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2014年1月19日日曜日

祭りの終わり


充実の日々を重ねた「コモンズフェスタ2014」の幕が閉じた。今年は12月8日から15日を「一の段」、1月11日から19日を「二の段」とし、そのあいだの12月25日から26日に「24時間トーク」を開催した。年明けすぐの2週間の祭りよりもよいだろう、という考えと、昨年度も行われた24時間トーク「如是我聞」を効果的に配置しよう、そういった工夫を通じた期間設定である。ただ、そこに「段」という名をつけたのは、統一テーマに「じゅうばこの隅」と掲げたためであり、重箱なら、文字通り、折り重なった一段目、二段目と数えるだろう、と考えたのだ。

2012年9月5日、藤浩志さんを應典院に招いて行ったトークサロン「美術家藤浩志が語る人をつなぐアート」の際、藤さんが「フォーマット」という概念を強調しておられたのが、今でも印象に残っている。フォーマットとは文字通り「規格」のことであるが、条件を設定することで一定の制約が生まれ、制約のなかから一定の創造がもたらされる、といった文脈で語られたように思う。正確な表現はともかく、具体的に藤さんの取り組みを例に挙げてみると、「かえっこ」(いらなくなったおもちゃを使って地域に様々な活動を作り出すシステム)にしても「部室ビルダー かえるぐみ」(その背景は着手前にご自身でブログにまとめられており、その後ご自身の解説する動画がYouTubeにアップされている)にしても、どこかで誰かが実施できる「規格」ができている。そして「規格」は「企画」へとつながるのだ。

今回のコモンズフェスタは、昨年から(再)導入した「企画委員の組織化→企画委員会の開催→実行委員会への移行→実行委員による運営」という「企画」からの流れを確かなものとし、同時にチラシの「規格」を定めたことで当面は18の企てを画していくことも定まった。雇われの身である私、いや、いのちあるものとして、いつか私が應典院を去る日が来る。よって、その日のために、企画の規格を定めていくことに、昨今は特に関心を抱くようになってきている。お寺(浄土宗應典院)の事業部門がNPO化(應典院寺町倶楽部)されているという、希有な「規格」が定まっている構図がある上、その構図が「お寺を開く」ためにあるということからすると、必然的に向き合わねばならない問いなのかもしれない。

期間の長短ではなく、とにかく濃密な時間を生んだ今年のコモンズフェスタも、最後は「クロージングトーク」で終えることになった。秋田光彦住職にも参加いただき、企画の段階から参加いただいた方々と共に言葉を交わしたのだが、stand flowerによる演劇『よぶ』(作・演出:勝山修平)の後の実施ということもあって、話は演劇の内容にも及びつつの語りとなった。必要以上に単純化させてしまって恥ずかしいのが、「正しいものが全てを失う」というヨブ記、それにまつわる吉本隆明さんの論考に立花裕介さんが触発されたことで原案がまとめられたお芝居からは、直接・間接を問わず、何らかのかたちで体験したものの印象が大きいと、それを他者にうまく表現することは難しい、ということが、口々に語られた。だからこそ、こうして集っているのだ、などと思いながら、来年のコモンズフェスタでは「阪神・淡路大震災から20年」という、「年ごとに想い起こす」という枠組みに向き合わねばならず、はてさて、どうしたものかと「規格」が落ち着いてきた今だからこそ、今から胸騒ぎをしている祭りのあとである。