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2007年1月25日木曜日

10 years

 ライフヒストリーとは、よく言ったものである。今日は美術家、井上廣子さんとの打合せがあった。3月4日に應典院で行う、大阪府立現代美術センター主催の「大阪アートカレイドスコープ」の企画として、あるドキュメンタリー映画を上映するための意見交換が主な目的であった。その「ついで」のように、應典院寺町倶楽部のニューズレター「サリュ」のインタビューも同時に行わせていただいたのである。

 井上さんとは初見ではないが、改めてライフヒストリーをお伺いすると「へぇ」ボタンを連発せずにはいられなくなる。井上さんは、精神病院や強制収容所などを訪問し、その場の空気を撮影することをライフワークとしている。もともとはタペストリーなどを制作していたのだが、それが阪神・淡路大震災を契機に作風を一転させたという。私にとって都合のよい解釈のもと、その変化を説明するならば、新たなライフワークのはじまりは、全く新しい分野への挑戦というよりも、むしろ幼少期、さらには青年期に浸っていた雰囲気への回帰とも言えるとのことであった。

 人に歴史あり、ということを、インタビューを通じて実感した。井上さんは子どものころ、本をよく読み、よく野外に出ていたのもあって、空想が好きで好奇心が旺盛となったという。お話を伺っていて、自分の子どもの頃を思い出した。おばあちゃんにかわいがっていただいた私は、音楽をよく聴き、テレビドラマをよくみていたのだが、それゆえに作品の世界や人間関係に対して思いを馳せることを常にしていたような気がする。

 なかなか恵まれた学校生活を送っていた私は、高校3年生のときには文化祭の後夜祭で「ジョニー・B・グッド」を歌い、さらにさかのぼれば、中学3年生のとき「10年後の同窓会」という小さな演劇の脚本を書いた。その作品は、受験が終わったか終わらないかの頃に、私が演出をし、クラスの中で上演した。名前から着想されるかもしれないが、物語はロバート・ゼメキス監督作品「Back to the Future」をモチーフにして(脚本の表紙には同映画のロゴマークを模したタイトルを手描きして)、主題歌には「10 years」を用いるという、やや「ベタ」な構成であった。ふるさとを離れた生活をして久しいものの、10年後どころか、同窓会自体きちんと出来ていないことを思い出し、それそろ懐かしさにきちんと触れてみたいな、と思ったインタビューであった。





10 years(抜粋)




『大きくなったら どんな大人になるの』

周りの人にいつも聞かれたけれど

時の速さについてゆけずに

夢だけが両手からこぼれおちたよ



あれから10年も

この先10年も



行きづまり うずくまり かけずりまわり

この街に この朝に この掌に

大切なものは何か

今もみつけられないよ







詩:misato watanabe・曲:senri oe・歌:misato(1988)