新潟県中越地震から13年である。当時は社会人大学院生として、学位論文の執筆の準備を進めていた。そもそも働きながら大学院に行こうと決断したのは、あまりに学生時代の学びが現場での実践に重きを置きすぎていたことからの反動であった。今となって思えば、当時、生きた言葉として使おうとしてきた言語のセットは、単に聞き心地がよさそうな言葉ばかりで、仮に自らの経験に裏打ちされていたとしても、他者と共に開く世界の中で裏打ちされた言葉の体系との関連づけがなされていないままだった。
あれから13年、気づけば日本語以外を主とする生活環境に身を置くとは不思議なものである。何より、デンマーク語が母語とされる国で、日常的に英語でやりとりをする環境にいるとは、想像だにしていなかった。ただ、今の時点から当時を振り返れば、できることに誠実に、できないことに謙虚となることが大切だと気づかせてくれたのは、あの時期の仕事と暮らしがあったからだと確信している。その後、浄土宗の僧侶のはしくれとして「愚者の自覚」の教えに触れ、今に至る。
今日は先週提出した科研費の応募書類の修正を重ねた。今回は2件の応募のため、一つひとつ、着実に仕上げていく。その上で、立命館大学のリサーチオフィスを通じて、フィードバックが得られるのが本当に有り難い。言うまでもなく、研究を得ることは目的ではなく、研究を通して社会問題の解決への一助が開かれることが大切である。
今回、2件応募したものの1つは、新潟県中越地震で大きな被害を受けた新潟県小千谷市を事例としたものである。また、誘っていただいた別の研究プロジェクトでも、小千谷の事例が取り扱われる予定とされている。阪神・淡路大震災の際、土木工学を学ぶ学生だったものの、見える世界だけを扱う学問ではよりよい社会は導かれないという原体験は、今でも人、もの、お金、情報、そして発想や人脈を紡いでいく上で、大きな下支えとなっている。と同時に、中越の際には神戸での経験が問いなおされたことも含め、遅ればせながらきちんと生活、生命、人生の意味を掘り起こしていきたいと発意する今日のこの日である。
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