最後に会ったのは2021年の12月20日だった。この日、浜松市の創造都市推進の補助金に採択された事業の現地視察のため、実家に立ち寄ったためだ。19日の夕食と20日の朝食は一緒に取った。まさかこのときの滞在が最期に食事を共にすることになるなど思ってもみなかった。ただ、デジカメの時代、もっと言えばスマートフォンで簡単に撮影できる時代だからこそ、何気なく撮った写真から、数々の記憶を思い出すことができる。
命日というのは命の日と書く。私は浄土宗のお寺に10年間にわたり身を置いていたものの、菩提寺は曹洞宗である。命日に墓参をしたところ、卒塔婆には曹洞宗で一周忌を意味する「小祥忌」とあった。来年の三回忌は「大祥忌」と呼ぶそうだが、この1年かけて徐々に伴侶の死を受け止めてきた母のことを思うと、また次の1年を穏やかに過ごして欲しいと願うところである。
そもそも、生前と書いて亡くなる前のことを指すのも不思議な感じがする。ちなみに墓参の後は実感で弟の家族と昼食を共にしたのだが、こどもたちは私に「じいじ」の面影を重ねてくれたようで、長引くコロナ禍ゆえに今回がほぼ初めての交わりとなった今年で3歳になる末っ子はには意外なほどになついてきてくれた。父が「じいじ」モードで生前にかわいがってきたからなのだろう。あるいは、私が幼少の頃に読んでいた絵本「たろうとつばき」の読み聞かせが、思いの他、こどもたちに受け入れられたからなのかもしれない。
墓石は年末のお参りで母が磨き掃除をしていたという
<Nikon Z30, NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR [50mm/a full-frame equivalent 70mm], f6.3, 1/250, ISO140>
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