11時間、バスに揺られて仙台にやってきた。バスで訪れるときには近鉄バス「フォレスト号」が多かったのだが、今回はいわゆる「高速ツアーバス」から移行されたと見受けられる便であった。ともかく、制度上は8月1日から「高速ツアーバス」は廃止され、新たな「高速乗合バス」の基準のもとで運行されているため、安全上の問題は払拭されているのだろうが、快適さという点においては、上記の「フォレスト号」とは比較にならない。なぜなら、通常の観光バスと同じく4列シートで、トイレ設備がない車両のため、運転手が交代をする2時間ごとに車内灯が全点灯し、トイレ休憩の時間が取られたためである。(その一方で、トイレ設備がある車両であれば、逐次、用を足すことができることもあって、運転手交代時には乗客の乗降のために扉は開閉されず、室内灯を全点灯させる必要もない)。
ともかく、そうしてやってきた今日の仙台は、11日までの滞在の1日目でしかない。3月にお邪魔した台湾・淡江大学と立命館大学による学術交流フォーラム「TRACE 2013(Tamkang and Ritsumeikan University Academic Conference and Exchange Program 2013)」の随行のためだ。4日は仙台、5日と6日は岩手県宮古市、7日は岩手県大船渡市、8日は岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼、9日と10日は仙台、そして11日に再び夜行バスに乗り、12日の朝に京都に戻る、という旅程である。今日はバス到着後、エバー航空の直行便で台北から仙台に入る淡江大学の学生とスタッフさんをお迎えし、仙台市内でセミナーとウェルカムパーティーが行われた。
台湾の皆さんを迎えるまでのあいだ、フリータイムとなったので、せんだい・みやぎNPOセンターにお邪魔した。ちょうど、同じビルの4階から7階へと引っ越し作業をしている只中という、多忙を究める中でお伺いしたのには理由がある。それは、2年前に亡くなられた加藤哲夫さんが、生前に記されたポストイットが見つかった、という知らせを、加藤さんから代表理事を引き継がれた紅邑晶子さんよりいただいたためである。あのやさしい、独特な字で「京都の山口くんがお坊さんになりました!! ジャ〜ン!」と記された75mm角の黄色のポストイットをいただきつつ、紅邑さんとはランチもご一緒させていただいて、加藤さんが生前好んだイタリアンのお店で、「仕事の向き不向き」や「組織の始め方と仕舞い方」や「地元への思い」などについて語り合うという、贅沢な時間を過ごさせていただいた。
そして16時からは、東北学院大学ボランティアステーションの其田雅美さんのお取りはからいで、東北学院大学と淡江大学・立命館大学との合同セミナーを開催させていただいた。私は「復興と支援のダイナミックス ~ 遠隔地から駆けつけることで紡いだ実践知」と題してお話をさせていただいたが、このたび、ボランティアステーションの所長になられた東北学院大学の郭基煥先生の「バルネラビリティー(人の弱さ)とコスモポリタン(定住をめぐる行動感覚)」についてのお話は、既刊の『震災学』第1号に綴られた内容を掘り下げていくものとして、大変興味深いものであった。郭先生の「知れば知ろうとする程分からないことが増加する、それが被災地でのパラドックス」、「最期の声への想像力を持つことが大事」、「現地に駆けつける支援者は皆、死者を救えなかった<遅刻者>だが、それが断罪されるためには被災された方への安易な理解を避ける必要がある」、「防災とは現実を直視して生を目的にした営みだが、復興とは(逆に)死から始まり死者からの視線に耐える営みである」、「災害ユートピアは東日本大震災に限って生じる現象だが、post 3.11の生き方とは公共問題への関わりを高めることだろう」、「(台湾からの皆さんを迎えているためにあえて言うならば、と前置きした上で)東アジアのバルネラビリティーは、村上春樹の言う『二日酔い状態』にあることで、『安酒で酔っぱらっている』かのように、国家・国民のプライドを誇っていることではないか」といった問題提起が胸にこだましつつ、学生たちの創意工夫と趣向に充ちたパーティーを終え、この文章を綴っている次第である。