冬季休暇が明けて最初の水曜日である。通常であれば、受講している英語のクラスに参加するために朝から大阪・中之島まで向かうのだが、今週は講師の先生の都合で、当初から開講されないスケジュールとなっていた。そこで、午前中は自分の授業準備と、わずかながら身体を動かす時間とした。そして、午後はすぐにやってきた。
午後は京都市役所に伺った。都市計画局のスタッフの方との意見交換のためである。かつて、立命館大学のシチズンシップ・スタディーズIを受講していた職員さんから、大学と連携した事業の展開可能性について相談を受け、昨年12月の初回は対面で、2回目はZoomで、そして3回目となる今回は再び対面で集まることとした。
京都市の財政逼迫については既に各所で指摘されていることもあって、まちの魅力や住民らによる地域の自治へ関心が高まるようにするためには、ひと・もの・かねといった資源を積極的に投入して「市役所が高める」といった方針を前提にすることはナンセンスである。もとより、そうして役所が管理する、秩序を保つ、という姿勢こそが、住民らのポテンシャルを無力化させてしまうことにもなる。それもあって、かつて地域参加学習に取り組んでいた職員からの呼びかけ応えるべく、学生が地域に入り、学び、その一連のプロセスを記述したものを地域に還元することで、学生が地域活性化の触媒になれば、という願いのもとで、来年度の授業で連携・協力できそうな内容について、今日は具体的に示してみた。
同志社大学大学院総合政策科学研究科時代の仲間たちを中心にして刊行「ソーシャル・イノベーションが拓く世界」(法律文化社、2014年)で、編者の西村仁志さんは「ボヤキ」と「やる気」の対比により、理想像を実現するための手がかりを記している。京都市役所の後には、立命館大学びわこ・くさつキャンパスに向かい、ちょうど「現代社会とボランティア」という科目で受講生のプレゼンテーションが行われる日だったこともあり、「ボヤキ」や「モヤモヤ」を大切にすることが、結果として社会の構造に関心を向け、かつ理解を進めていく契機になる、といったことを、ゲストコメンテーターに迎えた蔵田翔さんとの対話の中でも、暗に触れることにした。一方で、社会問題の解決、といった観点では「医学」の比喩のもとで地域の診察や治療といったことが言われることもあることを思えば、地域の生活習慣病や町内会のアンチエイジングといった具合に比喩を展開して考えていくのも一つの手がかりかもしれない。
物理的に距離を取る戦略が社会的な処方ということで
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