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2010年5月16日日曜日

大阪市の博物館施策への期待(大阪市博物館施設研究会講演録)

2008年5月18日、国際博物館の日記念シンポジウム「都市の魅力発信と博物館連携‐大阪市の博物館を語る‐」に出講の折、発言した内容が、時を経て、2010年5月16日付で、記録集が発行された。特に著作権に関する記述がなかったので、以下、その内容を掲載する。なお、記録集のPDF等は(少なくとも、2010年5月末現在では)公開されていない。

大阪市の博物館施策への期待

  山口 洋典(應典院寺町倶楽部事務局長)

 私は、お寺を拠点に活動するNPOの事務局長という立場から、博物館群の連携と博物館内の協働を進めてください、というお話をさせていただきます。私の活動拠点は、天王寺区の北西部にあたる下寺町に界隈にある應典院というお寺です。私どものNPOは、そのお寺で活動しています。應典院は平成9年に再建された、鉄とガラスとコンクリートというモダンな外観が特徴です。そこでの活動は既に多くの本などで紹介いただいています。たとえば文化人類学者で東京工業大学の上田紀行さんが書かれた「がんばれ仏教」には「應典院の特徴はとにかく日本でいちばん多くの若い人たちが集まる寺であるということだ」と113ページに記していただいています。実際、應典院は1年間に3万人くらいの若者が集まるお寺です。とはいえ甲子園球場には95万人くらい集まることを考えると、年間3万人が多いかどうかは皆さんの判断によるところです。しかしお寺に若者がそれだけ集まるのは、珍しいことではないでしょうか。また、そうして若者を集める仕組みや仕掛けをつくっているのが、NPOであることこそ、應典院が持つ、大きな特徴であります。そこで、今回は、お寺に人が集まり、多彩な文化芸術活動が展開されるよう取り組んでいるNPO活動の経験から、今後の博物館施策への期待についてお話をさせていただきます。
 まず、應典院の立地についてお話します。先ほどお話ししたとおり、應典院は下寺町という界隈にあります。下寺町の北端に應典院の本寺(ほんでら)にあたる大蓮寺があります。そこから松屋町通り沿いに、浄土宗のお寺が24続いています。世界中どこを見ても、教会ばかり、モスクばかり一直線上に並んでいるところはないのではないでしょうか。私は下寺町界隈を世界一の宗教都市だと思っています。ちなみにこのように配置されたのは、350年ほど前、徳川幕府によって城塞としての都市計画が進められたためです。
 江戸時代から続く寺町の一角にある應典院は、大阪大空襲によって類焼し、その後平成の時代になってやっと再建されました。このお寺の特徴を私は「3ナイ寺院」と呼んでいます。なぜなら、「檀家を持たない」、「お墓を提供しない」、「葬式をしない」ということを前提に再建計画が進められたためです。通常、お寺は檀家さんという家単位のご縁と支援を受けるのに対し、應典院は應典院寺町倶楽部への個人による参加によって支えられてます。入信ではなく入会、そんな風にパンフレットでも紹介させていただいています。このように、檀家さんを持たないために、檀家さんたちに対する墓地を提供する必要もありません。そのため、再建にあたっては死者を中心にお寺の機能を考える必要はありませんでした。そこで、本堂を劇場空間にしつらえて、「シアトリカル應典院」という劇場っぽい名前までつけ、多くの人たちが表現する機会を提供することにしました。このように、檀家を持たず、墓地を持たない、そのため、お葬式もすることがありません。だからこそ多数のイベントを行っています。後にお話しますが、講演会、演劇、映画など、多彩な催しが、お寺でなされており、そこに若者たちが集まってくる、という具合です。
 先ほど小林先生は、文化政策のご専門の立場から「市民に支えられないと博物館は財政的あるいは精神的に持たない」というお話をされていました。私も同感です。と言うのも、お寺も財政的また精神的に市民とつながらないといけないと感じているためです。振り返ってみれば、お寺は寺子屋、門前町、寺内町、そうした言葉に埋め込まれているとおり、市民と建物とのあいだで深い関係が築かれてきました。しかし、お寺と社会とのつながりは、明治の廃仏毀釈、戦後の法整備を通じて薄められることになってしまいました。ただし、應典院の再建の頃、「癒しブーム」が到来しました。再び、生活と宗教が関わりを持てそうな雰囲気が出てきたわけです。だからと言って、そうした風潮に安易に乗るのではなく、まさに温故知新で、寺社での勧進興業が劇場の成り立ちの背景にあった等、歴史に学びながら、お寺と地域とのつながりを回復する担い手としてお寺の内にNPOを設立し、事業の企画運営にあたることにしました。
 ちょうど、共同通信の小川さんが「ハコとモノとヒトがあってこの3つが大事だ」と仰いましたが、まさにお寺も同じです。境内にある伽藍がハコ、葬儀とかの儀式を行う上での設備がモノ、そして僧侶や寺族はもとより檀家・信徒の皆さんがヒトです。これを博物館になぞらえると、建物と土地があって、資料や標本があってそして学芸員がいて一般公衆に供す、という具合です。博物館法の12条にも記されています。このように捉えてみると、お寺も博物館も、ハコでヒトがモノを語る拠点となっているはずです。博物館の場合はその対価として入館料をいただくわけですが、お寺の場合はそれがお布施となるでしょう。
 ただ、そこでお寺と博物館が決定的に違うのは、博物館の場合は入館料だけでは運営ができないために、自治体等によって予算が充てられているという点です。しかし、共通して重要な点は、単にハコ、単にモノ、大事なのではなく、そこにいるヒトが、モノやハコの意味を理解して、きちんと物語をつくり、人々に提供しているということです。ここで、大阪府の方針に対して批判することになるのですが、この文脈を無視して費用対効果を評価し、効率化を優先しては、社会的・文化的な価値を見いだすことなどできません。極端な表現に聞こえるかもしれませんが、博物館など公立文化施設の廃止を進めるというのは、「あれだけ寺町にお寺が集まっているのは無駄なので、大きなお寺をひとつだけ建てて僧侶はみんなそこに行きなはれ」とも言わんばかりの話に聞こえます。私はそれぞれの館には、それぞれの館ならではの物語を紡ぐ語り手、つまりヒトがいるはず、そう思っています。
 では、実際應典院においては物語が展開されているかというと、「寺子屋トーク」と題した本堂でのシンポジウムのシリーズや、「いのちと出会う会」と題した死別経験等を語り合うトークサロン、「コモンズフェスタ」と題したアーティストと多彩なNPOとの協働による総合文化祭など、実に多様な事業を通じて、人々の暮らしといのちの問題とをつなげています。このように、應典院寺町倶楽部がお寺と社会との糊代となって、教育とか福祉とかアートの問題について、NPOの立場と観点からハコを活かしています。年間50ほどの演劇、10ほどの映画、70ほどの参加型企画が應典院で展開されていることを考えると、ハコとモノとヒト、この3つがそれぞれに大事であることは言うまでもないのですが、それらのイベントが実施できるのは應典院寺町倶楽部を通じて、僧侶をはじめとしたお寺のスタッフと外部からのボランティアが協働することで物事や出来事を動かせているという点が重要だと思っています。
 実は今回、ハコとモノとヒトを、NPOが活かしていくことの意味について改めて取り上げさせていただいたのは、以前に自然史博物館の佐久間さんとシンポジウムでご一緒した際に、特定非営利活動法人大阪自然史センターの取り組みに大変興味を持ったためです。自然史博物館ではホールや展示室や講堂があり、収集した展示物があって、学芸員やスタッフの皆さんが働いていらっしゃいます。やはり先ほどの、ハコ、モノ、ヒトの3つに対応します。この「ハコ・モノ・ヒト」を活かすもう一つのヒトがNPOではないか、と考えています。自然史博物館に対しては自然史センターが、應典院に対しては應典院寺町倶楽部が、それぞれ該当します。実際、こうした外部とのネットワークは、人脈や知恵といった無形の財産、資源として活動を充実させてくれます。ハコ、モノ、ヒト、という感じで並べるなら「ツテ」と言えるでしょう。
 このように、多くのツテを活かして應典院での活動が充実するよう工夫を重ねているのですが、今回のパネリストの一人でもいらっしゃる大阪市立近代美術館建設準備室の菅谷さんと「大阪でアーツカウンシルをつくる会」という活動を一緒にさせていただいています。ところが、8onというのは今回初めて聞きました。しかし資料を拝見させていただいて、運営の一元化と文化政策との連携を目指す目的でゆとりとみどり振興局が中核にネットワークを展開するというのは画期的だと確信しました。共同広報をはじめ、文化・教育の連携、共通専門業務というものを効率的に行い、かつ効果を出す、その両側面が導かれれば極めて画期的だと感じています。「効率的」にしようとすることが「効果的」になるようにするのは簡単なことではありません。緊縮財政のなか、博物館群として次の一手を考えていくこと、それは難しいかもしれないのですが、こうしたネットワークがあれば可能性はあるのでは、と感じました。
 さらに言えば、先ほどの自然史博物館の山西館長就任のご挨拶をインターネットで拝見して、そうした博物館がネットワークの中にあれば、他の博物館にもよい影響が導かれるのではないか、とも思いました。その挨拶文の中でも、私は2箇所でなるほど、と感じました。一つは「博物館は市民に開かれた大学でなければならない」という歴代の自然史博物館の館長や以前の学芸課長らが仰っていた言葉で、もう一つは「日本博物館協会日本博物館協会は21世紀にふさわしい新しい理念として「対話と連携」の博物館を提唱しています」という部分です。本来、このような場に私が招かれたということは、何か新しいことを伝える必要があるのかもしれませんが、むしろこういうお考えを大切にされている方が8onのネットワークの中にいらっしゃるのであれば、ぜひそうした思いに対してそれぞれの共感や共振が生まれて欲しいと願い、ここで私からご紹介させていただいている次第です。
 しかし、博物館群として積極的な連携が効率的かつ効果的に進んでいったとすると、つまり群内の博物館の間の連携がとれてくると、改めて館内の協働こそが重要になってきます。ここで連携とは一緒にすること、協働はお互いのできないことを補い合う、という意味で使い分けています。群内の連携が見えてきた今、それぞれの館内での協働の充実を上で必要な視点は、ありきたりな指摘かもしれませんが市民との対話の姿勢と実践でしょう。市民との対話を行うということは、博物館が館外に対しどのような関係を築いていくか、ということです。そうして個々の館が市民と関わりながら得た経験を、群内で連携している他の館との間で共有し、さらには館内でも共有することで、大阪の博物館が置かれている環境は一層充実していくだろうと考えています。
 もちろん、市民との対話というのは簡単なことではありませんので、一つ、私が関心を向けている事例を紹介させていただき、対話の有り様について見つめてみることにしましょう。と言うのも、今、應典院でテーマに掲げているものの一つに「防災」があって、資料を収集しているのですが、プラスアーツというNPOが取り組んでいる「イザ!カエルキャラバン!」が実におもしろいんです。これは神戸市の震災10年記念事業として平成17年から始まり、翌年から全国で展開されるようになりました。そのプログラムの一つに、蛙の図柄がついた板を水の入った消火器でこどもたちが狙う、という的当てゲームがあります。このゲームのツボは、カエルを引っくり返そう、それでポイントを稼ごう、と子どもは必死に消化器を使うことにあるのではありません。子どもがそうやって遊ぶために、親が消化器の使い方をまず覚えて、子どもに伝えるということにあります。そうして親子で防災の知識とか知恵を学ぶ、また共通の経験を持つ、そこに大きな意味があるんです。
 この「イザ!カエルキャラバン!」の事例が教えてくれるのは、子どもの遊びと学びのプログラムを展開すると、親も巻き込まれるということです。しかも、「防災」という大きなテーマであるにも関わらず、うまく世代間をまたいでいます。こういう仕掛けがそれぞれの博物館で共に考えると面白いなという気がしました。こうしたプログラムは回り道かもしれませんが、最終的に知識や知恵が身に付くものだと思っています。
 以上、お寺での取り組みをもとに、博物館と社会とのつながりについてお話させていただきましたが、まとめをさせていただきます。今回、私に与えられたテーマは博物館がどういう可能性を持つのかということでした。私は博物館の可能性とは、外部からの呼びかけや投げかけに応えることができるかどうかにかかっていると考えています。應典院では、大阪府の現代美術センターと「大阪・アート・カレイドスコープ」という事業を、大阪市のゆとりとみどり振興局と「現代芸術創造事業」を共にさせていただいてきていますが、自治体の文化政策を充実させていくには、「借り物競走」が大事ではないか、そんな風に捉えています。例えば、「大阪・アート・カレイドスコープ」では、私たちが場所を提供しました。こうして、借り物競走をしていくと自分たちの良さ、つまり何を持っているのかがわかってくるような気がします。ここから言えるのは、「博物館が何かをする」だけではなくて「博物館と何かをする」というパートナーが出てくると、博物館が持つ可能性はさらに広がるだろうということです。そうなると市民の人たちもたまたま面白いことをやっているのが博物館であり、博物館に面白い資料があるということになってくるでしょう。そういうパートナーをいかに見つけ出していくのか、それぞれの博物館の姿勢が問われているのではないでしょうか。少なくとも私たちはNPOとしてパートナーのひとりだと思っています。
 私が今、博物館施策というか、文化政策において、いちばん問題だと思っているのは、評価が入館者数になっていることです。だからと言って、ただ入館者数を増やそうではなく、面白いことをやっている博物館に行きたく、という雰囲気づくりが大事ではないでしょうか。ですからその博物館の面白さ、こんな可能性があるということを引き出す、そういうパートナーを探しつつ、その担い手となる立場としてNPOも選択肢として考えていただければ、と願っております。
 最後に、村田真さんという方の「美術館は脱美術館すべきだ」ということばを紹介させていただきます。この表現は、そのまま博物館という言葉に置き換えていただいて構わないでしょう。具体的には、「社会に開かれた公共施設であるにもかかわらず美術と社会を橋渡しするどころか、美術館そのものが内側の“美術”を外側の“社会”から遮断する額縁のごとき役割を負っている」という意見です。作品の抱え込みをしてはいかん、と置き換えたら簡単にしすぎと批判をいただきそうですが、少なくとも應典院は、「脱お寺化」するアートプロジェクトとして「お寺でアート」をしています。そういう意味でお寺を俗から切り離し過ぎるとお寺の社会的役割が見出せない、と、村田さんの言葉に合点がいっています。悪ノリするようですが、「額物のごとく」というのは、お寺自体が「墓場のごとく」と言えるかもしれません。ともかく、「脱博物館化」、「脱お寺化」、そのようなメッセージをこういう文章の中から見出せるかもしれないと思って最後に読ませてもらいました。
 應典院では、昨年再建十周年にあたり「呼吸するお寺」と題した記念誌が発行されました。お寺を身体に例えて、社会と呼吸することが大事だ、というメッセージがそこには見て取れます。最後の最後で、このメッセージから言えることを考えてみると、社会的な施設が、市民の精心的な拠点になる上で重要なのは、「for 市民」の事業を進めるのではなく「with 市民」で事業を進めることにあるのではないかと思っています。広い意味では全ての事業は市民を対象に行われるのでしょうが、一方で市民と共に展開する事業があってもよいのではないか、ということです。少なくとも、そうした考えの参考として、私たち應典院や應典院寺町倶楽部の取り組みが参考になればうれしく思います。ご静聴ありがとうございました。

(pp.38-42)

<総合討論での発言>
 問題として提起された点は、それぞれ極めて重要な論点だと思っています。ひとつ目の博物館振興方針についてですが、この点は当事者ではないと思いますので、感想で失礼します。私は午前中のパネルディスカッションが、博物館による自己評価の機会となっていると感じました。もちろん、発言の全てが博物館としての公式見解ではない部分もあるかもしれませんが、学芸員の方々がそれぞれの館を背負って人々に対して語る、こうした機会は適切な自己評価の習慣がつくこととなり、結果として現状認識から展望を見いだすことができるという観点から、ぜひ継続して行っていくのがよいのではないでしょうか。
 博物館リテラシーも、自己評価という観点と重なる論点だと感じています。リテラシーとは、「読み書き能力」という意味の外来語ですけれども、読み書きというくらいですから、読む部分と書く部分、両方の均衡を図ることが重要となります。思いつきのような話で恐縮ですが、最近言われているKY、「空気読めない」という言葉は、リテラシーという概念の読む部分だけに注目したものです。リテラシーという概念から考えると「空気書く」部分も大切だと言えるのではないでしょうか。ただ、空気を書く、というとピンと来ないと思いますので、空気を読むことが雰囲気を感じ取る、ということと置き換えますと、「雰囲気をつくる」ということを意味します。
 つまり、今の博物館は、またがこのシンポジウムも大阪市の空気を読んで、緊縮財政だとかそういう雰囲気を感じ取って、自らの立場や方針を適切に評価していると思っています。一方で、市民に対して空気を書いているのか、博物館にまつわるよい雰囲気をつくれているのか、そうした博物館内の体制や学芸員の姿勢が問われているのだと思っています。博物館が社会的な存在として、特に社会教育施設として市民と共に行動していけるのか、そうした関わり方が今後問われてくるでしょう。
 既に博物館と市民の関わり方については、私の発表の際にも触れたところですが、市民と一緒になって何かやるというのは簡単なことではないことを、ここで強調させていただきます。要するに、安易にNPOと一緒にやるだけでは何も変わらないし、むしろよけい博物館の姿勢や体制に対し首を絞められることもあるということです。よくNPOの特徴として自発性と専門性が挙げられるわけですが、専門的な知識や経験を持つ市民が組織化されたNPOと共に何かをすることが、市民と共に何かをしていると受け止められないこともあります。NPOの側からしても単に業者の一つと思われることもありますし、市民の側からしてもNPOは「プロの市民」であって市民を代表していない、などと言われることもあります。さらにはNPOのパートナーシップのもとで協働を進めていますと、何かをすることだけが目的となって、大義名分としてすり替えてしまっては、本来の意図からはどんどん離れてしまいます。
 私たちのNPOも自治体の事業を担っていますので、自戒の念を込めて言うのですが、NPOと行政の協働を行う際に重要な視点は、NPOは自発的に始めることは得意なのですが、使命感が高まりすぎてやめる自発性を持ちにくい性格があります。やりましょうはあるのですが、やめましょうとなかなか言わないし、言えない、それが私たちの自己評価でもあります。
 以上、午前中のシンポジウムがビジョン形成につながる自己評価の機会であったという点、続いて博物館のリテラシーという観点においては市民と博物館とがよい雰囲気づくりを行う「空気を読み書き」が重要となる点、そして市民との関係づくりにおいては市民社会におけるNPOの位置づけと活動特性に留意する必要があるという点、これらを頂いた問題提起へのお応えとさせていただきます。最後にもう一度、評価のことについて触れさせていただくと、今回のシンポジウムはことさらに評価と言わないまでも自己評価の機会となっていたと思っています。私もまた、発言の機会をいただくことで、自らの組織や活動を振り返ることができました。評価には自己評価と第三者評価に加えて、その間の仲間評価とでも訳せるピアレビューという方法があります。せっかく博物館群というつながりがあるのですから、単にお互いのところを賞賛する、あるいは卑下するだけではなくて、それぞれのハコ、ヒト、モノ、またツテをお互いに見つめる動きが出てくることを期待しています。

(pp.50-51)


<ちなみに、以下の内容についての発言も校正としてお送りしていたのですが、紙幅の都合で割愛がなされたようです>
 今回改めて「8on」という取り組みを知ることになったのですが、安田さんも強調されていたように、冒頭の高井さんの発言にあった5km圏内に8つの博物館が立地していることに、大阪の文化的特性が反映していると感じています。その集積度の高さは言うまでもない魅力ですが、それらが都心にあるということこそ、大事にすべきだと考えています。つまり、これだけありますよ、だけではなく、それぞれの博物館の周りには何があるのかも把握する必要もあるのではないか、ということです。
 一つの例が東京の下北沢という演劇街でしょう。下北沢が演劇のまちであると言われているのは、ただ劇場が群がっているから、というのではなく、劇場と劇場の間をいろんなお店が繋いで演劇文化を育てていることにあります。具体的には、演劇を観たあとでちょっとしたものを食べたり飲んでから帰るとか、劇団が稽古場に使っている馴染みの場所の周りにアジトのような居場所ができているわけです。
転じて大阪市の博物館群について考えると、博物館の食べ物屋さんとか本屋さんとか駐車場だとか、それらの地域資源との協働を考えていくと、まちの中の博物館としてまちに活かされるのではないでしょうか。橋下知事が言っている大阪ミュージアム構想も地域資源の魅力を再発見するという点で共通する点もあるのでしょうが、ライトアップしてひきたてるだけではなく、人が動くことで資源として活かされることもあると思うのです。ミュージアムをまちの中の単体の施設として捉えるのではなく、まちと博物館との関係から考えていかないと、安易に施策に誘導され、時に翻弄されてしまい、なんとなく華やいでいるといった一時の感覚に止まってしまうのではないかと感じています。
 何度も言いますが、ハコとモノとヒト、私はそこにツテ、すなわちネットワークがあって想いが伝わっていくと確信をしています。今後、ハコ・ヒト・モノがセットになった場所の周りに何があるのかということから、博物館や博物館群のあり方を考えていくとよいのではないでしょうか。
 博物館がまちに活かされ、まちそのものになっている代表が、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館群のモールと言われているところでしょう。もはや、スミソニアンの代名詞がモールであり、モールの代名詞がスミソニアンになっているからです。人が集まる場所に博物館がある、まさにまちの文化的価値を博物館がもたらしているわけですので、大阪もまた、形は違いながらに、都心の博物館ゆえの魅力が発信されることを願っております。