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2015年1月3日土曜日

密の一体感と疎の連帯感

 よりよい未来のためには、思い出に浸ることなく前を向け、といった格言を見聞きすることがある。確かに一理ある。だからと言って、まったく過去を振り返ることなく、それまでの人生を否定してしまう必要はないだろう。浸りすぎもよくないが、時に古き良き思い出に浸り、忘れていた何かを想い起こし、そのときには語り得なかったものを語りなおすことがあってよいはずだ。
 今日は高校卒業から約22年を経て、初めての同窓会が開催された。実は昨年も1月4日に同窓会が開催されたのだが、連絡窓口となった個人の名前が際立ち過ぎたようで、学年全体での会という位置づけが浸透しなかったようだ。しかし、今年は同級生(同じクラスの仲間)たちだけの盛り上がりではなく、何がなんでも同期生(同じ卒業年の仲間)で改めて縁を結びあわせる必要があった。それは40歳を迎える年に、学校全体の同窓会の当番学年となる習慣があるためである。
 この間、39名の実行委員が頻繁に集い、8月16日に開催予定の第89回の年次総会のために、今日の日の160人規模での会への準備が重ねられてきた。私もその端くれなのだが、何せ、地元から離れて暮らして久しい。それでも、昨年に続いて校歌斉唱の場面で指揮の役をいただいた。ただ、今年はプロのピアニストとなった金澤亜希子さんの伴奏によるという贅沢な場ゆえ、金澤さんと相談し、磐田に根づいている残りの37人の実行委員を壇上に呼び込み、共に歌うというサプライズ演出をさせていただいた。
 同級会は通常3年生のクラスを単位として行われるが、実は私にとっては1年生のクラスのメンバーの方が馴染みが深い。当時からの一体感の高さは参加率にも反映されて、3年生のクラスでは12人のテーブルとなったが、1年生のクラスで括ってみると(実際、これは当日盛り込まれていたクイズで明らかとされたのだが)22人の参加であった。結果として、3次会は1年生のときのクラスでの開催となり、さらには今後も「モトヨン(元4組)」同窓会が開催されていくこととなった。転じて、3年のときのクラスは、当時はあまり一体感がなかったものの、逆にあのときの連帯感のなさが今となっては良い思い出かもしれないなどと語り合い、密と疎の両極から当時を振り返る1日となった。

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