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2014年1月6日月曜日

ことばに、つばさを。

今日から仕事始めである。しかし、年末からの風邪により、どうも調子がすぐれない。私の風邪のパターンは、まずは喉に違和感を覚え、喉の痛みが激しくなる前に鼻水が止まらなくなり、続いて頻繁に咳が出るようになり、喉が痛くなって、全身が熱っぽくなって、鼻声ながらに沈静化する。こうして6つの段階に分けてみると、今日は5段階から6段階目のあいだくらいだろう。

体調が優れなくても、仕事はせねばならない。事務仕事は集中して仕上げることができるが、「時間割」の名のとおりに時間が割られている講義というものは自分の都合だけを押しつけることができない。その上、これは講義に限ったことではないだろうが、事前準備と事後整理の両方が求められるために、割られた時間だけ気合いを入れれば乗り越えられるという性格のものでもない。ということで、同じ年度ながら、1週間ほど前にはどのようなことを述べて終えたのかを想い起こしつつ、今日の講義の準備を今日行って、講義に向かった。

以前、ラジオの仕事をされている方の話として、「3分番組のためには3時間の準備をすることがあるが、3時間の番組のためには3分の準備で臨むことがある」と聞いたことがある。最近、このことを痛感することが多い。自らの環境に引きつけてみると、3分という時間で最大限の表現をするためには相当の仕込みが必要であるし、3時間という時間であれば一人で何とかしようと思わずに他者と共に雰囲気をつくっていくための手の見せ方・関係の開き方が重要である。無論、よって3分のための3時間は「創作」のための時間として、3時間のための3分は「構想」のための時間として、それぞれ位置づけることができる。

普段、教える仕事をしている私だが、今日は自分の講義に続いて開講されている講義に来られたゲストから多いに学ばせていただく日となった。それは、日頃からご縁のある詩人の上田假奈代さんである。「コミュニティ・デザイン」について取り上げる講義のゲストで来られた上田さんは、ご自身の活動の紹介の後、普段、何をしているのか(すなわち、コミュニティをデザインしているか)を体験を通じて理解してもらえるよう、詩のワークショップを行ったのだ。そして単にペアでのインタビューによる詩作と朗読で終えるのではなく、最初に受講生が行った自己紹介や朗読された内容と、詩作を通じて他者の人生に触れて「ことばを人生のみかたに」している日常を盛り込んだ詩作を朗読され、なんとも、その中でも綴られていた「ことばに翼を」つけている、超絶なコミュニティ・デザイナーだと実感した。