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2007年2月3日土曜日

事例で読む現代集合住宅のデザイン

 来客の多い一日だった。朝は釈徹宗先生とお連れ合い、そして「Hideyuki Fund」(http://www014.upp.so-net.ne.jp/hideyuki/)の岡本純子さんが来られた。その後、台湾から寺院と建築関係の視察団、27名が應典院を見学された。続いてお昼を過ぎて、大阪府立現代美術センターの「第4回アートカレイドスコープ」の公募作家が、プロデューサーである北川フラムさんと、センターの職員の方々と共に打合せに来られた。

 それぞれに、有意義なお話をさせていただき、自分自身の社会の向き合い方に対して考えさせられた。朝一番のお話では、特に高齢の末期ガンの患者さんに対するホスピス活動と、小児の場合とでは、スピリチュアルケアはどう違うのか、または同じなのか、「いのち」の尊さについて深く考える機会となった。台湾の視察団の皆さんとのあいだでは、文化の違いを超えて、「なるほど」と感じていただく説明をどこまでなすべきか、逆に台湾における仏教の「今」をきちんと学んでおかねば、という衝動に駆られた。そして午後の打合せでは、作家と、作家が生み出す作品と、その環境を支援するスタッフの役割について、作品制作を受け入れる側のスタッフワークも含めて、よりよい形を模索していかねば、という決意を固めた。

 そんななか、無生物のお客、具体的には「新しい電話機」がやってきた。やや、招かざる客とは言えないが、招きたくないという思いもある。それは「Windows mobile」というOSで動作するものであるからだ。いみじくも先般、Apple社から「iPhone」なる携帯電話が発表されたことも重なって、根っからのMacユーザーとしては「やや招きたくない客」と感じてしまう。

 パソコンのソフトにも、建築設計を意味する「アーキテクチャ(Architecture)」ということばが充てられる。私がWindows(あるいはMicrosoft)が嫌いなのは、このソフトの建築設計が実に美しくないのである。住み心地の悪い家には誰も住みたくはないはずだが、長年住んでいると住みごたえが出てくることもある。しかし、もともとの設計が悪いところに住み続けるのは「住み応え」ではなく「住み堪え」だ。実はそれでも、これまで使ってきたモトローラ社のM1000よりも数段に利便性は高そうなことはわかってきたので、これから生活のリズムとインテリアコーディネート等々で納得のいく住まいの実現に取り組んでいくことにしよう。



事例で読む現代集合住宅のデザイン

古くて新しいテーマ「生活から建築を考える」(抜粋)





 言うまでもなく、「生活から建築を考える」には古いも新しいもない。常に設計計画の基本にある理念の一つである。しかし、今日、この理念をもう一度訴えなければならない状況がみられる。その理由は、生活を軽んじているということではない。そうではなく、一見、生活を重視しているようでいて、「生活から建築を考える」という本質から離れた状況が目立つからである。



日本建築学会住宅小委員会(編)(2004) p.109