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2017年6月24日土曜日

生命・人生・生活

 どうやら昨日、6月24日が夏至(Sankthansdag)だったようだ。今、住まいを置いているオールボー大学の近くは、閑静な地区である。ところが、昨晩は深夜1時を過ぎても、家の周りで行われているであろうパーティーの声は収まるがなかった。ちなみに、夏至の前夜(Sankthansaften)の方がお祭り騒ぎとなるようだが、いずれにしても、「うるせー、静かにしろ!」とか「警察呼ぶぞ」とか、あるいは警察がやってくる、ということはない。

 先般、港で鑑賞した花火のときも感じたのだが、季節の変化をきちんと味わうということは、ある程度、生活に余裕がないと難しい。もっとも、それは経済的な側面だけを指しているのではない。暮らしの上での社会的、文化的な要素がより重要となろう。端的に言えば精神的な余裕が欠かせない、ということだ。

 今回、オールボー大学との縁結び役となったサトウタツヤ先生は、あるとき「Lifeを辞書で引くと、生命、人生、生活の3つがあり、心理学はそれぞれのLifeを扱う学問である」と仰った。恐らく、東日本大震災の後、福島への支援をどうするかを議論していたときのことのように思う。日本から遠く離れたデンマークでも、日本のニュースに簡単に触れることができる時代だが、その一端から、日本では人生の道半ばで生命が絶たれた悲しみが駆け抜けているのだろうと想像する。どんな人にも必ず死がやってくるという宿命において、果たしてどのような生活を送っていくか、今、有り難い環境をいただけている中で、多数の練習問題に向き合っている気がしている。

 デンマークの人々が夏至を楽しんだ翌日の今日、まちで制帽をかぶった若者たちの姿を見た。卒業を迎え、新たな人生への旅立ちのときを迎えているのだろう。バスを降りると、家の近くの池に花が咲き、風にそよいでいた。こうしたときに花の名前がすらすら出てくればいいのだが、それは叶わず、同じ植物の種類であっても、一つひとつ、咲いている表情が異なることへの関心だけは持つようにした。


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