この年末年始、溜まったものを一つずつ片付けている。ドキュメントスキャナーを活用した紙書類の整理、締切が過ぎた原稿の仕上げ、間もなく締切がやってくる原稿への着手、そして通常と変わりなく届くメールへの返信、という具合である。ほとんどがパソコンでの作業や仕事となる中で、決まってラジオをお供にするようにしている。迷ったときにはデンマーク滞在中に知ったデンマーク国営放送のラジオプログラム(P8)のジャズを流しっぱなしにするものの、今日は15時10分から、昨夜(1/1)聞き逃してしまい、かつ、聞き逃し配信のないNHKのラジオ番組「坂本龍一ニューイヤー・スペシャル」を聞き逃すことのないよう、時計に注意を向けてみた。(素敵な演奏の紹介が続いた後、番組終了時、先日世界配信された映像作品が1月5日にNHK総合にて放送されること、さらには映画バージョンの編集中であることに触れた上で、「それではまた1年後、2024年のお正月もこの番組でお会いできることを楽しみにしています」と触れられたのが印象的だった。)
朝には昨晩に生放送された「高橋源一郎の飛ぶ教室」の聞き逃しに耳を傾けた。「すっぴん」時代から、金曜日には高橋源一郎さんの語りに学びを得てきたが、2021年と2022年に続き、3回目となる「新春!初夢スペシャル」が、元日に時間枠も拡大しての放送があったためだ。ゲストは20時台が上野千鶴子先生(12月23日に大友良英さんを迎えた本放送の前に収録済みとのこと)、21時台がスタジオに鈴木涼美さん、オンラインで伊藤比呂美さんと上野千鶴子先生であった。ちなみに昨夜の段階で聞き逃しを聴いていたものの、寝落ちしてしまっていたのだが、今回のゲストである上野千鶴子先生もまた、事前収録分での語りの際、同じパターン(聞き逃しで寝落ち)となっていますこともある、と仰っていた。
夜には眠りへと誘われた対話だったものの、朝に改めて耳を傾けると、作業や仕事の手は進まず、むしろその内容へと関心が奪われることとなった。21時台の「実家に集まった親戚」という設定のもとでのトークも興味深かったが、20時台の上野先生へのインタビューで、源一郎さんが日本のフェミニズムの歴史を上野先生の著作などをもとに4つの波*があったと確認した場面(20分06秒ごろ)から、ラジオの音声はBGMではなく学びの教材となった。というのも、4つの波を確認した上で、第3波はアメリカが中心で日本にはなかったかもしれないと上野さんは指摘していることまで紹介すると、上野さんは「話すと発見があるのですね」と前置きした上で、「サブカルの中でのコミケや腐女子」などが第3波として位置づけられるかもしれない、と新たな解釈を重ねたのである。ただ、源一郎さんは事前の文献解題のもとで、アメリカのような形で第3波が起きなかったという前提であれば「日本では1970年代から2010年代の40年間、日本ではフェミニズム運動がなかったに等しい感じですよね」と問いかけたところ、上野先生は「ちょっとやめてくださいよ」と間髪入れず合いの手を入れ、続けて「70年から1970年40年間「私たちはどんなに地道にやってきたか、見えなかっただけ」と喝破し、「メディアが取り上げなかった」という意味で「目立たなかった」のだと説いた。
*(なお、4つの波を要約すると、第1波は19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的に起きた女性参政権など法的な権利獲得のための文化運動、第2波は1960年後半から70年代にかけてのいわゆるウーマンリブと呼ばれる学生運動を背景とした女性解放運動、第3波は1990年代のポップカルチャーから生まれたガーリーカルチャーの台頭、(4)2010年代のオンラインアクティビティによるme tooを中心した性暴力告発、と紹介され、出典は明示されなかったものの、NHK出版の学びのきほんシリーズの1つとして2022年4月に刊行された『フェミニズムがひらいた道』などが参考になされたと推察されるが、ここでは原典の追究には立ち入らない。ちなみに2023年1月2日、NHKのEテレにて22時から23時40分まで、「100分de 名著」2023年新春スペシャル「100分deフェミニズム」が放送されることには、「高橋源一郎の飛ぶ教室」内では触れられなかった。)
旧知の二人で行われた対話ということもあって、緊迫度を増した場面を経て、言葉のやりとりはさらに密度を増していったようにも感じられた。具体的には、「80年代から90年代というのは、草の根フェミニズムと行政との蜜月時代」で「女性センター建設ブーム」「北京女性会議」など「裾野がものすごく広がらなかった」という説明に続き、源一郎さんは「上野千鶴子を社会学して欲しい」というリクエストのもとで、「フェミニズムという言葉を使って様々に書いているもの、それが目指しているものと、実際に現実に降りて形をなしてつくっていくものとは違うところがあるっているのでは?」(33分4秒ごろ)という問いを上野さんに投げかけた投げかけた。この問いには、運動系ではポジティブなことしか言わないから、と応答され、男女混合名簿はなぜ男が先なのかということに疑問を持った人がいたから変わった、といった例も添えられた。耳学問とはよく言ったもので、時間にしてわずかな語りを、何度も聞き返し、文字に起こすことにしたので、自らの学びのために、以下、残しておくこととしよう。
- (25分20秒ごろから)「第2波に関して言うと、私ね、やっぱり振り返って今つくづく思うのはね、あれwomens liberationでね、womens equalityじゃなかったんですよ。」
- (25分33秒ごろから)「考えてみたらliberation、解放ですからね、自分を縛っているものから解放されたい。で、だから解放された後には、自由が欲しい。平等が欲しかったというより自由が欲しかったっていうのが基本のキだったんじゃないか。じゃあ、あのときの運動の目玉はね、自己解放っていうのは自分でやるしかないんですよ。」
- (26分13秒ごろから)「誰からも命じられていないのに勝手に動いてしまう私、っていうものから解放されたかったというのが、あの当時の女たちの気持ちだったって思います。」
- (26分30秒ごろから)「そのliberationというのはずっとそれ以降、今だって続いていて、第2波は決して古びていない。」
(その他にも文字に起こさないまでも、聞き入った場面を挙げれば切りがない。一例として、京都大学大学院に在学中に、学生運動の敗北として「失語症になった」と語った場面が挙げられる。加えて、その後、尾﨑放哉の自由律俳句の句集『大空(たいくう)』に出会ったことを契機に歌を詠むようになり、「上野ちづこ」の名で『黄金郷(エル・ドラド)』という句集を出版されたことも、投獄経験のある源一郎さんにだからこそ躊躇なく語られたのだろうと想像した。さらに、2019年の東京大学の入学式での祝辞が着目されたことで、若い世代に語る機会が触れたようだが、これまで「壇の上から」のスピーチをしてきたことを「野蛮」と自省された場面も印象的だった。ちなみにコロナ禍を経てリモートでの対話の機会が増え、若い世代とフレンドリーに向き合えるようになり、距離感がなくなったことを「やりとりがとっても楽しい」と語っておられた。)
聞き逃しサービスがない再放送を聞き逃さないようにチェックした番組表
<Nikon D3S, Micro DX Nikkor 40mm, f7.1, 1/200, ISO3200>
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