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2014年1月4日土曜日

物語が呼び覚ます20年

昨日乗るはずだった新幹線に乗って、地元に戻ってきた。沿線火災によって運行見合わせとなった昨日とはうってかわって、日常の駅の様相を呈していたが、帰省ラッシュと重なったためか、車内は混雑していた。そもそも、エクスプレス予約では指定席をとることができず、自由席を購入せざるを得なかった。そして、乗車した「ひかり462号」は自由席の乗車率が100%を越えており、京都駅から浜松駅まで、デッキで立っての移動となった。

浜松駅から磐田駅までは3両編成の普通列車、興津行きで移動した。駅には父が迎えにきてくれていて、そのまま回転寿司屋に予約していた持ち帰りの注文を引き取りにいった。ちょうど、母の兄姉が年始参りに来るとのことで、それにあわせて弟夫婦と共に昼食を実家で取ることになったためである。以前は商店街の寿司屋さんを贔屓にしていたはずだが、そのお店は既になくなり、結果としてチェーン店での持ち帰りとなっているのが、少しもの悲しかった。

そうして親類との昼食を終えると、ふと「百人一首をしよう」ということになった。振り返ると、小学校から高校くらいまでは、1月2日に母方の縁者が母の実家に集まり、いとこどうしで百人一首をしていた。なんだか懐かしい感覚になり、その当時からするとメンバーも違うのだが、100枚の札を互いに競って取り合うことになった。あまり得意な方ではないが、「秋の田のかりほの庵のとまをあらみ我がころも手は露にぬれつつ」は弟が、そして「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」だけは私が、それぞれ、上の句を読み上げた瞬間に札を取りにいっていたことを思いだした。

そして、親類との団欒の後、夕方からは高校卒業以来、初となる学年全体での同窓会が開催された。これは40歳を迎える年に、高校(及び旧制中学時代を含む)全体の同窓会の幹事をすることになっていることよる。そこで、2015年の夏に向け、改めて会える人たちが一同に会し、旧交を温めることで、学年としての連帯感を高めようという狙いがあった。日付が変わっての帰宅となるので、この話は「明日に続く」ものとすることにしよう。