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2007年11月22日木曜日

演技と演出

 本日、平田オリザさんの小学校でのワークショップのお世話をさせていただいた。平田さんは京都をはじめ、関西圏でも多くの小学校で演劇教室を行ってこられているものの、大阪では初めてになるという。一方で應典院とは1997年の舞台芸術祭「space×drama」以来、何度かご縁をいただいている。2006年より大阪大学に来られたことも重なり、大阪でも実演授業を、と考えた際、應典院がコーディネート役を、とご用命いただいた次第である。

 開催に協力いただいたのは、應典院の校区である、大阪市立生魂小学校だ。6年生は19人、1クラスしかない。40人学級の5クラス編成の小学校で学んできた私にとって、クラス替えなしに6年間を過ごす生活は明らかに未知の世界である。ともあれ、應典院の校区であること、さらには1クラスゆえに、不公平なしに大先生の授業を受けられるということから、大阪市教育委員会にあいだに入っていただいて、今回、開催の運びとなった。

 朝9時40分から、お昼の12時25分まで、3時間分をつかっての授業だった。皆が驚かされたのは、子どもたちが臆することなく、置かれた状況に対応していったことだった。実演授業の内容は、5人一組になり、転校生がやってきた、という物語を、その班独自の視点を盛り込んで完成し、最後に発表するというものだった。初めの1時限は概ね内容が決められたものを語尾や語用を変えて演じてみる、次の1時限は内容まで変えていく、そして最後の1時限に推敲と練習を重ねた上で4つの班がそれぞれ発表した。

 物語をつくるヒントは、「生活の中にある」と言う平田さんのことばが印象的だった。もし自分が転校生だったら、もし自分が先生だったら、もし自分が朝の喧騒の中で騒いでるとしたら、というように、何重もの「もし」に思いを馳せることで、自ずと、全員にとって合点がいく物語が出来上がる、私の整理ではそういう言い方でまとめられる。そんなふうにして出来上がった4つの物語は、実際に起こっていなかった出来事でなくとも、どこかで起こりそうな会話によって構成されている。なるほど、これが平田さんの言う対話のレッスンなのだ、と、改めて学ばせていただいたワークショップであった。



第三章 コンテクストを摺り合わせる

相手の力を利用する(抜粋)




 大事なことは、常に台詞を関係の中で捉えるということです。

 演出家の仕事は、この関係のイメージ、コンテクストを明瞭に示していくことであり、俳優の仕事は、そのイメージを的確につかんで、他者との関係を織り上げていくことにあります。

(平田, 2004, p.114)







平田オリザ 2004 演技と演出 講談社現代新書1723


2007年11月21日水曜日

カシコギ



 韓国名で「カシコギ」という魚がいる。日本名では「トミヨ(富魚)」と言い、いくつかの種類は既に絶滅、あるいは絶滅の危機にあるらしい。中でも、平成3年に埼玉県の指定天然記念物に指定されている「ムサシトミヨ」は、熊谷市ムサシトミヨ保護センターを拠点にして保護下におかれており、関西圏では琵琶湖博物館など、ごく限られた施設でしか見ることができないという。このトミヨ、産卵期のオスの行動に特徴がある。

 一言でまとめれば、この魚は産卵期になると、オスが水草類を集めて作った巣にメスを誘い、メスの産卵後に受精を終えると、オスは懸命に卵を守り、世話をする。子が成長するころ、オスは既に死んでしまう。食べ物も摂らずに、必至に守るためだ。短命なオスがいるからこそ子が生まれ育つのだ。

 この習性に着目して書かれた小説がある。母親が家を出て、最愛の息子を育てる父の話だ。運命は残酷なもので、その最愛の息子タウムが白血病にみまわれてしまう。そこで父チョンは治療費をまかなうために、家を売り、自らの角膜を提供し、息子のために愛を、自らを捧げるのだ。

 以前に購入した本だったが、ふと、今日の朝、この物語に登場することば(入院中のタウムのベッド脇に貼られていたことば)を思い起こした。果たして、自分はどこまで懸命に生きているだろうか、そして誰かが懸命に生きようとしている懸命さに対して、真摯に向き合えているだろうか、そんな問いが出勤途上の私に突き上げてきた。懸命に守り、愛を捧げる子がいない以上、私にとって時間を捧げる対象は家庭や家族ではなく仕事や社会だ。このまま仕事や社会に時間を捧げていくことが、本当に懸命に生きるということなのか、この前の「選挙ショック」も重なって、実は思い悩んでいる。



第二章・夏至




「あなたが虚しく過ごしたきょうという日は、きのう死んでいったものが、あれほど生きたいと願ったあした」

(後略)



(趙, 2000=p.56)





Cho, C. 2000 Pungitius Sinensis, Balgunsesang.

金 淳鎬(訳) 2002 カシコギ サンマーク出版


2007年11月20日火曜日

ゆく都市 くる都市

 惨敗ということばはあるが、「惨勝」などということばはないと思っていた。しかし、堀田善衛の『上海にて』という作品の中で、中国の人が大量の犠牲を払いつつも、結果として日本の侵略から勝利したことを「惨勝」と表現した、と紹介しているらしい。文字通り「惨めな勝利」を指して表現したそうだ。今回の大阪市長選、私見だが、結果はこの「惨勝」ではなかったかと感じてやまない。

 順番が前後したが、大阪市長選、私が応援していた橋爪紳也さんは結果として惨敗だった。4人の選挙戦、などと言われたものの、結果は4位、89,843票であった。この数は、有権者数が2,073,215人、投票者総数が904,054人、有効投票数が895,730人であるから、有権者の4.33%、投票者総数の9.93%、有効投票数の10.03%を獲得したことになる。ちなみに、今回の投票率は43.61%だった。前回が33.92%であったから、ある程度の伸びを見せたことになる。

 そんな選挙の結果に対して、「惨勝」なることばを用いたくなったのはなぜか。ある民放は20時2分に「平松候補に当確」と速報を出したのだから、完勝ではないか、そんな声も聞こえてきそうだ。しかし、自ら「シロウト」と言い、政策ではなく「夢」を語り、そもそも政党に推されたからと言って立候補して当選した方に、大阪市の窮状を切り盛りすることができるのだろうか?もちろん、政権交代できる政治風土を生むことが必要だということには充分な理解を抱いているものの、政党と政策の両面から選ばれてしかるべきではないのか。

 投票が締め切られた20時過ぎより、私は橋爪紳也事務所に、大蓮寺・應典院住職と訪問させていただき、一連の会見の場に立ち合わせていただいた。報道各社の質問の最後に「敗因は何だと思いますか」と投げ掛けられたのだが、そこで「勝者に勝因はあるが、敗者に敗因はない」と橋爪さんが応えたのが実に印象的だった。市民に推され、市民の呼びかけや投げ掛けを通じてバージョンアップを図ったマニフェスト、「各候補の支援団体やマニフェストの評価を比較する異例の法定ビラ」など、橋爪さんが遺した市政への問題提起に、われわれは、また民意の反映として選出された新市長はどのように向き合うのか、真摯な姿勢が問われている。ともあれ、少なくとも投票率が延びたことは事実なのだから、ちょうど手元に10月31日に開催された、橋爪さんの出版記念パーティーの際に頂戴した書物にもあるとおり、よりよい都市を創造するために、それぞれがより深い貢献をしていく必要があろう。





あとがきにかえて ドバイで考えたこと




(前略)想像の翼を拡げる立場にあるのは、経済成長をとげつつある都市の住民だけではない。誰もが自分たちの価値観の変化や科学技術の進歩に応じて、また環境問題など人類共通の課題が現前化するにつれて、新たな生活を創案し、新たな空間を発明し、かつての都市のうえに新たな都市を重ねてゆかなければならない。

 少子化と極端な高齢化社会という状況に直面している日本の都市に暮らす私たちも例外ではない。転機にあるがゆえに、将来の世代に託すに値する都市の姿を私たちは発明する必要に迫られている。そのためには諸外国の都市に学び、今日における普遍性を知るとともに、比較する視点を持って自分たちの都市に潜む固有性を確認する作業も不可欠だ。

(後略)



(橋爪, 2007, p.178)





橋爪 紳也(2007) ゆく都市 くる都市 毎日新聞社




 

2007年11月18日日曜日

戦いは終わっても結論は出ない〜橋爪夫妻最終演説

 私には妻がいない。しかし、今回ほど、こんな妻の存在がそばに居ればいいな、と思ったことはない。同時に、夫と妻の関係を超えて、互いに敬意や尊敬を抱き合っていることを、第三者に対してさわやかに見せることができる夫婦に対して、憧れと羨望を感じてやまなかった。その夫婦とは他ならぬ、橋爪紳也さんと橋爪里女さんのことである。

 大阪市長選の最終日、大阪市長候補者、橋爪紳也さんの選挙活動の最終演説を聴くべく、19時頃から難波のビックカメラ前に馳せ参じた。ちょうど、その木曜日には、麻生太郎氏と松あきら氏が、それぞれの政党の力によって、大きなバスの上から演説をしていた場所である。一方で橋爪さんは、木箱の上に立っての、まさに立会演説である。当日15時半からに行われた、心斎橋の東急ハンズ前での演説では、少しだけ弁士を務めさせていただいたのだが、100mほど向こうで行われている、丸山弁護士の演説に、なぜか釈然としない思いを抱いた。

 一方で、橋爪さんの最終演説は、応援者の演説も含め、すべてに胸を打つものだった。この間、口八丁な点に加えて手八丁なところもあるので、ただただ、演説内容のテープ起こしをさせていただいてきたが、ネット社会を象徴してか、それぞれに関心をいただけたようである。そんなことを意識しつつも、最終の演説を省みるに、これまで以上に文字化しておきたい衝動に駆られた。よって、19時からの演説の全てではないが、以下に遺しておきたいと思う。

 いつかきっと、ここに示す内容が、大阪の歴史の1ページとして、多くの方々に畏敬の念が抱かれることを切に願うばかりだ。何より、大阪市長選挙に伴う選挙活動期間は間もなく終わりを告げるのであるが、その期間中に、対立候補の方々はもとより、肝心の大阪市役所に対して、市民と対話する姿勢を見せた市長候補者がどんな効果を与えたのか、丁寧な検討が行われていいだろう。無論、選挙戦は終わったとしても、その選挙活動を通じて投げ掛けた問題や、さらにはそこで提起したことに対する結果も、そして結論も出ていないことを、我々は踏まえておく必要がある。



【音声ファイルアドレス(備忘録)】

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071117hashizumefinal.mp3



20071117final.gif




<橋爪里女さん>

 みなさん、こんばんわ。橋爪紳也の妻でございます。(こんばんわ)いつもは橋爪紳也の隣で、ただ見守っているだけの私でございますが、今日は選挙期間最終日、「もう、黙ってられへん」ということで、一言お話させていただきます。(拍手)

 橋爪紳也が大阪市長選立候補を決めました日から、私は妻として、橋爪を精一杯応援していこうと、決心して今日までやって参りました。その間、他の候補者の方のことも、いろいろ勉強させていただきました。そこで、私の気持ちは変わりました。

 私は、最早、橋爪紳也が、私の夫であるから、という理由だけで応援しているわけではありません。(そうだ)次の大阪を作っていく人間は、橋爪紳也でなければならないのです。(そうだ)

 皆さん、今朝の新聞をご覧に成ったでしょうか?現職の関市長、陣営の方が何とおっしゃっていたか。明日の投票、投票率が上がると不利だから、投票率、上がらないで欲しい(なめるな!)。そんなこと、おかしいじゃないですか。(おかしい)

 橋爪紳也は違います。みんな投票に行きましょうと訴えています。橋爪紳也は、みんなと一緒に、大阪のまちを作ろうと訴えているんです。ですから皆さん、明日はぜひ、投票に足を運んでください。そして、皆様方の一票一票を、橋爪紳也に頂戴したい。よろしくお願いします。



<橋爪紳也さん最終演説>

 市長選挙、 2週間の間、戦い抜いて参りました。妻には全く相談もせず、立候補いたしましたが、ここまでついてきて、参りました。夫婦で、二人で、各地を、商店街とかをまわり、あと市民のボランティアの皆さんと共に、大阪市内、端から端まで駆け抜けて参りました。

 私が大阪市長選挙、立候補する。先ほども申し上げたように、最初の動機は今のままの大阪ではアカンという怒りでした。もう一つあります。東京都知事選。いろんな立場の候補者が出て、日本中のメディアが注目して、誰が東京都知事にふさわしいのか。そういう選挙戦です。

 大阪市長選挙、これまで盛り上がったためしがありません。(そうだ)見えないところで、各政党が候補者の選定をして、新聞は推測でいろんな記事を書きますが、結局最終的に出てくるのは、共産党の候補者と、オール与党体制。初めから勝負がわかった、そういう市長選挙ばかりでした。(そうだ)

 それで、大阪、よくなるわけがないんです。この数年間、日本中、変わったまちは市民派の市長候補が出たり、市民派の議員が出て、いろんな選択肢があって、それで初めて政治というのは動くんだ。私はそう考えておりました。(そうだ)

 しかし、大阪市議会も、与党と共産党、それだけで構成されていて、市民派の議員が全くいません。大阪の政治風土は44年間、そういうものだったんです。ここを変えなければいけない。私はそう思いました。(そうだ)

 自らの仕事を捨てて、全てを捨てて、これは、これまでと違う選択肢を立てることで、大阪の政治風土を変えたい、市民の皆さま、目を覚ましてほしい、大阪を変えなければいけない。そういう思いで立ちました。本当に、覚悟の上の立候補でした。(拍手。がんばれー)。

 マスコミの人に何度も言われました。政党の推薦がつかなければ、橋爪はもう途中でやめるのか。黒川紀章さんみたいにおもしろいことせよ…バカにすな、と思いました。(笑い)

 私は思い余って市長選挙、立候補いたしました。最初にしたこと、何かわかりますか?選挙のマニュアルの本を買ったんです。(笑い)全く政治のしろうと、選挙戦、したこともありません。何とか選挙とはどういうものか、勉強しようと致しました。

 一人で立ったその夜、たった一人で、事務所で、冷めた焼きそばを食べながら、どうしたら選挙ができるのか、悩んでました。何人かの応援団、来てくれました。友達が駆けつけてくれました。テレビは有力候補だと、当時報道してくれました。

 橋爪紳也、悠々自適で、祭り上げられて、担ぎ上げて、政党のハシゴの上に立っているもんだ、みなさんそう思っていたはずです。ところが、その日の晩、全くひとりぼっちの私がおりました。そこから私の選挙は始まってます。

 市民のみなさま一人ひとりに思いを伝えることで、選挙戦が始まりました。今回の選挙戦、私が本を読んで一番学んだことは、二度と同じ選挙がないということが書いてあったんですね。選挙は歴史だと書いてありました。一度の選挙しかない。本当に今回、そのことを実感しております。マスコミ、友人は、みんな橋爪紳也らしい選挙をせよ、そういうことをおっしゃってます。そのため今回、日本で初めて、大阪で初めての選挙戦、展開することとなりました。日本の選挙で初めて、登録文化財、国の文化財を選挙事務所に致しました。日本で初めてのことです。歴史や文化を活かしたまちづくりをしてきた、橋爪紳也らしい選挙戦。そういうことを証明するために、文化財を選挙事務所に致しました。

 大阪で初めて、水の上、川の上で演説をいたしました。大阪、水の都なのに、これまで船を使った選挙戦、なかったそうです。水辺のまちづくり、関わってきた橋爪紳也ならではの選挙戦でした。

 今回、最も日本で初めての試みは、市民の皆さまと共に、マニフェスト、政権公約をつくったことです。(拍手)市民の皆さまと、数十回会合を重ね、700人以上の方と話をし、それで政権公約をつくりました。日本で初めてのことです。

 私の選挙戦、私たちの選挙戦は、既に日本の選挙史上に、歴史に名を遺しました。はじめて、日本ではじめて、市民の方と公約をつくる、政権公約をつくる、この試みをしました。真の市民派の選挙、日本で初めての市民派の選挙、橋爪紳也、われわれのボランティアのスタッフ、みんなでつくりあげた選挙戦です(そうだ、拍手)。

 大阪を変えるためには、市民の力を結集することが必要です。市民から担がれた、市民とともに立ち上がった市長は、市民のみなさまの方を向いて、市民のみなさまのために仕事をいたします。政党から担ぎ上げられた市長は政党のために仕事をいたします。しがらみだらけです。(そうだ、そのとおり)。組織、団体を背景に持った市長は、組織、団体のために仕事をいたします(そうだ)。既得権益を守ります。(そうだ!)

 われわれ、市民の声を真にかたちにするためには、市民の中から市長を立てなければいけません。橋爪紳也、46歳。真の市民派の市長候補として、今回闘って参りました。これが最後の一言です。「大阪をなんとかせなあかん、もう黙ってられへん」。明日、橋爪紳也、私に、皆様の一票をお願いいたします。ありがとうございました。

勝手連は身勝手連中ではない〜勝手連メンバー最終応援演説

 にしても、「橋爪紳也さんを応援する勝手連」は、勝手連らしくなってきたと思う。本日、最終の演説が行われたのだが、勝手連からは2名が応援演説を行った。そのお二人とも、それぞれの立場が全面に出つつ、しっかりと「応援」という目的を適えるものであった。あくまで主役は、候補者であることが、しっかりと伝わってくる。

 同時に、橋爪紳也さんを応援するということは、結果として応援の呼びかけが橋爪さんだけに向かっていけばよい、というわけではない。すなわち、呼びかけの対象は、橋爪さんを通じて、広く市民に向けられるのである。そこでは、有権者であるか否かだけが重要ではない。大阪という大都市には、選挙権があるなしを問わず、何らかの形で自ずと関わっているからである。そんな前提を強調するまでもなく、当然のようにその前提が埋め込まれた演説のお手本として、以下の演説はなされたと言えよう。



【音声ファイルアドレス(備忘録)】

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071117hashizumefinal.mp3



20071117.gif




<片桐知子さん>

 千日前の皆さん、こんばんわ。私は片桐と言います。私には二人、子どもがいます。私、子ども、二人生まれてから、自分の子どもだけでなくじゃなくて、もうとにかく大阪の子ども、日本の子ども、世界の子ども、みんなすごい気になるようになったんです。

 今の子どもね、おぎょうぎ悪いと思いません?なんか思いやりがないと思いません?何か自分中心やと思いません?それね。誰がつくったと思います?今のね、自分さえよければええ、自己中心的な大人がそういう子ども、作ってるんですよ。私は思います。そうやって、いっつもそう怒ってました。

 でも、私に何ができるの?私、政治活動も、市民活動すらしたことない。政治って難しい。だからただ怒ってただけでした。でも、2ヶ月前です。橋爪紳也さんと逢ったんです。で、橋爪さんが言わはったんです。「今の大阪な、ホンマヤバイ。このまま放っとったらな、ホンマ、マズイことになんねん。だからな、黙ってられへん。なんとかせなあかんねん」。それ聞いて、今まで私、自分が何もせえへんかったこと、すごい反省しました。

 それで、一生懸命、このマニフェスト、読みました。マニフェスト読み過ぎて、くちゃくちゃになりました。泣いてしまいました。この中身ね、メチャメチャ感動するんですよ。下手な映画より感動します。(拍手)

 このマニフェストはね、市民の人と一緒につくりはったんですよ。だからね、生きているですよ、このマニフェスト。このマニフェストはね、実行するね、橋爪さんの約束事なんです。だからこのマニフェスト、橋爪さんが市長になれへんかったらね、実行でけへんのですよ。もったいないじゃないですか。(そうだ、拍手)

 今ね、マスコミは、大阪市長選挙は自公と民主党の戦いや、と言うてるでしょ?組織票の人等はね、「選挙行け」言わんでも行きますよ。(そうだ)一番ね、大事なのはね、個人票でしょ?個人の票が一番市民の声でしょ?(そうだ)

 市バスにね、選挙は11月18日って書いてあるじゃないですか。地下鉄乗ったらね、選挙、11月18日行きましょうって言うてるでしょ?あれね、組織票の人になんか何にも関係ないですよ。個人の票の人に言うてるんですよ。つまり、橋爪さん、応援してくれてるんでしょ。(そうだ、拍手)。

 何が組織票ですか?今回の大阪市長選挙は、組織票と個人票の戦いなんですよ。(そうだ)絶対負けるわけにはいきません。(がんばれ)

 ここまで言ってね、あれなんですけどね、私、実は大阪市民ちゃうんです。(笑い)でね、大阪市でね、15年くらいね、小っちゃな会社、やってます。だからね、法人税は払ってます。法人税というのは市民税でしょ?立派な市民税やのに、私、選挙権ないんです。私、選挙行きたい。橋爪さんに入れたい、せやけど、選挙権ないんです。こんな悔しいことありません。

 皆さん、大阪市民のみなさん。票、持ってはるでしょ?明日は絶対棄権せんといてください。自分のために働く大阪市長、誰なんや、ちゃんとこの目で見て、今からでも遅くありません。ホームページにマニフェスト、載ってます。ビラにも書いてます。ちゃんと読んで、ちゃんと読んで明日絶対に投票に行ってください。よろしくお願いします。(拍手)



<橋爪紳也さん>

 こんばんわ。橋爪紳也、46歳、大阪市長候補です。「大阪をなんとかせなあかん、もう黙ってられへん」このことばを、市民の皆さまに伝えて参りました。私が市長選挙に出馬するに至った動機は、大阪、今の市長のままではあかん、この怒りが根底にあります。今のままの大阪でいいですか?大阪の元気のなさ、この状態のままでいいですか?変えなければいけません。

 私は心の底から怒っておりました。しかし、どうしたらいいのかわからない。いろんな人と話をしてました。誰か市長選挙、現職の対抗馬として出ないのか?そういう話をいろんな場所でしておりました。そこで言われたのが、「そんなこと言うんったら、お前が出ろ」(笑い、そうだ!)。ホンマに出てしまいました。

 市長選挙、出馬表明をした日、たった一人でした。推薦人の方、十何人、お願いしましたが、誰も選挙の専門家はいず、思いあまって、橋爪紳也、飛び出た、それを支えてくれました。それから私の市長選挙が始まりました。真の市民派として選挙をする、それはどういうものなのか、全くわからないままに、ここまで闘って参りました。

 ある時、スタッフの一人が教えてくれました。市民派の市長選挙は、候補者の思いを周りの人間に伝えることから始まる。周りの人間を本気にすれば、その人たちがまた多くの人に伝えてくれる、この熱の伝導、熱を伝えていくことで、選挙戦を戦うのが市民派の市長選、そう教わりました。(拍手)

 これまでの選挙、私は常識として、組織があって、そこで担ぎ上げられた候補者が市長とか議員になる、それが当たり前と思っていました。しかし、違う選挙の仕方がある。違う市民の熱の伝え方がある。今回、私は身を持って知りました。

 「大阪をなんとかせなあかん。もう黙ってられへん。」私の思い、皆さんに伝わっているでしょうか?(伝わってるぞー)。今のままの大阪市でいいわけがありません。今の市長でいいわけがありません。(そうだ)市民の皆さま、大阪市を変えましょう。(変えよう!)大阪市役所、変えましょう(変えよう!)、大阪市長を変えましょう。(変えよう!)

 大阪を変えるためには、市民の力が必要です。みなさんの思いが必要です。

 声を出してください。声をあげてください。「大阪をなんとかせなアカン」。「もう黙ってられへん」皆さまの声を集めることで、大阪市を変えることができます(そうだ!拍手)

 明日 11月18日、大阪を変えましょう。市民の思いを伝えて大阪を変えましょう。今晩8時まで、市長選挙、活動ができます。皆様の思い、まだ明日の朝まであります。ぜひとも、皆さんの思い、まわりの人たちに伝えてください。橋爪紳也の思い、まわりの友人、知り合いに訴えてください。明日大阪を変えます。(拍手)市民の皆さまが大阪を変えます。市民の皆さまが大阪市長を変えます。大阪を変えるのは、市民の皆様です。(そうだ!)

 市民の皆さま、大阪市なんとかしてくれ、そういう話ではありません。市民のみなさま一人ひとりが、大阪の将来のために何ができるのか、それを考えてください。まずできることは、明日大阪市長選挙、投票所に足を運んでいただいて、橋爪紳也、46歳、私に一票いただくこと、ここから大阪市が変わります。ぜひとも明日、私に皆さまの思い、伝えてください。よろしくお願いします。ありがとうございます。



<生駒伸夫さん(生駒時計店)>

 千日前の皆さん、こんばんわ。私はこの大阪、北浜で商売を続けて、会社は130年ほどになります。私はこの大阪で仕事をして30年になります。橋爪さんと初めて知り合ったのは、うちの会社は非常に古い、古い建物で、もうボロボロになって、どうやっていくんだ、と。親父らとは、建て替えてもう貸すしかないんちゃうか、と。そんな苦労をしてきた、昭和の終わり、平成の初め。突然、覗きに来てくださって、「ええ建物やから、大事にせえよ」そんなことを言うてくださったのが橋爪先生でした。大事にせえよ、という人がだんだん増えてきて、それで大事にせなあかん、そう思って、なんとか今まで保ってきました。

 一方で、中央公会堂は、市が、本当に100億円を超えるような予算で、ずいぶんきれいになりました。公共のものは確かに税金できれいにしていくべきだと思います。本当に、使い手があるいい建物になっていると思います。でも、民間のものは、民間の工夫で何とか大事にしていきたい、そんな中でも一番相談に乗ってくれたのが、この橋爪さんでした。

 そして今回、私は橋爪先生が立候補されるというのは、新聞のニュースで見て、びっくりしたほうです。そして今、ボランティアとご紹介いただきましたけれども、私はボランティアでも何でもない、何もお手伝いしていない、ただ、橋爪先生のこの「黙ってられへん」という声に引きずられて、「何かしゃべってよ」と言われたら、僕かて黙ってられへんのです。

 この、橋爪先生の「黙ってられへん」という思いが、普通の一人ひとりの中で、俺も黙ってられへん、僕も黙ってられへん、私も黙ってられへん、その声が大阪を変えるんです。大阪って何や、と。確かに、まち、建物、川、いろんなもんがあります。でも大阪っていうのは、大阪のまちの人です。大阪を変えるって言うのは、大阪の僕らが変わるっていうことなんや、と思います。(そうだ!)

 この、橋爪先生の「黙ってられへん」という声、私、ホンマ、カラオケも嫌いで、マイクなんか今、手、震えてますよ。それでもね、それでもここで、声を上げたい、それが、橋爪先生の思いやと思ってます。(拍手)

 ホンマに、70歳の超えた市長。僕はやっぱり日本人ですから、ご高齢の方々、尊敬します。本当にいろんなことをされてきて、ご苦労もあったと思います。確かに、後を継ぐ人がなかったら、最後まで責任取ってもらわなあきません。でも、若い中から、今度は俺らに任せろ、という人が出てきたときには、ちゃんと、引き下がっていただく、譲り渡していただく、それがやっぱりお年をめされた方の、やっぱり役割やと思います。

 若い人、信用してください。そして、逆に若い人、20代、30代以下の人、選挙権のない人も、これから大阪を支えていくのはその世代、みなさんに支えていただかないかん。ただちょっと先に生まれた、ただちょっと後に生まれた。それだけで何にも変わりありません。経験だけです。

 でも、今、この時代に、じゃあ大阪を支えていくのはどの年代や、と言うたら、橋爪先生のこの40代と違うんですか?(そうだ!)

 ホンマに、 70代の人、もうご苦労様だと言いたい。(そうだそうだ!)そして、人から頼まれて、その気なかったけど…そんな人に、やっぱり、やっぱり任せられません。非常にソフトで、ええ人格の方やったとしても、一定の組織に支えられて出てきた人。シロウトやと言うたら、もしなったら、その組織と相談するだけ。橋爪先生はホンマに、40回以上、みなさん方700人以上と、タウンミーティングを繰り返して、バージョンをアップして、このマニフェストを作られました。

 さっきの片桐さんもおっしゃってましたけど、私も、最後の1ページ読んだとき、泣きました。ホンマに、皆さん、これ、パソコン環境にある人、すぐダウンロードできますから、最後の1ページだけでええですから、読んでください。

 そして、明日、大阪変えましょう。せいぜい、よろしくお願いいたします。

2007年11月16日金曜日

ステッカー型評価シート〜選挙事務所×近代建築

 昨日、橋爪紳也事務所を訪ねてきた。選挙戦の終盤を盛り上げていくために、ポスターにステッカーを貼るためだという。私の知り合いの大学院生がそのステッカー貼りの手伝いを行うということもあって、その段取りを確認したいという意図と、あわせてどんな事務所で選挙を戦おうとしているのかを見せていただきに行ってきた。率直な感想は「こういう事務所のスタイルもあるのか」というものであった。

shibakawa.gif 橋爪紳也さんは、言わずと知れた建築史の研究者である。そんな専門的知見を携えて臨んだ選挙戦において、橋爪さんは前線基地を近代建築の名所として名高い「芝川ビル」の1階に置いた。昭和2年(1927年)の竣工というから、ちょうど今年で90歳を迎えたこととなる。南米マヤ・インカの装飾を纏ったビルに合うよう、看板の色などにも配慮がなされているのだが、そこに堂々とオートバイを横付けしてしまったことに、やや萎縮をしてしまう。

hashizumeoffice.gif 先日、興味深い新聞記事があることを教えていただいた。産経新聞による「大阪市長選 事務所で特徴、4候補の戦略」というもので、橋爪事務所は「レトロな雰囲気と候補者のイメージを重ねる戦略も立てた」と記されている。ちなみに私の知り合いの何人かが「等身大のガンダムのフィギュアがある」という話をしていたが、これは明らかに間違いであり、「1/12スケール」の「シャアザク」がある、というのが正しい。ちなみに今回、近くまでのぞき込めばよかったものの、恐らくカラーリングから2001年モデルではなかったかと思われる。

 近代建築、ガンダム、その他万博や遊園地など、橋爪さんの関心領域を取り上げていくと枚挙にいとまがない。しかし、それらの関心に、一貫する柱がある。それは「文化」だ。改めてポスターに貼られたステッカーを見るにつけ、水曜日の「政談演説会」での、はしづめ事務所のスタッフのことばが身にしみてくる。



20071116.jpg




 以下、はしづめ紳也事務所のスタッフが述べたことばを遺しておく。

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071114presentation.mp3

 いかに政策本意で候補者を選ぶことが重要かが鮮明に打ち出されていると言えよう。



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 ここにビラの方、配っていただいたやつがあると思うんですけどね、宮崎県の東国原さん、嘉田さんと対比して共通しているのは何か、政党推薦がなかったこと、というふうに書いてありますけども、これは橋爪さんにも共通している。ここで答え「まる1」のところにあるんですけれども、二人とも、政党推薦がなかったことから絶対勝てないと言われていたんですね。僕も嘉田さんのときはホント、選挙スタッフとしてずっと一緒にいたんですけれども、本当ですね、「がんばってねー」「また4年後も出てねー」と言われるんですね、これ。4年後じゃないだろ、今回勝たなきゃしょうがないぞ、と。

 それはですね、橋爪さんも今回、2週間の本当に短い期間の中ですけれども、1週間前と比べてすごく反応がよくなっています。やはり知名度がなかったということで、政党推薦がなかったということで、なかなか浸透していけなかったんですけど、ここに来て、本当に街宣、盛り上がっております。

 ここをですね、皆さん、今日来ていただいた皆さんが、ここからまた拡げていっていただく、と。橋爪さんの、ここ後ろの評価シートですが、比較シートを見ていただいたらわかるんですけども、本当に政策もナンバーワン、そして変なしがらみもない。何より大阪生まれ、大阪育ち、そして大阪の研究をずっとしてきて、これ以上の候補はいない。大阪が待ち望んだ候補だ。橋爪紳也を市長にしなかったらもったいないです。(拍手)ありがとうございます。

 もうそれを皆さん今日、ここに大体900人ぐらい入っていただけていると思うんですが、皆さんですね10人声を掛けていただいたら9000人、その9000人がさらに10人声を掛けたら90000ですよ。いくらでもひっくり返せるんです。新聞の世論調査は当たりません。そんなのを気にせずにですね、この勢いに乗って、最後3日間、橋爪紳也大逆転、橋爪紳也市長の誕生に向けて、皆さん元気出していきましょう。よろしくお願いします。

「上書き保存」型マニフェスト〜橋爪紳也さんの挑戦

マニフェストということばは、この5年のあいだに、爆発的な勢いで世の中に浸透した。語源を辿ってみると、ラテン語に由来するものであるそうだ。ラテン語の「手」を意味する「manus」と「打つ」を意味する「fendere」が、やがてイタリア語「manifesto」になったという。日本語で「手打ち」と言えば、関係の成立(手打ち式)、丁寧に行うこと(手打ちうどん)、落ち度があったものに対して成敗すること(手打ち、あるいは手討ちにいたす)などの意味があるが、あながちそこからはずれていない。

 要するに、マニフェストというのは、何らかの形で整理、まとめ、立場を明らかにすることだ。2003年の公職選挙法の改正も相まって、さらには三重県知事であった北川正恭さんが範とした英国の総選挙の実践から学ぶことを通じて、政党も候補者も、出馬にあたってマニフェストを作成することが当然という状況になった。これまでの公約と異なるのは、広報用のリップサービスではなく、自らが就いた暁にはどのような政策を実現していくのか、目標を掲げて宣言するところにある。そして候補者の動きのみならず、そうした取り組み自体を支援する団体も生まれている。

 例えば「ローカル・マニフェスト推進ネットワーク」(http://www.local-manifesto.jp/network)は、北川正恭さんが代表を務める、マニフェスト作成の支援や評価を行うと同時に、マニフェスト型公開討論会の開催に取り組む団体である。実際、この大阪市長選挙にあたっても、10月27日の13時から、阿倍野区民センターにて公開討論会が開催されている。私もまた、その場に参加させていただいた。これまでの実績をアピールする方、今後の大阪を弁舌さわやかに話す方、独善的な采配が行われることの問題点を指摘する方、など、それぞれの主張の中で、極めて論理的に、マニフェストを説明しようとした候補に好感が寄せられた。それは橋爪紳也さんだ。

 事実、今回大阪市長選に立候補した橋爪紳也さんのマニフェストは、その原語的な意味としての「手打ち」に相当するものだ。その象徴は、出馬表明に続いて発表されたマニフェストが、市民との対話の機会を積極的に設けることにより、公示日までに2回の「バージョンアップ」を図ったことである。私が名付けるところ「上書き保存形式」でのマニフェストの作成、発表、更新は、全国初の取り組みだという。こうした対話の有り様に大いなる感銘を受けた人は少ないはずもなく、それが11月14日の橋爪紳也さんに関する「政談演説会」もなされているので、以下、私の師である秋田光彦さんの演説を紹介させていただきたい。



 なお、

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071114akitamitsuhiko.mp3



で、現場での演説の様子を伺い知ることができる。



 また、橋爪紳也さんのマニフェストは、



<トップページ>

http://www.hashizumeshinya.net



<バージョン0.9:2007.9.27>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver09.pdf

<バージョン0.95:2007.10.18>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver095.pdf

<バージョン1.0:2007.10.25>

http://www.hashizumeshinya.net/pdf/manifesto_ver1.pdf



と、その変遷を辿ることができる。



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 私の出身であります上町台地には、大阪の古いものがたくさんございます。大阪城があって、四天王寺があって、お寺や長屋の街並みがあります。

 そういったものを、単なる古ぼけた文化資源ではなくて、現代の都市には必要なものなんだと初めて見抜いたのは橋爪紳也さんです。どこかで忘れられてしまったような、まちの中の取り残されたそういう文化が、実はこれからの大阪の一番魅力になる、大阪の創造性の源なんや、大阪の元気の素なんや、と、はっきりと断言したのが橋爪さんです。

 不思議に思いませんか?人間はね、路地を歩くとね、なぜかこう、楽しくなります。水辺を歩けば気持ちがやさしくなる。長屋に暮らせば、人に親切になります。寺町に行ったら、なんとなく大らかになります。そういう昔から引き継がれてきた、そういう生活の中に根付いたものの中にこそ、人間の本当の豊かさが、生活が、暮らしがある。

 それはどういうことかと言うと、橋爪さんがそもそも私たち市民一人ひとりに対して、非常に大きな生活者としての尊敬を持っている、リスペクトを持っていらっしゃるからです。そういう考え方の要因と言いますか、そういう考え方っていうのは、別に勉強して身に付くものじゃないんですよ。私、かねがねずっと不思議だったんですが、橋爪さんの生い立ちを聞いて「ああ、なるほど」と納得しました。

 よくご承知のように橋爪さんは、旧南区の島之内、建築塗装業の息子さんでいらっしゃいます。昭和35年生まれ。当時はね、たくさんの住み込みの職人さんがいらっしゃったそうですよ。家族だけではなくって、いろんな、たぶん職人さんのヘンコな人もいっぱいいたと思うんですが、そういうたくさんの、様々な人の中に揉まれながら育っていった。つまり、人間にはいろんな人がいるんや、人間にはいろんな多様性があるんや、ということを、ご自分の生い立ちの中で体得していただいた。

 と同時にね、塗装という仕事は技ですよ。職人は技です。技術というものを親方からお弟子さんへ引き継いでいく。技というのは人から人へ伝えなくては滅んでしまうんです。あるいは、伝えていくたびに、新しく、こう、技術を革新していかないと、また滅んでいくわけです。そういう、古いものをただ丸ごと保護の対象にしてしまうのではなくって、それを磨きながら、書き換えながら、新しい時代に届けていこうとする姿勢こそ、橋爪紳也さんの人間に対するまなざし、あるいは私たちのまち大阪に対する一貫した橋爪さんの姿勢だと、私は思います。

 これまで、ご承知のように橋爪さんは大阪の数々のまちなみに関わってこられました。水辺であったり、船場であったり、堀江であったり、法善寺横町であったり、上町台地であったり、まちの中に根付いてきたものを、引き継がれてきたものを、あるいはその暮らしや生活の中にある技みたいなものを、次の世代へ、次の世代へと、意識して伝えてきてくださいました。

 今橋爪さんが言っている文化産業も同じですよ。アートとか、コミュニティ・ビジネスとか、デザインとか、社会起業とか、そういったものを全部、人の働き方や活かし方にいちばんやさしい技とはいったい何なんだろうということを、彼は私たちにメッセージしようとしているわけです。

 橋爪さんはそういう丁寧な視線、人間に一番近い視線で、大阪をずっと見つめてきてくださいました。私はそういう橋爪さんを、心から信頼していますし、そういう人こそ、大阪のこれからの本当のリーダーにふさわしいと思っているんです。

 この、さっきから話題に出てますマニフェストを読んで、私は感動しました。こんな心強い、心のこもった挑戦者の呼びかけを今まで聞いたことがない。と同時にね、これを読んで、「あ、われわれはやらなあかんねん」市民に対する橋爪さんの敬意、リスペクトをひしひしと感じながら、私たちもまた、この大阪のまちを良くしていくために立ち上がらなあかんねん、ということを、つくづくとこのマニフェストを読ませてもらって感じた次第です。

 皆さん、私が言っていることがもし、本当にそうやと思った方は、これから一つひとつ、問いかけしていきますから、ぜひ「そうだ!」と声を掛けてもらいたいと思います。いいですか?

 私たちは、ようやく対等にわたりあえる、語り合える、向き合える市長候補を得ました。どうですか?「そうだ!」

 政党や組織に寄りかかるのではなくって、本当の真のリーダーとして向き合える人と出会った。どうですか?「そうだ!」

 これからの大阪の希望を語り合うことのできる人と出会った。どうですか?「そうだ!」

 次の世代へ、若者や子どもたちにも、大阪の夢を届けることのできる人に、私たちは出会った。どうですか?「そうだ!」

 どうか、18日の投票日まで、みんなの力で橋爪さんを応援しましょう。そして、家族のみんなや、学校のみんなや、職場の、そして私たちのまちの友達や、みんなに橋爪紳也の名を届けて、立派な市長として、私たち全員応援していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

2007年11月15日木曜日

「大阪をなんとかせなあかん。もう黙ってられへん」

 久しく、間が空いた投稿になってしまった。間の抜けた、というのはこういうことを言うのかも知れない。お調子者で、口八丁。ことば遊びが得意ということは、結局物事の本質に接近する深みから理解を遠ざけてしまうこともある。

 しかし、口八丁だけでなく、手八丁でもあると開き直り、ここに敬愛する人が発したメッセージを紹介させていただきたい。2007年11月14日20時17分、大阪市中央公会堂、大会議室で行われた「政談演説会」において、10分7秒にわたり、一切の原稿を見ることなく、900人程度が集った市民を前に、述べた物語である。ややもすると、この物語は、よい意味での都市伝説となって、長らく語り継がれるかもしれない。少なくとも私はそれを切に願い、ここに文字化し、遺しておきたい。



 なお、



を確認いただければ、以下のメッセージを臨場感を持って追体験できるだろう。



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 今日は皆さんと私、思いを一つにしていただきたい。私は、「大阪をなんとかせなあかん、もう黙ってられへん」、大阪人としての誇りを回復するために、今回、市長選挙、立候補いたしました。

 私の父親は戦後、三重県から大阪へ出てきました。ペンキ職人で、親方について修行いたしました。大阪に行けば仕事がある。なんとかがんばって働ける。働けば希望が希望がかなえることができる。そういう思いを持って、私の父親は大阪で働きました。

 昔大阪は日本中から憧れのまちだったはずです。大阪に行けばチャンスがある。がんばった人は報われる。そういうまちでした。

 私の父親は本当に正直な人で、口べたで、営業力なかったんですが、だけど多くの人から信頼をしていただき、商売を大きくできました。私は本当に職人のせがれとして誇りを持っております。

 私もこの身体の中に職人の血が流れております。正直で嘘をつかず、仕事をコツコツとやる。多くの人のためにがんばって仕事をする。これが私の信条であります。

 しかし、この数年間大阪は、どうもそういう昔のような憧れの対象になっていない。閉塞感があります。5年後10年後、本当に元気な大阪、私たち、希望の持てる大阪になっているでしょうか?

 ここ数年間、悪いニュースばっかり耳にいたします。経済では大企業の本社がどんどん東京に逃げてしまう。産業は名古屋の方が元気であり、大阪は元気がない。東京に行くたびに「大阪、元気がないなぁ」「そうですわ」、そんな話ばっかり続く数年間でした。大阪は今後、どう変わっていくのか?そんなビジョンをリーダーが示してくれていません。

 一方で大阪市役所、問題だらけ、不祥事だらけです。市職員の厚遇問題、様々な不祥事。大阪市の財政赤字、5兆円にも上ります。5兆円と言ってもピンと来ませんが、毎日500万円づつ支払ったとして、3000年もかかる。理解不能なんですね。この20年ぐらいのあいだに、大阪市、なんでそんな借金?すべて市民の税金ですよ。税金をもとに無駄遣い、いつしてきたんですか?誰も説明してくれません。

 責任を取る、情報公開する、そんなことが全然できてない。第三セクターも合わすと、市の負債、7兆円になります。市民一人あたり270万円を超える。これ、夕張市と変わらないんですね。大阪市、財政破綻寸前。大阪破産寸前。新聞にはそう書いてます。だけど、私たち市民は危機感、全然ないんです。まさかこの大きな大阪が夕張みたいにつぶれるわけがない。そう思ってきました。しかし関市長の改革路線、市役所職員の厚遇を叩き斬るのはいいんですが、市民サービスもどんどん悪くなってきている。これはまさに夕張と同じになるかもしれないんですね。

 ここでなんとか変えなければいけない。しかし変わらない。なぜかと言うと、今まで大阪市役所は44年間、市役所の中で、助役が市長になってきました。役人が次の市長を作る。この繰り返しの中で、誰も責任を取らない、市民にちゃんと説明をしない、そういう市長が順番に出てきたんです。ここを変えなければいけません。(そうだ!)

 私、橋爪紳也、全く組織や団体、政党とはしがらみがありません。しがらみがないからこそ、出来る仕事があります。全国をご覧ください。政党や組織、団体としがらみのない、市民派の市長が、市民派の知事が、地域を変えた、そんな事例がどんどん続いています。

 宮崎県、東国原知事が宮崎の観光・物産、全国にPRいたしました。滋賀県では私の先輩、環境学の専門家である女性知事が、嘉田さんが、新幹線の駅の工事を止め、ダムの工事を止め、税金の無駄づかいを止めました。

 市民派だから、市民派の知事、市民派の市長だから、出来る仕事があります。(そうだ!+拍手)次は大阪市の番です。大阪市からも市民派の市長を立てなければ、大阪は根本的に変わりません。(拍手)

 私が真の市民派として、大阪の将来、変えて参ります。子どもたちの世代に、ツケを遺しません。財政赤字、見事に切り抜けてみせます。大阪の元気のもう一度回復して、日本中、世界中に大阪をPR致します。(そうだ!)税金の無駄遣い、絶対にさせません。(拍手)

 市民の皆さんは、もっと怒りを持たなあかん。大阪市、何してるんや、思わなあかん。変えなあかんのです。大阪市を変えるのは市民一人ひとり、皆さんの力なんですね。

 選挙は一日で変わります。政治は一晩で変わることができる。滋賀県、宮崎県、一日で変わりました。(そうだ!)次は大阪市の番です。(拍手)

 11月18日は大阪、日本中から注目されます。市民派の私が市長になって、大阪を見事に変える。それが日本中に情報として伝わる。大阪が変わる日なんです。

 ぜひとも、皆さん、私の思い、多くの人に伝えてください。大阪を何とかせなあかん。「大阪をなんとかせなかん。もう黙ってられへん。」声を上げていただきたい。

 他の候補者、ご覧下さい。70歳の現職市長に10年後、20年後、大阪を語る力はありません。彼は全然夢を語っていない。(そうや!拍手)なおかつ、市長は、関さんはしがらみがありすぎる。しょっちゅう言うことが変わる。(そうだ!)地下鉄の民営化でも、何度変わったかわからへん。(そのとおり!)そんな市長に任せていっていいんですか?いいわけないでしょ。(そうだ!拍手)

 民主党の平松候補は、政党から頼まれて立候補したと、記者会見でのうのうと仰った。大阪市長は頼まれてなるようなもんですか?そんなはずはないです。(拍手)しかも自らシロウトやと仰った。シロウトを市長にしてどうするんですか?(拍手)大阪、全国から笑いもんですよ。記者会見でシロウトって言う市長を選んでいいんですか?

 私はまちづくりの専門家としてやってきました。これまでの仕事、大学の職を投げ売って、人生全てかけて、大阪のために、この身、捧げるつもりで覚悟を決めました。(拍手)ありがとうございます。

 後ろ向きの改革ばかりしている70歳の市長に任すわけにはいかない。シロウトのアナウンサーに大阪を託すわけにはいかない。大阪のために「いのち」を捧げる男でないと、大阪市長が務まるはずがない!(拍手)

 政党から立った市長は、政党のために仕事をします。組織、団体、後ろに背負った市長は、組織、団体のために仕事をいたします。私は、一切のしがらみがございません。市民の中から見事に立ちました。市民に向かって、市民のために、人生かけて仕事をする、当たり前のことです。(拍手)

 ぜひとも皆さん、11月18日、大阪市長選挙の投票日、日本中に大阪市の人は変わった、意識は変わった。大阪市民は大阪をあきらめてない。これまでの組織、団体ばかりの選挙ではなくて、無党派層、浮動層が、大阪を変えた。そういうメッセージを日本中に示したい。ぜひとも皆さん、ここに、会場に集まっていただいた皆さん、知り合いの方、100人、200人、声をかけてください。500人の輪が5000人になり、50000人になり、そして20万になる、そうすれば大阪は変わるんです。

 ぜひとも11月18日。残り3日間、選挙戦がございます。私は市民派らしく、ここにいる愛する妻と、(拍手)ボランティアのみんなと、大阪市内、この広い大阪市内、端から端まで駆け抜けて、声を掛けて、市民の方と共に、声を出して、選挙戦、戦い抜いて参ります。皆さんもぜひとも大阪をあきらめないでください。(拍手)

 「大阪をなんとかせなあかん。もう黙ってられへん」。この言葉を、あと3日間、声が嗄れるまで、血を吐くまで、叫び続けて参ります。ぜひとも皆さまも、このメッセージ、大阪市民の全ての人にお届けください。よろしくお願いします。(拍手)