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2007年11月21日水曜日

カシコギ



 韓国名で「カシコギ」という魚がいる。日本名では「トミヨ(富魚)」と言い、いくつかの種類は既に絶滅、あるいは絶滅の危機にあるらしい。中でも、平成3年に埼玉県の指定天然記念物に指定されている「ムサシトミヨ」は、熊谷市ムサシトミヨ保護センターを拠点にして保護下におかれており、関西圏では琵琶湖博物館など、ごく限られた施設でしか見ることができないという。このトミヨ、産卵期のオスの行動に特徴がある。

 一言でまとめれば、この魚は産卵期になると、オスが水草類を集めて作った巣にメスを誘い、メスの産卵後に受精を終えると、オスは懸命に卵を守り、世話をする。子が成長するころ、オスは既に死んでしまう。食べ物も摂らずに、必至に守るためだ。短命なオスがいるからこそ子が生まれ育つのだ。

 この習性に着目して書かれた小説がある。母親が家を出て、最愛の息子を育てる父の話だ。運命は残酷なもので、その最愛の息子タウムが白血病にみまわれてしまう。そこで父チョンは治療費をまかなうために、家を売り、自らの角膜を提供し、息子のために愛を、自らを捧げるのだ。

 以前に購入した本だったが、ふと、今日の朝、この物語に登場することば(入院中のタウムのベッド脇に貼られていたことば)を思い起こした。果たして、自分はどこまで懸命に生きているだろうか、そして誰かが懸命に生きようとしている懸命さに対して、真摯に向き合えているだろうか、そんな問いが出勤途上の私に突き上げてきた。懸命に守り、愛を捧げる子がいない以上、私にとって時間を捧げる対象は家庭や家族ではなく仕事や社会だ。このまま仕事や社会に時間を捧げていくことが、本当に懸命に生きるということなのか、この前の「選挙ショック」も重なって、実は思い悩んでいる。



第二章・夏至




「あなたが虚しく過ごしたきょうという日は、きのう死んでいったものが、あれほど生きたいと願ったあした」

(後略)



(趙, 2000=p.56)





Cho, C. 2000 Pungitius Sinensis, Balgunsesang.

金 淳鎬(訳) 2002 カシコギ サンマーク出版


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