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2017年11月30日木曜日

抽象さと曖昧さの揺れ

今日は3つの用事が重なった。まずは9時から、受入担当の先生方とリサーチミーティングである。続いて、12時30分から図書館でPBLのセミナーに向かった。そして今日が締切とされた論文の投稿と続いた。

朝9時からのミーティングでは、11月15日のキッチンセミナーの内容を受け、2月に米国・サンタクララ大学で開催されるPAN-PBL2018での発表をどう組み立てるか、意見交換をした。私は11月15日のセミナーの際に指摘をいただいた「終了時点に注目することは理解しているものの、学びのプロセスを過度に簡略化しない方がいいのではないか?」という助言を受け、別の図解の案を持っていったところ、好意的に受けとめていただけた。Casper先生からはプロジェクトの指導にあたる教員は、個々の学生に向き合う場合と、学生の集団に向き合う場合とでは、どのように工夫するかについて文字にしていただけることになった。Mogens先生からはオールボー大学での事例を詳述いただくことになった。

12時30分からのPBLセミナーは、「Portfolio methodology as a means to support and assess students」がテーマだった。担当はLone Krogh先生で、いかに学生が自立して学ぶ習慣を身につけるか、教員が学生の省察をどう促すか、そのための方法論としての理解を深めることが目的とされた。理論的というよりは理念的なレクチャーの比率が高かったため、たまらず、ある参加者が「先生が仰ることは概ね理解できるし、大事な点だと思うが、じゃあそれをどうやって実践として展開していけばいいのかに関心があって今日は来た」と、流れを変えた。「それはあなたたちがそれぞれ工夫する問題」と、話がかみ合わないやりとりが重ねられつつも、4人ずつでのグループ討論において、私の参加したグループのメンバーが「Peergrade」というサービスを使用した経験を披露し、興味を持った。

その後、図書館に残り、11月30日が締切とされた論文を仕上げることにした。これは8月にアイスランドでの「国際総合防災学会(IDRiM)」で発表した内容を改めて論文としてまとめたものである。共同発表者の協力も得て、なんとか一つの形に仕上げた。提出の当日になって「締切1ヶ月延長」という案内が届いたものの、採録となれば投稿記事が永遠に残るため、当初の締切内に提出(ちなみにJSTでも11月30日に間に合うように準備し、結果としてシステムはUTC基準であることがわかった)を終え、足取り軽く帰宅した。



2017年11月29日水曜日

区切りに向き合う

水曜日はオールボー大学の文化心理学研究センターのキッチンセミナーである。今期は今日で終わりで、1月にまた再開される。1月31日からのセメスターでは5月30日が区切りとされているので、ちょうどキッチンセミナーのセメスターのあいだに帰国の日を迎えることになる。本来であれば「研究の旬の素材」を持ち込んで、その素材の味を引き立てるかの如く語り合うことが求められるのだが、2月には不在にしている期間が長いのもあって発表のエントリーを躊躇した。

今日のキッチンセミナーでは、昨日開催されたセミナー「Cultural Psychology, Embodiment and Dialogigcality Presenting the Method of  Dialogical Acting with the Inner Partner」 で来られた方々がゲストだった。社会構成主義を前提とすれば、ここでいうInnerというのは、「私の中」に本当の私があるという考えではないはずである。もっとも、そう考えるなら、質問をすればよかった。しかし、間髪入れず重ねられていく議論の隙間に入ることができなかった。

帰宅後は、明日が締切の対人援助学マガジンの連載原稿を仕上げた。明日はもう一つ締切がある。そちらは共著なために、一人で仕上げることができるものから仕上げることにした。できることをするということも、締切を守るということも、いずれも当たり前のことなのだが、当たり前のことを当たり前にできないときに、言い訳や謝罪のことばを重ねてきた自分を反省する。

対人援助学マガジンは、季刊での発行である。通常の締切は5月、8月、11月、2月の25日で、筆者がPDFの割付を行う場合は月末まで締切が延ばされる。5月から連載させていただいている私は、第1回に自らフォーマットを設定したので、そのフォーマットのもとで仕上げていくことを自らに課している。1回目はささやかに楽をした気がしているものの、回を重ねるごとに、そのフォーマットの制約も受けるため、今日はいかにしてそのフォーマットに収めるかと格闘し、なんとか脱稿した。


2017年11月28日火曜日

のど飴をなめながら

11月もまた、書きものが続く。10月も書きものを重ねたが、今月の方がその印象が強い。11月3日に一つ、そして15日に1つ、月末に2つと、数は多くはない。だからこそ、着実なスケジューリングが鍵である。

ちなみに前者2つは依頼、後者2つは志願と、性格が異なる。加えて、依頼原稿の2本は、いずれもある程度、裁量が執筆者に委ねられたものだった。そこで、せっかくデンマークにいるからこそ、の内容にしようと息巻いて臨んだ。いずれも既に公開されているものの、特に反応がなく、あまり響かなかったのかもしれないと内省を重ねている。

月末締切の1本は既に脱稿し、修正に入っている。修正は共著者に委ねることにした。共著者がいるゆえの強みでもある。こちらは明後日の締切の朝に戻ってくることになっており、それまでにもう1本の原稿を終えておくという算段である。

今日は30日締切の原稿を明日中に仕上げるべく、集中した。昔の文筆業の方であれば、灰皿を横に、鉛筆を舌なめずりして書いていたのかもしれない。転じて今日の私は、のど飴をなめながらキーボードを叩いた。もっとも、キーボードだけでなく、トラックパッドをつかって図や表もつくっており、多くの方にオールボーでの経験を何らかの参考にしていただければと願っている。


2017年11月27日月曜日

ちょっとヴァイレまで

今日はヴァイレ(Vejle)というまちまで妻と足を運んだ。オールボーからは、そこそこ距離がある。車であれば約180kmの距離を2時間ほどで着く。私たちは車のない生活をしているので、6時20分のバスに乗り、6時47分の列車に乗って、8時59分に駅に着いた。

目的地は「ガン協会」(Kræftens Bekæmpelse) である。現在、デンマークでは7箇所にカウンセリングの拠点を整備しており、10月末にはオーデンセのカウンセリングセンターにもお邪魔した。もっとも、大規模なセンター以外にも、30を越える支部が全国に置かれ、地域に密着した活動を展開している。この間、いかにして当事者(患者・遺族)が主体となった生活支援が可能か、妻がリサーチを重ねているので、私もまた、フィールドワークにお供した、という具合である。


ヴァイレのカウンセリングセンターでは、オーデンセの先にあるまち、ボーゲンセの成人教育拠点「ノーフュンス・ホイスコーレ」Nordfyns Højskole )の皆さんと合流した。日本から長期研修で訪れている皆さんの現場訪問に(ちゃっかり)乗せていただいた、という具合である。ソーシャルワーカーのDorte Larsenさんとの対話の際には、ここは忖度は不要と、デンマークでの流儀に乗って、積極的に質問を投げかけた。莫大な寄付金を調達する全国キャンペーンは各地域にどう配分されるのか、各地域のセンターや支部のあいだで連携や協力がなされているのか、といった点について、実状を知ることができた。

せっかくヴァイレまで足を運んだので、紡績工場を転用した文化施設「Spinderihallerne」にも立ち寄った。延べ床面積は13,000平方mと広大なビルに、60を越えるインキュベーションブースがあるという。外来者にも開かれており、カフェ兼ネットワーキングスペースになっている場所もあった。あいにくの雨模様の中、チャイをオーダーし、身体の内から暖まった。


2017年11月26日日曜日

つながってつなげる

今日は来年度の同志社大学大学院総合政策科学研究科の「コミュニティ・デザイン論」に関する打合せがあった。デンマーク時間では朝8時、日本では16時から、Zoomというシステムで接続された。音楽再生機と言えば一時はウォークマンが代名詞とされたように、オンラインのミーティングはSkypeで、と言う方も多い。しかし、個人的な印象を前に出させていただくなら、接続の手段は既に多様にあり、特にハードウェアやソフトウェアへの依存が低いZoomは、現時点での最適なサービスなように思う。

「コミュニティ・デザイン論」は大阪ガス株式会社エネルギー・文化研究所(CEL)による寄附講座である。2007年度から2009年度までは大学コンソーシアム京都の単位互換科目として同志社大学政策学部により学部向けに開講された。その内容は『地域を活かすつながりのデザイン』(創元社、2009年)に収められている。その後、2010年度からは総合政策科学研究科による大学院科目として発展された。

こうして打ち合わせを重ねているのは、複数の教員によって展開されることに加え、コミュニティ・デザインという概念をどのように捉えるのか、開講を前に研究会を実施してきていることによる。2010年度からの講義の内容は、2014年度の内容にもとづいて、2016年2月に『「コミュニティ・デザイン論研究」読本』としてまとめられ、全文がPDFで公開されている。この「読本」の編集が行われた2015年度は開講されず、再び2016年度からは新たな構成により、講義が組み立てられることになった。

そもそも「コミュニティ・デザイン論」では、大阪・上町台地が対象とされた。2016年度からは、そうして具体的な地域コミュニティを対象とせず、具体的なトピックからコミュニティ・デザインへの観点を掘り下げることにしている。今日はどちらかというと、2016年度の改めての総括と2017年度の中間総括がなされた。次回の打ち合わせの日程を決め、それまでに各々が考える講義展開案をメールで共有した上で議論することになった。


2017年11月25日土曜日

ツールへのあくなき関心

明日、2012年から積極的に足を運んでいる新潟県小千谷市塩谷集落で、住民主体のまちづくり団体「塩谷分校」の定例会がある。当然ながら、私は参加ができない。そのため、今日はメールで明日の会議のための資料について、出席される方々と意見交換を行った。当初は箇条書きでまとめていたものの、いっそ「お手紙」の方が伝わるだろうと11月20日に一気に書き上げたものが、明日、配付される。

社会心理学の中でもグループ・ダイナミックスが私の専門である。グループ・ダイナミックスは「場」に関心を向けたクルト・レヴィンを祖とする。中でも、人間の行動は個性と環境の相互作用によって定まる、という理論が有名である。現代にあっては、京都大学で長らく教鞭を取られ、2017年度からは九州産業大学に移られた杉万俊夫先生により、社会構成主義ににもとづく理論として、大澤真幸先生の「規範理論」や、ヘルシンキ大学のユーリア・エンゲストローム先生の「活動理論」などがよく用いられる。

活動理論では人間による活動の基本システムを「主体と対象との関係は共同体のメンバーが媒介する」と捉える。その三者関係において「規範」と「分業」と「道具」が矛盾なく成立するよう、各種の活動は展開されると概念化されている。古くはレフ・ヴィゴツキーによる(当時の)心理学(例えば、刺激に対して反射するという生理学的立場)への批判として、「私とあなた」(つまり、主体と対象)の二者関係は道具が媒介する(つまり、社会的・文化的な観点の重視)とされている。そのため、活動理論はヴィゴツキーの理論を発展させたものとして位置づけられている。

今回のお手紙というツールもまた、私(山口)からあなた(塩谷集落の皆さん)を結ぶための工夫として導入した。そうして両者の関係がうまく結ばれるようにと、私は共同体のメンバー(例えば、大阪大学の渥美公秀先生)とのあいだで守るべき規範(例えば、締切を守る、わかりやすくまとめる、わかりやすく伝わるよう助言をする、など)を生成・維持・発展させ、そのメンバーと対象には分業(例えば、渥美先生が託された手紙を届けて必要に応じて言葉を添え、集落の皆さんは届けられた思いを受けとめて解釈の上で受け入れる、など)が担われる。まどみちおさんが作詞された童謡「やぎさんゆうびん」、また東浩樹さんの著作『存在論的、郵便的―ジャック・デリダ』など、お手紙という手段にはうまく届くかどうかのささやかな不安が伴う。他者の手を通して伝えられていく不安定さが伴うツールへの関心を深めつつ、夜には長らく放っていたiPod Touchを、ベッド脇で使うツールとして再設定した。


2017年11月24日金曜日

ささやかな変化に目を向ける

10月19日、家の近くのベンチの座板が外れているのを気に掛け、元の場所に置いた。長い釘を抜かなければ元通りにはならないため、何らかの工具が必要な状態だった。あいにく、今はそこまでの工具を持ち合わせていないので、やむなく元の場所に置くだけに留めていた。そして、長らくそのままの状態が続いていた。

今日、買いものに出かけたとき、ベンチが補修されていることに目が留まった。いったい誰が修理したのだろうか。果たして、十分な強度があるか。座板はどれだけ持つだろうか、関心が巡る。

10月1日、そのベンチの周辺では、家族がピクニックをしていた。きっと、このベンチに関心を向けているのは私だけではないだろう。もっとも、その関心の広さや深さは人それぞれだろう。ただ、関心だけでなく、実際にこのベンチに座って何らかの時間を過ごした方であれば、より具体的な物語を持っているだろう、などと思索を巡らせてしまう。

今日、昨日予約を終えた日本への帰国便の情報を、立命館大学のリサーチオフィスに伝えた。なんだかカウントダウンが始まったような気もしている。それまで、このベンチがある風景を何度見ることになるだろうか。恐らく、帰国の頃には、少し、地表には草花が芽吹いているのだろうと、入国した頃の風景を想い起こし、ささやかに感傷的な気分に浸った。


2017年11月23日木曜日

帰国日が決まって

今日は3月に完全帰国する際のフライトを予約した。立命館大学の学外研究制度によりデンマークにて1年間の滞在するにあたっては、滞在費を含んだ研究費を支給いただいている。その研究費は一時帰国や入国・帰国の際の旅費にも充当される。ただ、私は現在保有している科学研究費によるフィールドワークなどのために一時帰国を重ねたため、既に帰国便のための費用が十分には残っていない状況にある。

そこで、帰国にあたっては、これまで貯めてきたマイルをうまく活用することを考えた。もっとも、それは8月の一時帰国の際にも採った手法でもある。それは無期限で貯めることができることに魅力を感じ、学生時代からノースウェスト航空でマイルを貯めてきたためである。2010年、ノースウェスト航空がデルタ航空に統合されてからは、スカイチームのマイルとして、長く保有してきた。

今回予約したのは、オールボーからオランダのアムステルダムまで出て、アムステルダムからソウルのインチョン空港を経由して関西空港に着くというルートである。片道でのフライトのため、通常の予約では往復の予約に比べて割高となってしまう。場合によっては往復で購入して片道を放棄するという手もあるのだが、倫理的にとまどいもあって、マイルでの購入の道を探ることにした。実はアムステルダムから関西空港までの直行便で帰りたいと、マイルでの予約が可能な席が出ないか頻繁にサイトにアクセスしていたものの出ることはなく、このままではインチョン便も残席がなくなることを危惧し、この段階で抑えることにした。

帰国便が決まった今、改めて残された滞在期間を充実したものにせねば、と思いを確かめている。来月早々には、オールボー大学を紹介くださった立命館大学総合心理学部のサトウタツヤ先生がお越しになる。今日は来訪にあたって、私の受入担当教員の一人、Mogens Jensen先生も執筆者となった論文について、メール上にてサトウ先生も交えた意見交換を行った。12月8日には、その論文に関するリサーチミーティングがなされる予定である。


2017年11月22日水曜日

PBLと持続可能性にもかかわらず

今日もまた、オールボー大学によるPBLに関する教員研修プログラムに参加した。午前中には受け入れ担当のMogens先生との打合せもあり、比較的慌ただしい一日となった。Learning LabPBL Academyの協力により開講されているシリーズも、終盤にさしかかっており、このところ週1回のペースで開催されている。基本的には准教授を対象としたもので、何度か顔を合わせる方もいる。

今日のテーマは「PBL and sustainability」だった。もともと、オールボー大学でのPBLに対し、UNESCOのチェアプログラムで採択された内容(UCPBL、通称オールボーセンター)が工学教育と持続可能性であることを反映してのことだろう。ちなみに対人援助学マガジンでの連載「PBLの風と土」の第1回でも記したとおり、PBLアカデミーは学内共同利用機関として主に学内のネットワーキングを担いつつ学術雑誌を刊行し、オールボーセンターが学外へのネットワーキングを展開している。私が参加している研修がPBLアカデミーの協力のもとで行われている理由にも合点がいく。

今日の講師はMona Dahms先生だった。開催直前のリマインダーでは参加者のグルーピングが示され、3グループにより双方向型の対話により、内容を深めていくと案内されていた。そして、オールボーセンターによってまとめられた「the Good examples catalogue」をもとに、どのような教育プロジェクトがどのように持続可能性に貢献できるのか、議論していくとも示されていた。ところが、当日に参加者が減ったことにより、当初の段取りのようにはいかなかった。

オールボー大学にはオールボーの他に、コペンハーゲンとエスビャウ(Esbjerg)というまちにキャンパスがある。11月15日もそうだったが、今回もまたエスビャウからも参加者があり、遠隔講義システムを用いてのレクチャーが行われたものの、当初の3グループを2グループに再編成をせざるを得なくなり、1つのグループはオールボーとエスビャウと(Skypeか何かで)つないでグループディスカッションをすることになったのである。私が所属したグループはオールボーにいる人たちだけの4人組でのディスカッションで、その中で紹介した立命館大学サービスラーニングセンターの事例には積極的な関心が寄せられた反面、専門教育のためにPBLを導入しているオールボー大学の方々にとっては「そういうのはデンマークでは高校か成人教育の中でやるね」と、つれない感想もまた重ねられた。こうしてアクロバティックなグループディスカッションは再編成の上で2回なされる予定だったが「もう、議論は尽くした」「あとは自分たちが実践するだけだ」など、ゆるやかに「もう終わろう」というメタメッセージが含まれた感想が次々に寄せられ、最後にエスビャウからの「この遠隔講義システムはすごいクオリティだ」と、内容とは関係のない感想が(まるで留め焼香のように)最後を飾り、予定よりも30分ほど早く終了した(とはいえ、なんだかぐったり疲れてしまい、恒例のキッチンセミナーはお休みした)。


2017年11月21日火曜日

言葉を拾う

この2日間、明日の打合せのために文字起こしの作業をしていた。ただ、口に馴染みのある言い方は「テープ起こし」である。ただ、音源がテープではないので、文字起こしという言い方になる。ちょうど、テープに記録しない今は「巻き戻し」とは言わず「早戻し」という言い方をするのと同じ構図にある。

文字起こしの素材は、先週のキッチンセミナーの内容である。一言一句を起こすというよりも、言葉を拾う作業と言った方がよいかもしれない。しかし、日本語ならまだしも、拾うこともままらなない。かつて、NHKラジオで「レッツスピーク英会話」などを担当されていた岩村圭南先生の言葉を借りるなら「英語の筋肉」が鍛えられていないためである。

技術の進歩に伴って、文字起こしの選択肢も多様になってきた。例えば、Googleドキュメントによる音声入力機能を使うという方法(例えば、「21世紀の文字起こし」参照)もある。ただ、これはセミナーなどの生音源を使うのには不向きな方法である。一度、そのための音源を作る必要がある。その音源を作ることで、一旦、内容を深く理解することができるのだが、今回はそこまでの精密さ、もっと言えば直接的な再現をする必要はないので、内容を再解釈しながら、言葉を拾っていくことにした。

ちなみに、今なお、MacOS10.6.8をメイン機種に使っているのは、文字起こしに使うソフト「Pardon?」に慣れているためである。これは音声ファイル(動画ファイルでも使用可能な形式あり)を読み込むとシフトキーとリターンキーを同時に押すと再生と一時停止が切り替えでき、タブキー1回で1秒戻るという機能がついたテキストエディタである。もちろん、これと同じようなことができるソフト(例えば、InterviewCasualTranscriberinterviewScribeなど)もあるが、しかし、メールソフトがEudoraから変えることができないように慣れというのはやっかいなもので、新たなものを導入する踏ん切りがつかないのである。ただ、いずれはどこかのタイミングで切り替えざるをえない時期がやってくるだろうし、その際には、今まさにSONYのディクテーター/トランスクライバー「BI-85T」で足も使っていた時代を懐かしむように、デンマークにてPardon?を使って英語の単語を拾っていたときを想い起こすのだろう。


2017年11月20日月曜日

マイナスからのスタート


今日の日の出は8時12分、摂氏マイナス2度だった。寝室から外を見ると、小さな水たまりは凍っていた。芝生の表面には霜が降り、いよいよ冬である。ただ、家の中はあたたかく、外の寒さは外でしか感じることができない。

そこで、カメラを片手に外に出てみた。今日は終日、自宅で作業をしていたので、夕方になって外に出た。ちなみに今日の日の入りは15時59分だった。まだまだ日照時間は短くなっていく。

カメラを持ち出したのは夕方だった。それでも、水たまりは凍っており、芝生には霜が降りていた。何より、外に出た瞬間に、小さく身震いするような空気に包まれた。山のない平地ばかりのデンマークだが、今日は風も強くなく、これはこれでいい雰囲気のように思われた。

手にしたカメラはEPSONのR-D1sという一癖あるカメラで、そのレンズもまた旧来の製造方法をもとにつくられたフォクトレンダーのNocton40mmF1.4SC(シングルコート、の意味)というレンズである。昨年に修理対応も終わってしまうほどの年月が経っているものの、時を経てなお、この機種に代わるものはなかなか見つからない。外見からして独特なのだが、記録方法がデジタルなだけで、カメラと言うよりもいわゆる写真機という方がふさわしい。特に気に入っているがシャッターの巻き上げレバーで、バッテリーの消耗を防ぐという合理的な理由と、撮る側の撮影リズムを整えるという情緒的な理由の2つから、おいそれと手放せない一台として、デンマークまで持ってきたのであった。


2017年11月19日日曜日

もじもじする

昨日の資料作成で一件落着としたつもりが片が付かず、 今日もまた新潟県小千谷市の塩谷集落にかかわる資料作成の一日となった。あいまいにしていた部分について、やさしく、しかし具体的な指摘がなされたためであった。そこで「上書き保存」での修正をやめ、1から作り直すことにした。作成を終えた夕方、いつもより1時間早くにアイスクリーム屋さんが行商に来られたのは、何か運命だった気がする。

打合せ用の文書なので事務的な形式でまとめようとしていたものを、根本から考えを変え、お手紙として綴ることにした。そして、事務文書で言えば送付状だと捉えて、ある助成金の応募案を作り上げ、そちらも添付してお送りした。ただ、悩ましいのはそうして綴るときの書体で、私が電子メールではリッチテキスト反対派である理由の1つは、そうして気に掛けることが一つ減ることだったりする。もっとも、PDF形式で送信できるゆえにどんな書体を使ってもいいのだが、届けられた側で修正をいただく可能性を含めると、どうしても美しい印刷を前提に作られてはいないと思われるMS明朝あるいはMSゴシックなど(例えば、プロポーショナルフォントとしてのMSPゴシックについて記されている記事「デザイナーはなぜMS Pゴシックを使わないのか? - エディトリアルデザイナーに聞いてみた」)を参照)を使うことになる(が、せめてもの抵抗として、英数字はTimesやHelveticaに変えている)。

決して自慢できることではないが、手書きで素敵な字を綴ることができればいいが、どれだけ丁寧に記したとしても、それが綺麗なものとは受け止められないように思われる。そこで、中学校の頃からワープロを活用してきた。当時通っていた学習塾がCanonのキャノワードで、その出力もデザインも当時としてはたいへん美しく感じ(キヤノン販売がMacitoshを扱ってたころで、プリンタはバブルジェット方式と呼ばれていた)、キャノワードα7というモデルを購入し(てもらっ)た。今となっては懐かしいブラウン管のモデルで、大学入学してしばらくそのままを使っていた。

大学1回生のとき、Macintoshの世界に触れWYSIWYGの世界に感動し、大学2回生の途中に短期集中型の警備員のバイトをして、中古のMacintosh180cを購入した。WISIWIGとはWhat You See Is What You Getのアクロニム(頭文字をとったもの、日本語で言えば「あいうえお作文」にあたる)で、画面の見た目通りに出力される、というものである。あれから20年あまり、むしろ手書きの文字は余計に粗雑になっている気がする。せめて、綴ることばそのものは、美しくありたい。


2017年11月18日土曜日

あーせい・こーせいと

英語論文が一段落して、今度は日本語に向き合っている。もっとも、一段落しただけであって、一件落着ついたわけではない。未明に英語の校閲の会社に依頼をしたところ、そもそも投稿規定に対して文字数が超過していることが明らかになったのである。よって、刈り込みの作業が待っている。

英語論文は共著でもあるので、文字数超過の件も含めて、投稿への確認、調整をお願いすることにした。そのため、少なくとも数日は身体が空くこととなる。そこで、月内になすべきことを、一つひとつ、進めていくことにした。振り返れば今月は書きものがいくつかあった。京都市市民活動総合センターの寄付ラボ、そして22日に掲載予定の京都新聞のリレーコラムについては既に手が離れた。これから、まだ目処がついていないものとしては「対人援助学マガジン」の原稿がある。

その中で、11月26日に新潟県小千谷市の塩谷集落の住民まちづくり団体「塩谷分校」の定例会に向けた資料を準備することにした。6月から、関西にて複数回開催されてきた会に素案を示し、既にいくつか議論が重ねられてきた。その内容を文書にまとめ、住民の皆さんに提案するための資料の作成である。「だ・である」調のものを「です・ます」調に変えるだけでも、受け取る側の印象は異なるので、表記への工夫はもとより、改めて全体を見直しながら作成した。


塩谷集落は、学問の師匠の渥美公秀先生が協働的実践の現場とされてきた。2004年10月23日の地震の翌日から現地に入られ、それから13年のときが経った。当時、大学院生としてのまとめの時期にあったこともあって、現地へと向かうために大阪から乗車された寝台急行「きたぐに」が京都駅で停車される際、デッキで書きかけの論文をお渡ししたこともある。私が最初に塩谷に入ったのは2007年3月だが、後進の者があれこれ言葉を重ねているのが恐縮ながら、せっかくのご縁をこれからもよいものへ深めていきたい。


2017年11月17日金曜日

第二の人生に

今かかっている英語論文は、苦労しながらも、考察まで書き進めた。図や表の素材もつくりあげた。なかなかの進捗である。日本にいたらできないのかもしれない、と考えるのは簡単だが、それでは日本に戻ったら、こうして何かを書きあげることができないということになってしまう。

以前、学問の師匠でる渥美公秀先生から「英語論文の方が楽やで」と伺った。それは「ストレートに書けばいいから」と、というのが渥美先生の見立てである。確かに、日本語論文ほど、レトリックに拘らなくていいところがある。しかし、それもこれも、語彙力があってのことである。

あまり椅子に座ってばかりでもいけないので、近所のスーパーに買いものに出かけた。買いものを通して防災につなげる、という趣旨の論文なので、行為を客観的に見ることもできて、都合がいいとも考えた。ただ、天気が変わりやすいデンマークでは、出かけるタイミングの見極めが難しい。特に今日は不慣れな英語論文ということもあるので、論文の切りがいいところを待っていれば、いつまでも買いものには出かけられなくなる可能性さえある。


昼過ぎに晴れ間が見えたので、ここぞのタイミングだと、出かけることにした。その際、民間非営利団体による衣類の回収ボックスに夏の服を中心に提供することにした。こちらは帰りの荷物が減る、ということにもなり、そしてまだまだ着ることができるものが、どこかのまちの誰かのもとに届けられていくことになっている。決して、体型が(悪い方に)変わって着られなくなったわけではないことを申し添えておきたい。


2017年11月16日木曜日

辛味がからむ

キッチンセミナーを終え、一息つきたい所だが、2017年8月の国際総合防災学会の発表内容を論文にまとめていくモードに入った。学会発表というのは、最初に会議での発表にエントリーをする。そして当日、発表する。そして発表の後で内容を論文にまとめていく、というのが一つのプロセスである。

もちろん、学術論文は、必ずしも学会発表とセットではない。年次大会等で発表せぬまま投稿するというパターンもある。しかし、それ以上に年次大会等で発表したものを論文にまとめるところまで深めきれない場合もある。もっと言えば、私も経験があるが、年次大会での発表そのものが採択されない場合もある。

今回、論文を投稿する「IDRiM」では、オンラインでしか学会誌を持たない形態である。年に2回発行され、そのうちの1回は大会で発表した人の論文を積極的に受け付けるという趣向となっている。そのため、採択率が相対的に高いと予測される。それ以上に、今の段階できちんとまとめあげることができうる内容ということもあって、2017年2月、イオンモール草津にて、くさつ未来プロジェクトの皆さんらを中心に展開した「お買いものdeぼうさい」の内容を英文で書き上げることにした。

今日までで事例まで書き上げることができたが、実は一番最初に書いたのは謝辞である。最も読んで欲しい人を想像して書くことができるように、という工夫である。かなりの集中度合いを察してくれたのか、妻は私の好物の蕎麦を出してくれた。8月に気仙沼の斉吉商店さんで買ってきた、陸前高田の八木澤醤油さんの生七味がちょうど終わり、日本語の論文なら「辛味がからむ」という具合のレトリックで遊ぶことができるのに、と英語での語彙力の無さに辛酸をなめた。


2017年11月15日水曜日

研究のキッチンに食材を持ち込んで

4月にオールボー大学に来て以来、何度か参加してきた「キッチンセミナー」に発表者として参加した。なかなかの人気で、6月12日の段階で既に秋学期の空きスロットは3つだけだった。その中で、一番遅い11月15日を選択した。そして、その日が来たのである。

6月の時点ではテーマを定めていなかったが、この1ヶ月ほどの中で、2月にカリフォルニアのサンタクララ大学で発表する内容を紹介することにした。今回、オールボー大学に客員研究員として受け入れていただくにあたり、2人の先生に受け入れ担当となっていただいたので、私を含めて3人での発表をすることにした。さしずめ、私のオールボーでの滞在の成果発表の機会でもある。

キッチンセミナーのルールは、発表日(水曜日15時〜)の前、土曜日のランチタイム(正午)までに、「予め読んでおくべき素材」を提出し、当日は15分以内で概要をプレゼンテーション、その後は質疑応答やディスカッションがなされ、17時まで(あるいは質疑応答などが続かなければその時点)で終了というものである。ディスカッションペーパーは締切までに提出できた。そして15分のために丁寧な準備を、と考えていたら、開催直前になって、12時30分からPBLアカデミーによるセミナーが入っていたことに気づいた。連続セミナーとして展開されているもので、今日のテーマは「Design of development to strengthen quality(PBLの質を高めるための科目開発と設計)」であり、5月10日の「Three implementations of PBL(PBLの3つの手法)」も担当されたDiana Stentoft先生(現在のPBLアカデミーの責任者)でもあり、休まずに参加した。



デンマークの中でも、恐らくオールボー大学のセミナーではインプットとアウトプットの両方が求められる。セミナーだからといってインプットだけでは終わらない。そこには情報が提供されるという一方通行ではなく、知識を共に生成・構築するという前提がある。あいにく、PBLセミナーは途中で退席することになったが、キッチンセミナーはまさに知識の生成・構築の機会となった。同時に、2月に向けて、さらには今後に向けたの課題も明らかになったので、キッチンで味わった旬の食材を適切な調理法により、その味を引き立てていくこととしたい。


2017年11月14日火曜日

茨木から草津へ、そして岡山へ

7時なのに暗い朝、目が覚めると、LINEのグループの未読がかなりの数になっていた。今年2月11日にイオンモール草津で行った「お買いものdeぼうさい」のグループでの投稿だった。投稿は「くさつ未来プロジェクト」(KMP)の皆さんが中心で、2017年11月15日、イオンモール岡山で同じ枠組みで取り組みが行われることに関するものだった。岡山大学の地域貢献事業として山田一隆先生らによって取り組まれるものであった。

この「買い物」と「防災」と「イオンモール」のセットは、2014年の4月、大阪府茨木市での取り組みに遡る。立命館災害復興支援室のFacbookページにも記録が残っているとおり、立命館の大阪いばらきキャンパス(OIC)の開学を前に、線路を挟んで隣接する両施設と、キャンパス開発で密接な連携を取った茨木市役所との3者により、「災害に強いまちづくりに関する協定」が結ばれることになり、その記念イベントの1つとして行われたのである。午前中からいくつかの場が設けられていたが、ステージを使ったイベントを(も)何か、ということになり、ショッピングセンターでの開催であること、また、当時、在籍していた浄土宗應典院にて新しい防災訓練「イザ!カエルキャラバン」を実施した経験から、2つの企画を考えた。

過去を掘り起こしてみると、3月25日の打ち合わせで「買い物コンテスト」「大喜利」の2つのネタが決まったようである。そして、3月26日の段階で、OICの開設準備室により次のようにまとめられた。今思えば懐かしいが、このときに既に一定のフォーマットが出来上がっており、別の場所でも開催できるプログラムに仕上げられていたように思う。ちなみに大喜利では、当時、ナビスコから発売されていた「リッツ」を使うことで「立命館」(1994年から、コミュニケーションマークとしてRitsを用いていた)を想像してもらうという洒落を盛り込んでいたが、衛生面などの関係で最終的には拍手(確か、『明石家電視台』方式、などと説明した気がする)となった。

(1)災害対策買物コンテスト(仮)(ファシリテーター:山口洋典、出演:豊田祐輔・そよ風届け隊)
 参加者(先着10名を想定)に1000円分のイオン商品券を配布し、「災害時に3日間生活するための買物」をしていただく。買物終了後、会場に戻ってきていただき、購入品を披露してもらう。ファシリテーターによりそれぞれの購入品の講評を行い、優秀な参加者には商品を贈呈する。
 なお、参加者が買物をしている時間を活用し、出演者(豊田祐輔・そよ風届け隊)から災害対策や復興支援等に関わる活動の報告を行う。

(2)災害対策大喜利(仮)(ファシリテーター:山口洋典、出演:豊田祐輔)
 災害対応カードゲーム教材「クロスロード」の内容をもとに、災害時に生じる「難問」を与え、参加者(5名を想定)に回答と説明を求める。参加者の回答に対し、災害現場の様子や災害復興支援室の実体験等を加えて講評を行う。なお、回答の内容に応じて、大喜利の「座布団」に見立てた「クラッカー」を配布する。


この茨木での取り組みが草津で開催される運びとなり、どのような結果だったのかについては、今年の8月25日にアイスランド・レイキャヴィークで開催された「IDRiM2017」(国際総合防災学会)にて、KMPの堀江尚子さんと共に発表させていただいた。そして9月には岡山での開催の可能性について、山田先生から堀江さんに問い合わせがなされた。草津の取り組みは草津未来研究所のアーバンデザインセンターびわこ・くさつの溝内辰夫シニアディレクターの尽力によりフォローアップセミナーを含めて充実の開催となり、一連の様子はKMPの大江千恵さんが丁寧にブログ(前編中編後編続編講座1講座2講座3講座4最終回)にてまとめていただいた。大阪・茨木〜滋賀・草津そして岡山とバトンがリレーする中、きちんと文字にまとめようと、月末が締切で募集されている学術雑誌に投稿しようと、せかせかと準備を進めるのであった。


2017年11月13日月曜日

自分探し(search)ではなく自分定め(identify)

今朝もまた、日本からの荷物を受け取った。今回はEMSでの到着であった。5月にボーゲンセコペンハーゲンにご一緒した、Studio-Lの西上ありささんからの贈りものである。中身はポストカードの送付状に、プリンタのインク(現在使っているCanonの製品は、販売国ごとに微妙に規格が異なるため…)、さらにカリカリ梅(有機栽培の素材のものをお選び頂いているところが絶妙なセンス!)と、そして先ごろ発売となった季刊誌「BIOCITY」である。

10月10日に発行された「BIOCITY」No.72では「北欧のサービスデザインの現場」が特集となっている。学生時代、景観計画研究室に所属していたこともあって、大学でよく手にした雑誌でもある。個人的には「造景」をよく手にしていた気がするが、こちらは既に休刊となっている。その後、造景で編集に携わっておられた八甫谷邦明さんの手による「季刊まちづくり」 が2003年より学芸出版社から刊行されていたが、こちらも2014年に41号で休刊となった。ただ、こちらの「季刊まちづくり」には、上町台地からまちを考える会でご縁をいただいた高田光雄先生の紹介により、2006年6月1日発行の第11号に「地域発・地域着のネットワーク型まちづくりの実践」と題して寄稿させていただいたので、より深い思いがある。

2015年より「BIO CITY」は年に1回、Studio-Lによる「Studio-L Edition」として刊行されている。2015年は英国2016年は米国、そして2017年は北欧が特集されることになった。今回は5月に取材が行われ、いくつかの国を回る中で、デンマークに来られた際にご一緒させていただいた、というのが先程の話につながる。72号では、巻頭言として山崎亮さんが訪問先の全体像を示した上で、78〜85頁にかけて、西上ありささんが「デンマークの成人教育と公民館 〈フォルケホイスコーレ〉の歴史と今」を記していらっしゃる。


フォルケホイスコーレは、昨年の夏、大熊由紀子さんの紹介により、ボーゲンセの「ノーフュンス・ホイスコーレ」に創設者の千葉忠夫さんにお目にかかったことで一気に関心が高まった。(税金の還元として)教育無償化がなされているデンマークにおいて、唯一、独自のカリキュラムのもとで授業料を取ることができる学びの拠点である。日本では「自分探し」の学校として紹介されうるものの、どちらかというと「自分定め」の場とするのが妥当なように思う。この点についてはまた深めていきたいが、今回、「成人教育と公民館」というテーマでまとめておられた関心と重なるところであり、多くの方に手にしていただきたいと願っている。


2017年11月12日日曜日

UMAMIの世界

郷に入っては郷に従え、ということわざがある。デンマークに来て半年、多くの流儀に触れてきているつもりである。それでも、時折、長年にわたって培われた味覚が、慣れ親しんだ食材を求めてくる。何より、ソースの文化が中心のヨーロッパで暮らす中で、出汁文化が根ざす和食が2013年12月4日にユネスコ無形文化遺産に選ばれた理由を深く理解できている気がする。

いわゆる出汁パックは一定の分量を日本から持ってきたものの、「かつおぶし」の現地調達がなかなか難しい。調べてみると、2013年2月28日、NHKのクローズアップ現代で「“UMAMI”が世界を制す!? 発見 驚きのパワー」という回が放送されていた。ちなみに2012年3月に「和食;日本人の伝統的な食文化」として世界遺産登録は済んでいた頃である。そして、あるいは、しかし、世界遺産登録後の2015年7月11日、ミラノ博覧会の「ジャパンディ」において、「レセプションに日本産かつお節を持ちこめない」という、「かつお節事件」(東洋経済オンライン、2015年7月10日)が起きたという。

私も不勉強で、こちらに来て知ったのだが、かつお節の輸出にあたっては「HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point:ハサップ/危害分析・重要管理点)」方式での管理により、EUの定める高い基準に対応する必要があるらしい。鰹節は煮て、燻して、乾かして、というプロセスを辿るが、その燻蒸の段階でつく焦げ目に基準値を超える「ベンゾピレン」(発がん性物質とされる)が付着するため(田中淳夫「カツオ節は毒物?EUが輸入を認めない理由」2014年12月21日) とある。一方で今年、2017年2月8日付で静岡県焼津市の水産会社がHACCPの認定を取得、2月15日には交付式がなされ、それまでは「dried bonito」と呼ばれてきたものを「katsuobushi」として輸出していくという。(NHK News Webビジネス特集「目指せヨーロッパ かつお節の挑戦」2017年2月21日)


今日は先般、晩ご飯のお好み焼きにと、コペンハーゲンで調達した鰹節をおろした。こちらは東京の「和田久」の現地法人が「2015年4月からスペイン・ガリシア州のプエブラでというまちで100%欧州産の鰹節を製造する」商品である。(「日本への欧州産鰹節逆輸入を開始!」(共同通信PRワイヤー、2016年9月24日)。ちなみに、2016年9月2日には、「ブルターニュのかつおぶし工場、きょう始動!」(鹿児島県の枕崎水産加工業協同組合、2016/09/02) というニュースもある。徐々に広がる和食の世界、出汁だけではない、UMAMIに舌鼓を打つ人が増えばと願っている。


2017年11月11日土曜日

4月以来の再会のとき

今日は自宅に日本からの留学生がやってきた。オールボー大学に留学している日本人学生が2名いることは、4月のお花見会で知った。そのうちの1人は既に6月に我が家に招き、日本食を味わう会を行っていた。そして今日、もう1人が家にやってきた。今日もまた、日本食を味わう会となった。

彼女たちは12月の末には帰国する。私たちは3月末だが、そのあいだに、ご近所にお住まいでいらっしゃる、5月にお邪魔させていただいたご家族が、1月に帰国される。大学に籍を置く人たちは滞在期限の目処を持って入国し、こうして1年程度で去って行くが、7月にお呼ばれしたご家族などは、帰国日が定まらない中で過ごしておられる。

私は高校を卒業するまでの18年、1度も転居することなく育ってきた。小学校低学年のとき、父親の転勤により、同じ県内に転居する可能性もあった。しかし、父親だけが独身寮に住み、週末には戻ってくるという単身赴任生活を送ることになった。人生にも「もし」はないのかもしれないが、あのときもし、転校を嫌がらずに新たな環境に身を置いていたら、また違う人生を歩んでいたことだろう。


あれから30年あまり、今、こうしてデンマークで暮らしていることは、今後の人生の幅を広げてくれるだろう。ちょうど帰国までの折り返し地点を過ぎた今、人生の折り返し地点も過ぎている気がしている。今日、20年あまりの人生経験の中で、私の知らない世界を語ってくれた留学生と話をして、ふと、自分の人生を振り返った1日でもあった。ちなみに彼女は昼に我が家で日本食を楽しんだ後、夜にはまた国際色豊かな集まりに出かけるようで、私の学生時代とは違ったアクティブさながらに、自らの老いを痛感することにもなった。


2017年11月10日金曜日

赤と白が共に橙に

デンマークに来たのはサマータイムが始まってすぐの頃だった。ダウンコートは6月くらいまで羽織ることがあったが、季節は確実に夏へと向かっていった。そして今、確実に冬へと向かっている。2月には体調を崩す人が多いと聞いていたが、それは12月をピークとして短くなっていく日照時間の短さに対する、身体のリアクションなのだと想像できるようになってきた。

春から夏にかけての時期には、かくも多くのろうそくが売られているのかなぜか、と疑問を抱いていた。しかし、今は合点がいく。電気の明るさではなく、灯りの揺らぎ、この両者の違いは大きい。癒やし、というと軽く感じ取られてしまうかもしれないが、ろうそくは暗く長い夜を楽しむための手頃な道具なのである。

卓上や窓枠に置くために、白いミニキャンドルは調達済かつ使用中であるが、今日は赤いミニキャンドルを調達した。そして、早速使いはじめてみた。赤は赤の雰囲気も多少出るのだが、それ以上に、揺らぐ灯りが心地よい。そして、キャンドルの赤よりも、橙の灯りが、部屋にやさしい彩りをもたらしてくれる。


長い夜に対して短い昼のこの季節、メリハリのある仕事のリズムが整いつつある。昨日はリサーチミーティングとグリーンランドハウスの見学の間に、ある論文の査読を仕上げたし、今日は11月22日に掲載予定という京都新聞の原稿を仕上げた。ただ、京都新聞の原稿は、今ひとつピンとくるものを書き上げられず、5つの素案を送ってみた。はてさて、どれが採用となるか、そして採用されなかったものはどうしようか、日本では悩むことがなかった類いの悩みを楽しんでいる。


2017年11月9日木曜日

デンマーク語でのやりとりを英語でかいつまんで

今日は朝からオールボー大学でリサーチミーティングだった。先週は資料で参加した件である。6日の朝の段階で特に返信もなかったので「どうだったでしょう?」と訪ねたところ、7日の午前中には「2人で木曜日に向け素材を準備するので、そのときに」と返信をいただいた。待ちの姿勢で臨む会議への足取りは軽かった。

ミーティングでは、改めて2月にサンノゼ・サンタクララ大学で開催されるPBLの学会に向けた内容の検討が行われた。今は言わば「足し算」のように量が増えていっているので、改めてリサーチクエスチョンを鮮明にせねば、ということから議論は始まった。今回は比較的長期にわたる比較研究の最初の段階として、PBLとサービス・サービスラーニングの2つの教授法を比較し、教員のスーパーバイズ(監督・指導)のあり方に迫ることになっている。ただ、それはテーマであって、リサーチクエスチョンではない。


そこで、以前、NHKの「スーパープレゼンテーション」による翻訳版(吹き替え版ではなく…)で見た、指揮者のTEDを思い出して、集団との関わり方について意見交換をしてみた。すると、単なる「間違い」や「意思疎通の悪さ」などのテクニカルな問題(運営上のつまづき)に関心を向けるのではなく、担い手たちが気づいていない事柄について情報収集を行い、「締め切りに間に合わせるだけ」のプロジェクトにしないことが、今、向き合っているスーパーバイズへの関心であることを確認した。


次は11月15日のキッチンセミナーにて、現在の草稿を発表することになっているので、それを受けて22日にミーティングを行うことになった。一旦、家に帰った後、新装開館したグリーンランドハウスのオープニングイベントに妻と参加した。グリーンランドはデンマーク王国を構成する自治領で、中でもオールボーは距離の近さもあって、比較的交流が深いとのことである。朝のリサーチミーティングに私が、このグリーンランドハウスのイベントに私たちが参加しなければ、きっとデンマーク語でもっと深いやりとりを重ねたのだろう、なんて思ってしまうと、多少の申し訳なさを感じてしまう。


2017年11月8日水曜日

火が焚かれた日

季節は確実に冬に向かっている。日の出は7時台で、日の入りは16時台である。ネットの情報によれば7時46分が日の出、16時21分が日没という。夏にバカンスがある理由がわかってきた気がしている。

今日は17時から各地で「Bavnebål(バウネボー)」という催しがあると、妻が探しあてた。簡単に言えば、焚き火のイベントで、20時までのあいだ、北ユトランド地域だけでも77,000の火が焚かれるという。バイキング時代に焚き火で通信を行っていたことに由来するらしい。バイキング時代といえば西暦700年代後半から1000年代半ばまでなので、かれこれ1000年以上の歴史に思いを馳せての取り組みである。

オールボー市内でも各地で点火されることを知ったが、リンホルム遺跡まで足を伸ばした。にバイキングフェスティバルに参加した、あの場所である。ここでは17時の点灯とあわせて、バイキングの装束体験などもできると案内されていた。今の住まいからは1回の乗り換えが必要だが、バスで40分ほどで着く。


今日は水曜日でキッチンセミナーだったため、17時3分発に乗り、現地へと向かった。今日のキッチンセミナーは2人が発表したため、結果として途中退席をすることになったが、怪訝な顔を浮かべた方はいないように思われ、そのあたりが「空気を読む」日本の文化とは違う気がする。現地に到着すると、既に帰路につく方も多かった。実際、現場に足を運んでみると、「見る」ものというよりは「浸る」もので、1時間滞在するにはそれなりの精神力がいるような種類の文化イベントだった。


2017年11月7日火曜日

日本からのおすそわけ

時折、朝にドアがノックされる。これまで、2回、エホバの証人の方が勧誘に来た。また、1回はお子さんを連れた女性が洗剤か何かを売りに来られた。その他、恐らく5回ほどは荷物の配達である。

今日も朝10時頃、郵便が届いた。日本からのサプライズだった。妻がお世話になってきた鍼灸師さんからの品々は、デンマークでは手に入らないであろうと見立てた結果と思われる。緑茶、ふりかけ、きんつば、インスタントの味噌汁とちらし寿司のもと、である。

先般、デンマークの郵便事業は、2009年の6月に、スウェーデンの郵便会社に売却されたことを知った。改めて調べてみると、2000年の民営化の後に合理化が進められ、2005年には投資ファンドに株式が売却されたものの、2009年にスウェーデンの国有会社「PostNord」の子会社となった。現在もデンマーク国内には赤のポストが各地にあるが、2016年にはPostNordのコーポレートカラーである青色を前面に出すキャンペーンを始めたとある。


ちなみに、日本と違って再配達という制度がない。そのため、ポストに入らない荷物は、不在時には翌日以降に近くの郵便収集拠点に取りに行かないといけない。我が家の最寄りの拠点は歩いて約15分のスーパーにあり、4月に取りに行ったのが懐かしい。それから半年あまり、日本との適度の距離感のもと、異国の暮らしも落ち着いてきている。


2017年11月6日月曜日

フォーマットの制約が発想の源に

参加型リーダーシップ(Art of Hosting: AoH)の研修から戻って1日、余韻に浸っている。終了時、案内いただいたいくつかのサイトにアクセスし、メンバーにもなった。既に参加申込をしたところで、参加者どうしのFacebookグループに入れていただいた。そこで、AoH全体のFacebookグループ(10,424人)、メーリングリスト、そしてAoHのオンラインコミュニティに参加手続きをし、それぞれ管理者の方々に認めていただいた。

午前中には現地で作成した1分動画を高画質でYouTubeに投稿し、参加者のFacebookグループで共有した。既にその日ごとにグループに投稿していたが、どうも標準画質でしか投稿できないのが仕様のようだった。1分の動画にまとめるという形式は立命館災害復興支援室での活動の様子をまとめる際(例えば、平成28年熊本地震の支援として2016年10月15日分、16日分)に身に付けた手法である。AppleのiMovieで簡単につくることができるので気に入っている。

Twitterが140字の制限があるように、フォーマットがあるということは思考を深める訓練に都合がいい。AoHもまた一つのフォーマットであり、AoHのホームページに記されているとおり「クリエイティブコモンズ」のライセンスのもと公開されている。また、個別の方法も、サークルウェイ(http://www.thecircleway.net)、ワールドカフェ(http://www.theworldcafe.com/method.html)、オープンスペーステクノロジー(http://openspaceworld.org/wp2/)、アプリシエイティブ・インクワイアリー(http://appreciativeinquiry.case.edu/intro/whatisai.cfm)という具合に、それぞれに丁寧な解説が公開されている。もっとも、それらは英語であるので、日本語でうまく紐解いていく役目を今後、担っていきたい。


リラックスした雰囲気ではあっても、4日あいだにわたり、ささやかにアウェイな環境で過ごしてきたこともあり、今日は自宅でゆったりさせてもらった。ただ、朝に1度だけ、家の外に出た。敷地内ではあるが、コインランドリーのスペースに、である。いよいよ気温は摂氏一桁台になり、季節は確実に冬へと向かっている。


2017年11月5日日曜日

AoHの方法論を言語として

参加型リーダーシップ(Art of Hosting: AoH)のワークショップ、4日目である。早いもので最終日、朝のワークには3人から、呼吸のワーク、近くの教会などの風景をフィルムカメラで撮りながら散歩、そして初日のボイストレーニングの続き、が提案された。私は呼吸のワークに参加し、合気道をもとに米国で開発されたという身体の中心を意識することについて体感した。朝食に続く午前中は「Meta harvesting」という、各セッションでの学びの成果について既に言語化してきたものの背景にあるものを即興でグループで引き出し合う、というものだった。(ギターの生演奏にあわせてダンスをし、演奏が止まったところで進行約から「何人のグループをつくって、このセッションについて語って!」と呼びかけられ、2分ほど語り合った後で3分ほどのあいだ全体で共有、その繰り返しで全セッションについて行われた。)

最終日ということもあって、午前中はそれまでのセッションの要素をまとめるような意味合いで、Mary-Aliceさんによる「eight breaths」のレクチャーが行われた。ここでは昨日の「発散〜創発〜収束」のプロセスについて、8つのステップ(call,clearfy, invite, meet, harvet, act, and reflect:呼び起こす、浄化する、招き入れる、出会う、取り入れる、行動を起こす、振り返る)で進むことが示された。それを受けて、予め募集されていた6つのプロジェクトを4人〜5人のグループで深めるというワークになった。6人が日常的に取り組んでいること、あるいは取り組んでいくことについて、机上ではあるが他者の知恵によって賢い活動に仕上げていくというものだった。

このプロジェクトビルディングのワークはお昼を挟んでも行われたが、午後は一旦別のグループに行き、プロジェクトの提案者から簡単な説明を受けた後は新たにやってきたメンバーだけで語り合い、提案者は椅子を反対側に向けて他のメンバーの対話をそっと聞く、というスタイルが採られた。そもそもワークはあらかじめ用意された模造紙のフォーマットに沿ってまとめられることになっていて、短い時間の中では全てを埋めることは簡単ではないことが前提とされている。だからこそ、詰めの甘いところ、詰めていないところなどが掘り起こされる結果となる。最後はプロジェクトメンバーからの決意表明がなされて、個別のセッションは終了となった。

15時の終了の30分前には全員が再び1つの輪となり、初日と同じく自分の気持ちを語り合うこととなった。すぐに言語化ができない人もいるということにも配慮されたのか、また時間の都合もあってか、全員が語るということにはならなかったものの、中盤くらいで私も一言、述べさせていただいた。それは今日の午前中にMary-Aliceさんが言った「AoHは方法というよりも言語として捉えて欲しい」という表現が印象的だった、ということである。そして、誘ってくれたSørenさんへのお礼を述べたのだが、何と最後はSørenさんがこのワークショップのあいだに作ったというAoHの歌が披露され、歌詞カードの文字と伴奏を追いながら、4日間の充実した学びの場の刈り入れを終えた。



2017年11月4日土曜日

自らの経験を通してこそ真のギフト

参加型リーダーシップ(Art of Hosting: AoH)のワークショップ  、3日目である。今朝もオプションプログラムから参加した。今日は2人が企画で、まずは英国から参加のサックスが趣味のMaxさんによる「右手でトーン、左手でボリューム」というルールでの声を使ったワーク・3人で行う殺陣の真似を使ったフォーカスゲーム・椅子取りゲームの3連発と、コペンハーゲンから参加のEvelinさんによる3人1組での無言での即興演劇だった。そして朝食の後はセッションとなった。ちなみに朝のセッションを始める前には1曲歌ってから始めるのがデンマーク流で、昨日は『Family of Man』、今日は『The chaordic path』だった。

最初のセッションは3人のグループになり、一昨日と昨日までのあいだで最も重要として持ち帰りたい知恵は何かを語る、というものだった。付箋紙に記したもの「個人的なものーグループで共有できたもの、具体的なもの−(まだ)説明がつかないもの」に分類することで、4象限に分かれる知恵を、「ソーシャル・キャピタル」、「戦略ツール」、個人の暗黙知、個人の形式知、整理された。続いてはロープを使った8人組のワークで、協力し合うことの原理を体感的に理解するものだった。そして、そのままロープを使って、先ほど示したような集合的な形式知としての戦略ツールを生み出すためには「発散〜創発〜収束」のプロセスを辿ることが大切だ、と示された。

午前中にはもう一つ、4つのArt of Hosting(場の担い手が持つべき素養、と訳しておく)について4つのグループ(「いつ、何を使うか」「戦略的な成果をもたらすには」「効果的な質問とは」「自分の組織に応用するには」)に分かれてのミニレクチャーがなされた。私はMonicaさんによる「戦略的な成果をもたらすには」に参加したが、よりよい成果を収穫物として得るためには農の比喩のとおりに準備が最大の鍵になることを、ご自身の経験をもとに紹介くださった。そして昼食に続き、「Open Space Technology(OST:場を開く技)」のワークとなった。以前、ある場所で行われた会議では、主催者と参加者がうまく折り合いがつかなかったのか「フリーマーケット」と勘違いされたことがあったようだが、これは日本で言えば「この指止まれ方式」でセッションを主催し、主催者は「誰でも歓迎する、時間通りに始める、何が起きてもなるようにしかならない、時間が来たらきちんと終わる」の4つを、主催者と参加者は「貢献しようとと思わない、学ぼうと思わない、情熱を大切に、責任を果たす」が守られるために「主催者は何をするのかきちんと呼びかける、参加者は移動は自由(蜂のように舞う)、しかし最終的に参加した場で振り返りの時間を過ごす(蝶のようにたたずむ)」が求められた。


40分1本のOSTが2ラウンド行われて、夕方の休憩、そして夕食をはさんで「Collective Story Telling」の時間となった。これは2人の話題提供者の語りから、いくつかの視点(今回は「手探りの状況の中でも何を学んで実践に取り組まれたか」「活性化をもたらしたのは何か」「個々人と集団とのあいだでどのような関係づくりがなされたか」「自分から動いた部分と周りからの動きに応えた部分とはどんな兼ね合いがあったか」など、目的によって視点には幅があってよい)で学びを紐解く、というものである。会場は部屋の照明を抑え、ろうそくとソファーと電気スタンドが用意され、デンマークの習慣の一つ「hygge」(ヒュッゲ:落ち着いた雰囲気でのおしゃべりの場、という具合に、一言では表現できず、暗く長い冬を屋内で過ごすために根付いた文化)を再現したかのような演出がなされていた。私は昨日の「Appreciative Inquiry」でも用いられていた「Witness」(証人)という立場で参加し「聞き手となった私に、また共に聞いていた私たちに、どんな変化がもたらされたか」のグループに入り、最後にコメントをするとととなり、「自らの経験を通してこそ真のギフト」のアドバイスのもと、率直な印象を延べ、長い一日が終わった。


2017年11月3日金曜日

応える・見通す・信じる

参加型リーダーシップ(Art of Hosting: AoH)のワークショップ、2日目である。朝はオプションプログラムから参加した。企画はデンマークのラジオ局でパーソナリィーをされてきたHelle Solvangさんで、音楽家という立場もあり、全身で声を使ったワークが行われた。朝食の後は、昨日の「自己紹介の時間」の振り返りがなされた。自己紹介の振り返りというと珍妙な感じがするが、あくまで「circle」という手法についての振り返りとなった。その際「輪になって語ることでよかったことは?もし、自分が進行役になるとしたら何に気をつけるか?改善への提案は?」の3段階で深めていったのだが、それを「Learning Loop」と呼ぶらしい。

その後、「きちんと参加者になるとはどういうことか」ということのミニレクチャーがなされた。レクチャーではなくミニレクチャーというところがポイントで、全てを「教える」という前提でプログラムが組み立てられていないのである。「きちんと身構える」「相手を受け入れる」「他者の考えを分かち合う」「新たな価値を創り出す」その循環をもたらす上で、自分が最も心地よい状況はどれか、そして磨く必要があるのはどの状況にいる自分か、そうした問いかけがなされる中で、同じ関心のある人とグループになって語ることが求められた。ミニレクチャーとワークで1時間半で休憩となった。

休憩の後、午前中にはもう1本「Appreciative Inquiry」のワークがなされた。これは1987年、米国・オハイオ州のクリーヴランドにあるケースウェスタンリザーブ大学で開発されたもので、探求型の質問を通して物事の価値に迫る手法である。今回は参加型リーダーシップの観点から、語り手、まとめ役、あいづち役の3人1組でインタビューを行うというワークがなされた。テーマはずばり「リーダーシップとは何か」で、私のグループは「応える(responsibility)」「見通す(visin)」「信じる(trust)」ことがなされている人、という結論に至った。


昼食後は、伝統的な組織がもつ階層構造から生きた組織へと変えるための「caotic path」に関するミニレクチャー、そしてワールドカフェと続いた。ワールドカフェのテーマも「理想的なリーダーシップはどんな場所で求められているのか」「どのようにしてリーダーシップは発揮されるべきか」と、リーダーシップづくしである。夕食前の休憩に入るとき「疲れてるね」と、1順目のワールドカフェで同じだったベルギーから参加の方と、参加へのお誘いをいただいたSørenから声が掛けられた。確かにそのとおりで、夜にオプションの「Flow game」のワークがあったが、こちらは参加せず、一人、内省の時間を過ごすことにした。


2017年11月2日木曜日

場の担い手が持つべき素養を磨きに

今日から4日間、参加型リーダーシップの研修に参加する。これはArt of Hosting(AoH)という名前により、世界で展開されているワークショップで、1991年設立のInterchange社の共同創設者Monica NissenさんとToke Paludan Moellerさんらによる研修が元になって開発されていったものという。公式ウェブサイトには世界各地の連絡窓口が紹介されており、日本語でのサイトも開設されている。MonicaさんとTokeさんも2014年に来日されているようで、2017年には京都・綾部でも開催されている。

今回は、4月から何度かお目にかかっている方(Sørenさんとだけ記しておく)がデンマークでの運営チームの一人ということもあって、お誘いをいただいた。SørenさんはAoHに出会って15年になるという。前掲の日本のサイトで紹介されている歴史を紐解くと、AoHは1994年に失業者向けの研修を担っていたJan Hein NielsenさんがMonicaさんとTokeさんと出会い、その後3人で活動し、1999年にAoHの原型となるプログラムを構築したとある。よって、SørenさんがAoHに出会ったのは、かなり初期の頃なのだと推察する。

会場となるDanhostel Kalundborgまでは、オールボーから列車とバスを乗り継いで5時間ほどかかる。ただ、この場所は例年、AoHの研修がなされている場所のようである。ある種、聖地と言ってもよいのかもしれない。そう思うと、道中のテンションは上がる。


会場に着くと、ちょうど入り口のロビーでSørenさんらがおしゃべり中で再会を祝った。夕食を終えると、早速ワークである。JanさんによるAoHのポイントと、参加者全員が一つの輪になって「なぜ参加したのか」を語るというものだった。今日の終了は21時半、はてさて明日からはどうなることやら、である。


2017年11月1日水曜日

不在のミーティングのために

日本語での論文投稿から一夜明け、今日は英語論文の草稿を書き上げることになった。明日、オールボー大学の受け入れ担当の先生方のミーティングがあるのだが、私は参加できないためである。明日からはコペンハーゲンから100kmほど西にあるまち、Kalundborgまで出かけ、参加型リーダーシップの研修に参加することになっている。そのため、出席の代わりに資料で参加する、という具合である。

出席と参加は異なる。仮にその場にいても、何の貢献もなければ、参加とは位置づけられない。言わば路傍の石である。強い権限を持つ人には邪魔ものとして蹴飛ばされてしまうだろうし、不用意な人にはつまづく要因をもたらしてしまい不自由をもたらさすかもしれない。

だからこそ、不在でも貢献できるように、資料で参加するという手段が認められていると捉えている。反対に、ただそこにいるだけでも価値がある場合もある。誰かの話にうなずくことで、心地よく話ができる環境に貢献できるかもしれないし、悲しみが扱われる場合にはその悲しみを抑えずに涙を流すきっかけをもたらすかもしれない。こうして多くの「かもしれないこと」があるからこそ、他者と共に何かを生み出すことに意味を見出すことができる。

結果として英語で14ページにわたる資料を用意することができた。ちなみに資料とは英語でresourceという単語が当てはまるため、その字義から改めて日本語にしてみると再び源にする、ということになる。よって、資料を作成するためには、何らかの源(source)が必要とされる。14ページにわたる資料では、いくつかのsourceを引用して示したものの、それが事例を引き立てる果たして、私が不在のミーティングでどのような資源として活かしてもらえたか、報告を楽しみに待つことにしよう。