春は出会いと別れの季節と言われます。その出会いのためのことばを、ということで、コリア国際学園の機関誌「越境人(リンクはzipファイル)」への寄稿を依頼されました。ところが、どうも、うまく書けず、悩んでいます。結果として〆切を延ばして頂きました。
以下に記しますのは、「ボツ」の原稿です。先般、藤子・F・不二雄さんを取り上げた「こだわり人物伝」でも紹介されたように、手塚治虫先生は、「来るべき世界」という400ページの作品のために、1000ページを書き上げたといいます。もちろん、私はその足下にも及びません。が、ちょっとそんな気分に浸りながら、新たな原稿に臨んでいます。
Twitterでもつぶやいたとおり、新年度は同志社大学の設立者、新島襄先生の「倜儻不羈(てきとうふき)」などのことばから、自らを律していかねば、という気持ちに駆られました。しかし、実は同志社大学の入学式に参列させていただく前、浄土宗大蓮寺のパドマ幼稚園の就任式に陪席をさせていただいておりました。そこで、秋田光彦住職・園長の講話で出てきた「布施・ 愛語・ 利行(講話では利他)・ 同事」の四摂法こそ、改めて仏道を生きる身として、背筋が伸びました。何かを押しつけず謙虚に(布施)、そして真摯に語りかけ(愛語)、他者をきちんと信じ(利他)、一緒に物事・出来事に共感・共鳴・今日体験を重ねていく(同事)に努めて参ります。
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想定の範囲を広げられる人に
出端をくじく、ということばがあります。誰かとの関わりによって「さあやるぞ!」と抱いた意気込みが鈍ってしまうことです。実は私は、越境人への出端を何度かくじかれています。今日はそんな私の無様な体験を紹介させていただきます。
今でこそ大阪に住まう私ですが、静岡県磐田市というまちに生まれ育っています。今でこそ、市町村合併で面積も人口も大きくなりましたが、私が住んでいたころは8万人くらいが暮らす都市でした。幼稚園、小学校、中学校、高校、全てが同じ学区にありました。中でも一番遠いのが幼稚園で、小学校には全力疾走をすれば5分ほどで着く距離に家がありました。通っていた高校のほぼ隣に位置している幼稚園にはバスで通園していましたが、あり余るほどの体力を持っていた当時は、家から教室まで3分あれば着く距離でした。18年間、同じまち生活してきた私は、大学進学を機に関西にやってきました。しかし、進学した大学は第一志望の大学ではなかったのです。こうした進学には「不本意入学」という表現が宛てられるようです。浪人生活よりは、という比較の中で、心底望まないものの、慣れない土地で学ぶことにしました。
不本意で入学したため、最初から期待値が低かったからでしょうか、学び始めた当初は小さな発見が喜びとなりました。もちろん、第一志望ではないとは言いながらも、まずは受験し、しかも合格した後に入学しようという決断をしたからこそ、そこに立っているのです。だからこそ、いつまでも「不本意だ」などという感覚を引きずる方が不誠実です。この先に広がる人生の物語をより豊かにしていこうと、そこで出会った仲間たちと、多くの時間や空間を共有していました。
ところが、私の人生を大きく揺るがす出来事が起こりました。それが阪神・淡路大震災でした。当時、私は大学1回生でしたが、4月に入学して以降、大学内で数々のイベントや勉強会を共に過ごしてきた友人たちと、いわゆる学生ボランティアとして現地に出かけました。ところが、被災地で順風満帆な大学生活の出端はくじかれることになったのです。
実は、震災の被災地へと私たちの背中を押したのは「万能観」だったのです。若いから何でも出来る、と言った具合です。これは、若気の至りとでも言いましょうか。だからこそ、多くの人が困っているときに、自分の「想定外」の場面に立ち合うと、自分(たち)の無力さを強く実感することになりました。
振り返れば、静岡県から関西へと、話す言葉も微妙に異なるまちにある大学にやってきた私は、教室の中で先生から教わる授業よりも、同じ校舎に集う仲間たちとの語り合いの中から、満足度の高い日常を得ていました。しかし、そんな風に思えたのも、特に中学校、高校の頃に、よい仲間たちと出会い、さらにはそんな仲間たちと先生や授業の話を盛んにしていたためだったと思っています。とかく学校というと、生徒と先生とのあいだの関係が取り上げられがちなように感じています。しかしあくまで集団生活の場であって、だからこそ先にも述べたように、かけがえのない仲間と出会う無数の機会が得られるのだ、ということを強く感じています。
実はコリア国際学園には、設立の前から関わらせて頂いています。そこで触れた越境人ということばの響きが大変新鮮でした。ところが今、私が学んだ大学では、「Creating a Future Beyond Borders 自分を越える、未来をつくる」という学園ビジョンを掲げています。まさに、越境人になろう、という呼び掛けです。ぜひ、自らの想定の範囲を広げ、よりよい未来を信じることができる人になって欲しいと願っています。
山口洋典
1975年生まれ。立命館大学(理工学部環境システム工学科)卒業後、財団法人大学コンソーシアムに在職。2006年に退職し、大阪・天王寺の浄土宗應典院の主幹に着任。同年10月より同志社大学教員(大学院総合政策科学研究科)を兼職。著書に『地域を活かす つながりのデザイン:大阪・上町台地の現場から』(創元社)など。