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2017年11月18日土曜日

あーせい・こーせいと

英語論文が一段落して、今度は日本語に向き合っている。もっとも、一段落しただけであって、一件落着ついたわけではない。未明に英語の校閲の会社に依頼をしたところ、そもそも投稿規定に対して文字数が超過していることが明らかになったのである。よって、刈り込みの作業が待っている。

英語論文は共著でもあるので、文字数超過の件も含めて、投稿への確認、調整をお願いすることにした。そのため、少なくとも数日は身体が空くこととなる。そこで、月内になすべきことを、一つひとつ、進めていくことにした。振り返れば今月は書きものがいくつかあった。京都市市民活動総合センターの寄付ラボ、そして22日に掲載予定の京都新聞のリレーコラムについては既に手が離れた。これから、まだ目処がついていないものとしては「対人援助学マガジン」の原稿がある。

その中で、11月26日に新潟県小千谷市の塩谷集落の住民まちづくり団体「塩谷分校」の定例会に向けた資料を準備することにした。6月から、関西にて複数回開催されてきた会に素案を示し、既にいくつか議論が重ねられてきた。その内容を文書にまとめ、住民の皆さんに提案するための資料の作成である。「だ・である」調のものを「です・ます」調に変えるだけでも、受け取る側の印象は異なるので、表記への工夫はもとより、改めて全体を見直しながら作成した。


塩谷集落は、学問の師匠の渥美公秀先生が協働的実践の現場とされてきた。2004年10月23日の地震の翌日から現地に入られ、それから13年のときが経った。当時、大学院生としてのまとめの時期にあったこともあって、現地へと向かうために大阪から乗車された寝台急行「きたぐに」が京都駅で停車される際、デッキで書きかけの論文をお渡ししたこともある。私が最初に塩谷に入ったのは2007年3月だが、後進の者があれこれ言葉を重ねているのが恐縮ながら、せっかくのご縁をこれからもよいものへ深めていきたい。


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