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2013年12月31日火曜日

パレードと鐘の音


平成25年、2013年が終わる。日本が23時59分を迎えたときも、世界の各地では、まだ新しい年までに数時間が残っているのだが、「紅白歌合戦」が終わって程なくすると、日本では新年を迎えることになる。ふと、昔は「輝く!日本レコード大賞」も大晦日の放送であったことを思い出す。そして、年を重ねるごとに「間に合うのか…」というドキドキは程なくおさまり、東京というまちを中心に日本が回っているのだな、など、ひねた見方をするようになっていったような気がする。

3度目の年男も過ぎた昨今、大晦日の風物詩となっているのが、大阪でのピクニック「愛と表現のために」と、應典院の本寺である大蓮寺での「除夜の鐘」である。ピクニックと言われてもピンと来ないかもしれないが、これはcocoroomの上田假奈代さんらによって2007年から行われているもので、2010年に開催した際の案内が、まだ、ネット上で見つけることができる(http://booksarch.exblog.jp/11664614/)。かつて「御堂筋パレード」があった時代には主宰者らが「堺筋パレード」などと呼んで、強靱な社会システムによって区別されてしまう市民の動きを自ら揶揄して語るなどしていた。実際は「ただ歩く」というものなのだが、なぜ歩くのか、どのように歩くのか、といった内容面に内容を見いだそうと意味を掘り下げてみたとしても「non sense」であり、趣旨文にある「このパレードは、歩くという行為によって、ながれゆく日常のなかで忘れそうになるこころを、身体に取り戻す現代社会における表現とつながりのレッスンであり、愛のために行うものである。」という言葉のとおり、歩くという行為への意思(decision)こそに意味を見いだすことができることを、この5年ほどの参加を通じて実感している。

去る12月11日、「愛と表現のために」の主宰者の一人、上田假奈代さんに、私の「この一年」を話したところ、それを一つの詩にしていただいた。應典院で開催されている「詩の学校」でのことである。「もうがんばらんでいいん つつまれる」と掲げられたその詩には、まさに今日のことが織り込まれている。一つの連をそのまま抜き出すと「大晦日に除夜の鐘をつく人々のお世話をする仕事をする/世の中に大晦日に働く人たちは やっぱり何人もいて/そのなかのひとりとして/家族の、あるいは家族を持たぬ人の一年のおしまいに/ごぉーんとつく鐘の音を いくつも 聴いている/ごぉーん/ごぉーん」とある。無論、この連だけでなく、「ことばを人生の味方に」という詩人のことばは、大晦日に仕事をする私を、そっと、やさしく包みこんでくれる。

ということで、平成25年、2013年の大晦日もまた、ただ歩くという行為で、忘れることと想い起こすことの両方を尊んだ後、除夜の鐘を撞きに来られる皆さんのお世話のため、私はお寺で過ごすのである。そしてそうして年末にもまた「活動」に明け暮れる夫が不在の自宅では、妻が何年ぶりかの障子を張り替えにあたっていた。改めて、微に入り細に入り、生きることを支えてくれている妻に感謝の気持ちを高めつつ、来年の多幸を願うこととしたい。みなさん、良いお年を、そして来年をよいお年に。

2013年12月30日月曜日

まちに出る素養

2013年も、間もなく終わる。年は終わるが、終わらないことも多々ある。何より、2012年度の仕事で片付けられていないことがある。なんとも恥ずかしく、しかし、どれほど寛容であっても堪忍袋が四次元であるはずはなく、尻に火が付いた状態で、象の歩みのようだが、その積み残しに対して手を動かしている今日この頃である。

昔、と言ってもそんな大昔でもなく、それこそ一昔前は、師走と言えば、なんだか慌ただしい雰囲気がまちを取り巻いていた。しかし、私の感覚がそうなのかもしれないのだが、最近は、なんだか数字だけがカウントアップされて、1月1日にリセットされる、そんな気がしている。要するに、年末へのカウントダウンが進む、という気がしないのだ。「もういくつ寝ると、お正月」のフレーズが馴染み深かったのは、遠い昔のことである。

そもそも、一昔前には、この時期には「まちに出る」ことが強制的に求められていた。ところが、手のひらの中からインターネットにつながる今、「まちに出なければならない」ことは、量的には減っている。もちろん、それと対照的に、質的には減っていない。いや、むしろ「出なくても済ませられる」ものを「出ずに済ましていいのか」という行動規範が問われていると捉えるならば、むしろ「まちに出る」ことの質的な意味は、出るか出ないかの判断をする者の素養を深く問うものとなっているだろう。

それでも、何かと「まちに出る」ことが多い私は、年末が差し迫る中、何度か電車の遅延に遭遇した。そうした遅延の背景が、自ら生命を絶つことを選んだことによる列車事故、ということが時々ある。すると、誰かが舌打ちをし、誰かが「またかよ」とぼやき、誰かが手のひらの中から鉄道会社などへの愚痴を短く乱暴な言葉でつぶやく、そうした風景に立ち会うことになる。実は、この1年、ホームに滑り込んでくる列車にふっと身を投げれば、片付けられていないことから解放されて楽になるのでは、と考えてしまうことがなかったわけではないのだが、そうして自己完結した思考による行為は、全く持って自己完結しえないのだという思考を覆い被せることで、なんとか生き抜いてきた1年であったことを、2013年を終える2日前に綴っておくことにしよう。