今日はかつて立命館大学に留学していたクリスさんに、南ドイツの歴史と文化に触れる旅に連れていってもらった。クリスさんとは2014年7月に立命館大学国際平和ミュージアムで行われたトークセッション以来の再会である。そもそものご縁は、2014年2月に福島県によるスタディーツアーに同行したことにある。トークセッションから程なく、クリスは帰国の途に就いたものの、日本に残る仲間たちと共に、日英両言語で福島の今を伝える冊子を作成し、私家版としてまとめあげた。
お連れ合いと共にホテルにお迎えをいただいて、まず向かった先はホーエンツォルン城であった。1918年のドイツ帝国の誕生まで存在していたプロイセン王国の王室発祥の家である。プロイセン王国の首都もまたベルリンであったため、1000年にわたって一時的滞在に用いられてきたが、19世紀になって本格的な改修がなされらという。パンフレットによれば、1819年7月、「当時23歳のプロイセン王国の皇太子であったフリードリッヒ・ウィルヘルムは、荒れ果てた祖先の居城を訪れ、この城の再建を決心し」「1850年から1867年にかけて、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン候とホーエンツォレルン=ヘヒンゲン候の協力の下、建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテラーの構想によって実現」したとある。
重厚な建築と意義深い工芸品に加えて素晴らしい眺望を味わった後、向かった先はオーガニックのレストランである。牛や野菜やブドウなどを育てている農家レストランで、当然のようにドイツ語のメニューしか用意されていなかった。にもかかわらず、おととい、シュツットガルトのイタリアンレストランでメニューの紹介をした日本人2人組と再会するという偶然が重なった。そんな再会を楽しみつつ、農場で育てられた牛肉、ジャガイモ、そしてワインを楽しませていただいた。
レストランの後、簡単にチュービンゲン大学を案内してもらった。チュービンゲン大学は1477年に設立された神学校を前身としているのもあって宗教研究が盛んなものの、ケプラーの法則で知られるヨハネス・ケプラーが数学を学んだ大学でもある。そして日本語学科もあり、本日訪れたお城で日本語のパンフレットが用意されていたのも、その関係かもしれない。また、立命館大学も含め、日本のいくつかの大学との交換留学の協定を締結しているが、中でも立命館大学に対しては「オープンで新しいことに挑戦できる」とのことで、そうした評価が今後も続くようにと、帰国後の自らの立ち居振る舞いに思いを馳せ、明日の旅もまた楽しみに床に就いた。
お連れ合いと共にホテルにお迎えをいただいて、まず向かった先はホーエンツォルン城であった。1918年のドイツ帝国の誕生まで存在していたプロイセン王国の王室発祥の家である。プロイセン王国の首都もまたベルリンであったため、1000年にわたって一時的滞在に用いられてきたが、19世紀になって本格的な改修がなされらという。パンフレットによれば、1819年7月、「当時23歳のプロイセン王国の皇太子であったフリードリッヒ・ウィルヘルムは、荒れ果てた祖先の居城を訪れ、この城の再建を決心し」「1850年から1867年にかけて、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン候とホーエンツォレルン=ヘヒンゲン候の協力の下、建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテラーの構想によって実現」したとある。
重厚な建築と意義深い工芸品に加えて素晴らしい眺望を味わった後、向かった先はオーガニックのレストランである。牛や野菜やブドウなどを育てている農家レストランで、当然のようにドイツ語のメニューしか用意されていなかった。にもかかわらず、おととい、シュツットガルトのイタリアンレストランでメニューの紹介をした日本人2人組と再会するという偶然が重なった。そんな再会を楽しみつつ、農場で育てられた牛肉、ジャガイモ、そしてワインを楽しませていただいた。
レストランの後、簡単にチュービンゲン大学を案内してもらった。チュービンゲン大学は1477年に設立された神学校を前身としているのもあって宗教研究が盛んなものの、ケプラーの法則で知られるヨハネス・ケプラーが数学を学んだ大学でもある。そして日本語学科もあり、本日訪れたお城で日本語のパンフレットが用意されていたのも、その関係かもしれない。また、立命館大学も含め、日本のいくつかの大学との交換留学の協定を締結しているが、中でも立命館大学に対しては「オープンで新しいことに挑戦できる」とのことで、そうした評価が今後も続くようにと、帰国後の自らの立ち居振る舞いに思いを馳せ、明日の旅もまた楽しみに床に就いた。