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2007年11月18日日曜日

戦いは終わっても結論は出ない〜橋爪夫妻最終演説

 私には妻がいない。しかし、今回ほど、こんな妻の存在がそばに居ればいいな、と思ったことはない。同時に、夫と妻の関係を超えて、互いに敬意や尊敬を抱き合っていることを、第三者に対してさわやかに見せることができる夫婦に対して、憧れと羨望を感じてやまなかった。その夫婦とは他ならぬ、橋爪紳也さんと橋爪里女さんのことである。

 大阪市長選の最終日、大阪市長候補者、橋爪紳也さんの選挙活動の最終演説を聴くべく、19時頃から難波のビックカメラ前に馳せ参じた。ちょうど、その木曜日には、麻生太郎氏と松あきら氏が、それぞれの政党の力によって、大きなバスの上から演説をしていた場所である。一方で橋爪さんは、木箱の上に立っての、まさに立会演説である。当日15時半からに行われた、心斎橋の東急ハンズ前での演説では、少しだけ弁士を務めさせていただいたのだが、100mほど向こうで行われている、丸山弁護士の演説に、なぜか釈然としない思いを抱いた。

 一方で、橋爪さんの最終演説は、応援者の演説も含め、すべてに胸を打つものだった。この間、口八丁な点に加えて手八丁なところもあるので、ただただ、演説内容のテープ起こしをさせていただいてきたが、ネット社会を象徴してか、それぞれに関心をいただけたようである。そんなことを意識しつつも、最終の演説を省みるに、これまで以上に文字化しておきたい衝動に駆られた。よって、19時からの演説の全てではないが、以下に遺しておきたいと思う。

 いつかきっと、ここに示す内容が、大阪の歴史の1ページとして、多くの方々に畏敬の念が抱かれることを切に願うばかりだ。何より、大阪市長選挙に伴う選挙活動期間は間もなく終わりを告げるのであるが、その期間中に、対立候補の方々はもとより、肝心の大阪市役所に対して、市民と対話する姿勢を見せた市長候補者がどんな効果を与えたのか、丁寧な検討が行われていいだろう。無論、選挙戦は終わったとしても、その選挙活動を通じて投げ掛けた問題や、さらにはそこで提起したことに対する結果も、そして結論も出ていないことを、我々は踏まえておく必要がある。



【音声ファイルアドレス(備忘録)】

http://homepage.mac.com/yamaguchihironori/20071117hashizumefinal.mp3



20071117final.gif




<橋爪里女さん>

 みなさん、こんばんわ。橋爪紳也の妻でございます。(こんばんわ)いつもは橋爪紳也の隣で、ただ見守っているだけの私でございますが、今日は選挙期間最終日、「もう、黙ってられへん」ということで、一言お話させていただきます。(拍手)

 橋爪紳也が大阪市長選立候補を決めました日から、私は妻として、橋爪を精一杯応援していこうと、決心して今日までやって参りました。その間、他の候補者の方のことも、いろいろ勉強させていただきました。そこで、私の気持ちは変わりました。

 私は、最早、橋爪紳也が、私の夫であるから、という理由だけで応援しているわけではありません。(そうだ)次の大阪を作っていく人間は、橋爪紳也でなければならないのです。(そうだ)

 皆さん、今朝の新聞をご覧に成ったでしょうか?現職の関市長、陣営の方が何とおっしゃっていたか。明日の投票、投票率が上がると不利だから、投票率、上がらないで欲しい(なめるな!)。そんなこと、おかしいじゃないですか。(おかしい)

 橋爪紳也は違います。みんな投票に行きましょうと訴えています。橋爪紳也は、みんなと一緒に、大阪のまちを作ろうと訴えているんです。ですから皆さん、明日はぜひ、投票に足を運んでください。そして、皆様方の一票一票を、橋爪紳也に頂戴したい。よろしくお願いします。



<橋爪紳也さん最終演説>

 市長選挙、 2週間の間、戦い抜いて参りました。妻には全く相談もせず、立候補いたしましたが、ここまでついてきて、参りました。夫婦で、二人で、各地を、商店街とかをまわり、あと市民のボランティアの皆さんと共に、大阪市内、端から端まで駆け抜けて参りました。

 私が大阪市長選挙、立候補する。先ほども申し上げたように、最初の動機は今のままの大阪ではアカンという怒りでした。もう一つあります。東京都知事選。いろんな立場の候補者が出て、日本中のメディアが注目して、誰が東京都知事にふさわしいのか。そういう選挙戦です。

 大阪市長選挙、これまで盛り上がったためしがありません。(そうだ)見えないところで、各政党が候補者の選定をして、新聞は推測でいろんな記事を書きますが、結局最終的に出てくるのは、共産党の候補者と、オール与党体制。初めから勝負がわかった、そういう市長選挙ばかりでした。(そうだ)

 それで、大阪、よくなるわけがないんです。この数年間、日本中、変わったまちは市民派の市長候補が出たり、市民派の議員が出て、いろんな選択肢があって、それで初めて政治というのは動くんだ。私はそう考えておりました。(そうだ)

 しかし、大阪市議会も、与党と共産党、それだけで構成されていて、市民派の議員が全くいません。大阪の政治風土は44年間、そういうものだったんです。ここを変えなければいけない。私はそう思いました。(そうだ)

 自らの仕事を捨てて、全てを捨てて、これは、これまでと違う選択肢を立てることで、大阪の政治風土を変えたい、市民の皆さま、目を覚ましてほしい、大阪を変えなければいけない。そういう思いで立ちました。本当に、覚悟の上の立候補でした。(拍手。がんばれー)。

 マスコミの人に何度も言われました。政党の推薦がつかなければ、橋爪はもう途中でやめるのか。黒川紀章さんみたいにおもしろいことせよ…バカにすな、と思いました。(笑い)

 私は思い余って市長選挙、立候補いたしました。最初にしたこと、何かわかりますか?選挙のマニュアルの本を買ったんです。(笑い)全く政治のしろうと、選挙戦、したこともありません。何とか選挙とはどういうものか、勉強しようと致しました。

 一人で立ったその夜、たった一人で、事務所で、冷めた焼きそばを食べながら、どうしたら選挙ができるのか、悩んでました。何人かの応援団、来てくれました。友達が駆けつけてくれました。テレビは有力候補だと、当時報道してくれました。

 橋爪紳也、悠々自適で、祭り上げられて、担ぎ上げて、政党のハシゴの上に立っているもんだ、みなさんそう思っていたはずです。ところが、その日の晩、全くひとりぼっちの私がおりました。そこから私の選挙は始まってます。

 市民のみなさま一人ひとりに思いを伝えることで、選挙戦が始まりました。今回の選挙戦、私が本を読んで一番学んだことは、二度と同じ選挙がないということが書いてあったんですね。選挙は歴史だと書いてありました。一度の選挙しかない。本当に今回、そのことを実感しております。マスコミ、友人は、みんな橋爪紳也らしい選挙をせよ、そういうことをおっしゃってます。そのため今回、日本で初めて、大阪で初めての選挙戦、展開することとなりました。日本の選挙で初めて、登録文化財、国の文化財を選挙事務所に致しました。日本で初めてのことです。歴史や文化を活かしたまちづくりをしてきた、橋爪紳也らしい選挙戦。そういうことを証明するために、文化財を選挙事務所に致しました。

 大阪で初めて、水の上、川の上で演説をいたしました。大阪、水の都なのに、これまで船を使った選挙戦、なかったそうです。水辺のまちづくり、関わってきた橋爪紳也ならではの選挙戦でした。

 今回、最も日本で初めての試みは、市民の皆さまと共に、マニフェスト、政権公約をつくったことです。(拍手)市民の皆さまと、数十回会合を重ね、700人以上の方と話をし、それで政権公約をつくりました。日本で初めてのことです。

 私の選挙戦、私たちの選挙戦は、既に日本の選挙史上に、歴史に名を遺しました。はじめて、日本ではじめて、市民の方と公約をつくる、政権公約をつくる、この試みをしました。真の市民派の選挙、日本で初めての市民派の選挙、橋爪紳也、われわれのボランティアのスタッフ、みんなでつくりあげた選挙戦です(そうだ、拍手)。

 大阪を変えるためには、市民の力を結集することが必要です。市民から担がれた、市民とともに立ち上がった市長は、市民のみなさまの方を向いて、市民のみなさまのために仕事をいたします。政党から担ぎ上げられた市長は政党のために仕事をいたします。しがらみだらけです。(そうだ、そのとおり)。組織、団体を背景に持った市長は、組織、団体のために仕事をいたします(そうだ)。既得権益を守ります。(そうだ!)

 われわれ、市民の声を真にかたちにするためには、市民の中から市長を立てなければいけません。橋爪紳也、46歳。真の市民派の市長候補として、今回闘って参りました。これが最後の一言です。「大阪をなんとかせなあかん、もう黙ってられへん」。明日、橋爪紳也、私に、皆様の一票をお願いいたします。ありがとうございました。