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2013年3月19日火曜日

会議へ、会議から

研究室の引っ越しから一転、今日は会議の連続だった。一つは大阪ボランティア協会の理事会・評議員会である。大阪ボランティア協会はこの3月で谷町二丁目へと引っ越すため、福島区吉野の大阪NPOプラザでの会議は今日が最後であった。午前中いっぱいの議事を終え、そそくさと昼食を食べて向かったのが大阪市公館での「大阪市芸術活動振興事業専門家会議」である。

大阪ボランティア協会は「社会福祉法人」であるため、評議員の代理出席が許されておらず、その一方で「定足数」の基準が比較的厳しいために、私も含め、出席率が比較的高いように思う。ただ、議事の内容が理事会と重複することもあって、理事会と評議員会は合同で開催される。ちなみに理事会も評議員会も、錚々たる方々が名を連ねているため、末席を汚しているようなものだ。それでも、あるいは、だからこそ、「皆様から発言を」と、会場にマイクが向けられた折には、発言の切り出し役を担うことが多い。

今回、マイクを手にして、事業の内容の整理が進んでいるのに対して方法の精査が進んでいないのではないか、そして各種の事業の趣旨は明確だが対象が不明瞭ではないか、さらに協会による中間支援機能としての「つなぎ手」の立場で展開する事業もあっていいのではないか、といった問題提起をさせていただいた。言うまでもなく、これは大阪ボランティア協会に固有の問題ではなく、ネットワーク型の組織に見られる傾向であろう。いかにして、主語を「私」にせず、相手を「主役」にできるか。こうして「自分が役に立つよりも、他者を役に立てる」ことができれば、求め、求められるという二者関係が、求め合う、助け合う、頼り合う、そんな相互の関係へと深化していく。

こうした投げかけに続いて、コミュニティ・サポートセンター神戸の中村順子さんや、たんぽぽの家の播磨靖夫さんなどが発言をなされた。とりわけ、播磨さんの「論理と哲学と余裕」がなければ、「状況に追われ、対応に追われ、社会変革までもたらせない」と訴え、「みんな大事ではなく、何が大事なのか」を示すことができなければ「小さな痛みに寄り添えなくなる」と述べた。返す言葉がない、というのはこういうときの状況を表現するのかもしれない、などと思いつつ、「大阪市芸術活動振興事業助成金」に向かった。応募された74件の審査を5時間あまりの合議により決定したのだが、ここでもまた「論理と哲学と余裕」の3点セットが、自分事として突き刺さってくる、そんな場面に立ち会ったような気がしている。