あきらめる、と聞くと、とかく否定的な印象を抱かれるだろう。しかし、漢字にしてみると、その観点は異化されるだろう。例えば、「明らめる」であれば、何か(不明な点を)明らかにする、という意味であるから、どちらかと言えば肯定的な営みであるはずだ。また、「諦める」とすれば、「諦観」という言葉があるように、事態を静観し、転じて達観するといった具合に、価値に対して中立的ではなく、むしろ積極的な調整や創出を伴った判断をも含む一連の思考と、その結実であると思われる。
本日は逆に「あきらめない」あるいは「あきらめきれない」ことに向き合うことになった。それは應典院でのコモンズフェスタで映画監督の鎌仲ひとみさんをお招きしたためだ。鎌仲さんとの出会いは浅くなく、遡れば1999年の夏、立命館大学理工学研究科環境システム工学科の博士前期課程に在学中、コーネル大学で知られる米国ニューヨーク州のイサカで1992年から取り組まれているIthaca Hoursについて調べているとき、その創設者であるPaul Gloverさんにコンタクトを取ったところ、「日本から面白いTVディレクターが来た」とメールアドレスと共に紹介をされたのだった。その鎌仲さんがイサカのパートを担当した番組こそ『エンデの遺言』であり、鎌仲さんが立命館の夏期集中科目を担当していると伺い、その夏は連日「モグリ」の学生となり(しかし途中でNPOについて話題提供することにもなったという、稀有な機会を得たのだが、思えばこれが双方向型の講義を展開していく上での原体験になっている気がする…)連夜、楽しい飲食の場を過ごした。
「あきらめたら そこで試合終了」とは、井上雄彦さんの漫画作品「スラムダンク」で有名な一節である。1999年に比べれば極めて多忙で、各方面から期待や注目を集めている鎌仲さんを大阪にお招きできたにもかかわらず、告知にあたっての参加者獲得への執着が弱く、「成果は数では測れない」という慰めのことばは横において「目に見えて恥ずかしい結果」に直面しなければならなかった。それでも直前まで、TwitterやFacebookでの呼びかけを重ねたものの、根本的にウェブサイトでの表現に工夫が至っておらず、時すでに遅し、だった。
世界はgoogleで見つかるものではない。だからこそ、足を運んで、他者が見つめた現実を追体験して欲しい。鎌仲さんは豊富な取材を通して得た会話や数値から、エネルギーと人類と地球の未来を語られたのだが、会場からの最後の質問「地方から中央は変えられると思うか」に対して、「オセロのように、四隅をとれば、世界は変わる」と応えられたのが印象的だった。ただ、その応対のあいだに、会場から年配の男性が「正しい道は負ける」と吐露した折、應典院の本堂ホールに何とも言えない無力感と、それでも「あきらめきれていない」大きな社会構造を変わる担い手として、自らの自覚と責任が問われているのだと、その場にいた人々は確認したことだろう。