ブログ内検索

2021年2月28日日曜日

公園があるなら民園や共園があっていい?

2016年の2月から、浜松市役所による創造都市推進のプロジェクトのお仕事をいただいている。2017年度までは「みんなのはままつ創造プロジェクト」(略して「みんはま」と)呼ばれる取り組みの審査員というお役目だった。例年2月に審査をし、4月下旬から5月上旬には前年度の成果報告と新年度の採択団体の交流を行う場が設定されていた。クロージングとオープニングの場が同時に設定されていることにより、まるでリレーゾーンのように、芸術文化活動を通じたまちの魅力づくりを行う担い手たちのあいだでそれぞれの思いを確かめ合う機会となっていた。

2018年度からは「浜松市創造都市推進事業補助金」という制度が開始され、その審査員を務めている。事実上「みんはま」の後継事業である。ただし、共に浜松市補助金交付規則のもとで執行される浜松市総合計画に掲げた都市の将来像「市民協働で築く『未来へかがやく創造都市・浜松』」のための補助金であるものの、「みんはま」は補助算定経費(事業の補助対象経費から収入等を控除した額)に対して1年目はスタートアップとして100%、その後に継続事業として採択された場合には2年目は半額、3年目は4割、4年目は25%が補助されると工夫「みんなのはままつ創造プロジェクト補助金交付要綱」に明記)されていた。一方で、「浜松市創造都市推進事業補助金」は期待する取組の内容が明示された上で担い手ごとに提案のカテゴリーと補助率の上限が設定され、市民活動団体等は「既存の活動団体の枠組み、活動範囲、活動内容を超えて、新たな発想で地域課題の解決や生活の質の向上につながる取組」に上限100万円を100%補助、アーティスト等には「市内の企業や地域と連携し新たな文化資源の発掘や発信、市民の創造性を刺激・育成する取組」に上限30万円を100%補助、そして中小企業者には「デザイナー等と協力し新たな製品・商品を開発する取組や、申請企業が有する技術や知識を広く地域に開放する取組」に対象経費の半額を100万円を上限に補助、という具合である。

今日はその採択団体の1つで、佐鳴湖をフィールドに創造都市推進の事業を展開する「Share THE PARK」の活動にお邪魔した。そもそも「みんはま」を終了した理由は、公益財団法人浜松市文化振興財団を基礎自治体におけるアーツカウンシルとして捉え直し、文化庁の「文化芸術創造拠点形成事業」のもとで、財団内に「浜松アーツ&クリエイション」を新たに立ち上げたことによる。2020年度は新たな制度での2年目のとなるが、財源は浜松市から移管されていないものの、行政の直接執行とは異なる特徴を出そうと、交付決定後には審査員がアドバイザーとなって事務局と共に伴走支援に取り組む、ということになった。今回は対面での現地視察となったが、コロナ禍の中ということもあって、Zoomなども活用してアドバイジングを重ねて来た。

本日伺った「Share THE PARK」は市民活動団体枠で「佐鳴湖を中心とするエリアに、豊かで持続可能なローカルライフを提案するマルシェとフリーペーパーの刊行」に取り組むものである。アドバイジングとしての対話では、「誰にでも開かれた公園を市民が互いの思いを共に大切にしながら場づくりを行うので、民園あるいは共園づくりですね」などと投げかけてみた。こうした言葉遊びがお嫌いではないようで、何かピンと来たところがあったようである。事業は2月分で一段落するものの、来年度の補助金応募への準備と共に、3月末を含む当面の活動は自費で展開することを決めたようで、地元の高校生がボランティア役を買って出ていた受付に置かれたガラス瓶には、参加者らの寄付が多く寄せられていた。

12月から3回目となる活動日には三ヶ日みかんジュースや栃窪のレモンでレモネードづくりも
(Leica M9-P, 35mm, f/6.7, 1/750, ISO400)


2021年2月27日土曜日

コピペと呼ぶか原動力と位置づけるか

父がヤマハ発動機に勤めていたこともあって、YAMAHAの文字に目が即座に反応してしまう。静岡県磐田市の実家を離れ、京都で一人暮らしを始めてからは、自ずとヤマハの環境から離れたこともあって、その感覚がより鋭くなった気もしている。そして、たまに実家に帰ったときには、改めて往年の仕事について父親から訊いたこともある。そのエピソードの一つは同志社大学大学院総合政策科学研究科での「山口ゼミ」1期生が修士論文を提出した後、そのうちの1人と共同執筆した紀要論文の冒頭に収めさせてもらった。

今日もまた、ふとしたところでYAMAHAの文字を見かけた。ホテルの流し台である。既にヤマハはリビング事業から撤退しており、1992年に分社化された「ヤマハリビングテック」が取り扱ってきたプロダクトは2013年から「トクラス」社に継承されている。ちなみにリビング事業は旧社名を「日本楽器製造株式会社」とするヤマハ株式会社(日楽やヤマハと呼ばれていた)で、オートバイなどを製造するヤマハ発動機株式会社(こちらはヤマ発と呼ばれていた)によるものではない。

ヤマハとヤマ発の歴史や企業風土のユニークさは、時折雑誌の記事などでも紐解かれている。例えば、バイク専門誌「培倶人」を出版する枻出版社のBikeJIN WEBでは「ヤマハのモノ造り」と題した特集を読むことができ、その1回目「細部へのこだわりは、創業当初から」では、以前「ブラタモリ」でも一部紹介された「オルガン→プロペラ→バイク」といった流れが紹介され、さらにその後の「ボート→アーチェリー→4輪用エンジン」という展開にも触れられている。また、人材派遣などに取り組む「パーソル テクノロジースタッフ」による記事『「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた』(2016年9月30日)では、ヤマ発のコミュニケーションプラザ(静岡県磐田市)にてヤマハとヤマ発の双方からのインタビューにより、「時計の修理→医療器械の修理→輸入オルガンの修理→オルガン製造→ピアノ製造→高級家具の製作→軍用の航空機の木製プロペラ製造→金属製プロペラ製造→バイク製造」という流れを確認した後で、両社の社長を兼務していた川上源一社長による海外視察の後、まるで「コピペ」のように、既存の技術を新たな発想で流用・応用していった流れを整理している。(ヤマハ(日楽)が「電子オルガン(エレクトーン)→IC開発・製造→オーディオ・電子楽器・パソコン(MSX)→電子機器(音源用電子機器やルーター)」、ヤマ発が「船外機製造→FRP製アーチェリー製造→FRP製船体製造→プール製造→インドネシア駐在員からの相談で水質改善のため浄水器開発→排気ガスに含まれる二酸化炭素吸収のための微細藻類の培養(バイオ事業)」といった展開をまとめている。)リビング事業のみならず、既に撤退した分野もあるものの、地元企業への身びいきながら、ぜひ、今後もさらなる発展を期待したい。

今日は先日から断続的に触れてきたとおり、沖縄の名桜大学が開催校となった国際ボランティア学会の年次大会に参加した。同志社時代に指導をさせていただいた元院生も参加していたので、時折、SNSでメッセージをやりとりしながら、知的な対話を楽しんだ。発表では立命館大学の北出慶子先生と遠山千佳先生と共に、立命館大学研究部の「Withコロナ社会 提案公募研究プログラム-Visionaries for the New Normal-」に採択された実践的研究の成果をまとめた。学術研究の世界でコピペと呼ぶと意味合いが変わってしまうのだが、一つの成果を次なる研究の原動力へと活かしていきたいと発意する一日となった。

「日楽」時代から「M」の真ん中がベースラインについていないのがヤマハのロゴタイプ
(iPhone XR, 4.25 mm<26mm>, f/1.8, 1/60, ISO320)

2021年2月26日金曜日

行列ができていない事態

1月7日に東京都などに出された緊急事態宣言は、その後対象を広げ、3月7日まで延長とされた。そして今月末には一部を除いて先行して解除がなされると報じられた。今年の2月は28日までしかないため、3月7日に比べれば6府県には1週間の前倒しとなる。2月26日の段階で、3日後から平常状態に戻ります、ということを意味するのだが、毎度の事ながら夕方に、しかも金曜日の夕方において月曜日からは平常どおりに、という判断を伝えるのは、現場感覚の欠如のように思えてならない。

立川志の輔師匠の新作落語に「質屋暦」というものがある。それまでの太陰太陽暦をやめ、1873年から太陽暦を導入することを決断した太政官の「改暦ノ布告」にまつわる噺である。明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日にすれば、1ヶ月分の給与を支払わなくて済むこと、さらには太陰太陽暦のままだと明治6年には閏月を入れねばならないため1ヶ月分の給与がかかること、したがってこのタイミングで暦を変えれば2ヶ月分の給与を払わなくて済むことになるため政府の財政が圧縮できる、ということを手がかりとして、町人の質出しの場面を滑稽に描き出す作品に仕上げられた。2013年の「志の輔らくご in PARCO」での公演がWOWOWで放送されていることは確認できているものの、あいにくDVD等でソフト化されていないのが残念なのだが、そのマクラの部分でも触れられている先述の布告は11月9日、つまり23日後に暦が変わる、と宣言されたことになる。

緊急事態宣言と改暦とを重ねて考えるのはいささか乱暴かもしれないが、仮にこうした政府決定と東京オリンピック・パラリンピックとを関連づけてみたとき、どんな決定であっても、現場に及ぶ影響は相当なものとなるだろう。何より「1年の延期」の決定から日が経つにつれ、ワクチン・治療法などにまつわる状況はより複雑化している。したがって、先送りを重ねた上で、ある時に「苦渋の決断」という具合に枕詞を付して何らかの発表をしたとしても納得がいかない、という声が噴出するのは想像に難くない。もちろん、決断に至るまでに丁寧な判断が求められるのは、私が関連するところでは大学の対面授業に関するあり方も例外ではなく、まずは緊急事態宣言の解除にどう向き合うか、そして政府決定に依存するだけでなく、大学としての理念や方針をどう定めていくのか、執行部には相当の熟慮が求められるだろう。

そんななか、今日は浜松まで新幹線で出かけた。浜松市による補助金事業のアドバイスのため、浜松アーツ&クリエイションのお仕事としての訪問である。当初の予定では実家に宿泊する予定であったが、家族であっても他県に居住する者との接触によって病院への立ち入りに支障がもたらされることが懸念されたため、「今回は来ない方が助かる」と言われ、結果として声だけのやりとりに止まった。無事に仕事を終え、ふと思い立って普段は行列が絶えない駅近くのお店に足を運ぶと待ち時間なしで入店でき、緊急事態宣言下という非日常ゆえの展開で想定外の時間を過ごす日となった。

静岡県西部で18年間過ごしたものの「浜松餃子」のブランディングの奏功には目を見張ります
(Leica M9-P, 35mm, f/2.4, 1/30, ISO 400)


2021年2月25日木曜日

静かなるご縁の日

毎月25日は北野天満宮の縁日である。「天神さん」と呼ばれてしたしまれており、25日は「天神さんの日」として市が立つ。学問の神さまで知られる菅原道真さんをお祀りしているため、生まれた日(6月25日)と亡くなられた日(2月25日)がともに25日ということに由来しての市日であるという。そのため毎月25日には、多くの人で界隈は賑わっている。

しかし、緊急事態宣言のもとということもあり、今日の市日は中止と発表されていた。それゆえ、終日、界隈は静けさを保っていた。もちろん、その静けさは今日だけではない。コロナ禍以降、上七軒と呼ばれるお茶屋さんが並ぶ町並みには静けさが保たれている。

今日は2件のミーティングがあった。共にZoomであった。私は自宅からつないだが、2つとも、ホストとなられた方は職場から参加しておられた。京都も含めて、緊急事態宣言は2月末で解除の方向に向かう、とされているが、果たして緊急の事態は脱したと宣言していいのか、そもそも緊急事態とは何かを冷静に考えてみる必要がありそうだ。

ミーティングを終えて少し外に出ると、犬を連れて散歩する方お一人の姿が見えた。ほぼ日没の時刻にもかかわらず、極めて閑散とした風景だった。一方でこの前の週末には、受験の願掛けのためか、他府県ナンバーを含めて駐車場の入庫待ちの車が正面の参道の鳥居側の門前に並んでいた。菅原道真公が亡くなられた延喜3年2月25日は、西暦では903年3月26日となるようだが、来月の縁日がどのような風景となるのかの見当がつかない以上に、はてさて1,118年前はどのような町並みだったのかの想像のつかなさに、時間の流れの尊さを思う静かなる縁日であった。

上七軒を含む5つの花街ではクラウドファンディングにも取り組まれていました
(Leica M9-P, 35mm, f/8, 1/30, ISO400)


2021年2月24日水曜日

共通の尺度で値ぶみができないこと

水曜日と言えば英会話のクラス、と決まっているところであるが、今日は当初からお休みだった。講師の先生が同じ場所で火曜日にも別のクラスを担当しているため、それにあわせてのスケジュールではないか、と想像している。私にとってはイレギュラーな水曜日の朝、立命館大学の次年度ゲストスピーカーの招聘手続きを行った。今年もまた、10時ちょうどでフォームが締め切られるという仕様であった。

「お金で解決できることはお金で解決」というフレーズを最初に聴いたのは何だったか、最早正確に思い出すことができないものの、とりわけ大学で教える仕事をするようになってから、意図的に使うようになったことは確かである。特に同志社でのソーシャル・イノベーションの実践的研究、さらには立命館でのサービス・ラーニングを通じた学びと成長を促す上では、このフレーズが思わぬところで効いてくる。なぜなら、このフレーズは「お金で解決できないことはどのようなものか」さらには「お金で解決できないことは何で解決するのか」という問いへと言い換えることができるためである。お金で解決できないことの一つは信頼関係(信用はある程度回復できると捉えており、ここに信用と信頼との区別をしているものの、ここでは立ち入らない)であり、お金で解決できないことは誠実に自らの非を認めた上で最善の策を探究して実施していく必要があろう。

今日は合計で5つのZoomミーティングがあった。午前中は週末の会議に向けた資料の確認、午後は新潟県小千谷市塩谷集落をフィールドとしたリサーチミーティング、その後に立命館大学サービスラーニングセンターの新入生歓迎用動画作成のためのブレーンストーミング、そして夕食後にデンマークのオールボー大学が主催するPBLに関するミニセミナーが2つ、という具合であった。中でも午前中のZoomでは、参加者どうしの学術的な専門やそれに基づく文化的背景の違い、それらによる言葉の解釈の微妙なずれにより、私が提示した図解に対して全員が納得できるものとはならなかった。議論の中盤を過ぎたあたりで私から図解の案は取り下げを申し出たものの、終了後になって改めてそのときのムードを想い起こしてみると、私がむしろ意固地になって逆ギレしていると映ったのではないか、などと考え込んでしまった。

そういうとき、コロナ禍の前には共に現場へ足を運び、メモを取ることも忘れて、ただその場のあたたかい雰囲気に没入していたフィールドワークやアクションリサーチの仲間たちとの対話は、オンラインであっても「いつかのあの場所」の心地よさへと誘ってくれる。しかも今日のミーティングは、ともに4月から大学院博士前期課程に進学する大阪大学の学部生2名が今年の卒業論文で何を記したかを本人から紹介いただき、それらも含めた書籍を作成するとしたらどのようなものが読まれるか、というお題もあったので、やや、とんちを効かせた対話を楽しめた。その結果、残りの3つのミーティングには午前中のモヤモヤがいささか晴れた状態で臨むことができた。お金で解決できないことは何か、それはCMのフレーズでも有名な「priceless」なこと、すなわち値段がないのではなく共通の尺度で値段をつけられないものであることは確かであり、今日はその本質を5つのオンラインミーティングを重ねることで改めて考える一日となった。
一日の終わりを迎えるまで気持ちの浮き沈みが多かった日の朝に撮った京都・上七軒界隈
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/90, ISO400)




2021年2月23日火曜日

キーピッチに見るデザインのバランス

人と比べるものではないかもしれないが、比較的モノフェチな方だと思う。もちろん、量が重要なのではなく質が重要であり、単に値段が高ければいいわけではなく安ければいいわけでもない。いくつかある要素の中でもデザインは良いモノであるかどうかを左右する重要なものの筆頭であると捉えている。

デザインという言葉は有形のものに対してのみ使われるものではない。実際、現在はコミュニティデザインやコンセプトデザインなど、広い分野で、また無自覚のうちに無形のものに対してもデザインという語が用いられている。それは建築を意味するアーキテクチャがコンピュータの世界でも用いられていることにも通じた観点であろう。理想的な世界をどうつくりあげるか、そこにはメッセージやストーリーが不可欠である。

今日は最近導入した新たなモノのコンセプトデザインとプロダクトデザインに向き合うこととなった。iPad AirとMagic Keyboardとの組み合わせである。もともとキーボードも、さらにはスタイラスと呼ばれるペン型の補助デバイスさえも不要とされてきたものが、スマートフォンの普及によって、改めてパソコンとの棲み分けと共存・共生のために、マルチな使い方が提案された結果であろう。この組み合わせはパソコンの代替や併用の可能性を拓くものであるとはいえ、キーボードだけで操作が完結しないこと、さらに日本語版のキーボードではリターンキーに近いキーの幅(キーピッチ)が崩れていることが悩ましい。

そんなことを視覚的かつ触覚的に体感しつつも、今日はパソコンで月末に機会を得ている国際ボランティア学会の発表資料を作成した。以前は慣れ親しんでいたはずのMicrosoft PowerPointを久しぶりに使ったものの、今やAppleのKeynoteばかりを用いているため、些細なことに苦労を重ねることとなった。結果として、Keynoteで作成してからPowerPointに書き出して微修正し、3人の連名による共同発表のスライドに担当部分を追加した。ふと、Macでは出されることがなかったPanasonicのLet's Note M32やR6など、A5サイズの機種を使いつつも、結果としてキーピッチの崩れなどが視覚的・触覚的に気になって、Appleに戻したときのことを思い出した。


Designed in Apple in Californiaゆえ英語版のキーピッチは11インチモデルでも不変なようです
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/10, ISO400)


2021年2月22日月曜日

社会をよりよくする言葉と仲間に出会うこと

今日も朝から3つのZoomミーティングだった。昨日は100人越えのZoomミーティングが2件続いた。そのときに感じたのは、一堂に会する、ということばを前提とするなら、Zoomでは1画面あたりのギャラリービューの最大表示数が49であることを鑑みると、50人以上のZoomミーティングはウェビナーで実施してはどうか、ということである。とはいえ、昨日のZoomミーティングの2つめは途中でブレイクアウトセッションを用いたため、ウェビナーには実装されていない機能であることを鑑みると、Zoomミーティングという選択肢が採られたことにも合点がいく。

今日の午前中は大阪にて対面会場で行われた読書会にZoomで参加させていただいた。対面の場には題材として取り上げられた『分断された都市:再生するアメリカ都市の光と影』(学芸出版社)の翻訳者である山納洋さん含めて5人、そして5カ所から5人が参加する形となった。司会は大阪ガスCELの弘本由香里さん、進行は桃山学院大学の白波瀬達也先生により、インナーシティの再開発や居住者のホワイトカラー化など多彩な表現が用いられる「ジェントリフィケーション」に対して批判的に(言うまでもなく、単に否定的に扱うだけではなく)取り扱っての議論となった。私はp.61にて「複合大学」と訳出された部分に関して、その原語であるmultiversityの概念を示したClark Kerr先生が展開したカリフォルニアの大学システムと日本の大学システムとの違い、その上での日本における大学地域連携の取り組みとの関わりで、今後の地域活性化の政策への影響について見解を述べさせていただいた。

短いランチブレイクの後、午後には代表者を務めている科研費のリサーチミーティングを行った。2週間前に一度、意見交換をしていたので、その際の内容をまとめて、改めて来年度の展開を検討した。京都市内2カ所、横浜、鳥取をつないで、コロナ禍だからできることについて突き詰めた結果、卒業生に焦点を当てて、オンラインでのインタビューを実施していくことを軸とすることになった。そうして丁々発止の議論ができると、自らが身を置く社会をよりよくする言葉と仲間に出会うことが常々大事だということを改めて実感する。

その後、夕方にかけては、立命館大学の大学院キャリアパス推進室のスタッフさんとのブレーンストーミングとなった。私が立命館で修士まで学んだこと、前任校では大学院の担当で任用されたこと、本務校が立命館となった今は学部に所属せずに教養教育を担当していること、これらを踏まえて、大学院生の研究力向上への貢献へのチャンスをいただいた、という具合である。ちなみに担当スタッフの方とは私の最初の職場である大学コンソーシアム京都での在職中に職員と学生の関係で出会っており、改めてのご縁に感謝である。こうして、学びと成長のコミュニティを生成・維持・発展させていくことの意義を大切にしながら、それぞれが自身の軌跡を丁寧に見つめていけるような場づくりに貢献していきたい。

帯にはコミュニティデザイナーで知られる山崎亮さんが言葉を寄せています
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, ISO400)

2021年2月21日日曜日

ドーンとスタミナ!! がガツンとカラダに

1994年の3月末、第2志望だった国立大学のB日程試験が残念な結果に終わったことを受け、父と共に春からの家を探しに京都を訪れた。結果として、立命館大学のみ、ご縁をいただいたためであった。その年の4月から立命館大学は滋賀県草津市にびわこ・くさつキャンパス(BKC)を開設するすることとなっていたため、情報の多くは衣笠キャンパスに集まっていた。そのため、大学が提携する衣笠キャンパス近くの不動産屋さん(確か、以学館での大学生協の特設コーナーを見た後、平野神社近くの「学生ハウジング」さんにお邪魔したように記憶している)を訪れたのであった。

朝に静岡県磐田市の実家を出たため、自ずとランチは京都市内でいただくタイミングになり、足を踏み入れたのは北野白梅町の天下一品だった。なぜ、そこまで覚えているかというと、初めて入った天下一品で、初回は「こってりを食べなかった」ことを、事あるごとに想い起こしてきたためである。その後、衣笠キャンパスとBKCの中間地点とも言える山科区御陵で初めての一人暮らしを始めた後には、徒歩2分ほどのところにある天下一品によく通ったものである。もちろんオーダーは「こってり」で、ニンニク入りネギ大(現在はトッピング扱いで別料金)を定番としている。

今日は昨日の大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムの打ち上げ気分で、妻と共に天下一品の総本店でランチをした。総本店の店内北側の壁面には天下一品の歴史が掲げられているのだが、そこに総本店の開店当時の写真があった。そこにあった「ドーンとスタミナ!!」の看板に、かつて通っていた山科店に掲げられていた文言を思い出した。一部の店に共通して掲げられているようで、Googleの画像検索で探り当ててみると、「当店のスープは非常に栄養価が高くスタミナ不足の方に特におすすめします。」という案内で、少し疲れたとき、また風邪気味のときには、スープを飲み干すことさえできれば程なく治り、仮に飲み干すことができなければ相当に体調が悪いと判断する、それくらいの「ドーンとスタミナ!!」であると今なお受け止めている。

天下一品でのランチを挟むかたちで、午前と午後にはFDフォーラムの分科会に参加した。午前の分科会では、前日のシンポジウムでもそうであったように、コロナ禍を経て「元に戻るか戻らないか」ではなく「元に戻すか戻さないか」、大学側に方針策定が委ねられているという議論が展開された、と受け止めている。午後はeラーニングと呼ばれてきた時代から丁寧な実践を重ねて来た方々の事例紹介だったため、なおのことコロナ禍を経た緊急対応の内容が相対化される機会となったと捉えている。ちなみに午後はランチの際の「ドーンとスタミナ!!」が、学生時代とは異なってガツンと胃腸を騒がしくさせており、途中、ブレイクアウトルームや休憩なども含め、休み休み議論を伺うこととなった。

ランチの後はスーパーで買い物をして帰ったのですがその時点で胃が騒がしくなり、でした。
(Leica M9-P, 35mm, f/3.4, 1/12, ISO 400)



2021年2月20日土曜日

線でつながる・ルームでつながる

半年ほどかけて準備を重ねて来た大学コンソーシアム京都第26回FDフォーラムの幕があがった。第25回は開催直前に新型コロナウイルス感染拡大防止のため、事前配布資料の公開のみで、実際の企画は中止となった。それから1年を経た第26回は初のオンラインでの開催となった。ちなみに来年の第27回もオンライン開催の方針で準備を重ねることが、先日、2月9日に開催された2020年度第5回FDフォーラム企画検討委員会にて議決された。

FDはFaculty Developmentの略語で、教授能力の開発を意味する。教授という職種の人の能力を開発する、という意味に止まらず、広く大学関係者の研修会として捉えるのが自然な解釈だろう。実際、その定義は議論の対象となっており、例えば文部科学省の中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像」答申(2005年1月)では「教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組の総称。その意味するところは極めて広範にわたるが、具体的な例としては、教員相互の授業参観の実施、授業方法についての研究会の開催、新任教員のための研修会の開催などを挙げることができる。」とある。そもそもFacultyとは個々の教員ではなく教員団として、つまりは集団を指すのであり、ちょうどサンガ(saṃgha)が「お坊さんたち」を指す構図に似ているように捉えている。

昨年度も立命館大学から企画検討委員として参加させていただき、今年もまたその役を担わせていただくにあたり、シンポジウム「大学の教育・研究・社会貢献に新しいモデルは生まれうるか?〜COVID-19の経験を踏まえてAI化・ロボット化した世界の担い手を構想する〜」を提案、コーディネートする機会を得た。コロナ禍において、2020年3月に立ち上がったFacebookの「新型コロナのインパクトを受け、大学教員は何をすべきか、何をしたいかについて知恵と情報を共有するグループ」の創設管理人の岡本仁宏先生(関西学院大学)と、2020年1月に『ROBOT-PROOF:AI時代の大学教育』(森北出版)を訳したお一人である杉森公一先生(金沢大学)と共に、約2万1千人の参加者の投稿を通じて、どんな未来像を展望することができたかを語り合うことにした。2時間のシンポジウムの前半は事前提供資料をもとに、お二人の話題提供に、後半は469名に申込みをいただいた参加者(最大時に400名)から随時受け付けたQ&Aの内容を紐解いていくことにした。18ほど寄せられた問いの中で、私にとって最も印象的だった問いは「本当に元に戻らず変われるのでしょうか?」であった。

ちなみに私の事前提供資料では、最後に岩見夏希さんによる詩「ない」を紹介した。この詩は現在、仙台市教育委員会による「仙台版防災教育副読本『3.11から未来へ』」の小学校4,5,6年向けにおいて「希望の詩」として紹介されているが、私が最初に目にしたのはNPO法人アートNPOリンクによって展開された「アートNPOエイド」で藤井光さんが現地で撮影した写真(宮城県亘理郡山元町役場にて2011年4月23日撮影)であった。まもなく東日本大震災から10年だが、あの時に「そこにあった/ものをとりもどす/ために/がんばっている/ぼくたちには/まえとはちがうが/必ずいいものが/帰ってくるだろう」と力強く言葉が紡がれたことを思えば、コロナ禍の前に「そこにあった」もの、例えば対面授業の本質は何かを、丁寧に見つめ直さねばならない。それはシンポジウムでの議論のみに止まることなく、通常は懇親会として捉えられる「情報交換会」もまたオンライン開催したことによって、同じ関心を持つ人どうしでつながりあい、Zoomのブレイクアウトルームでのセッションで対話を深めたことにより、今後もさらに深く掘り下げられていくことだろう。

いつもより万全の環境で運営しようと久々に無線ではなく有線でインターネット接続を
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/20, ISO400)

2021年2月19日金曜日

化石燃料の二重利用

徒然草にて兼好法師は「家のつくりようは、夏をむねとすべし」と記しているが、夏に合わせると冬が辛くなる、それが京町家である。もちろん、夏の対策よりも冬の対策の方が容易であったからであろう。服を着込み、風の動きを止めて、例えば火をおこして暖を取ればよい。一方で、夏には簾をはめこんだ建具(文字通り、簾戸)に変えて風通しをよくしようと思えば、あらかじめ家の中に通り庭と呼ばれる風の通り道を作っておかねば、例えば打ち水などをしたところで効果は出ない。

とはいえ、京都の冬は寒い。それは現代のマンション住まいでも如実に感じる。二重窓、ペアガラスのサッシ、外張り断熱、そうした建築工法は年々進化を遂げているはずだが、特に打ちっぱなしマンションでは、鉄筋コンクリートの躯体自体がまちの寒さと一体化して、底冷えの京都で住んでいることを痛感させられることがある。かつて、土木工学を専門としていた時代に耳にした強・用・美(ローマ時代に活躍した建築家のウィトルウィウスによるとされる)のそろった建築は、なかなか容易にはもたらされないということの実感でもある。

今日は夫婦そろって在宅勤務だったので、ランチはテイクアウトで済ませた。予約の時間から少し早くお店に着いたのもあって、少々店頭で待たせていただいたとき、石油ストーブの上に加湿用の平鍋が置かれていた。燃焼することで暖を取り、その熱で水を沸騰させて湿度を保つという、化石燃料の二重利用である。厳密には京町家とは言えないが、わりと古い木造建築ということもあって、こうした工夫で快適さが保たれている。

そんなランチの前には2つのZoomミーティングだった。一つは来週の国際ボランティア学会での発表の打合せで、もう一つが立命館SDGs推進本部によるリーフレットの内容調整だった。ランチ後は立命館大学サービスラーニングセンター関係の調整事をしつつ、いよいよ翌日に迫った大学コンソーシアム京都のFDフォーラムの資料確認と、国際ボランティア学会の役員としての素材確認、さらには来週月曜日の科研費で採択された研究のミーティング資料の準備と、立て込んでいた。結果として、来週月曜日の資料準備は完了しえず、研究分担者の皆さんの顔を思い浮かべながら、段取りの悪さを恥じた。

かつてアラジンのブルーフレーム(16型)を使用していた頃を想起
(Leica M9-P, 35mm, f/3.4, 1/8, ISO400)







2021年2月18日木曜日

久々のネクタイ労働

今日も朝からZoomミーティングだった。ただし、ウェビナーでの開催だった。立命館大学研究部の男女共同参画推進リサーチライフサポート室による「ダイバーシティとワークライフバランスについて」というセミナーであった。対象は、学校法人立命館教職員および立命館大学大学院生・立命館アジア太平洋大学大学院生で、案内文には「男性の参加も歓迎します」と謳われていた。講師はベートーベンのピアノソナタの名前の一つにもなっている「アパショナータ」(意味は「熱情」)のパク・スックチャさんだった。

今週土曜日、2月20日には大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムで、シンポジウムを担当させていただく。26回の歴史の中で初めてオンライン開催となり、Zoomを用いて実施される。そして、シンポジウムではZoomのウェビナーが用いられる。今年度、ゲストスピーカーを招聘する授業においてウェビナーでの実施をしたことがあるものの、改めて参加者側の感覚などを確認する機会を得ることができた。

午後、というか、夕方には下京いきいき市民活動センターに出かけた。京都地域創造基金による動画配信でのシンポジウムの収録のためである。15時半の集合のため、14時ごろから身支度を始めた。ネクタイを締め、革靴を少しだけ磨いて14時半過ぎに現場へと向かった。久々の感覚であった。

私の感覚であれば、1本の動画の収録をするなら各所からZoomでつないで、ギャラリービューとスピーカービューをうまく操作しさえすれば、スイッチャーなどの特別な機材を必要とせずに、一定のクオリティのものが出来上がるように思う。しかし、今回は対面での収録という形態が選択された。どんな出来上がりとなるのか、楽しみにしたい。帰宅後、こちらはメールのやりとりだけで仕上がった「河合塾 みらいぶプラス・みらいぶっく」のインタビュー記事が公開されたとメールがあり、これはこれで、コロナ禍での不思議な成果物となった。


市内13ある「いきいき市民活動センター」の下京と伏見は「まちとしごと総合研究所」が管理
(Leica M9-P, 35mm, f/2.8, 1/30, ISO400)

2021年2月17日水曜日

動物のいる風景を収めるので精一杯

寒い1日だった。京都は朝から雪模様で、一時はその勢いを増したものの、徐々に落ち着いていった。そんな中、水曜朝の恒例の英会話のクラスへの出席のため、大阪を目指した。いつものとおり、京阪電車での移動である。

最近は乗り換えをした上での最寄り駅ではなく、乗り換えをしない上での最寄り駅から少々歩いて教室へと向かうのだが、今朝はスズメたちの鳴き声がふと耳に入ってきた。ただ、カバンからカメラを取り出しているあいだに、異変を察知したのか、駐輪場の地面一体に何らかの拍子でちらばったのであろう食料をついばんでいた一群は、徐々に堤防の上へと移動してしまった。NHKの「世界ネコ歩き」でよく知られる動物写真家・岩合光昭さんのコミュニケーション能力をうらやむところである。

今日のお題となった記事は中国の地方航空会社(海南航空:Hainan Airlines)を参加に置くHNAグループ(海航集団)の倒産危機について、であった。アリババグループのジャック・マーさんの発言なども絡めながら、フィンテック(Finance+Technology)企業と中央銀行、転じて国家(および党本部)との軋轢について論じられたものだった。興味深かったのは、記事の中で出てきた潜在的なリスクが軽視された状態を意味する「灰色のサイ(gray rhinoceros)」にまつわり、動物をメタファーとした金融界の俗語に付いてであった。有名なところでは事前予測が困難な「black swan(黒い白鳥、つまり黒鳥)」、触れてはいけない問題としての「elephant in the room(部屋の中の象)」、その他にも投資にあたって強気で臨む「bull(牛)」と弱気で臨む「bear(熊)」、さらにはcrocodile(ワニ)がアリババで、shark(サメ)がeBay、そしてディズニーランドがtigerならWandaがwolves、という具合である。

行きの列車で通路をはさんで隣の席の方々のやや荒らげた会話が耳について離れなかったのもあり、ランチは久々にインディアンカレーで刺激をいただいて、家路に向かった。そして、20日に迫ったFDフォーラムの直前打ち合わせをパネリストの先生方と行った。続いて、今年の夏の立命館大学の夏期集中科目の打ち合わせとなった。夜は明日の動画収録にて行われるシンポジウムの素材作成を行うという、めまぐるしい展開の一日だった。



2021年2月16日火曜日

ひらりと落ちたものを肥やしに

2020年度は教育も研究もすっかりオンラインがスタンダードになった。もちろん、秋学期には一部は対面の授業として再開された。しかし、受講生に問いかけたところ、既に下宿先を引き払っていた学生もいたこともあって、対面授業で実施した授業も、いわゆるハイブリッド方式で実施した。厳密に言えばハイフレックス型と呼ばれるもので、対面(教室)・同期オンライン(ライブ配信)を組み合わせ、さらに非同期オンライン(アーカイブ配信)での受講も学生には選択できるようにした。

今日は午前中、そうした授業と平行して取り組んだ実践的研究として、多文化交流企画の運営スタッフを担った学生たちのフォーカスグループインタビューを行った。3名の教員が4名(当初は5名の予定)に対して、スタッフとして参加・活動を継続した背景、運営に携わる上で工夫したことと改めて自分の特徴・特性として気づいたこと、今後の多文化交流のあり方と自らの姿勢について伺った。約2時間にわたるZoomでのインタビューであったが、約3ヶ月にわたるオンラインでのコラボレーションに対し、4人がそれぞれに丁寧なまなざしを向けていたので、実に充実したフォーカス(共通の焦点を当てた)グループインタビューとなり、結果の一部は2月末に開催される国際ボランティア学会の年次大会で発表の予定である。

午後は馴染みの鍼灸院に凝り固まった身体を預けた。長らく通っていると、どこがどう、という説明をしなくても、施術を始めていただける。施術を終えて次の予約を入れて失礼するのだが、果たしてそれまでの予定にどう向き合っていくかを確認する機会ともなっている。次は3月の8日に予約を入れたので、上記の学会の他、いくつかの話題提供と、月末に締切の原稿提出が滞りなく終わっているはずである。

鍼灸院の後、久しぶりに衣笠キャンパスに足を運んだ。それこそ、会議もまたオンラインばかりで、郵便物が貯まってきているためである。アカデメイア立命21の改修工事のため、昨年に個人研究室が引っ越しとなったため、今は郵便物が届くサービスラーニングセンターの事務室の入る建物(有心館)と個人研究室のある建物(尚学館)は隣接しているので、至便な環境にあるものの、授業も一段落したこともあって久々に訪問するオフィスでは、画面越しやメールばかりでコミュニケーションをしていたスタッフの皆さんと少しだけではあったが会話を交わした。帰り道、キャンパスで過ごす人はまばらな中でも、腐葉土は熟成を重ねている様子に目を向けつつ、夜は自宅にて依頼されていたある学会誌の査読を行った。

衣笠キャンパスの地域連携課の皆さんによるSDGs推進への積極的な取組の一つ
(Leica M9-P, 35mm, f/16, 1/30, ISO 400)


2021年2月15日月曜日

路地裏の広報板

2020年度、市内で8,000人を越える方が委嘱されているという京都市の市政協力委員を務めさせていただいている。1953年に設置された制度で、「京都市市政協力委員設置規則」によれば、「市政の円滑なる運営と行政能率の向上をはかる」ことを目的に設置されたものである。ちなみに、市政の円滑なる運営と行政能率の向上について、明確な指標は示されていない。加えて、PDFでアップロードされている前掲の規則は画像データであって、テキスト抽出ができないファイルである。

市政協力委員の主な仕事は、「市民しんぶん」等の配付と、京都市広報板へのポスターの掲示、である。「市民しんぶん」とはタブロイド判の新聞の体裁を取る京都市の広報紙で、毎月1日には全市版、15日には各行政区版が発行される。都合、月2回、町内会に加入していない方も含めて町内に配布するよう、市政協力委員のもとに配送されてくる。ちなみに2020年9月15日、伏見区の藤森学区自治連合会が京都市の議会(京都市会)に市民しんぶんの配布方法及び自治会・町内会の在り方の変更」を陳情し、10月21日には文化環境委員会にて審議された。なお「市民しんぶん」は、京都市のホームページにて電子版(広告無しPDF)や音声読上げサービス版が提供されている他、eメール配信、加えて点字版・文字拡大版・テープ版・CD(デイジー)版も提供されている。

議会に陳情されても、さらにはコロナ禍においてでも、紙媒体の配布という方法に大幅な変更はないように思われるものの、市政協力委員へのもう一つの役割、京都市広報板へのポスターの掲示は議論にさえ挙がっていないもようである。1968年に制定された「京都市広報板設置要綱」によると、「広報効果を増大させるために設置」されているという。市政協力委員の数だけ広報板があると仮定すると市内で8,000箇所が、先に示した要綱のもと、(1)市発行の広報刊行物類と(2)町内が主催する行事等に関するポスター類のための場所として確保されている、ということになる。京都市による「市政協力委員にご就任いただいた皆様へ」というリーフレットにもあるとおり、掲示するポスターには掲出開始と終了の期間が明確に定められており、貼りっぱなしで済ませることはできない。

今日は午前中に立命館大学の秋学期の成績登録を行い、11時から分担研究者で参加している科研費のプロジェクトでのセミオープンな研究会に出席し、「市民しんぶん」とポスターの掲出の準備をした。午後に立命館大学サービスラーニングセンターの定例会議と科目担当者会議の後、町内の6つの組長さんのもとにお届けし、比較的人通りのある路地に設定された京都市広報板にポスターを掲出した。15日までの掲出だったポスターは既に町内のどなたかの手によって処分をいただいており、多くの目が寄せられているのだということを実感した。

今回は2/28まで「下水道探偵」と「2021年度春期京都労働学校受講生募集」のポスターを掲出
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/45, ISO 400)


2021年2月14日日曜日

乾電池型で動作する機材の安心感

COVID-19によるオンラインでの仕事が日常となり、機材のアップデートを進めている。2020年4月、まずはパソコン本体を更新した。動画でのコミュニケーションや、動画による教材作成と提供が頻繁になる中で、音というよりは声がきちんと届くことが大切だと捉えて新たなマイクも導入した。ほぼ同時期に骨伝導のヘッドセットも導入して、長時間にわたるZoomでの会議でもストレスなく参加できる環境を整えた。

Zoomなどで接続した際、参加者から「聞こえますか?」と確認が寄せられることがあるが、なかなかこの問いに対する答えは難しい。音声信号は確かに届いているとしても、快適に聞こえているかという基準では、到底、その水準に及んでいない場合もある。何より、その瞬間は聞こえていても、送信側や受信側の状態が変化することにより、聞こえなくなる場合もあるだろう。とりわけZoomの場合は、ミュート解除ができているかどうか、そして解除されていればマイクのアイコン内が音声入力のレベルメーターとして緑色のバーが動いているかの挙動を確認するか、そもそも「オーディオ設定」において音声入力の設定を目視いただく方が妥当である。

そうした中、今後ハイブリッド授業(とりわけ、参加者の選択によって参加する環境が分散するハイフレックス型)が本格化していくと、オンラインのみ環境ではあまり必要としなかったものが必要になると、と思うようになってきた。その一つがポインターである。教室に一堂に会していればメインのスクリーンにレーザーを照射すればよかったのだが、空間を越えて複数のモニターに投影されている状況においては、配信する画面の素材に直接ポインターが反映されている必要がある。そこで「Logicool Spotlight Wireless Presentation Remote」を導入してみた。

ポインターに限らず、これまでは乾電池型の電池で動く端末を好んで選択してきたが、今回は機能優先で選定した。古くはKensington、その後はコクヨ、近頃はPhilipsのポインターを使ってきており、いずれも乾電池で動作(実際はeneloopなどの充電池を使用)してきたので「電池が切れたらどうしよう」という不安を抱かずに済んできた。ちなみにカメラも単3型の電池で動くもの(例えば、ニコンのCoolpix P50やPentaxのOptio 43WRなど)を使ってきたものの、今はすっかり専用バッテリーを使うものばかり用いている。ちなみにこちらの新機材、1分間の充電で3時間、60分のフル充電で最大3ヶ月使用可能とのことで、締切前日に立命館大学の採点が一段落した今、いざ試用と使用への扉が開かれた状態にある。



 

2021年2月13日土曜日

機能の肥大化との格闘

そもそもMicrosoft ExcelはMacintosh用のソフトだった。このことは、Windowsユーザーにとっては意外と思われても不思議ではないが、古くからのMacユーザーも殊の外驚く場合がある。恐らく、MS-DOSで一太郎とLotus 1-2-3が好んで用いられた時代、MacではマックライトIIとExcelの組み合わせが浸透していたのではなかろうか。少なくとも私は1994年、Macintosh LC475とクラリスワークス2.0とMicrosoft Excel 4.0の時代から、AppleのマシンでMicrosoftのソフトを使ってきている。

2020年のコロナ禍によってテレワークが常となるまで、私のメイン端末のOSはMac OS10.6.8、つまりSnow Leopardだった。これはメールのクライアントにEudoraを、そして文字起こしにPardonを、動画の簡易編集にQuick Time Pro 7.0を使ってきたことが大きい。ただ、いよいよそのこだわりを捨てなければならないと判断して、一気に現代化した。今のメインマシンはMacBook Air (Retina, 13-inch, 2020)である。

ただ、環境が新しくなったことで難儀することも多く、その筆頭が立命館大学の大規模科目の成績評価の際のExcelの挙動である。立命館大学では朝日ネット社のmanabaというCMS(Course Management System:授業管理システム)が導入されているため、提出されたレポートがフォルダへのハイパーリンクが付与されたExcelのシートと共にダウンロードできる。ところが、以前の環境ではファイルへとアクセスできたリンクが、今はアクセスできないのである。自動書き出しでは学生IDが付与されたフォルダへのリンクとなっているものをファイルへと手動で修正すれば開くのであるが、それ以外でエラーのダイアログを回避する術が見いだせないのである。

MacでMicrosoftのソフトを使うのだから仕方ない、と言われそうだが、冒頭に記したとおり、もともとMacintosh用のソフトだったのである。それがExcel97(Mac版はExcel98)から表計算ソフトにもかかわらず「セルの結合」という機能が実装され、いわゆる神エクセルへの道が開かれた。やがてMicrosoft Officeとしてソフトウェア間での統合ソフトとして位置付き、さらにはOffice 365としてウェブアプリケーションへと展開されている今、とりわけmacOS(MacintoshとMac OSとmacOSの表記の違いには意味があるのだが、ここでは立ち入らない)の永続ライセンス版のユーザーがネチネチ言うこと自体がナンセンスなのかもしれないが、機械翻訳のようなMicrosoft社のオンラインヘルプを閲覧するたびに、なぜシンプルな物言いが出来ないのか、と腹立ちが収まることはない。アフォーダンスの概念を実践的に説いた『誰のためのデザイン』の著者であるドナルド・ノーマンの著作『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう』(2009年に「インビジブルコンピュータ」に改題)には、Microsoft Wordの機能が肥大化していっていることを揶揄する記述があったが、そんなことを思い出したりしていたら、いっこうに採点が進まないのであった。

警告はさておき今日は立命館宇治高等学校によるWWL事業のフォローアップで励まされました


2021年2月12日金曜日

「その時」は(まだ)こない

久々にデンマークからお便りをいただいた。1年間滞在する機会を得たユトランド半島の北のまち、オールボー(Aalborg)で日本との文化交流に取り組んでおられるMayuさんからである。ちょうど私の滞在中にはBoulevardenの通り沿いにカフェを併設した拠点を開設しておられた。東京で言えば銀座、大阪で言えば心斎橋、京都で言えば河原町界隈をイメージしていただくとよいだろう。

Mayuさんからのお便りは近況の報告に加えて、新たに始めたZoomでの交流会へのお誘いだった。折しもコロナ禍が深刻化する前、約2年間運営されてきた拠点は閉じることを決め、日本語を通じた交流の場づくりを行うことで、日本の文化に関心が寄せられるようにするというプロジェクトを新たに展開し始めた、という。そこで、隔週ペースで土曜日の昼下がりに交流会をするので参加しませんか、との投げかけだった。Mayuさんは語学が堪能ということもあり、現地で日本語の教師などもされていたため、その生徒さんたちとの交流を、というお誘いだった。

ふと、オールボーで過ごした時間が懐かしくなり、いくつかインターネット上での記事を検索してみた。すると、私たち夫妻が去った後でオールボー大学に客員研究員として着任された龍谷大学の田原大輔先生の「ヒュッゲ国 : デンマーク・オールボーでの国外研究員を終えて」(龍谷理工ジャーナルNo.78 VOL.32(1), 17-27ページ)という記事が見つかった。恐縮ながら、田原先生とのご縁を丁寧に紹介いただいており、そのあたたかいお人柄に改めて触れることができた。また、口絵には懐かしい風景がカラーで掲載されており、一気に現地に思いを馳せた。

今日は午前中に広島大学の西谷元先生により、BEVIと呼ばれる「学習・成長・変化のプロセスや成果を理解し、それらを促進させる」ための検定ツールについてのレクチャーをいただいた。現在参加・展開中の、立命館大学研究部の支援を受けた「在住外国人支援と市民性教育を目的とした多文化共生E-サービス・ラーニングモデルの開発」のためである。じっくりお話を伺った上で、午後は成績評価の採点にあたった。そして、夜にも集中して採点に臨もうと思ったものの、つい、Clubhouseを立ち上げてしまい、知り合いの方のルームに入っておしゃべりの輪に入ってしまった。

いつか飲もうと棚の中で「その時」を待つオールボーの名産(だった)の蒸留酒アクアビット
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, ISO400)


2021年2月11日木曜日

松葉だけに1枚、2枚…?

建国記念の日の祝日、思わぬ贈り物をいただいた。鳥取からの松葉ガニであった。2005年ごろから懇意にさせていただている方からのお取りはからいである。出版の準備をされている中で、私の職位が変更になったことに気づかれ、ご手配をいただいた、という流れであった。

カニが届いたのも当然のことながら驚きなものの、送り状に「カニ2枚」と書かれていたことに驚いた。カニは「杯」あるいは「匹」と数えるのではないか、という固定観念が先立つためである。ところが、調べてみるとカニの呼び方は論争となること(例えば、2016年11月12日のJ-CASTニュース:カニは「1匹」か「1杯」か、で大論争 鳥取は全く違う数え方)があること、そして鳥取では「枚」で数えられていることを確認した。ちなみにタラバガニは生物分類学上はカニではなくヤドカリの仲間というネタはよく使ってきていたので、このカニの数え方もまた、どこかで話題にできるタイミングがあるかもしれない。

ともあれ、この2枚の松葉ガニは、氷いっぱいの発泡スチロールでお届けをいただいた。恐らく出荷の時点では生きていたのだろう。というのも、先日、あるクラウドファンディングを応援したところ、そのリターンとして和歌山の伊勢エビが届いたときには、調理の前に氷に浸してボイルすることにしたためである。まるで自分でやったかのように記しているが、氷に浸けることを調べた上での調理は妻が担ったことを記しておかねばならない。

我が家は妻との2人家族のため、1人1枚をいただくことになった。コロナ禍でなければきっと、こうして食材をいただくのではなく、共に宴席をご一緒したのだろうと想像しつつ、美味しくいただいた。今日はお昼に知り合いからLINEで1時間半ほど相談に乗った他は、立命館大学の採点に時間を費やした。休日に届いた思わぬ贈り物に感謝しつつ、15日正午締切の成績提出に向け、段取りよく取り組んでいきたい。





2021年2月10日水曜日

二項対立というより二極化の中で

水曜日の朝、今日も京阪電車で大阪へと向かった。ただ、少しだけ、いつもとは違う風景を目にした。出町の三角州などと呼ばれる賀茂川と高野川との合流地点、今出川通りにかかる賀茂大橋の工事が進み、久しぶりに北側の歩道を通行できるようになっていたのである。京都市建設局橋りょう健全推進課がまとめた資料によると、1931年(昭和6年)に完成した賀茂大橋は武田五一先生の設計とのことで、今回の補修で御影石にも磨きがかけられており、後世にその姿が伝えられていくことを願っている。

今日の英会話のクラスのお題は、陰謀論にはまる人、そして抜け出した人の体験についてであった。誰かが自分の全てを密かにコントロールしているという呪縛のもとで、自らが息苦しくなってしまう、その背景について、The New York Timesの記事「One woman's journey out of conspiracy's addictive grip」を手がかりに語り合った。この記事を執筆したSabrina Tavernise記者は、トランプ大統領の退任後もなお、QAnonなど陰謀論を信じる人々の活動は止まることはないと見立てている。その理由として、権威への不信(widespread distrust of authority)、政治やマスコミへの憤怒(anger at powerful figures in politics and in the news media)、所得格差の拡大(growing income inequality)が根ざしているため、と述べている。

1年延期となったTOKYO 2020にかかわって、森JOC会長の発言に対し、多くの議論が噴出している。コロナ禍ということもあって、そもそもオリンピック・パラリンピックの開催の是非も問われている中で、である。こうした議論のときには二項対立あるいは二分法として、例えば止める/止めないという項が置かれて議論が分かれる傾向があるものの、今回は当初から会長は辞任すべし、の極に見解が寄っていったように受け止めている。ただ、そうした声が高まるにつれ、競技団体と政治(団体)との調整役ができる人は少なく、余人をもって代えがたいという意見や議論も出てくるようになってきた。

今日の午後は昨日の大学コンソーシアム京都第26回FDフォーラム企画検討委員会を経て、来週20日に開催される「情報交換会」の進行打ち合わせがZoomミーティングで行われた。懇親会という方が実態を捉えているものの、懇親会と呼ぶと参加に支障がある方への配慮として、名付けの工夫がなされているのだろう。名前はともあれ、恐らく今回のフォーラムでは「オンライン授業」の是非が二項対立・二分法で論じられると想像しているのだが、果たして賛成派・反対はあるいは推進派・抑制派といった立場の二極化までもたらされるかどうか、関心がある。そもそもオンライン開催のフォーラムであることを鑑みれば、むしろ、反対派や抑制派の方々がどのような観点からそう捉えているのか、個別的な事象によるところなのか、あるいは社会システムを背景にした陰謀論のように捉えている節はないか、といったところも掘り下げる機会があるかもしれない。

磨きの掛けられた石に多少の違和感を覚え、むしろ月日の流れが染みこんだ状態が懐かしい。
(LEICA M9-P, 35mm, f8, 1/1500, ISO400)


2021年2月9日火曜日

時の流れ〜 レール・デュ・タン

朝、布団を出て外に目を向けると、近所の屋根にうっすらと雪がかぶっていた。3月に入ってもこうした風景を見るというのは、この数年のうちにはなかったように思う。それでも日中は暖かく、コートなしでも差し支えのないくらいだった。季節は確実に巡っている。

今日は3件のZoomミーティングがあった。午前中は大阪府江之子島文化芸術創造センターの座談会があった。昨年の2月23日に開催予定だった“おおさかアートコモンズ(仮称)ギャザリングvol.5 「大阪の”社会関与型”アートプロジェクトvol.1」”の代替企画として、登壇予定だった人々で非公開の座談会を行い、その内容を事務局が編集して文字化するという展開となったためである。社会関与型という文字が括弧付きとなっているところに、いわゆるソーシャリー・エンゲージド・アートと呼ばれる概念を相対化し、日常生活と芸術文化との関係を改めて丁寧に見つめ直そう、という企図が見え隠れする。

午後のZoomミーティングは、2020年度の秋学期に担当していた立命館大学の「地域参加学習入門」の受講生から相談に対応するものだった。2020年度の秋学期のこの科目は事前に映像を提供してその内容に対する質疑応答などを時間割に配当された時間にて受け付ける、という形態を取っていたのだが、その1回目と15回目の相談時間にも参加してくれた一人である。千葉県出身の4回生で、サークルの夏の遠征で足を運んだ青森県のある町の役場の方からの声かけにより、2021年度に地域おこし協力隊として勤務する予定、という印象深い学生だった。今日は現地での担当者との面接を前に、自分の思いをどう語ればいいのかについて予行演習のような具合で語るので、気づいたことをコメント、助言して欲しい、という主旨だった。

夜には公益財団法人大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムの企画検討委員会だった。26回目にして初のオンライン開催として、2月20日から4日間にわたって展開されるにあたり、その直前の整理・確認のための会議だった。ちなみに、午後に行った学生との対話で、雇用と委託では違うことが話題となった(参考:「平成30年度地域おこし協力隊に関する調査 調査研究報告書」一般社団法人移住・交流推進機構[JOIN]のだが、約20年前、大学コンソーシアム京都の職員として採用されて社会保険の手続きにより親の扶養を抜けるときに父から「おめでとう」と言われたこと、1年契約の嘱託職員だったゆえに毎年の契約更改が滞りなくいくかどうかを気に掛けてもらっていたことを思い出した。父はまだ存命であるものの、朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」にて、亡くなられたお母さんが使っていた香水の銘柄を突き止めたところ、日本語では「時の流れ」を意味する「レール・デュ・タン」であったという名作があるように、時を経て昔の職場に関わる記憶を引き出してくれた学生との対話の機会に感謝したい。



2021年2月8日月曜日

規則の解釈と規範の形成

締切のある仕事が続いている。昨日、2月7日は立命館大学のシラバス入稿の締切だった。そして今日は現在、採択いただいている科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)の来年度の支払請求書の学内締切だった。そして10日は、立命館大学の文化の一つ「教学総括」のサービスラーニングセンター内での集約日となっている。

こうした締切のある仕事と平行して、他者に時間を預ける仕事もある。いわゆる会議出席である。コロナ禍で会議の会場への移動時間が0となったので、その点では大幅に自分の時間が増えたはずである。それゆえ、それらが締切のない仕事や自分のために割く時間、例えば読書や書類整理に充てていけば、より充実した仕事や暮らしを送ることができるのだろうが、なかなか難しい。

今日は書類の整理と作成に加えて、16:20から、立命館大学研究部の「With コロナ社会 提案公募研究プログラム- Visionaries for the New Normal -」に採択いただいたプログラムの企画が行われた。「在住外国人支援と市民性教育を目的とした多文化共生E-サービス・ラーニングモデルの開発」というテーマで取り組んでいるもので、多様な文化的背景のある人たちどうしのオンラインでの交流プログラムの実施で、その企画運営に携わった学生たちの学びと成長を明らかにする、という目的を掲げている。対面での企画であれば参与観察として、場には介入せずに全体の動きを見つめることができるものの、オンラインに参加すると、何もしない参加者の存在は対面のときよりも全体のモチベーションに大きく影響する局面がある。そのため、ブレイクアウトセッションでは1参加者としてゲームに加わり、「ワードウルフ」という仲間はずれ(あるいは少数派)を当てるものと、Google Earthで参加者の故郷を紹介しあう「オンライン世界旅行」を一緒に楽しませていただいた。

他者とのあいだでの気持ちよいコミュニケーションではルールが重要である。それは必ずしも罰則も含めた規則として明文化されたものばかりではなく、言語化されていない不文律、いわゆる規範という側面にも注意が払われる必要がある。今日は締切を守り、またオンラインでのコミュニケーションでは単純で明快なルールの解説の上で、各々の解釈の自由度も許容されることによって、心地よい時間を過ごすことができた。その一方で、最近、個人的にささやかな憤りを抱いているのが、ご近所さんの自転車駐輪マナーの悪さで、いよいよ罰則つきのルールを適用せねばならないのだろうか、と悩んでいると、家から少し離れたところで3日前に放置自転車の撤去をしたことを告げるビラが路上に置かれているのに目が向いた。

この放置自転車撤去の告示の紙はただ朽ちるのを待つだけで朽ちたら効力は無くなるのか…
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/90, ISO400)

2021年2月7日日曜日

加熱した後の飲みもの

立春も過ぎ、あたたかな日曜日だった。コロナ禍でなければ、ご近所の散歩やピクニック気分でちょっと遠出を、などと思い立つところである。しかし、コロナ禍の只中ということもあって、終日、ほぼ自宅で過ごした。外出は電話でオーダーした食べものを取りに出たくらいだった。
 
午前中は立命館大学の来年度のシラバスを仕上げた。金曜日には既存の科目について入稿を終えていたが、残る2科目は新規の科目であり、かつ、別のクラスを担当する先生方との調整を必要とする部分があったためである。来年度に向けての大きなタスクを終えて、気分が軽くなったところでランチをいただいた。しかし、来年度を迎える前に、成績評価と提出というタスクもまた(あるいは、まだ)残っていることを忘れてはならない。

午後はZoomでの講座の受講と、Clubhouseでのおしゃべりと続いた。Zoomの講座は立命館大学人間科学研究所の20周年記念の5回連続の講座の3回目「冤罪を晴らす科学─イノセンス・プロジェクトの可能性」で、立命館大学政策科学部教授の稲葉光行先生がご担当の回だった。研究所のメンバーに入れていただいているということもあって受講の機会を得たものの、かねてより伺っていたプロジェクトの背景と全体像を知ることができた。ただ、司会の若林宏輔先生と対話されていた最後の最後の部分は時間切れで退出させていただかねばならないのが残念だった。

そして15時から「コロナ禍で生じたICT教育格差に切り込もうトーク」と題して、愛知の毛受芳高さん(一般社団法人アスバシ代表理事)と、石川の谷内博史さん(金沢市市民活動サポートセンター長)と3人がモデレーターとなり、Clubhouseでおしゃべりした。きっかけはこれまたClubhouseで、前日夕方にお誘いをいただいたルームでの何気ない会話から「じゃあ」というイベントにつながったという具合である。「ルームの名前で煽ったところがあるかもしれない」とモデレーターどうしで反省しつつも、約2時間のおしゃべりは徐々に白熱していき、リスナーの中から3名がスピーカーとなって各々の関心や経験をお話いただくこととなったのだが、そのうちの1人が私の秋学期に担当したオンライン授業の受講生で、思わぬつながりを楽しむことができた。終了後、冷蔵庫にストックしていたビールに手を伸ばすと、昔ながらの熱処理で製造されたキリンのクラシックラガーで、生の対話に白熱した後にピッタリの飲み物ではないか、と感じ入った。

先日は"LAGAR"とのミスタイプが話題となったサッポロビールでは赤星も熱処理のお仲間
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/10, ISO400)

2021年2月6日土曜日

ユニークで豊かな書体に愛はあるか

長年のMacユーザーである。友人宅でNECのPC-8801markII SRで「信長の野望」を遊んだ中学生の頃、西武百貨店浜松店でMacintosh IIciなどを紹介するカタログを手にして造形美と高価格に衝撃を覚えたのが最初の出会いである。その後、1994年に立命館大学びわこ・くさつキャンパスのユニオンスクエア2階に設置されたオープンパソコンルームでLC475に触れ、その操作のわかりやすさに虜になった。同時に、政策科学部生がPowerBook 180を全員が所有していることに大きな嫉妬を覚えた。

Macユーザーは圧倒的なシェアを有するWindowsユーザーとのあいだで、いくつかの困難に直面してきた。1998年のiMac、そして2008年のiPhone 3G、それらが日本で(も)ヒットしたことにより、徐々にMacユーザーの困り事も減ってきたように思う。ただし、今でもなお、悩ましい問題の一つが、Microsoft Officeアプリケーションでのフォントのズレである。同じアプリケーションで同じフォントが指定されたとしても、具体的には「MS明朝」や「MSゴシック」という名前の書体で作成された文章も、フォントの処理方法が違う(象徴的なのはWindowsのOfficeではあらゆるフォントで「太字」にできるのに対して、Macでは「ウェイト」という概念で書体の太さが管理される)ため、レイアウトが崩れてしまうことがあるのである。

Windowsユーザーにとっては何の気なしに作成してMacユーザーに提供したファイルが、Mac上では見栄えが大きく崩れる場合があることなど、あまり想像がつかないかもしれない。一方で、古くからのMacユーザーであれば、ある種の想定内の出来事として、淡々と対応する。最近では2017年から科研費の応募書類において表作成機能の罫線枠をレイアウトに用いない書式になったことを引き合いに出して、作成側の意図と使用側の状況との差を説明することも幾度となくあった。それまではノスタルジーとして、Windows版も発売されていた「クラリスワークス」の秀逸さを示して、一層のわかりあえなさに浸ることもあったが、スマートフォンの浸透やペーパーレス化も手伝って、そもそもOfficeアプリケーションでの書類作成でのもどかしさは(いわゆる「神エクセル」の指摘や、データクレンジングへの注意喚起もあって)徐々に改善・解消の方向へと向いているだろう。

そんな中、今日は久しぶりにWindows機を起動した。お目当てはHG創英角ポップ体が使われたOfficeアプリケーション(Microsoft PowerPointファイル)のPDF化のためである。今月、2月20日に開催のシンポジウムの書類作成にあたり、話題提供者のお一人からお預かりしたファイルを、作成時の環境に近づけてPDF化を、と考えたのだ。OSに依存しない書類形式(Portableに扱うことができるDocumentのFormat)への保存のために、複数のOSを使うというのも、なかなかシュールである。ただ、そうして作成されたファイルをご覧になる方には、そうして届けられるプロセスにどのようなものがあるのかはあまり関心が向くことはなく、逆にそうしたプロセスに苦心や腐心することがある私は、むしろ届けられるファイルの作成環境にも興味を抱くことも多い。

久々に愛機を活用後にMicrosoft公式でMacでもHG創英角POP体が使用可の情報に触れました
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/6, ISO 400)


2021年2月5日金曜日

食後のコーヒーを楽しむ横で

2020年度が終わりを迎えるまでやるべきことは多々あるものの、2021年度を迎えるためにやるべきことも多々控えている。私はこれを「銀行の15時以降の業務」という言い方で説明している。採点を通じて成績評価を行いながら、次年度の授業計画を整える、という状況などがわかりやすいだろう。これに加えて入試業務に充てられる先生もいらっしゃるのだが、私は全学の教学展開を支えるための採用ということもあってか、立命館に入職以後は入試関連のお仕事をさせていただいていない。

立命館大学における2021年度の授業計画、いわゆるシラバスの入稿は2月7日までとされている。例年は1月下旬(例えば、昨年度は1月22日、一昨年度は1月23日)だったものが、COVID-19への対応のため、入稿期間が後ろ倒しされた。その分だけ、BCPレベルに対応した従業準備を確実に進めておかねばならい。なお、シラバスの入稿を終えると、2月15日までに成績登録を、2月22日までに教養教育科目へのゲストスピーカー招聘を手続きを終えねばならない。

今日は2月7日の締切を前に、概ねのシラバス入稿を終えた。概ね、というのは来年度から新たに担当する2科目について、同じ科目を別クラスで担当する先生方との調整事項があったためである。振り返れば2011年度に立命館大学の専任教員として入職して以降、毎年1つは共同担当の科目があった。しかし、同一科目で別クラスの先生の調整こそあれ、2020年度からの教養教育のカリキュラム改革を受けて今年度までは経過措置として設置されてきた科目も2021年度以降はいよいよ開講されなくなるため、これからは私が担当する全ての科目は自分の裁量だけ進めていくことになる。

来年度担当する10科目のうち8科目の段取りが整ったので、今日のランチは学生時代からの馴染みのお店でいただくことにした。昨日のClubhouseでのおしゃべりを受けて、急に懐かしく思えたためである。かつては京都大学界隈、百万遍交差点の北西角にあったものの、現在は京都府立大学の近くに移転している。今となっては喫煙可能な喫茶店は少なくなったということを食後のコーヒーを楽しんでいるところに横から流れてきた煙に思うと共に、コロナ禍でオンラインにて学びを深めた学生に思いを馳せながら学生時代の思い出はキャンパス内に止まるものではないと改めて実感する昼下がりとなった。

今も月1回程で伺い「いつもの」を頼むので朴訥なマスター注文前に手が動いている可能性有
(Nikon D40, Micro 40mm, f/9, 1/320 , ISO400)

2021年2月4日木曜日

軽い気持ちで立ち寄るbar

ステイホームでのデスクワークでは、圧倒的にオンラインのみで完結する仕事が多い中、昔ながらの紙資料が用いられることもある。その一つが職場での研究倫理審査である。機密性が重視されるため、紙資料が届けられ、返送するというスタイルで行われている。会議前までに読み込み、会議時間内に承認の可否を判定する上では、現状では紙がベスト、という判断がなされている。

一方で、今日の午前中のミーティングは、事前に一切の資料が送付されずにZoomの画面共有のみで行われた。機密性が重視される点では紙資料を用いてもよいところであるが、個々の委員への権限が明確になっていることもあって、全体の会議では事実の確認のもとで賛否のみが問われるためであろう。実際、議事は滞りなく進行し、ほぼ当初の予定時間で終了した。JOCの臨時評議委員会で会議時間の長短が性別の違いに関連づけたことが話題となってしまったのは、実に残念なことである。

今日もまた、昨日に続いてClubhouseのルームを開けてみた。昨日は「Start a room」というボタンから、ただオープンにしただけだったが、今日は「NEW EVENT」としてイベント名称と共同ホストと時間を設定して実施してみた。まだフルオープンにはせず、参加者がフォローしているユーザーのみが参加できる「social」、言わば「友達の友達」までが参加できるセミオープンな井戸端としての設定である。手探りの中での探究では、頼れるのは旧友である。

そうしてルームを開いてみたところ、数年来お会いしていない方々と久々のおしゃべりをすることができた。最大時で4人でのおしゃべりとなったものの、私は3人を知っていて、後から入られた2人は最初に私としゃべっていた1人を知らない、という構図にあった。そんな4人が言葉を交わす中で出てきたのは、幼少時代に友達の家に遊びに行ったときの雰囲気、GREEやmixiなどのSNS黎明期のサービス利用時の印象、さらにはスナックでの見知らぬ人との会話、といった原体験であった。声だけのつながりだからこそ、これまでとは違うつながりと関わりができる、また一つ、Clubhouseの経験知が豊かになった。



(Nikon D40, Micro 40 mm, f/3, 1/30. ISO 400)




2021年2月3日水曜日

好奇心は経験が駆り立てる

毎週水曜日恒例の英会話のクラス、今日のお題はGPSの意外な脆弱性についてであった。New York Timesの記事は、文字通り「Our GPS System Is Too Vulnerable」だった。緊急事態宣言の長期化が見込まれることもあって、今日からはオンラインで受講できるようになったものの、私は対面を選択した。この数ヶ月、オンライン授業を設計し、運営してきた経験もあって、何かトラブルがあれば場の収拾に貢献できるだろう、という思いもあっての判断である。

オンライン授業にはいくつかの形態がある。今回はハイブリッド授業と呼ばれる対面とオンラインとを組み合わせた授業でも、ハイフレックス型と呼ばれるものに相当する。例えば、京都大学による授業解説ページでは「同じ内容の授業を、対面とオンラインで同時に行う授業方法」と定義されているものである。今回は大きなトラブルはなかったものの、対面でもオンラインでも、どちらの参加であっても、相互に対話が比較的ストレスなくできるために、ということでマイク内蔵スピーカーを持参したことで、ささやかに環境改善のお役に立てた気がする。

ハイフレックス型の英会話のクラスに参加した後は、自宅に戻って科研費に採択されたプロジェクトの打ち合わせに出席した。こちらは当初は参加予定だった1名の先生が業務との調整がつかなくなったため、後ほど閲覧できるようにレコーディングがなされることになった。約2時間の対話の中で、途中、誰からかは忘れてしまったが、欠席された先生へのビデオレターにもなると捉えた方がおられて、その方へのメッセージや問いかけをあえて織り込んで議論が進められていった。一部の時間はミュートかつビデオオフで参加されていた時間があり、時折チャット機能を使って反応が寄せられたのも、オンラインでのミーティングならではの展開だったように思う。

そして今日はそうしたオンラインでの講座や打ち合わせに加えて、急速に普及が進みつつあるClubhouseのRoomを初めて開いてみた。駅までの移動のタイミングで開いてみたところ、大学時代からの盟友と、その当時に知り合った方が入ってこられたのである。実は1月30日に招待を受けて、2月1日に参加手続きを終え、今日になって実際の利用を始めるまで時間が経過してしまったのは、新たな物事への好奇心を失いつつあるのかもしれない、と自らの老いを感じていたところであった。しかし、やはり経験というのは重要なことで、こんな使い方があるかもしれない、といくつかのアイデアを思い浮かべることができた。

列車がホームに滑り込んでくる場面をもっとうまく収めたい衝動に駆られています
(Leica M9-P, 35mm, f/6.7, 1/30, ISO 400)


2021年2月2日火曜日

恵みの方へ

124年ぶりに2月2日となった節分である。春夏秋冬の節目ごとに節分はあったはずが、明日の立春の前日のみ、節分として今なお根付いている。豆まきの風景が古くから馴染みのある風習とすれば、この数十年で急速に普及したのが恵方巻などと呼ばれる太巻き寿司を食べるという習慣である。少なくとも1994年に静岡から京都に住まいを移したときには、今ほどの浸透度ではなかったものの、陰陽道に基づいて示された方角に向けて無言で「丸かぶり」し終えると、その年は無病息災に恵まれるという話は、バイト先の先輩か実家暮らしの友人のいずれかから聞いた気がする。

COVID-19によって大々的なイベントが自粛されていることや、SDGsの観点からのフードロスの削減など、いくつかの条件が相まって、今年は恵方巻の話題が普段よりも落ち着いているように思えた。実際、節分における丸かぶりの太巻き寿司の浸透役を担ったとされる大阪海苔協同組合によるイベントも大阪市城東区の駿河屋海苔店の記事によると)中止になったとある。何より、京都や大阪は緊急事態宣言の最中にあり、医療の逼迫も指摘されてきている。ワクチン接種や集団免疫による収束や終息のみならず、ステイホームの中で文字通りの感染予防が肝要なのだろうと、緊急事態宣言延長への議論に触れるにつけ、改めて感じるところである。

そんな中、今日は午前中にかかりつけ医への通院に出かけた。このところ、40日分を処方してもらっているので、以前よりも通院間隔は延びている。一方で、投薬の量には変化がなく、改めて口から入るものに気をつけて身体を動かす、というインとアウトのバランスを整えるよう指導をいただいた。それでも、ご近所のお店で恵方巻を調達して家路についた。

午後と夜には1件ずつのZoomミーティングがあった。午後のミーティングは2月後半に開催したいという京都地域創造基金によるトークイベントの打ち合わせだった。夜は国際ボランティア学会の常任理事会だった。常任理事会の終了後、個人的な相談が寄せられたこともあって、ささやかにやるせない思いを抱いて床につく、そんな2月2日の節分であった。

COVID-19の長期化で飲食店ごとの工夫や努力の差が鮮明になってきている気がします
(Leica M9-P, 35mm, f/8, 1/125, ISO400)

2021年2月1日月曜日

張り合いとやりがい

2月になった。1年の12分の1が終わった、などという区切りで語ることもできるが、私にとっては市民しんぶんの発行日である。今年度、町内会のお役目で京都市役所の市政協力委員を担うことになったため、毎月2回、1日には全市版を、15日には区域版を、町内会の南ブロックの59軒に紙の媒体を配布している。そして、この市民しんぶんの配布にあわせて、自治連合会などを通じて依頼が届く回覧資料や配付資料を各組の区長さんにお届けすることにしている。

こうした配布物は、インターネットの用語で言えばプッシュ型のメディアと呼ばれるものとして、届いた直後に各組の長のもとにお届けして、回覧板として回していただくのが筋なのかもしれない。ただ、今年度は、年度の当初からコロナ禍ということもあり、市民しんぶんの配布時に一元化させていただくことをお認めいただくこととした。また、配布にあたってはお手紙を付し、どのような資料が配付されているのか、さらには必要に応じてなぜ配布されているのか、私の観点から示しつつ、何か不明な点や不安な点があれば遠慮無く投げかけて欲しいと、携帯電話・電子メール・LINEのQRコードを毎回つけることで、いわばプル型のコミュニケーションの手立てを示すことにした。これまで、直接電話をいただいたのは2軒(2件)、LINEで連絡があったのもまた2軒(2件)であり、多いか少ないかというと多いとは言えないものの、0でなかったのは一定の成果と言えよう。

今日はそうした地域のお役目に加えて、立命館大学サービスラーニングセンターによる「2020年度第4回ボランティア・サービスラーニング(VSL)研究会」に参加した。この研究会はセンターの前身である立命館大学ボランティアセンター(2004年設置)による文部科学省の現代GP「地域活性化ボランティア教育の深化と発展」(2005年採択)を契機に、教育実践の高度化を目的とした研究活動の柱として開始され、テーマの性格に応じて公開・非公開の区別をつけながら現在まで開催されてきているものである。2012年度以降は年度ごとに企画統括を担う教員によってテーマが選定され、公開・非公開の場を設けてきている。今年度は学生どうしの相互支援活動「ピア・サポート」を基軸としつつ、コロナ禍における影響と対応について取り上げることとされている。

今日の研究会は、立命館大学サービスラーニングセンターの各キャンパスに1名ずつ配属されている専門職員3名が「コロナ禍での学生ピアサポート支援 〜サービスラーニングセンターにおける正課外の取り組みから〜」というテーマのもとで話題提供を行うということで、Zoomミーティングには全国から40名を超える方々(開始時点で47名)に参加をいただいた。中にはかつて立命館大学サービスラーニングセンターで働いていた方もおられて、同じブレイクアウトルームに割り当てられて久々にお話できた方、さらには終了後にFacebookメッセンジャーで「ブログ拝見しております」と送っていただいた方もがおられた。以前、NHKの番組「最後の授業」のみうらじゅんさんの回で、中学生の頃に日記を母親が盗み読みしているのではないと感づいたとき、むしろ読み手がいることで話を盛って書くことによって、(これは新潮新書の『マイ仏教』などでも紹介されている)「比較三原則」に抗った、というエピソードが紹介された。反応があることが一つの張り合いにもなるが、一方で自らがやりがいを見出すことができるような型を見出すのもまた大事ではないかと、先日招待を受けた音声SNS「Clubhouse」の設定を今日終えたことも含め、改めて感じた一日であった。

小雨が降る中でのお届けとなり濡れないような工夫を重ねて
(iPhone XR, 4.25mm<26mm>, f/1.8, 1/122, ISO40)