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2015年4月9日木曜日

フローのメディアでストックを

今年度も木曜日は應典院で過ごすパターンとしている。2006年に秋田光彦住職に招いていただいて、今年で10年である。月日の経つのは早いものだ。当初、10の期待を文章で示していただいたが、この1年、それがきちんとなしえたか、自らの言動への省察が求められるだろう。

この10年、應典院を巡る状況は大きく変わった。より正確に言えば、應典院の本寺である大蓮寺を中核としたグループ内の組織に、それぞれ変化がもたらされた。端的に言えば、各々の組織に次代の担い手が明確となりつつある。こうした代替わりは時に世代交代を伴うことが多いが、逆に言えば、世代交代を伴わない代替わりとなる場合、組織文化の継承と発展をどうもたらすかが大きな課題となる。

かつて、チクセントミハイ(Csikszentmihalyi)という心理学者は、何かに没頭しているときの「忘我」の感覚を「フロー体験」(flow experience)と呼んだ。日本語訳は1979年に『楽しみの社会学』(訳:今村浩明・訳/思索社)として出版された。その後、新訳と改題もなされて、今なお援用される理論の一つである。転じて、自分のことに重ねてみると、2006年当時、とりわけ10月に2年ぶりの再開となった應典院のコモンズフェスタの折には、フロー体験の只中にあったように思う。

あれから10年目の春、今日は大蓮寺が設置し、経営してきたパドマ幼稚園のウェブサイトにfacebookをどう組み込むかについて、住職と知恵を絞った。10年前にはなかったサービスであるが、インターネットの特徴である検索性と蓄積性がないプラットフォームをどのように活かしていくか、なかなか簡単なことではない。ふと、帰り際に應典院の事務所から大蓮寺の山門側を見渡してみると、散りゆく桜が風で寄せられ、ガラスブロックでできた軒の端に花びらの山がつくられていた。この1年、こうして何気なく見てきた風景に、いちいち感傷的になるかもしれないと思う春の一日であった。

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