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2017年10月31日火曜日

角番になっていないか

これまで何人かの師匠と呼ぶべき方にお世話になってきた。そのうちの一人が渥美公秀先生である。今回、師匠も含めて、3人の連名により、ある学会誌に投稿した。締め切りは今日だったが、最初の案内は2016年3月20日になされていた。

渥美先生の同窓に矢守克也先生がおられる。防災や減災の世界も含め、互いに盟友として新たな道を拓いておられると仰ぎ見ている。お二人に共通するのは相手によって言語の水準(例えば、専門用語をどこまで使うか、など)を変えて使われるということにある。ただ、矢守先生は、学生としてお出会いをさせていただいた頃から渥美先生とはまた違った言葉のセンスに感服していた。

矢守先生には2015年に日本災害情報学会の「廣井賞」を受賞されたオースティンの言語行為論をもとにされた研究もあるものの、日常の言葉の言い回しもまた、絶妙である。例えば慌てて備えたところでむしろリスクが高まる可能性があることを「駆け込み防災はやめよう」と説くこともあれば、「快速急行は早いのか遅いのかわからない」など、不意に示される巧妙なレトリックが何とも関心を引きつける。その中でも大相撲の番付から「角番教授」(業績のない人には番付を下げるように職位を下げてもいいのではないか、ということ)という言葉を使われたときには、妙に説得力を感じた。


お出会いしてから10年あまり、大学教員としての仕事を重ねてきているが、ふと「角番」になっていないか、研究者としての大学教員の立場を顧みることがある。特に今は社会心理学者という肩書きが付いて回るので、データをもって語らねばならない。ただし、そのデータは数字だけでなく、語りなどの質的なデータも含まれる。はてさて、今回はそうした質的データをもとに規定の分量ギリギリの3万2000字ほどで1本仕上げたのだが、こうして出荷した研究が認められるか否か、結果が届く日を心待ちにしながらも、まずは久々にお酒を嗜むことにした。


2017年10月30日月曜日

時は流れても

このところ向き合っている日本語論文もめどがついてきた。昨日で考察まで書き上げた。サマータイムが終わったので、今、日本とは8時間の時差である。デンマークの夜に送っておくと、起きたころには何らかの返信があることを期待できる時差である。

案の定、今朝、共著者の一人から返信が届いていた。なかなか、痛いところを突かれてしまった。しかし、それは論文としての充実がもたらされる手がかりでもある。何より、フィールドワークの論文でもあるため、現場への皆さんへの配慮も欠かせない。

とりわけ、いくつかの指摘の中で、「パラグラフリーディングで論理の流れをチェック」とアドバイスをいただいた。ふと、大学院生の頃に戻ったような気がした。もともと書くことが苦手だった私は、書くことへの訓練をする機会を、仕事をしながら通った3年間のあいだに得た。今でも得意とは思えていないが、抵抗感は薄らいでいる。


13年前、秋から冬へと移る中で、仕事を調整しながら学位論文を書き上げた。10月23日に新潟県中越地震が発生し、現地へと駆けつける恩師が乗る夜行列車に論文を届けたこともある。それから13年、パラグラフリーディング(段落の第一文だけを飛ばし読みしていくこと)を通して「論理が飛躍している」箇所は「接続詞、新たなパラグラフの挿入、不要な説明のカットなどで対応」を、「第1文が長くてポイントが複数ある」箇所は「複数のパラグラフに」と、改めての指導をいただいている。年は重ねながらも、まだまだ愚直に書くことへ向き合っていかねばならない。


2017年10月29日日曜日

ハロウィーンの季節にデンマークから日本を思う

最近は根を詰めての論文執筆の日々である。ずっと座ったままでは身体によくないと、恒例でもある散歩がてらの買いものに出かけた。日本では生協の宅配による恩恵に預かっていたが、こちらでは買い出しに行く必要がある。加えて、大学構内に住んでいることもあって、スーパーを往復すると1時間あまりの散歩になる。

反対方向にある2つのスーパーのうち、今日は生協に行った。ハロウィーンの時期ということもあって、カボチャをくり抜いたものを置いている家も何軒か目にした。今の住まいが、それなりに国際色が豊かな住民構成のためなのか、置いている家の方が少ないという印象がある。それでも置いている家には、それぞれの創意工夫が重ねられており、見ても楽しいものである。

スーパーに行くと、既にハロウィーンのモードではなく、クリスマスへのグッズが前に出されていた。必要な人は既に必要なものを調達しているからなのだろう。転じて、日本とは違って、ハロウィーン特別パッケージのお菓子、などは売られていない。純粋に収穫のお祭りとして根付いているからではないか、と想像する。


入り口近くの野菜のコーナーに、例のオレンジ色のカボチャがあり、目が留まった。飾りではなく食用として売られているのだろう。その品種の名前が「Hokkaido」で、オールボー大学に北海道大学から赴任されている方のFacebookで以前に拝見したもので、「あ、これか!」と、思わずカメラを向けた。そして、3年前のこの時期、カナダで開催された国際総合防災学会の際、ホテルの近くのバーに何人かで行ったところ、ハロウィーンの仮装で賑わうバーに何人かで訪れたところ、スーツにネクタイ姿の先生が「日本人のビジネスマンの仮装と言うことにしよう」とネタにされていたのを思い出した。


2017年10月28日土曜日

デンマークにも鰯があるゆえに

女心と秋の空、という表現がある。移ろいやすいことを指しての表現である。別に女性だけが移り気ではなく、個人差があるだるう。対極の表現を探るなら、ネチネチした男を批判して、男心は梅雨の空とでもなるだろうか。

なんとなく「うろこぐも」という言葉の響きが印象に残っているが、これは他にも「いわしぐも」や「さばぐも」と呼ばれるらしい。鱗も、鰯も、鯖も、それぞれに魚の比喩である。澄み渡る空を海に見立ててのことだろう。気象用語では巻積雲と呼ばれ、同音の絹積雲という表記もなされると、大辞泉にもWikipediaにも説明があった。

今日は月末締切の日本語での論文を、ただただ進めていった。自宅での作業のため、どうしても目と肩と腰に負担がかかる。そのため、適度に休憩を挟んで、空を見上げる。徐々に夕方が訪れるのが早くなっているのを感じながら、インプットの時間だけでなく、アウトプットの時間をいただけていることを有り難く思う。

今日の夕方の空は巻積雲ではないと思われるが、秋を感じさせてくれる雲と空のように感じた。花や木の名前に明るくないように、身の周りの風景を表現する言葉をあまり持ち合わせていないことを痛感する今日この頃である。デンマークでもまた「鰯雲」などと呼ぶのかはわからないが、デンマークでは鰯をよく食べる。「この前、鰯の鱗のような雲が出ていたね」などとデンマーク語で会話できる日が訪れるとは想像ができないが、ふとしたときにそうした会話を楽しむことができるよう、少なくとも英語の力量は高めたいものである。


2017年10月27日金曜日

人によって活かされる物がある

コペンハーゲンにやってきた。昨日に引き続き、目的は京都市市民活動総合センターのウェブコラム「寄付ラボ」の取材である。昨日はガン協会のイベントを見学に行き、福祉国家における市民参加のあり方について迫った。今日は人的資源ではなく物的資源にテーマを定めた。

足を運んだのは「We food」という期限切れの賞品を扱うスーパーである。これはデンマークの大規模スーパーマーケット(Føtexなど)の協力のもと、キリスト教にもとづくDanChurchAidという団体によって展開されている。ちなみにアフィリエイト系のいくつかのブログなどでは「DanChurdAid」とミスタイプされたまま転載されており、恐らく、2016年3月3日のハフィントン・ポストの記事が間違っているためと思われる。ともあれ、世界初を銘打ってコペンハーゲン空港近くのアマー(Amager)にて2016年2月に開店し、その後、2016年11月にコペンハーゲン市内のナアアブロゲーゼ(nørrebrogade)に2店目が開店、そして2017年中にはデンマーク第2の都市であるオーフス(Århus)での開店が準備中である。

今回、市内の2店目にお邪魔したところ、レジの横には「Mottainai」の文字が掲げられていた。正確には「Motainai」と記されていたが、棚卸しなどを担うボランティアの方から「この前教わって書いたんだ」と紹介された。「日本のファーストレディーもこの前来たよ」とのことで、徐々に日本でも知られていくだろう。


今回の訪問先について記す記事については、11月10日に「寄付ラボ」のウェブに公開され、後日、冊子にまとめられる予定である。11月3日が締め切りのため、これから整理をする。前回(2017年10月27日掲載「必要な人にどうぞと言えるのが福祉国家」)と同じく、1200字以内で写真1点というフォーマットのため、限られた内容にしか触れることができず、工夫が求められる。ともあれ、ないものをねだるのではなく、あるものを活かすデンマークの取り組みに、何らかの学びを得ていただければと願っている。


2017年10月26日木曜日

誰かに任せず、共によりよく生きる。

今、「デンマーク・ガン協会(Kræftens Bekæmpelse)」による全国キャンペーン「Knæk Cancer」(意訳も含めば「ガンを蹴散らせ!」)がデンマークの各地で行われている。近所のスーパーでも、レジの横でピンバッジが販売されている。その他、ウェブでも企業の協賛による寄付つき商品が販売されている。要するにキャンペーンとは資金調達のキャンペーンであり、そうして集められた寄付によって、年間を通して多彩な活動の原資となり、公的資金に依存しない事業が展開されている。

デンマーク語ではボランティア(Volunteer)をFrivillige、ボランティア団体のことをfrivillige-foreningerと言う。ガン協会では、プロジェクトごとにウェブサイトを開設しており、そのうちボランティア関連のURLは「https://www.frivillig.dk」である。そして、トップページには「年間45000人のボランティアが共通の目標を持って活動している」とアピールされている。名実共にデンマーク最大のボランティア団体と言えよう。

ガン協会のボランティア活動における共通の目標とは「ガンを罹患した後に、よりよく生きる」ということである。そのため、昨日と今日は各地のカウンセリングセンターのオープンハウスがなされており、妻と共にデンマーク第3のまち、オーデンセまで足を運び、大学病院の敷地内に建ててられたセンターにお邪魔した。木がふんだんに用いられた、あたたかい内装で、扉を開けるなり、ボランティアからパートタイムのスタッフになった方に歓待をいただいた。そして、ボランティアの方々が準備された手作りパンなどをいただいて、マインドフルネスのワークショップ(簡単に言えば瞑想)を受け、国内7つの拠点の一つで日常的になされている活動を追体験させていただいた。

デンマークでは2001年からの中道右派政権による自由競争(いわゆるNPM)の推進と大規模な地方自治改革により、社会福祉の政策に変化がもたらされてきたという。また、2007年1月1日に行われた自治体の広域合併により、日本の言い方で言えば都道府県にあたる13のアムトが道州制の導入で5つのレギオーンに、市町村にあたる270のコムーネが98に再編された。5月22日にお目にかかったLars Skov Henriksen先生らの論文によると、その結果、地方自治体による非営利団体への助成プログラムは、営利団体・非営利を問わず広く民間の手による社会サービス委託契約へと方針転換がなされた、という(Lars, et al., 2012, p.471)。オーデンセの後、ロスキレというまちでの「ガンを蹴散らせ!」野外イベントを見学しに行ったところ、会場となったロスキレ大聖堂前の広場は国営テレビの生中継などもあって大変な人だかりとなっており、公共サービスを受ける人たちの社会参加を意味する「ユーザー・デモクラシー」の象徴的な場面として受けとめた。


2017年10月25日水曜日

際で結び合わすだけでなく新たな世界へと融かす

以前、日本で総合学習の時間が導入されるとき、その英語名に関心が向いた。結論から言えばIntegration Studyとされていたためだ。これでは「統合学習」である。実際、2011年2月に公開された英訳版の学習指導要領の仮訳版でも、小学校中学校ともにIntegration Studyとある。

今日はオールボー大学で教職員向けの研修プログラムを担う「Learning Lab」による「Interdisciplinarity in PBL university educations(大学教育におけるPBLの学際性)」を受講した。担当は学習心理学が専門のOle Ravn先生と、建築土木が専門のKjeld Svidt先生だった。まずはオールボー大学で40年にわたって行われてきているPBLのモデルについて、デンマークにおける大学の歴史(象牙の塔の文化からの移行、フンボルト大学を源流とする教養教育の大切さ、ウィーン学団による論理実証主義・科学経験主義の主張)、理論的観点(クーンのパラダイム論、ヴィトエゲンシュタインの言語ゲーム、フロイトの精神分析、マルクスの科学的社会主義、リオタールのポストモダン、ギボンズのモード論など)からの整理がなされた。

PBLでは(1)自分のコンフォートゾーン(ぬるま湯、居心地のいい環境)から踏み出す、(2)知の融合を後押しする、(3)それらの実践において自分たちが置かれた状況にどんな変化がもたらされたか互いに振り返る、こうした3点によって知識の「オープンスペース」がもたらされることが大切だという。そして、そうした学びの場をつくるのがスーパーバイザーとしての教員の役割だとされた。その後、私を含めて7人の参加者が4人と3人のグループに分かれ、それぞれが授業の中でどのようにオープンスペースをもたらしているか、グループワークで話し合われることになった。私は「問題に関わる前に自分の認識の枠組みを当てはめないこと」によって「現実社会をより深く探究していくことができる」と示したところ、5月31日の研修でもご一緒した方が「(PBLにおける)teachingとはshowingだ」としてDavid Kolbの体験学習の循環過程のモデルを使ってご自身の取り組みを紹介された。


PBLを通じてもたらされるのは個別の学問分野の結び合わせと結び合わせ、それが今日のテーマの「Interdisciplinarity」である。Ole先生は接頭語(inter-、multi-、trans-)の違いに関心を向け、「結び合わせて相互作用をもたらす」のがインター(ここでは学際)、 「結び合わせずに相互作用をもたらそうとする」のがマルチ(統合)、「新たな世界を生み出そうと知恵を出し合う」のがトランス(学融)、と整理された。その上で建築土木での事例をもとに、それぞれの専門(サトウタツヤ先生の言い方にならえば学範)を越えた協働によりプロジェクトを展開するには、自分たちに何が求められれているのかを明確にしていくことが学びになるとされた。ただし、最後のディスカッションでは、例の方が「新規のプロジェクトを組み上げるよりも、実社会で見られる既存の問題を扱う方が現実を直視し、学びが深いのではないか?」と質問され、改めて学生でもできること、学生だからできること、そこに根ざす新規性や独創性に対する外部からの期待と、連帯感の中でも未熟さによる水準の低さ、それらが構造的な問題とされることを実感した。


2017年10月24日火曜日

教室に花が置かれているという環境

朝からオールボー大学に打ち合わせに行った。今年度、学外研究員として受入担当となってくださっているお2人との打ち合わせである。この前「次は何時からにする?」と訊ねられた際、「8時から来てるけど」と示され、少し驚いた。しかし、夕方には早く帰宅することを思えば、当然のことだと納得もしている。

結果として今日は9時から1時間ほどの打ち合わせとなった。打ち合わせ時間も1時間が単位であるところがなかなかよい。予め論点を絞ることができるし、論点を絞らないときには時間で終えることができるためである。場の持ち方に対する姿勢が、どこか日本で浸りきっていた世界とは違うように思う。

今日の打ち合わせは4人で使うのが適切なくらいの極小教室で行われた。目的は2月に3人で共同発表するための内容の掘り起こしである。前回は2人だけで行うことになったが、その際に確認した「立命館大学の事例を整理して持っていく」という約束を守って参加した。その結果、改めてオールボー大学での取り組みとの違いを整理することができた。

次回は11月2日となったが、あいにく私は不在にしているので資料にて参加することで2人でその内容を深めていただくことにし、11月9日に再び3人で打ち合わせとなった。今後、論点とされることを備忘のために記しておくと、「何をすべきか」ではなく「何を学ぶか」(メタ認知)、学術的なことと実践的な部分との均衡を図る上で抱く教員のジレンマ、革新的な問題解決をもたらすことに対する疑念、当事者意識(ここではownership)を促す大切さ、フーコーによる「まなざし」の視点、よい結果(product)とよい過程(process)との相関、現場での助言者と教室での助言者との役割分担の是非、実践と学習の到達点への評価材料、指導方法と理論的観点と組織づくりに関する補助教材のあり方、プロセスへの省察とタスク達成との兼ね合い、レポート作成と評価観点のガイドラインの明確化、などである。課題山積だが、それだけ深める甲斐があるかい(甲斐・詮・効)がある。果たしてそれがどんな解かわからないが、教室を出るときに目が留まった鉢植えが、日本の学びの環境との違いを丁寧に想い起してと呼び寄せてくれた気がしている。


2017年10月23日月曜日

あの日から13年

新潟県中越地震から13年である。当時は社会人大学院生として、学位論文の執筆の準備を進めていた。そもそも働きながら大学院に行こうと決断したのは、あまりに学生時代の学びが現場での実践に重きを置きすぎていたことからの反動であった。今となって思えば、当時、生きた言葉として使おうとしてきた言語のセットは、単に聞き心地がよさそうな言葉ばかりで、仮に自らの経験に裏打ちされていたとしても、他者と共に開く世界の中で裏打ちされた言葉の体系との関連づけがなされていないままだった。

あれから13年、気づけば日本語以外を主とする生活環境に身を置くとは不思議なものである。何より、デンマーク語が母語とされる国で、日常的に英語でやりとりをする環境にいるとは、想像だにしていなかった。ただ、今の時点から当時を振り返れば、できることに誠実に、できないことに謙虚となることが大切だと気づかせてくれたのは、あの時期の仕事と暮らしがあったからだと確信している。その後、浄土宗の僧侶のはしくれとして「愚者の自覚」の教えに触れ、今に至る。

今日は先週提出した科研費の応募書類の修正を重ねた。今回は2件の応募のため、一つひとつ、着実に仕上げていく。その上で、立命館大学のリサーチオフィスを通じて、フィードバックが得られるのが本当に有り難い。言うまでもなく、研究を得ることは目的ではなく、研究を通して社会問題の解決への一助が開かれることが大切である。


今回、2件応募したものの1つは、新潟県中越地震で大きな被害を受けた新潟県小千谷市を事例としたものである。また、誘っていただいた別の研究プロジェクトでも、小千谷の事例が取り扱われる予定とされている。阪神・淡路大震災の際、土木工学を学ぶ学生だったものの、見える世界だけを扱う学問ではよりよい社会は導かれないという原体験は、今でも人、もの、お金、情報、そして発想や人脈を紡いでいく上で、大きな下支えとなっている。と同時に、中越の際には神戸での経験が問いなおされたことも含め、遅ればせながらきちんと生活、生命、人生の意味を掘り起こしていきたいと発意する今日のこの日である。


2017年10月22日日曜日

デンマークで見るいくつかの風景

先日お会いしたKeiji Shinohara(篠原奎次)先生の個展を鑑賞しに、ティステズ(Thisted)という街に出かけた。今、住んでいるオールボーと同じ北ユラン地域のまちだが、ヴェンシュセルチュー島(Vendsyssel-Thy、北ユトランド島Nørrejyske Øとも言われる)にある。北を上にした地図で言えば左上、デンマークの中でも北の西端にあたる。鉄道駅もあるが、鉄道はユトランド半島の西側のStruerとのあいだを運行する路線のため、オールボーからはバスで行くのが得策である。

会場は1853年建築の旧市庁舎で、リアルダニア(Realdania)という団体によるプロジェクトでリノベーションされたものである。この団体は1795年のコペンハーゲンでの大火を契機に設立(1797年)された信用組合を前身としており、2000年に投資と貸付部門が売却された後は、組合員による社会貢献団体として活動している。最新の年次報告書(2016年)によると既に3000以上のプロジェクトに172億クローナ(およそ3071億円)を集めたとある。今は美術館と観光協会が入る旧市庁舎も、この組合のメンバー(建築家ら)によって、新たないのちが吹き込まれることになった。

今は米国籍のShinohara先生による版画は、アメリカ、日本(枚方など)、そしてデンマークと、それぞれのまちの風景が、テーマにそった色で表現され、大変味わい深いものばかりだった。ぜひ、手元に、というものもあったが、そういうものに限って既に個人蔵とされていた。快晴の空、旧市庁舎の窓からは、15世紀の終わりに建てられた教会などを臨むことができ、Shinohara先生の描く世界に共鳴していた。受付も地元で長らく先生をされていた方のようで、日本のギャラリーや美術館等で違った印象を抱いて帰ることができたように思われる。


ただ、日曜日ということもあって、まちが静けさに包まれていたのが少し残念だった。ランチもスーパーのパンコーナーで調達するに留まった。ただ、英語もあまり通じなかったこともあり、デンマークに来ているということを実感する機会ともなった。帰りもまた、行きと同じく長距離バスでの移動となったが、明日からの仕事や勉学に戻るためか、ほぼ満員での車内に、行きと違った旅客情緒を楽しんだ。



2017年10月21日土曜日

今年最後の公開日に

大地震の被害を受けてこなかったデンマークには、歴史的な建物が数多く残る。しかも、それらはただ保存されるだけでなく、現代においてもきちんと活用されている。街並みが残っているのもそのためである。ただ、遺すのではなく活かすためには、知恵と文化が求められる。

今日はオールボーの中心部にあるイェンスバング氏の石邸(Jens Bangs Stonehouse)に訪れた。ここは1666年から2014年までSvane Apoteket(英語ではSwan Pharmacy、さしずめ「白鳥薬局」)があったが、今は1階にジュエリーショップと開業医の診療所、2階が心理学者の合同事務所(と2部屋貸し出し中)、3階は個人賃借、4階から上が薬局の資料室になっている。港からほど近くにある1624年建築の5階建ての外観は、写真撮影の名所ともなっている。これまでオールボーを訪れてくれた方々と共に、地下のレストラン(Duus Vinkælder)で食事をすることも多かった。

今日は薬局の資料室が案内される年内最後の機会ということで、妻と共に訪れた。先般訪れた旧修道院と同じく、参加費は保存・修復の費用に充てられるという。デンマーク語での案内が基本とされていたので「中に入って感じるだけでも貴重な機会なので」と伝えたものの、英語でも要約して説明くださった。ちなみに案内役は長らく歴史の先生をされてきた方のようで、今日は偶然にも教え子が参加者に混ざっていたという。

せっかく街中まで出たので、百貨店に立ち寄った。品揃えから、既にクリスマスへと向かっていることを実感した。ちなみに店内ではLEGOとのコラボレーションによるキャンペーンがなされているようで、LEGOでつくったオブジェや、こども向けの体験コーナーも用意されていて、賑わっていた。加えてLEGO Wearという衣料品もあるようで、興味をそそられたものの、こども服のみらしく、改めてLEGOの位置づけを確認することになった。


2017年10月20日金曜日

物語を生きる

秋休みだが、オールボー大学では大学院の授業はあるらしい。先般から、少し助言をさせてもらっている日本人留学生から、就職活動用の文章についてもう一度助言を、とのことで大学に向かった。彼女は大学院の授業も取っているようで、朝8時からの授業に出ていたらしい。それを終えて、1時間ほど、大学内の共有スペースで意見交換をした。

英語環境に慣れていることもあってから、なかなか日本語の表現でまとめられないのが彼女の悩みだという。ちなみに、まとめるべきお題は「大学で学んだことの詳細や課外活動、表彰を受けたことなどあなたの学生生活をアピールできる内容」をまとめる、である。例えば工学部などであれば個別具体的な技能の習得を示すことができるが、社会学や広く教養という観点だと、確かに表現は難しい。そこで、それまでの人生をどのように振り返り、どのような価値が大切かを確認することができたのか、そうした素養が磨かれたのは何故か、ということを記すのがよいのではないか、と捉えることにした。

多くの学生に向き合ってきているが、自分自身はエントリーシートによる就職活動を経験していない。それでも、エッセイを書いて職を得るという経験は何度か得てきた。なお、前掲の質問は「キャリアフォーラム」 で用いられている質問のようである。こういうときには、型にはめることで平均点を狙うか、型から少しはみだすことで目に留まるようにするか、どちらかの方針を定めた方がよいというのが実感である。

わざわざ平均点を狙っていくよりは、人の目に留まるほうがよいと思っているものの、その価値観を押しつけるのは本意ではない。そこで、改めて二者択一ならどちらかと訊ねると、型からはみ出して抜きに出る方がいい、という。方針は定まりつつも、どうしていいかわからないとの苦労の様子だったので、いっそTEDトークに出ることになって、その際のシナリオをつくるつもりで臨んだらどうか、と助言をしてみた。ふと、2015年4月17日、朝日新聞の「折々のことば」で、べてるの家の向谷地生良さんのことばが紹介されていたこと、その際の鷲田清一先生の「live(生きる)を逆さにすればevil(禍〈わざわい〉)」という解説を思い出した。


2017年10月19日木曜日

チェックとリアクションと

朝起きると日本からメールが届いていた。月曜日に提出した科研費の計画書に対する、立命館大学リサーチオフィスからの修正提案だった。電子システム上は「却下」という扱いになるのだが、あくまで採択に向けた建設的なコメントが重ねられた上での対応である。早速、それらの対応にあたることになり、お昼を挟んで対応をすることになった。

そしてお昼を前に、霧雨の中、リフレッシュを兼ねて散歩がてらの買い物に出かけた。朝食にシリアルをいただくこともあって、牛乳の減りが割と早い。それゆえ、割と頻繁に買い物に出るものの、日本での暮らしのように簡単にコンビニを使わない(あるいは、使えない)環境にあることを思うと、おかしくはない頻度だろう。ちなみに月曜日に行ったのは、日本で言えばイオンのような感じのスーパーで、今日はもう一つの生協のようなスーパーの方である。

家を出ると、何とも秋の装いとなった中庭に目が向いた。そして、何となく目に馴染んだ風景の中、片道20分ほど歩く。このところ、道すがら置かれていた木製のベンチの座面の渡し板が1枚外れたままになっているのが気になっていたのだが、少し離れたところにあるのに気づいた。帰り際、誰かが工具を持ってきて治してくれることを期待し、そっと元の位置に乗せておくことにした。

科研費の修正を終え、Facebookの投稿を斜め読みしていると、11月に福島・いわきでなされる講座に應典院の秋田光軌主幹が出講するようで、そのイベント紹介の記事を目にした。そこには「應典院の2代目リーダー」と紹介がなされており、「お寺でのアートプロジェクトとしてはじまった今後を、どのように次世代へとつないでいけるのかを考えたい」と続けられていた。紹介を受けた当人から「ちなみに三代目主幹です!」と記されていたものの、次のようにコメントを重ねた。

「リーダーとしては2代目と捉えられているのでしょうね。無論、初代は光彦師でいらっしゃって、私はコーディネーター、モデレーターという立場だったのだろうと位置づけています。」
「きっと、新たな世代(generation)を迎えたと、まわりが捉えているということは、とても大事なことでしょう。これまでも代替わりと世代交代は違うと語り、綴ってきました。その点で、何代目かという絶対的なカウントよりも、何世代の変化・進化を遂げてきたのかという相対的なカウントから、自分たちの動きを見つめ直していくことが大切になってくるでしょう。」
何とも、ネチネチした投稿と思われるかもしれないが、この数年、應典院に関わって来られた方が企画されたイベントの紹介において、そのように記されているということは、一定、バトンリレーがうまく行ったことのあらわれなのだろう、と古巣への思いを馳せた。


2017年10月18日水曜日

添削の代わりに構造を整理

いつもならキッチンセミナーの水曜日である。しかし、今週は秋休みということで、開催されないと案内があった。外務省の「世界の学校を見てみよう」のデンマーク王国編を見てみると、秋休みは通称「ジャガイモ休み」と呼ばれているとある。一家総出でジャガイモ掘りをしている場面を想像すると、昨年、熊本の西原村で、サツマイモ(現地では「唐芋」と呼ばれる)の収穫をお手伝いに行ったことを思い出す。

ともあれ、そんな秋休み中ではあるものの、10時に大学に向かった。日本から留学している学生から、エントリーシートを見て欲しいと頼まれていたためである。ちなみに私はエントリーシートの世代でもなく(就職活動の頃になると、自宅に資料とハガキのセットがドカンと届いた)、民間企業の門を叩いたことがない。それでも、これまでの経験で、何らかのお役に立てるだろうと、快く応えさせていただいた。

大学に着くと、それなりに人がいた。聞くと秋休みでも大学院の授業は開講されているという。また、1974年の開学以来、PBLを導入しているためか、あるいはデンマークに根ざす対話の文化からか、共有スペースにて、何らかの議論を重ねている様子が目立つ。日本の大学、例えば立命館大学でも、ラーニングコモンズと称して、そうした小集団の学びを促す場が整備されているが、特別な空間をつくるよりも、何気ない場所で議論ができるような環境づくりが重要だと痛感する。

今日は建物と建物のあいだの小さなスペースに置かれたテーブルで1時間半ほど、意見交換をした。昨晩のうちにエッセイの文面を送ってもらっていたので、朝に少し頭と手を動かし、図解をつくってみた。その図解をもとに、以前、クローズアップ現代で見た、マーシャル・ガンツ博士の「selfとusとnowの流れでの物語づくり」を参考に、メッセージを際立たせるためにストーリーを編み上げる大切さを伝えてみた。また金曜日に添削を、とオファーを得たので、果たして今日の対話がどんな風に響いたのか、楽しみに待つことにしたい。


2017年10月17日火曜日

時間はまだサマー

デンマークには3月31日金曜日に到着した。それから半年あまり、季節の移ろいを折に触れ感じてきた。ちなみに、6月までダウンコートを着て、今月また着始めている。そうした服装だけでなく、木々の色にも変化を見てとってきた。

ただ、この半年で最も大きく季節の変化を感じ取るのは、日照時間である。正確に言えば、日の出と日の入りのタイミングが、春から夏に、夏から秋にかけて、大きく変わってきているのだ。夏には夜11時でも薄明るかったし、朝は4時台には太陽を感じていた。ところが、いよいよ日の出の時間が8時にさしかかっているのである。

今日は朝食の段階から、ロウソクで雰囲気が醸し出された。まるでディナーの演出のようだが、そうでもしないと、何か盛り上がりに欠けるように思われるのだ。積極的に癒しを求めているわけではないが、揺らぐ灯りで気持ちは穏やかになるような気がする。そして、スーパーや雑貨店にロウソクが並んでいる理由に妙に納得がいっている。

そうした中、今日は金曜日に締切の原稿のために、自宅でリサーチをして過ごした。デンマークでは英語で手に入る情報も多いが、当然ながら、デンマーク語だけで提供されている場合もある。本当に、インターネットのある時代の滞在であることがありがたく、Google翻訳さまさまである。3月最終日曜日から始まっていたサマータイムも10月最終日曜日で終わるが、パソコンでもスマートフォンでも、カレンダーの修正が自動でなされ、これまたネットの時代の恩恵だろう。


2017年10月16日月曜日

締切までに終えてミーティングから始まる

ちょこちょこと準備を重ねてきた科研費の応募を無事済ますことができた。しかし、これで終わりではない。現時点では、所属機関である立命館大学でのチェック中である。機関ごとの締切はそれぞれ設定されているのだが、立命館大学は早い方である。これから、リサーチオフィスの皆さんの見立てを受け、恐らくいくつかの項目に指摘がなされ、修正の上で日本学術振興会に提出される、という段取りとなる。

今回は2本、応募することになった。一つは立命館大学内のメンバーで、もう一つは学外の方々との応募である。ほぼ全てが「科研費電子申請システム」で済ますことができるため、非常に便利である。それに加えて、昨年、10月20日に河野太郎議員がTwitterで投稿 していたとおり、今年度からMicrosoft Wordの罫線が廃止された。関連するつぶやきは「科研費のWord罫線問題に河野太郎議員が反応してくださった話」にもあるが、今年度から罫線廃止に加え、予算部分がWeb入力になった。これは「科研費申請書(Word版)で予算の明細に年度ごとに罫線を入れようとしたら内容が消えてしまいブチ切れている研究者ならびに秘書さん&事務の皆様へ」にもあるとおり、本文の罫線に加えて悩ましい問題の一つだった。

日本時間で朝9時までに電子システム上で提出を終え、デンマーク時間で正午から、オールボー大学の受入担当のMogens先生らとランチミーティングで、今日はパンを持っていったところ「箸じゃないのね、ヨーロッパの文化にも慣れてきたのかな」と、投げかけられた。あいにく、もう一人の受入担当のCasper先生は欠席となったが、心理学科の他の先生も交えて、PBLとサービスラーニングの対比を重ねた。前回のミーティングの最後、「オールボーのPBLではグループ内でリーダーを選ばず、インフォーマルなリーダーならいる」と聞いたので、その話を掘り下げた。すると、デンマークは平等の社会でもあるので、それぞれが自分で動き始めるのを待つからだ、という。

デンマークの大学でのカリキュラムを深めていくと、日本の学生たちが置かれている環境との違いを痛感することになる。例えば、デンマークでは就職活動も卒業の1〜2ヶ月前から始め、それまでは学ぶことに集中することになっているという。仮に卒業時に仕事が決まっていなくても、2年までは国家による支援策があるとのことである。だからこそ、グループで何かをするときにも、他者が尊重され、結果として自分も尊重されるのだろう。ちなみにリーダーはいなくても「tovholder」(tovとはropeのことで、ロープの片側を握る人という意味)という、段取りを進める人は逐次決めるようで、これはこれで、リーダーというより当番という言葉で捉えると理解が進みそうだ、と比較研究の筋道が見えてきつつある。


2017年10月15日日曜日

目まぐるしく動いた一日

科研費の応募書類に目処がついたので、リフレッシュのために妻と出かけることにした。ただ、出かけることにした、というのは正確ではなく、リフレッシュしたら、と妻から誘ってもらったのだ。出かけた先は、オールボーから1時間くらい北に行った街である。出かけた当初は、駅から直ぐのところにある、陶芸家がオーナーのカフェに行って戻ってくるはずだった。

駅を出ると、2匹のネコが駆け寄ってきた。そして、建物に入ると、オーナーさんから歓待をいただいた。電話もメールもせずに行ったものの、「抹茶はどう?」「こんなプランはどう?」と、矢継ぎ早に提案をいただいた。お邪魔したカフェはB&B(ベッドアンドブレックファスト、いわゆる民宿)も行っており、手厚いおもてなしがなされる理由の一つだろうと、勝手に納得している。

B&Bには、アーティスト・イン・レジデンスとして、アメリカから浮世絵をモチーフにした版画の作家が滞在されていた。今日はその作家さんが近くの美術館でレクチャーをし、その後、ギャラリーで版画のワークショップもする、という。提案というのは、まずレクチャーに行く、その後ワークショップに参加する、そして戻ってきてディナーも食べていってはどうか、という話だった。せっかくだから、と、誘いに乗らせていただいた。

作家のお名前は枚方ご出身のKeiji Shinohara(篠原奎次)先生で、米国を拠点にされて既に32年という。その前は京都で上杉猛先生のもとで10年にわたり摺師としての腕を磨いておられたとのことである。カフェにも4点の作品が掲げられていたが、なかなか好みの作品が多かった。すべて甘えてしまうのもと思い、タラの唐揚げなどディナーの準備を手伝わせていただいた上でディナーを一緒させていただいたが、オーナーはアメリカから来られたこともあってか、夕食時には会話を楽しみたいというご意向だった。お子さんたちにも「アンゴラの情勢をどう思うか、そもそも地球のどこかで困難な暮らしを強いられている人がいることをどう思うか」や、「幸せの暮らしのために科学は貢献できるか」といった問いを投げかけられ、ジェットコースターのような起伏に富む一日となった。


2017年10月14日土曜日

いただきものをごほうびに

科研費の学内締切が近づく中、今日、提出の目処が立った。今回は2本応募することにしたが、いずれもチームを組んでの計画としてまとめた。そのため、チームのメンバーに予め送付し、内容についてコメントを得て練り上げていくことになった。一つは立命館大学内のメンバーで構成、もう一つは学外のメンバーだけで構成されるという対比がついた。

学内メンバーだけで応募する計画は、立命館大学サービスラーニングセンターの教育実践を研究対象とするものとした。立命館大学では2020年に教養教育改革を控えており、目下、それに向けた議論が重ねられている。恐らく、デンマークから戻ると、ささやかな浦島太郎状態で議論に合流する部分も出てくるだろう。そうしたこともあって、今日の9時9分に送付した提出直前バージョンは4回目の改稿が重ねられたものとなった。

学外メンバーだけで応募する計画は、オールボー大学でのセミナーで得た新たな研究方法を、過去に実践的研究をご一緒した皆さんと共に使ってみよう、というものとした。それぞれに扱っている事例は異なるものの、いのちの文化をどう表現するかという点で共通項がある。そこで、表現的社会科学、アート・ベースド・リサーチ、それらの観点から、実践をいかに研究としてまとめるかについて掘り下げていく計画とした。こちらは今日の正午すぎ、12時2分に送付したバージョン3まで改稿を重ねた。

ということで、ちょっと遅めの昼ご飯の後、自分へのごほうびとして、先般、英国のヨークから訪ねてきてくれた後輩のおみやげをいただくことにした。ヨークシャーティーロールである。一緒にいただいたアールグレイと共に楽しませていただいた。昼からテーブルにロウソクを置き、ちょっとした雰囲気を演出しながら、さすが英国のお味を楽しんだ。


2017年10月13日金曜日

散歩がてら

昨日は家を一歩も出ず、科研費の計画を練っていた。日本との時差7時間というのは、こういうときに都合がよい。練る前にメールを送ると、起きたときに何らかの反応が届いていることがあるためだ。今日もその例外ではなく、既にバージョン3まで改稿したものに対していただいた9点に対し朝一番で返信を重ね、改稿にあたった。

ただ、ずっとパソコンに向かっているのは身体によくない。それもあって、お昼前に近くのスーパーに買い物に出かけた。散歩がてらの外出である。ただ、天気が不安定なデンマークでは、外出のタイミングをうまく見極めないと、面倒なことになる。

今日は午後から天気が崩れると出ていたので、昼前に出て行くことにした。日本にいるときには、これほどスマホのアプリで天気を確認することもなかった。ところが、デンマークで暮らしていると、1時間ごとの動向も気にすることがある。今でこそレインコートを調達したので、傘を気にするくらいならレインコートで外出しようと思うようにもなってきた。

昼からの天気を心配してなのかわからないが、買い物の帰りに自転車で出かける若い集団に出会った。大学生が引率で、中学生たちが出かけるような印象も受けた。デンマークでは自転車も、オートバイも、車も、それぞれ持たない生活を送っている。自分で運転はしないために、公共交通か誰かの足か、自らの足で動くことになる。それはそれでなか良いもので、日本に帰ってからは改めて移動の楽しみを見つめ直すことにしよう。


2017年10月12日木曜日

芝刈りの音が響く朝

このところ、朝が辛い。別に夜更かしをしているからではない。日の出が遅くなってきたためである。身体というのはよくできたものだ、とつくづく実感する。

今日の日の出は7時48分だった。ちなみに日の入りは18時24分である。よって日照時間は10時間36分となる。もちろん、それぞれの時刻を前後して薄明るい時間があるので、感覚的にはもう少し、昼間を感じる時間は長い。

インターネットには多様なサービスがあるが、「日の出日の入り時間検索」というものを見つけた。それによると、今年、最も日照が長かったのは6月20日で、日の出が4:24:50、日の入りが22:19:12、17時間54分22秒の日長だった。一方、今年最も日長が短いのは12月20日で、日の出は8:57:01、日の入りは15:39:23、6時間42分22秒の日長の見込みである。

今日は終日、自宅で科研費の計画書を作成していた。しかし、朝は外からの芝刈り機の音で迎えた。暗いうちから働き始めている方々がいることよりも、冬に向かう時期にも、芝生が延びていることの方が、ささやかな驚きである。にしても、夏至や冬至とはよく言ったものだ、と、日照時間の数字から再確認した。


2017年10月11日水曜日

研究素材の下ごしらえ

今日は水曜日、オールボー大学では恒例のキッチンセミナーである。にしても、なかなか巧妙な名付けだと感心する。漢字に訳してしまうと「台所演習」あるいは「厨房討論」などとなってしまうが、それはそれで面白い。ともかく、旬の研究材料を持ち寄る場という理念が体現されている点が秀逸である。

今日は珍しく2本の発表だった。共に学生だったからなのかもしれない。一人はオーフス大学の大学院生で、小学校での多文化共修の環境についてだった。もう一人はオールボー大学の大学院生で、ブルーナーとヴィゴツキーとグルントヴィの3人の教育哲学を比較し、研究者による社会貢献のあり方について問うものだった。

後半のプレゼンテーションでのキーワードの一つが「scaffolding」であった。PBLでもよく用いられる概念の一つである。他者とつながり、関わり合うことで、自らの可能性が引き出される、そうした発達、習得への枠組みだ。エンゲストロームによる活動理論を学ぶ過程で、ヴィゴツキーの最近接領域(ZPD: Zone of Proximail Development)の観点を学んだが、ここに来て、改めて興味を深めている。

ディスカッションの中で「Knowledge on the groud(地に足着いた知識)」という表現が使われた。その例として、寄宿学校(boarding school)における生活環境がもたらす学びに触れられた。そのとき、5月に訪問したノーフュンス・ホイスコーレでのモモヨ・ヤーンセンさんのお話とつながった。文字通り、キッチンに立って、研究の素材の下ごしらえを共にさせていただいた気がした。


2017年10月10日火曜日

漢方の力を借りる

このところ、パソコン仕事が続いているせいか、目が辛い。だいぶ前から、メガネにはブルーライトカットのレンズを入れているが、許容値を超えているだろう。そもそも近眼で、乱視も入っている。やがてやってくる老眼がそこに加わる可能性を思うと、なかなか深刻である。

パソコン仕事が続いている理由は、もっぱら科研費の計画書を練っているためである。図書館で根を詰めた10月6日の段階で、既に目に疲れを感じていたこともあり、そのときには手書きのメモを中心に整理をした。ところが、それらを書類に落とし込む上では、自ずとパソコンが必要となる。今年度から、書式が改善されたので、以前よりもストレスは減ったが、今回は2本を応募しようと準備をしているため、相当の集中が必要とされることが、目の疲れにつながっているのだろう。

そんなこともあって、今日は久しぶりに漢方を服用した。日本のかかりつけ医に出していただいたもののストックである。ストックがあるということは飲み残しがあったということに他ならない。しかし、こういうときにはズボラな性格で助かった、と思う。

プラシーボという言葉がある。偽薬という意味で、最近はプラセボと呼ばれることが増えてきただろう。先般も、日本心理学会のシンポジウムでプラセボが取り上げられており、その名もプラセボ製薬という会社が「お菓子」という前提で「プラセプラス」というプラセボを販売している。さすがに漢方は偽薬ではなく、れっきとした医薬品なので、プラセボ以上には効力があると信じることにしよう。


2017年10月9日月曜日

男子厨房に入る

オールボー大学ではキッチンセミナーという名で、旬の研究内容を語り合うという場がある。毎週水曜日、15時から開催されている。11月15日には私も話題提供をさせていただくが、果たしてどんな素材を持ち込もうか、思案中である。あらかじめ議論のための資料がメーリングリストで共有されるルールがあり、11月11日の土曜日には準備されている必要がある。

今日は研究のキッチンではなく、料理ためにキッチンに立った。正確には今日もまた、である。昨日の昼に作ったカレーのアレンジのためだ。昨日はパンでいただいたが、今日は昼にパスタ、夜はライスで楽しむことにした。ただ、それだけでは野菜が少ないと考え、夜にはポトフ風のスープを作ってみた。

このところ、科学研究費、略して科研費の準備が続いており、今日は2つのうちの1つを何とか形にして共同メンバーに送付した。そのため、どうしてもパソコンに向かう時間が多くなっている。また、姿勢も前かがみとなって、目と肩と腰に疲れがたまる。そうした中で厨房に立つと、心身ともにリセットされたような気がする。

いつ性役割分業という言葉を知り、何気なく使うようになったかは覚えていない。ただ、昭和の生まれの私は、性役割がどっぷり根ざしてきた時代を生きてきた実感がある。一方、今なお「イクメン」などという言葉でキャンペーンが張られているのが現代の日本である。平等の国、デンマークで1年暮らしたことで、日本に戻ってからの生活リズムとスタイルがよくなるよう、自らの立ち居振る舞いを丁寧に見つめていきたい。


2017年10月8日日曜日

光と陰

昨日からオールボーにやってきた後輩が、好天のオールボーを観光する今日、私は自宅で科研費の準備にあたった。もちろん、ずっと科研費のことばかりしているわけではないが、このところ、ほとんどの時間を計画書作成に費やしている。今日は共同で研究にあたって欲しいメンバー(研究分担者と呼ばれる)から参加の返信が続々と届いたことを受け、それぞれの業績をうまく反映させた展開プランを構想した。このペースだと、明日にはある程度のかたちにまとめられそうである。

ただ、ずっとパソコン作業をしているわけにもいかないので、昼に自炊をすることにした。メニューは定番のカレーである。以前買っていた豚と子牛のミンチと、ジャガイモとニンジンを、先般一時帰国した際に調達したルーで煮込む、ただそれだけなのだが、小気味よく準備ができると、ささやかな達成感に浸ることができる。煮込んでいるあいだ、まないたをはじめとした洗い物を終えておくと、なお心地よい。

そして夜は観光を終えた後輩と食事をした。このところ、お客さんがやってくるとお連れをするのが定番となっているビュッフェスタイルのレストランである。自分で品目と量が調整できるのと、かなりの種類の野菜を取ることができることに、軒並み好評をいただいている。そして今日も例外ではなかった。

食事をしながら、昨日の続きで、問題解決の実践と研究との関わりについて議論が及んだ。ちょうど、テーブルの上にロウソクがあったことに着想を得て、光と陰との対比から、実践と研究の両面をつないでみた。ごく簡単に要約すれば、研究も実践も社会の中で陰となっている部分に光を当てることになるため、こんどは陰の部分に注目が集まり、光が当たっていたところに陰が落ちる可能性がある、といった具合である。そんなとき、光を当てるだけ(つまり、問題提起をするだけ)では無責任だと捉えるならば、光の角度や量をうまく調整して(つまり、問題にうまく接近して)いくことが大事、という話なのだが、果たして今後、どんな実践的研究がなされていくのか、続報が届くのを楽しみに待つことにしよう。


2017年10月7日土曜日

研究のお作法を

英国・ヨークに留学している後輩がオールボーを訪ねてきた。英語で言えばfriendと括ることができるのだが、日本語で友達かと訊ねられると、なかなか難しい。一方で教え子かというと、直接の教え子でもない。ちなみにFacebookでは「尊敬するあの方に会いに」とあり、なるほど、そういう表現があるか、と妙に納得している。

そんな後輩が訪ねてきた理由は、海外での滞在による研究の支援を受ける中、修士論文が提出できた今、これからどのような道を歩んでいったらいいか、という相談であった。もっとも、論文提出を終えて、純粋な旅に出るという意図もあった。そこでまず、オールボーに着いてから、ヨークの街並みとは違うであろう雰囲気を楽しんでもらおうと、早周りでまちを案内した。その後、土曜日で人気のあまりないオールボー大学に向かい、普段は学生たちが使っているラーニングコモンズにて、研究と実践について意見交換をした。

早朝に英国を発ったものの、オールボーでは遅めのランチとることになったが、そこでは私の経歴が改めて問われることになった。土木から社会心理学、財団法人から宗教法人、そうして専門と職場の転換がなぜもたらされたのかについて関心が寄せられたためである。とっさに出て来たのは「港と船」のメタファーだった。高校時代までは「広い海原に出るには、あの港に行くのがいい」と、いわゆる地元の進学校に進んだものの、その後に待っていたのは、「どの航路でどの目的地に行くか」を選択しなければならなかった、という具合である。つまり、大学進学時にどの大学で何を学ぶかを選び抜くことは難しく、航海の船上での出会いを大切にする中で、乗客から船員に変わっていった、といった類の説明をした。

一方、オールボー大学での意見交換では、実践と研究のバランスをどう図るのかが問われた。かねてより使っている「旬の食材の出荷」という比喩を用いて、第一段階での出荷(書評、研究ノートなどによるリサーチクエスチョンの先鋭化)と第二段階での出荷(原著論文による結論の明確化と次のリサーチクエスチョンの提示)という具合に、公刊する成果物の種別の違いを説明した。そうして自らの研究への姿勢を逐次文字にしていくことが大切だと示した。それに対して、研究と実践を両輪として現場に関わる上では、何をしないか、自分以外の誰かが担うことができる余地がないか、そして倫理面への配慮のもとで、当事者による語りを当事者によって言語化されていく手がかりを見出すことができないか、など、自らの関心を投げかけてみた。そもそも、こうしたお作法や知恵は多くの方々との関わりの中で教わり、学んできたものであり、今は直接研究指導をする学生がいない中、ささやかに学界への貢献をする機会を得ることになった。


2017年10月6日金曜日

秋晴れの中

秋の科研費まつりの真っ最中である。ある会社では春がパンのお祭りである、というところから取ったギャグなのだが、こうして元ネタを綴ってしまうところが、何とも不作法である。パクリではなくリスペクト、元ネタではなくモチーフ、そんな言い換えの言葉も思いつくが、これも日本語での文章執筆の感覚を取り戻そうとするリハビリのようなものだ。何せ、数年にわたる研究計画を緻密にまとめあげねばならないためである。

研究費は獲得するものであることは言うまでもないが、時折「当たる/落ちる」という表現も用いられる。「数打ちゃ当たる」といった言い回しを使う人もいるだろう。ただ、どのようなプログラムであっても、研究への支援をいただくということは、支援をいただく側からの期待が寄せられた結果である。それは科研費のように税金が原資になっているかの問題によるところではない。

それでも、科研費が獲得できているかどうかは、仕事のリズムを大きく左右する。そして今年度をもって、2014年度から4年にわたって助成を得てきた研究課題の終了年度を迎える。科研費にはいくつかの種別があるが、この助成には若手研究Bで支援をいただいた。私が応募したときには年齢によって若手かどうかが峻別されていたものの、今年度からは(経過措置として特例があるものの)博士の学位を取得してからの年数が基準となるなど、制度改革も進んでいる。

そこで今日は応募の準備のため、根を詰めた作業をするために、オールボー大学の図書館に籠もることにした。オールボー大学の図書館にはQuiet Zoneと呼ばれるブースがあるためである。結果として、キーボードを叩く音を響かせてしまうことになるのだが、それは周辺の人々も同じということで許されるものと捉えることにしよう。何より秋晴れの中での往復も心地よく、なんだかよい計画書にまとめ上げられるような気分に浸る一日となった。



2017年10月5日木曜日

秘密結社のような

いよいよ、科研費シーズンが佳境に入ってきている。立命館大学のリサーチオフィスからも細やかなメールが届くようになった。科研費は所属機関で一旦集約されるため、最終的な締切の前に、学内で設定された締切までに電子システム上で提出を終えていなければならない。今年度まで、4年にわたって助成を得てきた研究が終了するため、今回はその発展のため、2本の計画に分けて、内容をまとめていく予定としている。

今日は科研費への応募のために共同研究者となっていただきたい方々への協力依頼を行った。上記のとおり、2本の応募に際して、2つのチームをつくっての応募となる。そのため、それぞれに研究への参加を認めてもらわねばならない。最終的には所定の承諾書が求められるものの、まずは参加の意志をいただいた時点で、計画書をまとめあげるにあたり業績などを収集して盛り込む必要がある。こうした作業は電子メールでのやりとりが中心となるが、慣れ親しんだ方々とはSNSも使ってやりとりも行ってみた。

ただ、今日は科研費の準備に加えて、2月に開催予定のある研究会の開催案内も送った。送った相手は27名で、フィールドワークと社会心理学に関心のある方々である。これは大橋英寿先生(当時:東北大学)と杉万俊夫先生(当時:京都大学)により始められた非公開の研究会で、大橋先生の沖縄シャーマニズムの研究について杉万先生が書評されたことがきっかけと始まったものである。その後、北海道大学・東北大学・筑波大学・京都大学・大阪大学の母校・所属とする方々のネットワークへと広がったものの、10回目を機に大橋先生と杉万先生が抜けられ、後進に道が譲られた。

来年2月の研究会は、通算で14回目となる。1999年開始にもかかわらず、2018年が14回目となっているのは、12回目の2010年から13回目の2017年まで、主となるメンバーが東日本大震災の復興支援の現場へと積極的に関わったため、自ずと休会となったことが影響している。今回、学会発表での一時帰国にあわせて、恐れ多くも研究会の幹事役を担わせていただくことになった。それなりにうまく段取りを取っている気がするが、近所のネコから投げかけられた鋭い目線に、何かを見透かされたような感覚を覚え、ドキドキしてしまう、そんな1日であった。


2017年10月4日水曜日

晴れ間を信じちゃいけないよ

かつて「噂を信じちゃいけない」と歌ったのは、山本リンダさんである。もちろん、リアルタイムに聞いたわけではない。恐らくテレビやラジオにて懐メロを特集した歌番組、あるいはコント、もしくはアニメなどで触れたのだろう。音楽が「コンテンツ」と呼ばれる今の時代、そうして耳に残り、歌い継がれていく曲は、昔に比べて圧倒的に減った気がする。

そんな歌の詩になぞらえるなら、デンマークでは「晴れ間を信じちゃいけないよ」である。今日はオールボー大学の文化心理学研究センターによるキッチンセミナーの後、近所のスーパーへと買い物に出かけたのだが、見事なまでの夕立にあってしまった。朝から雨に見舞われ、キッチンセミナーの直前には晴れ間も見えていたのだが、夕方になると再び雲が張り出していった。そして、「もしかして…」の予感が的中し、家からスーパーまで、片道20分弱の道のりのあいだ、隠れる場所がないところで、大雨にやられてしまったのだ。

ちなみにキッチンセミナーでは、大阪教育大学の小松孝至先生が発表された。小松先生はキッチンセミナーには2007年から参加されており、今回で11回目の発表になるという。こどもの自己形成に関心が向けられ、今日はオーケストラを比喩として、親と子の相互作用について議論がなされた。音楽の比喩では渥美公秀先生が『ボランティアの知』にてジャズのような即興とボランティアを対比されているものの、親と子の関係では他にも「カラオケ」(原曲キーの存在、替え歌にすることでの盛り上げ、など)の比喩も効くのではないかと、勝手な想像を楽しんだ。

ところが、その後でまさかの大雨に見舞われたことで、帰宅後のリズムが狂ってしまったが、翻訳プロジェクトの単語帳の整理だけはなんとか終えた。と言うのも、デンマークでは医師の診療には自己負担が必要とされないものの、風邪などの場合には休養が薦められるためである。投薬による加療よりも、治癒のための道筋を示すのが医療者の役割なのだろう。ということで、風邪など引かぬように気を付けるのは我が身であり、これもまた福祉国家を福祉国家であり続けるための知恵なのかもしれない。


2017年10月3日火曜日

おひさまの角度

季節は確実に冬へと向かっている。夏には、窓に対して右奥(北西)から夕陽が射し込んできたが、いつしか左側(南西)へと変わってきた。もちろん、日の入りの時刻もどんどん早くなってきている。そして、日の出の時間はどんどん遅くなっている。

デンマークでは授業を担当していないこともあって、ほとんどの時間の過ごし方は自分の都合で決めることができる。もしデンマーク語ができるなら授業も担当していたのだが、今、お世話になっているオールボー大学の心理学科では、学部・修士とも、英語での授業を開講していない。もちろん、多くの学生は英語ができるため、英語での話題提供の機会もいつかつくろう、と、受入担当の先生方からには気に掛けていただいている。滞在から半年が過ぎたが、逆に言えばあと半年、どんな経験を重ねることができるか、楽しみである。

そんななか、今日は細々したメールを捌いた。本来なら昨日から、翻訳に参加した書籍の単語帳を整理するというお役目を担う予定だったが、あいにく1人から届いていないため、着手ができないままでいる。その結果、これまで対応できていないことを先にしてしまおう、と判断した。というのも、単語帳作成の後には、科研費応募への準備が待っているためである。

授業がないために、代わり映えのしない毎日を過ごしているとも言える。何より、自宅で一日を過ごすことも多い。それでも、窓から見える景色の変化に目を見はることで、その日に意味を見出すこともできる。少なくとも今日は、お日さまの角度が変わる中で、木々の合間から射し込む夕陽に、今日という日の印象を刻むことにした。


2017年10月2日月曜日

通すのではなく翻る

この4月から、ある本の翻訳のプロジェクトに参加させていただいている。今日は日本時間の9時に、現時点での最新原稿を集約するという締切が設定されていた。あいにくデンマークとは7時間の時差があるため、私はデンマーク時間で10月1日の13時55分に送付を終えた。そして日付が変わって今日、それぞれの章を担当される方から、続々とメールで提出されていった。

開き直った物言いとなってしまうのだが、これまで、どちらかというと締切を守れない傾向にあった。結果として、お詫びや言い訳やお伺いの文面を多々、記してきたように思う。わかる人にはわかる「本当の締切」の存在を知った頃から、そうした傾向はより強まった気がしている。ただ、それは性悪説に基づく配慮であり、一方で提出後の作業工程(いわゆるポストプロダクション)にしわ寄せが行く。

実は出版が前提となった翻訳プロジェクトに参加するのは初めてである。以前、2005年には出版を前提として立ち上げられた翻訳プロジェクトに参加したものの、2年ほどで事実上の頓挫となってしまった。当時のリーダーとは数年前までは年賀状をやりとりし、その他のメンバーの中には今なお付き合いを重ねている人もいるが、あまりその件については切り出すことがない。ただ、その際の経験は今回のプロジェクトに活かされており、デンマークに滞在を始めてからの参加ゆえに、まだ対面したことのない方々とのあいだではあるが、よいものになればと工夫を重ねているつもりである。

今はGoogle翻訳の精度も上がってきているため、わざわざ翻訳しなくてもいいのではないか、という声もあるかもしれない。そもそも、英語が原書なら、ある程度は理解できるだろうし、理解できるように努力するのが研究者ではないか、という考えの方もいるだろう。しかし、母語が日本語の方々に対して、意味が通るように訳す(つまり、通訳)のではなく、社会システムや文化の違いを前提として日本の環境をもとに翻って訳す(つまり、翻訳)のは、なかなか楽しい。一方、日本で慣れ親しんだ味をデンマークの食材で再現するのは難しく、今日の晩ご飯には、先般、一時帰国した際に調達した「お好み焼きソース」に活躍してもらうことになった。


2017年10月1日日曜日

ピクニック日和の中

昨日はデジタルカメラのバッテリーをきっちり充電し、お出かけの準備をしていたものの、遠出はしないことになった。理由は朝に天気が崩れていたためである。そこには、駅までバスで20分弱に住まいがあることが影響している。いざ出かけようというときに雨が降っていると、どうも盛り下がってしまうのだ。

とはいえ、実は明日が締切の仕事が1つあるので、私にとっては「きちんと集中すべし」というお告げのようにも思われた。4月から参加している翻訳プロジェクトの仕事で、日本時間で10月2日の朝9時が締切と設定されたものだ。ちなみに、当初は「9月中」という漠然とした提案だったものの、「その後の集約を丁寧に行うことを考えれば週明けの朝9時でも大きく変わらず、一方で翻訳者にとっては土日いっぱい時間を掛けることができれば助かる人もいるのでは?」と投げかけた結果、そうなった。かくいう私は、時差7時間の環境にいるので、2日の朝9時の締切のためには、結果として1日中に、もろもろの作業にあたる必要がある。

デンマークでは授業を担当しない客員研究員としての滞在である。そのため、この件も含めて、かなり余裕をもって仕事にあたることができている。そして明日の締切を前に、一定の作業を終え、提出した。そして、朝には崩れていた天気も昼前には持ち直し、晴れ間が広がっていた。中庭でも小さなパーティーが行われているようで、賑わう声が聞こえてきた。

締切前に提出できた開放感から、せっかく充電したデジタルカメラを首に掛け、買い物がてらの散歩に出かけた。すると中庭だけでなく、スーパーに向かう道すがらのベンチでも、ピクニックに出て来た家族を目にした。何となく心地よい気分に浸り、夜にはロウソクを灯して、ちょっとした雰囲気が演出された。ちなみにメニューは好物の一つのラザニアで、赤ワインと共に楽しんだ。