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2025年7月22日火曜日

「おめでとう」のメタメッセージ

50歳となった。大台に乗った、と言われる。まだ50なのか、もう50なのかと言われれば、もう50、という感覚が近い。今の職場は65歳が定年であることを踏まえると、登山で言えば下山への構えに入ってもいい時期ではないか、という自覚がある。

今日は南座に「華岡青洲の妻」を観賞に出かけた。南座には高校1年生の夏、仲とノリの良い3人で「松葉」に年越し蕎麦を食べに来たのが最初の訪問である。地理が専門の先生が当時の担任だったこともあり、その博識に預かって冬休みの旅に出たのであった。あれから33年あまり、演劇の鑑賞で劇場の中に入ったのは今回が初めてと記憶している。

作品は有吉佐和子の原作で、大竹しのぶさんが主演の舞台である。江戸時代後期の和歌山において、世界初の麻酔による外科手術を行ったとされる華岡青洲について、その偉業を支えた妻の存在が中軸に置かれた物語に仕上げられていた。大竹しのぶさんの舞台は、大阪で暮らしていた頃に2度ほど鑑賞する機会を得ていたが、作中での時間の経過と史実の忠実な再現の2点で大竹さんが主演だったからこそ締まった作品という印象を抱いた。もっとも、2006年から2016年まで、天王寺区の浄土宗應典院にて勤務していた折には、「劇場寺院」と掲げていたことも相まって、毎週のように「シアトリカル應典院・本堂ホール」(当時)で開催される公演に触れる機会があったものの、今ではすっかり舞台芸術から離れているため、素人の素朴な感想の一つに過ぎない。

昼の公演の鑑賞を終えて自宅に戻ると、母からLINEの通話があった。既に朝に「おめでとう」メッセージと音声通話をしていたものの、そのやりとりでは物足りない何かがあったのだろう。父が亡くなり、慣れない独りでの暮らしが続いていることが、精神的な負担となっているのだろうと見立てている。親しい友人などからの「おめでとう」のメッセージに喜びつつも、母から寄せられた今年の「おめでとう」は、ただ喜ぶだけにとどまらず、むしろ相手を気遣わねばという焦燥感を駆り立てるものであった。そして父の葬儀・告別式に参集いただいた方々へのお礼の挨拶という役目を私が担うにあたり、「充実した人生」という表現を盛りこむことを母が特に求めたことを想い起こし、50代に突入したことを契機に、途切れていたブログを再開してみることにした。