20年ぶりにして初となる学年全体での高校の同窓会の余韻が、今日も残っている。ホテルオークラ浜松、という、なんとも年齢を重ねてきたことを自覚せねばならないような会場に集まったのは、450人あまりの卒業生の約1割ほどであった。20年ぶりに会う顔もあれば、20年前には話をしたことがない人もいた。それでも、20年というときが流れた今、同じ空気の中で学んだという共通体験によって、例えば「高校時代は話したことなかったね」などと切り出すことで、皆が語り合える仲間なのだ。
案内状にも「恩師の先生のお声掛けを」とあったことを、会場で想い起こした。東大や京大への進学実績に恐ろしく固執していた物理の先生、そして時に時間割の調整を行って2時間連続での授業として野外巡検に連れ出してくれた地理の先生、2人がお見えだったのだ。そして、その地理の先生こそ、趣味人として生きる私のロールモデルとなっている一人でもある。そんなアクティブな先生も、既に64歳で、退職後に続けてこられた講師の仕事も、今年で終えられるという。
一次会は、先生方から「お願い」の挨拶と、「母校の今」の紹介、そして一人20秒の「一言スピーチ」、そして「校歌斉唱」という流れで進められた。そのため、あいだの時間で交流を重ねることになったため、クラスごとに配置されたテーブルに運ばれていく食事には、あまり手が延びなかった。ちなみに、校歌斉唱は、高校時代「も」応援団の役割であったため、指揮とエールをきらせていただいた。昨年度の流行語を交えた小話と、小道具として当時の学ランを持っていったものの、視聴率は低く、反応は少なかった。
振り返ると、高校時代は本当に楽しい時間だった。図らずも、上述した「母校の今」について、例の地理の先生が紹介された折、私(たち)の世代のアクティブさ(例えば、加山雄三さんの「蒼い星くず」でのダンスを後輩へと継承していったこと、初日の出を見に小旅行に行く集団がいたこと、廃線になる列車に学校を休まずに行った人がいること、など)にも触れられたのだが、それらはどれも「我が事」であり、懐かしさがこみ上げてきた。久々に会えた仲間たちと共に、そうした時間を懐かしみながら、また新しい思い出を刻む、そんな機会をつくってみようと、日付が変わってから湯船に浸かり、夢想を重ねた。新幹線での1時間10分ほどの移動で、何とも言えない時間旅行ができたこの年始もまた、思い出の一つである。