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2007年1月27日土曜日

魂の森を行け

 旅客情緒は、何とも言えない風情がある。そんなことを綴ると「鉄道マニア」と思われそうだ。くれぐれも、誤解して欲しくないのは、あくまで「旅」が好きなのであって、「乗り物」だけに終着があるわけではない、ということだ。ただし、ここで「乗り物だけではない」と表現を切り取られてしまうと、まるで無理矢理に予定をつくって鉄道の旅を選択しているように思われるかもしれない。

 この週末の講演のため、スーパー雷鳥サンダーバードにて、湖西線を経由して北陸へと抜けていった。地球温暖化か、はたまた単なる暖冬のレベルなのか、要因は定かではないものの、気づく限りでは車窓から雪景色を見ることはできなかった。ともあれ、目的地の金沢では、明日、小松で開催される「いしかわ地域づくり円陣」にて、私が話題提供を行う第4分科会でコーディネーターを務める大学時代からの同志が待ち受け、夕食を食べながらの打合せを行う段取りだ。大阪を15時43分に出発した列車は、目的地の金沢に向かうにつけ、暮れゆく風景のなかを駆け抜けていった。

 今回の旅のお供は、先般紹介をいただいた書物「魂の森を行け」である。初版・帯付きを求める癖もあって、Amazonのマーケットプレイス、すなわち古本で手に入れた。帯には「1000年の森を創造するドン・キホーテ 植物学者・宮脇昭は、ポット苗を手に突進しつづける。」と記されていた。以前、NHKのテレビ番組で「知るを楽しむ」というシリーズにて特集されていたこともあって、興味を持ってはいた。そこに字が大きいのも重なって、簡単に読破ができそうな気がしていた。

 私が好きなテレビ番組「情熱大陸」よろしく、ライフヒストリーの取材を通してその人の「今」と「ちょっと先」を浮き彫りにしているのが本書であった。宮脇昭さんは、日本の「鎮守の森」がそうであるように、「潜在植生」に着目し、本来はどんな木や草が生えるのかに着目して森作りを行っていくというものである。とりわけ印象的だったのが、中国での植林に関するものであった。金沢での約5時間の講演を終えてとんぼ返りをする先が、内蒙古での沙漠緑化の仲間たちとの「春節パーティー」であることに思いを馳せつつ、生態系とは何かを考えながら列車に揺られるのであった。





魂の森を行け:3000万本の木を植えた男の物語

6章 「ふるさとの森」再生




 宮脇は、モウコナラのドングリを100万個拾って欲しい、と中国側に依頼した。中国側は、「とてもじゃないけれど、1万個すら拾えない」と最初は尻込みをした。しかし、実際にやり始めると、中国人たちは実に80万個のモウコナラのドングリを拾い集めてきた。そのドングリをもとにビニールハウス内で気温調整をしながらポット苗を作った。発芽率は90パーセントだった。

 1回目の植樹は1998年7月4日に行われた。このとき、宮脇は驚くべき現象を目の当たりにする。日本で植林ツアーとして1000人のボランティアを募ったのだが、なんとそこに1400人もの人々が応募してきたのである。ツアー料金12万5000円が自腹であることを考えるとこれは驚異だった。この日本人ボランティアたちに中国側の1200人が加わり、2600人が一斉に万里の長城の周りで植樹した。その数、実に4万5000本。わずか1時間でこれだけの苗木が植えられた。そして、そののちも植樹は続けられ、硬い岩盤がむき出すようなところに実に40万本近い幼木が植えられていった。

 中国側は津尾初、宮脇方式による植樹がうまくいくかどうか疑心暗鬼で見ていた。しかし、ほとんどすべてのポット苗は活着する。その成果を見た中国の役人は真顔でこう宮脇に言ったという。

 「100パーセント活着している。不思議だ。しかし、100パーセントと言えば、北京市人民政府の局長や部長が信用しないから、活着率98パーセントと報告したいが許してくれるか」

 こののち、同様に都市化が著しい上海市でも宮脇方式によるエコロジー緑化が進められる。





一志(2004) pp.139-140



<ハードカバー>





<文庫版>