救急車の車内ということ、そしていつも以上に慌ているいる上に、119に電話をかけたときの状況から、事の深刻さには察しがついた。救急車での搬送は初めてのことではなく、少なくとも以前に叔父が付き添って病院へと搬送されたときとは大きく異なっていることは明らかだった。

最後に会ったのは2021年の12月20日だった。この日、浜松市の創造都市推進の補助金に採択された事業の現地視察のため、実家に立ち寄ったためだ。19日の夕食と20日の朝食は一緒に取った。まさかこのときの滞在が最期に食事を共にすることになるなど思ってもみなかった。ただ、デジカメの時代、もっと言えばスマートフォンで簡単に撮影できる時代だからこそ、何気なく撮った写真から、数々の記憶を思い出すことができる。

命日というのは命の日と書く。私は浄土宗のお寺に10年間にわたり身を置いていたものの、菩提寺は曹洞宗である。命日に墓参をしたところ、卒塔婆には曹洞宗で一周忌を意味する「小祥忌」とあった。来年の三回忌は「大祥忌」と呼ぶそうだが、この1年かけて徐々に伴侶の死を受け止めてきた母のことを思うと、また次の1年を穏やかに過ごして欲しいと願うところである。

そもそも、生前と書いて亡くなる前のことを指すのも不思議な感じがする。ちなみに墓参の後は実感で弟の家族と昼食を共にしたのだが、こどもたちは私に「じいじ」の面影を重ねてくれたようで、長引くコロナ禍ゆえに今回がほぼ初めての交わりとなった今年で3歳になる末っ子はには意外なほどになついてきてくれた。父が「じいじ」モードで生前にかわいがってきたからなのだろう。あるいは、私が幼少の頃に読んでいた絵本「たろうとつばき」の読み聞かせが、思いの他、こどもたちに受け入れられたからなのかもしれない。

墓石は年末のお参りで母が磨き掃除をしていたという
<Nikon Z30, NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR [50mm/a full-frame equivalent 70mm], f6.3, 1/250, ISO140>

2023年1月2日月曜日

耳学問

この年末年始、溜まったものを一つずつ片付けている。ドキュメントスキャナーを活用した紙書類の整理、締切が過ぎた原稿の仕上げ、間もなく締切がやってくる原稿への着手、そして通常と変わりなく届くメールへの返信、という具合である。ほとんどがパソコンでの作業や仕事となる中で、決まってラジオをお供にするようにしている。迷ったときにはデンマーク滞在中に知ったデンマーク国営放送のラジオプログラム(P8)のジャズを流しっぱなしにするものの、今日は15時10分から、昨夜(1/1)聞き逃してしまい、かつ、聞き逃し配信のないNHKのラジオ番組「坂本龍一ニューイヤー・スペシャル」を聞き逃すことのないよう、時計に注意を向けてみた。(素敵な演奏の紹介が続いた後、番組終了時、先日世界配信された映像作品が1月5日にNHK総合にて放送されること、さらには映画バージョンの編集中であることに触れた上で、「それではまた1年後、2024年のお正月もこの番組でお会いできることを楽しみにしています」と触れられたのが印象的だった。)

朝には昨晩に生放送された「高橋源一郎の飛ぶ教室」の聞き逃しに耳を傾けた。「すっぴん」時代から、金曜日には高橋源一郎さんの語りに学びを得てきたが、2021年と2022年に続き、3回目となる「新春!初夢スペシャル」が、元日に時間枠も拡大しての放送があったためだ。ゲストは20時台が上野千鶴子先生(12月23日に大友良英さんを迎えた本放送の前に収録済みとのこと)、21時台がスタジオに鈴木涼美さん、オンラインで伊藤比呂美さんと上野千鶴子先生であった。ちなみに昨夜の段階で聞き逃しを聴いていたものの、寝落ちしてしまっていたのだが、今回のゲストである上野千鶴子先生もまた、事前収録分での語りの際、同じパターン(聞き逃しで寝落ち)となっていますこともある、と仰っていた。

夜には眠りへと誘われた対話だったものの、朝に改めて耳を傾けると、作業や仕事の手は進まず、むしろその内容へと関心が奪われることとなった。21時台の「実家に集まった親戚」という設定のもとでのトークも興味深かったが、20時台の上野先生へのインタビューで、源一郎さんが日本のフェミニズムの歴史を上野先生の著作などをもとに4つの波*があったと確認した場面(20分06秒ごろ)から、ラジオの音声はBGMではなく学びの教材となった。というのも、4つの波を確認した上で、第3波はアメリカが中心で日本にはなかったかもしれないと上野さんは指摘していることまで紹介すると、上野さんは「話すと発見があるのですね」と前置きした上で、「サブカルの中でのコミケや腐女子」などが第3波として位置づけられるかもしれない、と新たな解釈を重ねたのである。ただ、源一郎さんは事前の文献解題のもとで、アメリカのような形で第3波が起きなかったという前提であれば「日本では1970年代から2010年代の40年間、日本ではフェミニズム運動がなかったに等しい感じですよね」と問いかけたところ、上野先生は「ちょっとやめてくださいよ」と間髪入れず合いの手を入れ、続けて「70年から1970年40年間「私たちはどんなに地道にやってきたか、見えなかっただけ」と喝破し、「メディアが取り上げなかった」という意味で「目立たなかった」のだと説いた。

*(なお、4つの波を要約すると、第1波は19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的に起きた女性参政権など法的な権利獲得のための文化運動、第2波は1960年後半から70年代にかけてのいわゆるウーマンリブと呼ばれる学生運動を背景とした女性解放運動、第3波は1990年代のポップカルチャーから生まれたガーリーカルチャーの台頭、(4)2010年代のオンラインアクティビティによるme tooを中心した性暴力告発、と紹介され、出典は明示されなかったものの、NHK出版の学びのきほんシリーズの1つとして2022年4月に刊行された『フェミニズムがひらいた道』などが参考になされたと推察されるが、ここでは原典の追究には立ち入らない。ちなみに2023年1月2日、NHKのEテレにて22時から23時40分まで、「100分de 名著」2023年新春スペシャル「100分deフェミニズム」が放送されることには、「高橋源一郎の飛ぶ教室」内では触れられなかった。)

旧知の二人で行われた対話ということもあって、緊迫度を増した場面を経て、言葉のやりとりはさらに密度を増していったようにも感じられた。具体的には、「80年代から90年代というのは、草の根フェミニズムと行政との蜜月時代」で「女性センター建設ブーム」「北京女性会議」など「裾野がものすごく広がらなかった」という説明に続き、源一郎さんは「上野千鶴子を社会学して欲しい」というリクエストのもとで、「フェミニズムという言葉を使って様々に書いているもの、それが目指しているものと、実際に現実に降りて形をなしてつくっていくものとは違うところがあるっているのでは?」(33分4秒ごろ)という問いを上野さんに投げかけた投げかけた。この問いには、運動系ではポジティブなことしか言わないから、と応答され、男女混合名簿はなぜ男が先なのかということに疑問を持った人がいたから変わった、といった例も添えられた。耳学問とはよく言ったもので、時間にしてわずかな語りを、何度も聞き返し、文字に起こすことにしたので、自らの学びのために、以下、残しておくこととしよう。

  • (25分20秒ごろから)「第2波に関して言うと、私ね、やっぱり振り返って今つくづく思うのはね、あれwomens liberationでね、womens equalityじゃなかったんですよ。」
  •  (25分33秒ごろから)「考えてみたらliberation、解放ですからね、自分を縛っているものから解放されたい。で、だから解放された後には、自由が欲しい。平等が欲しかったというより自由が欲しかったっていうのが基本のキだったんじゃないか。じゃあ、あのときの運動の目玉はね、自己解放っていうのは自分でやるしかないんですよ。」
  •  (26分13秒ごろから)「誰からも命じられていないのに勝手に動いてしまう私、っていうものから解放されたかったというのが、あの当時の女たちの気持ちだったって思います。」 
  • (26分30秒ごろから)「そのliberationというのはずっとそれ以降、今だって続いていて、第2波は決して古びていない。」
(その他にも文字に起こさないまでも、聞き入った場面を挙げれば切りがない。一例として、京都大学大学院に在学中に、学生運動の敗北として「失語症になった」と語った場面が挙げられる。加えて、その後、尾﨑放哉の自由律俳句の句集『大空(たいくう)』に出会ったことを契機に歌を詠むようになり、「上野ちづこ」の名で『黄金郷(エル・ドラド)』という句集を出版されたことも、投獄経験のある源一郎さんにだからこそ躊躇なく語られたのだろうと想像した。さらに、2019年の東京大学の入学式での祝辞が着目されたことで、若い世代に語る機会が触れたようだが、これまで「壇の上から」のスピーチをしてきたことを「野蛮」と自省された場面も印象的だった。ちなみにコロナ禍を経てリモートでの対話の機会が増え、若い世代とフレンドリーに向き合えるようになり、距離感がなくなったことを「やりとりがとっても楽しい」と語っておられた。)


聞き逃しサービスがない再放送を聞き逃さないようにチェックした番組表
<Nikon D3S, Micro DX Nikkor 40mm, f7.1, 1/200, ISO3200>

2023年1月1日日曜日

瑞雲

大阪・天王寺の浄土宗大蓮寺・應典院を離れてから、年始には京都・鹿ヶ谷の法然院をお参りさせていただくことが習慣となっている。今年もまた元日に、梶田真章貫主による新春法話「共に生きる〜絆と縁、愛と慈悲」を伺った。お念仏に続き、前夜からの除夜の鐘の様子に始まり、朝4時に鐘を撞いて勤行をされたこと、その後に仮眠を取られて14時からの法話に臨まれていること、「よいお年を」は数え年で年齢を重ねることへの祝意が込められて「よいお歳を」という意味と捉えていること、そして人間は言葉による意味づけによって納得を求めるという素晴らしくも厄介な生きもの、というお話から、1時間の法話が始まるのは、少なくともこの数年変わらない。ただ、歌や落語もまた、何度同じ内容を耳にしたとしても都度都度、その受け止め方が変わることがあるように、梶田貫主の法話もまた、伺うたびに、新たな発見に触れさせていただいている。

今年もまた、A4版両面のレジュメと、原始仏典(「ダンマパダ」と「スッタニパーダ」からの「ブッダの言葉」、「広辞苑第6版で読む阿弥陀如来」、法然上人源空の略年譜、親鸞聖人の略年譜と、合計で6ページにわたる資料が配られた。ただ、今年はA4版両面のレジュメで記された内容について、比較的割愛する部分がなく、最後までお話になられた。そして、事実を観る(あきらめる)ことと未来を勝手に観ない(あきらめない)となることが、他者に思いを馳せつつ、共に生きるということではないか、とされた。そのあいだに、例年どおり、共生というときの人間と自然との関係性についての問題提起も含まれていた。

とりわけ今回の法話を伺う中で、仏においての善悪と私にとっての損得とが混同、あるいは取り違えられる、といったお話が深く印象に残った。授業で地域参加の意義を説く中で、そのメリット・デメリットを自らの尺度で捉えて再整理する受講生の感想に触れる機会が増えてきていることによる。そこに客観的かつ絶対的な社会的価値を語っているようで、実は主観的で相対的な個人的価値を提示しているのでは、という指摘をすると、自分の意見を否定された、という抵抗や拒絶が示されることもある。一人ひとりの感想は尊重するが、意見に対しては批判を受け入れる姿勢を構えて欲しいのだが、なかなか簡単にはいかないようである。

ちなみに例年、新春法話の中盤で語られるのが、柳田國男先生が指摘されたという「先祖教」の4つの特色をもとにした現世での幸せを追求していく流れについてであり、信心の近代化と個人化に関する物語として興味深く拝聴している。日本人が無宗教と言われるのは、特定の教祖をもつ宗教を信じていないものの、生活文化として地域の宗教(送り火、精霊流し、門松、お年玉、たなばた、など)が形成され、江戸から明治にかけて仏壇が登場することで家の宗教(先祖供養)が根ざしていった、と説かれる。今年は昨年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻もあって、執着こそがいさかいの原因になるという観点での「愛は地球を救わない」という言葉が、より実感を伴って参加者に響いたように思われる。そうした情勢もあってか、山門をくぐると目に入る白砂壇には「めでたいことの起こるきざしとして現れる雲」を意味する(ゆえあってか、かつて大日本帝国海軍が水上偵察機の名前にも用いていた)「瑞雲」の字が描かれていた。



例年、法然院の随身、木戸康平さんが手がけてこられた白砂壇。
<Nikon D3S, Micro DX Nikkor 40mm, f4.5, 1/80, ISO400>