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2018年3月21日水曜日

教育法の背後にある原理を深める

今日はオールボー大学滞在中で、最後にメイン会場から参加するキッチンセミナーだった。1997年に米国マサチューセッツ州にあるクラーク大学のキッチンでヤーン・ヴァルシナー先生が始めたことに由来するセミナーは、今はオールボー大学がメイン会場である。ただ、テレビ会議システム(Avaya社のScopiaが用いられている)によって、世界のどこからでも参加できる。今日も、アルバニアとブラジルから参加があった。

今日のテーマは、はからずもPBLだった。特に、PBLを成り立たせるための文化的な背景は何なのか、ということが論点だった。大学改革の中で導入・展開されているPBLの意義をどこに見出すことができるのか、という問題的でもあった。とりわけ、工学教育のように解が明快であるもの、また最新の技術を開発・応用するために企業等と連携が必須なもの、それらにはPBLが向いているものの、人文・社会系の教育には不向きなのではないか、という懐疑的な印象をもとにした議論だった。

キッチンセミナーでは話題提供者がディスカッションペーパーを用意する必要がある。デンマーク時間で毎週水曜日の15時から開催されるため、その前の週の土曜日の正午(都合、4日前)までに送付することがルールとなっている。今日のディスカッションペーパーでは、高等教育政策に左右されて導入・展開されてきたPBLゆえに、歴史的に世界を揺るがす要因となってきたものを比喩として導入してその意義を検討すべく、宗教のアナロジー(神の存在は?教典は?)と経済のアナロジー(新自由主義のように自由競争が前提?)などによって、PBLの特徴を洗い出したい、とされていた。話題提供者のHansさんにはオールボー大学のPBLとの比較研究を行ったことは知ってもらっていたために、「実際、どう?」と率直な問いかけもいただいた。

PBLは教員の「Teaching」の方法というよりは、学生の「Learning」のための概念である。したがって、きちんと教えたい人や、きちんと教わりたい人、そもそもPBLだけでなくグループワークが苦手な人には、苦痛でしかない。したがって、PBLは「良いもの」という前提で、その枠組みだけを教育法として導入すれば、制度化ばかりが先行することによって、イリイチが指摘する「逆生産性」が際立つことになる。オールボー滞在中に「対人援助学マガジン」で始めさせていただいた連載「PBLの風と土」の第3回「専門性を高める学びと専門家への学び方」でも示したとおり、少なくともオールボー大学の心理学科では、PBLを全面的に導入するにあたって、セメスターごとに習得すべき「知識(Knowledge)」と「能力(Skill)」と「行動特性(Competency)」が明確に示されており、このスキルとコンピテンシーとを明確に区別した上で到達目標を示すことができなければ、効果的なPBLを推進することは困難であると再確認するセミナーだった。