訳と縁があって、住まいが大阪から京都に変わることとなった。ついては、もろもろの家財の整理を始めた。そんな中、捨てるのも気がひけるし、ヤフオク!(このたび、Yahoo!オークションから名称変更…)に出すのも少々手間、Amazonのマーケットプレイスの「商品」にする程ではない、というものを、「友達」に譲っててみようと考えた。ということで、Facebook上での、小さな社会実験を始めることにした。
恩送りとは、このところ、私が関心を向けて来た概念である。以前から、小説から映画になった作品『ペイ・フォワード:可能の王国』にも興味を抱いていたし、少なくとも江戸時代くらいまで時間を遡れば、お互い様の暮らし方は、特別なものではなかった。しかし、特に東日本大震災の支援に携わる中、渥美公秀先生の「被災地のリレー」という指摘も相まって、実感をもって頻繁に語りの中で用いるようになった。それは「恩返し」という二者関係ではなく、複数の人々のあいだで「恩」を送りあうことが「縁」が結ばれると思う場面に立ち会ってきたためである。
私が専門とするグループ・ダイナミックスにはいくつかの流儀があるが、中でも、集合体の雰囲気(集合流)をよりよい方向に向けていく(ベターメント)をもたらす協働的実践を方法として採っている私たちは、「規範の伝達」という観点に着目する。そこでは、社会学的身体論が理論として用いられる。平明な解説は杉万俊夫先生が行っているが、重要なことは「規範」の生成、維持、発展、消去にあたっては、集合体のメンバーのあいだで「贈与と略奪」が頻繁かつ濃密に繰り返される、という点だ。「贈与と略奪」とは、やや乱暴な表現として受けとめられるだろうが、他者との関係構築は「不等価交換」でも、ましては「等価交換」の繰り返しでもない、と捉えるのである。
交換という論理においては、他者とのあいだで価値基準が存在する、という視点が根差している。よって、等価交換も不等価交換も、交換する側とされる側のあいだで、例えば金銭的価値などが象徴するように、気付くか気付かざるかは問わずに「共通の価値の尺度」が前提とされる。よって「恩返し」は「感謝」や「後ろめたさ」など、一定の価値基準のもとでなされると捉えることができ、その一方で「恩送り」は一方的に相手の了解可能性を鑑みられることなく贈与され、そうしてなされる贈与を一方的に受領し、我が事物としていくのだ。互いに一方的な営みの連鎖の規模が集合体の内部において拡張していくことで、より「よい」状態がもたらされていく、そんなグループ・ダイナミックスの観点を盛り込み、当面、以下のルールに基づき、ささやかな恩送りの事起こしを始めてみることとする。
【恩送りの実験/譲ります(2013.4.7〜)Facebookでの運用ルール】
2)コメント欄で質問を受け付ける。
3)譲られる方は原則として早い者勝ちとする。
4)「お譲りします」と山口がコメントした時点で受付終了とする。
5)山口のコメントまでに複数の方が名乗り出ていた場合、複数人のあいだで「譲渡権?」の主張が可能とする。
6)譲渡先となった方は送付先を「メッセージ」で送付する。
7)送料については、定形封筒およびレターパックに入るまでであれば、山口が負担する。
8)レターパックまでに収まらないものは、料金着払で発送する。
9)小物については定形郵便かレターパックかについては、譲渡者は選ぶことができない。
10)このルールが変更となった場合には、この投稿に上書きをして、改定した内容を明示する。