「あの日」から18年を迎えた。今年もまた、5時46分には、神戸・三宮の東遊園地に赴くことにした。昨年は年度途中に開講した、立命館大学のサービスラーニングセンター科目「震災×学びプロジェクト」の受講生らに追悼の場に立ち会うことを呼びかけ、結果として7名で参加したものの、今年は殊更に声をかけなかった。それでも、昨年度のプロジェクトを受けた「減災×学びプロジェクト」の受講生2名や、東日本大震災の支援に取り組んでいる学生たち(例えば、InvestorやユースACTプログラムなど)やおなじみの先生(例えば、関西学院大学の関嘉寛先生、兵庫県立大学の乾美紀先生、また同僚でもある川中大輔先生など)にも多数お目にかかった。
三宮の東遊園地、と、文字で記すと、ちょっとしたテーマパークのように思われるかもしれないが、映画『その街のこども』で象徴的に取り上げられているとおり、そこは神戸市役所の南隣の公園である。しかし、毎年この日は、横18m・横30mにわたって1.17が浮かび上がるように蝋燭が仕込まれた竹筒が置かれ、公園の南側の神戸関電ビルにもまた、窓明かりで1.17の文字が浮かぶ。そして、5時45分30秒くらいからスピーカーにより時報が流れ始め、地震発生時刻の5時46分になると1分間の黙祷が捧げられのだ。まだまだ日の出まで時間があるために空はまだ暗いものの、マスコミ各社の照明も落とされ、静寂な中に、少しのすすり泣きと、シャッター音が響き渡る。
竹筒に仕込まれた蝋燭に灯されるのは、東遊園地の一角に設けられた慰霊碑の「希望の灯り」なのだが、今年は少し特別だったとのこと。なぜなら、昨年、南相馬、陸前高田、大槌に分けられた火が帰ってきたためだ。また、5時46分から9時間後の14時46分に灯される「3.11」と象られたものも用意されるということもあって、まさに渥美公秀先生が仰る「被災地のリレー」がここでも見られたことになる。思いは、尊い。
その後に向かった應典院では、正午に秋田住職の読経と梵鐘により、追善法要がなされた。関西に暮らしてきた者にとって18年目のあの日を迎えた夜には、アートとNPOによる総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の一環で、関西県外避難者の会 福島フォーラムの遠藤雅彦代表のトークサロンを行い、聞き手を務めさせていただいた。とかく、東日本大震災は阪神・淡路大震災と比較されるものの、確かに大規模災害という点では比較することに合点がいくものの、広域性と複合性は、その比ではない。中でも原子力災害を引き起こしたという点で、被災地以外に暮らす人々にも大きな影響をもたらしたということ、本日の遠藤さんの語りの中にあった「原発は理不尽ではなく不健全に、人のつながりを断った」という表現に収斂されていたと感じてやまない。