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2015年4月3日金曜日

チャージ、その後に。

かつて梅棹忠夫先生は、教育はチャージ(充電)、文化はディスチャージ(放電)と喩えた。このモデルは教育も文化も教育委員会が所管してきた自治体文化政策への問題提起となり、いわゆる「行政の文化化」を後押しした。中川幾郎先生や、小長谷由紀先生らの著作によれば、この言葉が使われ始めたのは1970年代というが、未だ「文教」という言葉が残っているとい現代である。変えたい人たちは変えるし、変えたくない人や変えようと思わない人にはどんな言葉を投げかけても変わらないのだろう。

今日、應典院で「まわしよみイスラーム」と題した会を催した。2012年度の総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の企画委員会において陸奥賢さんが発案した「まわしよみ新聞」の方法を用いて、イスラームについて問いを深めようという場である。まわしよみ新聞については、陸奥さんによるウェブサイトや書籍などにより、その方法が広く公開されていることもあり、今や日々どこかのまちで取り組まれている。通常は特定のテーマを掲げることもなく、ましてや「わかったことをまとめていく」壁新聞の様相を呈するのだが、今回はその反対にイスラームに関連づけて記事を切り抜き、互いの意見交換を通じて「何がわかっていないのかをわかっていく」ための手段として用いることにした。

ちなみに昼には今年度の初回となる立命館災害復興支援室の定例会議がなされた。東日本大震災から4年を経る中、今年度から副室長が1名の増員となり、不肖ながらその立場に就かせていただくことになった。昨年度までのチーフディレクターという役割を引き続き担いながらの役職であると捉え、引き続き「支援者主体」ではない支援、すなわち担い手ではなくつなぎ手となって、共によりよい未来を見据えていくことができるような事業が進むよう努めていきたい。今日の会議では早速5月に、立て続けに気仙沼に行く方針が決まり、これから数々の調整を進めねばならない。

そうした会議を経て向かった初回の「まわしよみイスラーム」では、私ともう一人の進行役を除いて8名、合計10名の参加者を得たが、主催者側のまとめの言葉として「好き嫌いを越えて他者に向き合っていく姿勢」の大切さに触れることにした。教えや行為の意味(価値)ではなく、教えや行為が実行される意思(価値観)が大事にされなければ、一連のIslamic State(IS)による事件を紐解くことが困難であると改めて感じたためである。2015年の1月3日にヨルダンのパイロットが殺害されたことを受け、今年度は偶数月の3日に應典院で「まわしよみイスラーム」、偶数月の3日に阪急曽根駅近くにあるNPOそーねの拠点「練心庵」にて 『イスラーム概説』(訳出:黒田美代子)の読書会がなされていく。この20年にわたり、文化施設としてまちに活かされてきた應典院でイスラームを学ぶとは、何とも玄妙なチャージ・ディスチャージ・チャージと反復がなされてきたことの証左なのではないかと、デジタルカメラながらに手動レバーによりシャッターチャージが必要とされるR-D1sにて夜桜を撮りながら、そんな思いにふけるのであった。


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